ニホンオオカミ

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ニホンオオカミ
Japanese Wolf.jpg
ニホンオオカミの剥製国立科学博物館所蔵)
保全状況評価
絶滅環境省レッドリスト
Status jenv EX.png
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: ネコ目(食肉目) Carnivora
: イヌ科 Canidae
: イヌ属 Canis
: タイリクオオカミ C. lupus
亜種 : ニホンオオカミ C. l. hodophilax
学名
Canis lupus hodophilax
Temminck, 1839
和名
ニホンオオカミ
英名
Japanese Wolf

ニホンオオカミ(日本狼、英語: Japanese WolfCanis lupus hodophilax)は、日本本州四国九州に生息していたオオカミの1亜種。あるいはCanis属のhodophilax種[1]

概要[編集]

1905年明治38年)1月23日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、とされる[2][3]。なお、1月23日はアメリカ人の動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソン(1879-1919)と同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけて居る所からみて数日前に捕れたものらしい」ことに気がついている[4]ので、正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現在の皆花楼)の近くでおこなった[4][5]

2003年に「1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された[6][3]。だが、この福井の個体は標本が現存していない(福井空襲により焼失。写真のみ現存。)ため、最後の例と認定するには学術的には不確実である[3]

2012年4月に、1910年に群馬県高崎市でオオカミ狩猟の可能性のある雑誌記事(1910年3月20日発行狩猟雑誌『猟友』)が発見された[7]

環境省レッドリストでは、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている。

特徴[編集]

脊椎動物亜門哺乳類綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する。絶滅種。体長95 - 114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムが定説となっている(剥製より)。

他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ。周囲の環境に溶け込みやすいよう、で毛色が変化した。

雑誌『The Chrysanthemum』1881年2月号に掲載されたブラウンスの記事中の図。

分類[編集]

ニホンオオカミは、同じく絶滅種である北海道に生育していたエゾオオカミとは、別亜種であるとして区別される。

エゾオオカミは大陸のハイイロオオカミの別亜種とされているが、ニホンオオカミをハイイロオオカミの亜種とするか別種にするかは意見が分かれており、別亜種説が多数派であるものの定説にはなっていない。

別亜種説[編集]

ニホンオオカミが大陸のハイイロオオカミと分岐したのは日本列島が大陸と別れた約17万年前とされているが、一般に種が分岐するには数百万年という期間を要し、また生態学的、地理的特徴においても種として分岐するほどの差異が見られないことから、同種の別亜種であるとする説。

別種説[編集]

ニホンオオカミを記載したテミンクによると、ニホンオオカミはハイイロオオカミと別種であるという見解である[8]

また、ニホンオオカミの頭骨を研究していた今泉吉典も頭骨に6ヵ所の相違点があり、独立種と分類すべきとしている。このように大陸産のハイイロオオカミの亜種ではなく、Canis hodophilax として独立種であるとすることもある。

遺伝学的調査[編集]

岐阜大学教授石黒直隆によりニホンオオカミの骨からDNAが取りだされて調査された結果、大陸のオオカミとも犬とも遺伝的に異なる系統であること、本州、四国、九州の各地域で捕獲されたサンプル間の遺伝的差異は小さく、遺伝的に均一性の高い集団であることが確かめられ、この論文は、2009年度の日本動物学会誌11月号に発表された[9]。石黒教授は朝日新聞のインタビューに、「ニホンオオカミは限られた遺伝子集団であり、日本列島で孤立化した種」、「ニホンオオカミの起源となったオオカミもすでに絶滅しているのかもしれないが、探し出したい」旨のコメントを残している。

同論文中に示された遺伝子系統樹ではニホンオオカミ集団は単系統のクラスターを形成しているが、系統樹全体で見ればイヌ(Canis lupus familiaris)を含むハイイロオオカミ(Canis lupus)の種内に包摂されているため、大陸のハイイロオオカミ系統とは亜種レベルの差異であることが示唆されており、遺伝系統の考察においても慎重ながらニホンオオカミは大陸のオオカミの一系統に由来すると推測されている[10]

その後石黒は2012年の日本獣医師会雑誌 第65巻第3号に掲載された論文[11]の中で、「ニホンオオカミもユーラシア大陸由来のタイリクオオカミから派生した地方集団と考えて、島に閉じ込められて体型が小型化した島嶼化集団と推測するとわかりやすい」、「今後、朝鮮半島や台湾などユーラシア大陸の島嶼部で、ニホンオオカミと同じ系統を示すタイリクオオカミの依存種〔ママ〕がいないか調査してみたいものである」と述べており、2009年時点よりも明確に別亜種説を採っている。

ヤマイヌとオオカミ[編集]

「ニホンオオカミ」という呼び名は、動物学者の黒田長礼が『日本産哺乳類目録』(ヘラルド社、1938年)から使い始めたものであり、正式に定着したのは今泉吉典の『原色日本哺乳類図鑑』(保育社、1960年)以降である[12]

日本では古来から、ヤマイヌ山犬)、オオカミ)と呼ばれるイヌ科の野生動物がいるとされていて、説話や絵画などに登場している。これらは、同じものとされることもあったが、江戸時代ごろから、別であると明記された文献も現れた。ヤマイヌは小さくオオカミは大きい、オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、などの違いがあった[13]

このことについては、下記の通りいくつかの説がある。

  • ヤマイヌとオオカミは同種(同亜種)である。
  • ヤマイヌとオオカミは別種(別亜種)である。
    • ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは未記載である。
    • ニホンオオカミはオオカミであり、未記載である。Canis lupus hodophilaxはヤマイヌなので、ニホンオオカミではない。
    • ニホンオオカミはオオカミであり、Canis lupus hodophilaxは本当はオオカミだが、誤ってヤマイヌと記録された。真のヤマイヌは未記載である。
  • ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミはニホンオオカミとイエイヌの雑種である。
  • ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは想像上の動物である。

シーボルトはオオカミとヤマイヌの両方を飼育していた。

現在は、ヤマイヌとオオカミは同種とする説が有力である。

なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドールアカオオカミ)、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった。

現代では、「ヤマイヌ」は次の意味で使われることもある。

  • ヤマイヌが絶滅してしまうと、本来の意味が忘れ去られ、主に野犬を指す呼称として使用される様になった。
  • 英語のwild dogの訳語として使われる。wild dogは、イエイヌ以外のイヌ亜科全般を指す(オオカミ類は除外することもある)。「ヤマネコ(wild cat)」でイエネコ以外の小型ネコ科全般を指すのと類似の語法である。

昭和の動物学者平岩米吉は、ニホンオオカミ絶滅前は、ニホンオオカミと山にいる野犬を混同して両方「山犬」と呼んでいただろう、とし、黄褐色の毛を持ち、常に尾を垂れているものがニホンオオカミであるが、両方とも人を噛むという点でどちらも人々から恐れられていただろう、と述べている[14]

生態[編集]

生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんど分かっていない。

薄明薄暮性で、北海道に生息していたエゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、2、3-10頭程度の群れで行動した。主にニホンジカを獲物としていたが、人里に出現し飼いを襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどの声だったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろをついて来る(監視する)習性があったとされ、いわゆる「送りオオカミ」の由来となり、また hodophilax (道を守る者)という亜種名の元となった。

一説にはヤマイヌの他にオオカメ(オオカミの訛り)[15]と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり、テミンクはオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが今となっては不明である[16]

和漢三才図会』には、「狼、人の屍を見れば、必ずその上を跳び越し、これに尿して、後にこれを食う」と記述されている。

人間との関係[編集]

狼と遭遇し、を聞かせて難を逃れた豊原統秋の伝承を描いた『北山月』(月岡芳年『月百姿』)

日本の狼に関する記録を集成した平岩米吉 の著作によると、狼が山間のみならず家屋にも侵入して人を襲った記録[17]が頻々と現れる。また北越地方の生活史を記した北越雪譜[18]、富山・飛騨地方の古文書にも狼害について具体的な記述[19]が現れている。

奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。『遠野物語』の記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる。

絶滅の原因[編集]

ニホンオオカミ終焉の地碑石像

ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、おおむね狂犬病ジステンパー(明治後には西洋犬の導入に伴い流行)など家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したものであると考えられている。

江戸時代1732年享保17年)ごろにはニホンオオカミの間で狂犬病が流行しており、オオカミによる襲撃の増加が駆除に拍車をかけていたと考えられている。また、日本では山間部を中心に狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの加持祈祷にオオカミ頭骨などの遺骸が用いられている。江戸後期から明治初期には狼信仰が流行した時期にあたり、狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけた要因のひとつであると考えられている。

なお、1892年の6月まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが写真は残されていない。当時は、その後10年ほどで絶滅するとは考えられていなかった。

生存の可能性[編集]

1905年以降にも各地でニホンオオカミの姿を見た、遠吠えを聞いたといった事例が多数あり、現在でも生存している可能性が高いとして調査を行っている個人や団体も存在する。

紀伊半島山間部では、1970年代に捕獲された動物がニホンオオカミではないかと騒動になった事例が複数あり(ただし、それらはタヌキの幼獣や野犬、キツネを誤認したものであった[20])、ニホンオオカミが生存しているのではないかとの噂が絶えない。現在でも、紀伊半島山間部ではニホンオオカミの目撃証言を募るポスターがしばしば目にされる。

秩父山系でも、1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影されたことがあり[21]、ニホンオオカミ生存の噂は絶えない。

また、九州中部の山地でも2000年に秩父と同様の事例があり[22][23]、生存しているのではないかという話もある。

ニホンオオカミ絶滅の弊害とオオカミ導入計画[編集]

ニホンオオカミが絶滅したことにより、天敵がいなくなったイノシシニホンジカニホンザル等の野生動物が大繁殖することとなり[24]人間の生存域にまで進出し、農作物に留まらず森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになった。アメリカでは絶滅したオオカミを復活させたことにより、崩れた生態系を修復した実例があり、それと同様にシベリアオオカミを日本に再導入し対応するという計画が立案されたこともあった。しかしながら、ニホンオオカミよりも大型で体力の強いシベリアオオカミが野生化することの弊害が指摘されて中止になった経緯がある。現在も、祖先がニホンオオカミと同じという説がある中国の大興安嶺のオオカミを日本に連れてきて森林地帯に放すという計画を主張する人々がいる。

ただし、オオカミの行動範囲は広いことが知られており、特に開発が進んだ現代の日本においては人と接触し、上記の増加した野生動物と同様にトラブルの元になる可能性も否定できない(北米ハイイロオオカミの群れの縄張りの広さは20-400平方キロメートル程度あり、1日約20km移動するという[25])。 さらには、かつてニホンオオカミがあった生態的地位に入る事が出来なければ、沖縄でハブ駆除のために放たれたジャワマングースのように外来種としての被害を与える可能性もあるという議論もある。しかしながら、ジャワマングースは同じ生態的地位を占める動物が存在しなかったのに対して、アジア系のハイイロオオカミはニホンオオカミとほぼ同じ生態的地位を占める動物であることが異なる。もっともニホンオオカミは島国の日本の気候・土地に適応した動物であり、またそれらのオオカミとは亜種レベルで異なる別の動物である。そのため、オオカミ導入の結果は未知数と言えよう。

また、近年では、クローン技術によりニホンオオカミを復元しようという話も持ち上がっている[26]

現存する標本[編集]

ニホンオオカミは明治の早期に絶滅したため、頭骨、毛皮は数体存在し剥製は世界に4体しかない。うち国内は3体、オランダに1体が確認されている。

日本[編集]

日本国外[編集]

頭骨など[編集]

ニホンオオカミの頭蓋骨標本
  • 本州四国九州神社旧家などに、ニホンオオカミのものとして伝えられた頭骨が保管されている。特に神奈川県丹沢ではその頭骨が魔よけとして使われていた為、多く見つかっている。
  • 2004年4月には、筋肉や皮、脳の一部が残っているイヌ科の動物の頭骨が山梨県笛吹市御坂町で発見され、国立科学博物館の鑑定によりニホンオオカミのものと断定された(御坂オオカミ)。DNA鑑定は可能な状態という。中部地方や関東地方の山間地には狼信仰があり、民間信仰と関係したオオカミ頭骨が残されている。御坂オオカミは江戸後期から明治に捕獲された個体であると推定されており、用途は魔除けや子どもの夜泣きを鎮める用途が考えられ民俗学的にも注目されている。現在は山梨県立博物館に所蔵されている[30]
  • 栃原岩陰遺跡の遺物を収蔵展示している北相木村考古博物館にはニホンオオカミの骨の破片が展示されているが、その他多くの縄文・弥生遺跡からニホンオオカミの骨片が発掘されている[31]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Endo H et al. (1997) Osteometrical and CT examination of the Japanese wolf skull. J Vet Med Sci 59: 531-538
  2. ^ 環境省「インターネット自然研究所」 > RDB図鑑 > 原因・理由別 > 採取・乱獲 リスト > ニホンオオカミより。
  3. ^ a b c マイタウン福井「最後のニホンオオカミ 福井市(6)」ウェブ魚拓)より。
  4. ^ a b 上野 1969
  5. ^ 皆花楼 2012
  6. ^ 吉行瑞子今泉吉典 「福井城内で射殺されたニホンオオカミ」『ANIMATE』第4号、農大動物研究会、2003年
  7. ^ 1910 ニホンオオカミ 高崎にいた!? 絶滅5年後「1910年に駆除」 東京新聞 2012年4月27日
  8. ^ 杉山博久編 「ニホンオオカミの分類と変異」『狼 - 伝承と科学』小原巌、野外調査研究所、2004年。
  9. ^ 朝日新聞 2009年 12月15日 火曜日 付
  10. ^ トピックス■絶滅したニホンオオカミの遺伝学的系統
  11. ^ 絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統『日本獣医師会雑誌』 第65巻第3号
  12. ^ 山根一眞 「山根一眞の動物事件簿 狼」『SINRA』37号、新潮社、1997年、123-128頁。
  13. ^ 長野県松本市旧開智学校に展示されている明治期の教科書(副読本)に、「肉食獣類 狼 おほかみ (1)種類1 狼 2 豺 ヤマイヌ (2)部分 頭 長シ ○口 長ク且大ニシテ耳下ニ至ル 耳ハ小ナリ ○体 犬ニ似テ大ナリ ○脚 蹼(みずかき)アリテ能ク水ヲ渉ル ○毛 灰色ニシテ白色雑ル ○歯 甚ダ鋭利ナリ(3) 常習 性猛悍兇暴ニシテ餓ユルトキハ人ニ迫ル 深山ニ棲息シ他獣ヲ害シ(以下略)」とある。
  14. ^ 「山犬と狼」 平岩米吉『昭和日本犬の検討』 (犬の研究社, 1936)
  15. ^ 京都市伏見区深草には、大亀谷または狼谷と記される地名がある。
  16. ^ シーボルトの標本を疑問視する声も少なからずあり、これは骨格の似ているアジア地域の野生犬ドールのものとも考えられており、また後述するように庶民にも馴染み深い人懐っこい性格であったにもかかわらずこれほど骨格も剥製も残されていないというのはおかしいという観点もある。
  17. ^ 851年 神主の家に狼侵入、13歳の童子を喰った。太神宮雑事記(P.85)
    • 886年 賀茂神社のあたりの狼が人をかみ殺した。三代実録(P.86)
    • 957年 学習院北町で狼が3人の女をかみ殺した。日本紀略
    • 8歳の女の子が逃げ遅れ、兄は引き返し鎌で狼の眉間を打ち、狼はくわえていた女の子をひとふり振って捨てると、今度は兄の頬に食らい付いてきた。(P.141)
    • 1769年 狼が来て夫を噛んだ。この狼は前にも多くの人畜を害していた (P.141)
    • 1799年 信州上諏訪、狼が友人に食いついて次郎兵衛は石で狼の背を打ったが、狼は次郎兵衛の目の下を噛み裂き・・、血だるまになり卒倒、友人の屍骸には頭も皮も肉もなかった (P.148)
    • 1833年 飛騨、夜、孫の6歳の娘を屋外の便所に連れて行こうとしたとき狼が孫に飛びかかり、孫をかばった老婆は左腕を噛まれ、助けにきた娘の肩口に食いついた。
    • 1688年 私市村、19歳の女子を食い殺し16歳の男子に重傷を負わせた (P.168 )
    • 1702年 6月4日、8歳女児喰い殺さる。同6月22日、12歳男児をくわえ山林に遁走。2ヶ月の間に16人の男女が食い殺されたと言う 信州高島藩日記(P.216)
    • 1709年尾張藩、3月中に狼に食われた人24人、16人死、8人手負い (P.221)
    • 1710年尾張藩、8月4歳の少女狼に食いつかれ、疵を受ける (P.221)以上平岩米吉『狼 - その生態と歴史』動物文学会
  18. ^ 母はいろりの前にここかしこ食い散らされ片足は食いとられて死至り妻はまどの元に食い伏せられ紅に染み・・・七つの男の子は庭にありて屍なかば食われたり 「北越雪譜」
  19. ^ *元禄十年、生源寺新村頭振せがれが襲われ食べられた。同十二年九月三日、旧池新村百姓与兵衛せがれ左兵衛(13歳)が食い殺された。そのため足軽が出動し、南部源右衛門が円池新村佐十郎谷で一週間後に長さ三尺三寸.丈二尺三寸の狼を仕留め、その死骸を同村肝煎伝兵衛の屋敷内に埋めた。しカし同月今度は水戸田村で頭振与蔵せがれ鍋(14歳)、西広上村百姓七右衛門甥が被害にあい出動した足軽によって狼は仕留められた。狼被害が頻発したため、同十三年に藩は足軽による狼退治に乗リ出し七月に円池村で2頭、八月に円池新村大谷で1頭を仕留める。八月十八日夜に、大門村頭振弥兵衛せがれ岩松(十三歳)が家に侵入した狼に襲われ重傷。足軽が退治に出動(『富山県大門町史』)。 天保十二年五月二十五日夕方庄下組宮森村宇蔵(12歳)が草刈中に襲われ食い殺される。慶応三年にも狼害のため兵卒が退治に出動(『砺波市史』)。 延宝八年三月十五日 婦負郡奥田村山中で、群狼が人を襲っため、富山藩主前田正甫自ら狼狩りを行い、槍で三匹を仕留めた(『越中婦負郡志』)。
  20. ^ 平岩米吉 『狼 - その生態と歴史 新装版』 動物文学会、1992年、278-281頁。
  21. ^ 八木博 「1996年10月秩父山中で撮影された犬科動物」 Wanted Canis hodophilax2010年
  22. ^ 詳しくは四国犬を参照のこと。
  23. ^ 同時期に描かれた漫画ドラえもん」ではドラえもん曰く22世紀にも個体群が存在しているとのことで、懸賞金目当てに現代のニホンオオカミを捕まえようとのび太がオオカミに変身し、最後まで残ったニホンオオカミの群れと戯れるという話があるが、あくまでフィクションの話である。余談だが、この話でのニホンオオカミはある程度学説に基づいた生態で描かれており、展開上人間を敵視してこそいるものの、洞窟で群れを成す姿などはかなり正確に描かれている。
  24. ^ ただし、オオカミの絶滅は増加の原因の一因に過ぎない。地球温暖化による冬期の死亡率の低下、農村の過疎化など、様々な要因が指摘されている。
  25. ^ Gray Wolf (Canis lupus) (PDF) (英語)
  26. ^ 絶滅のニホンオオカミ復活へ 神戸・理研が挑戦 神戸新聞、2011年1月1日。
  27. ^ 小原巌 「ライデン国立自然史博物館所蔵のニホンオオカミ及び日本在来犬標本について」『ANIMATE』第3号、農大動物研究会、2002年。
  28. ^ 収蔵標本ライブラリ
  29. ^ 詳細は『CANIS』No.1,2,3,4を参照。
  30. ^ 御坂オオカミの形態学的形質については、遠藤秀紀酒井健夫・伊藤琢也・鯉江洋・木村順平「山梨県の民家で発見されたニホンオオカミ頭蓋の骨学的および画像解析学的検討」『日本野生動物医学会誌(9-2、2004年)、文化史的背景の検討については植月学「甲州周辺における狼信仰-笛吹市御坂町に伝わるニホンオオカミ頭骨をめぐって-」『山梨県立博物館研究紀要』(第2集、2008年
  31. ^ 縄文の食生活

関連項目[編集]

外部リンク[編集]