松下村塾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松下村塾
松下村塾の講義室

松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代後期の幕末に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾である。長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に、松陰の叔父である玉木文之進1842年天保13年)に設立し、松陰も学んでいる。

目次

[編集] 変遷

吉田松陰は1855年安政2年)に、実家である杉家に蟄居することになり、杉家の母屋を増築して塾を主宰した。1858年(安政5年)に藩の許可を得るが、松陰が安政の大獄粛清されたため、わずか3年で廃止された。

藩校明倫館の塾頭を務めた松陰が主宰し、武士町民など身分の隔てなく塾生を受け入れた。明倫館は士分と認められた者しか入学できず、町・農民はもちろん、武士に仕えながら卒(卒族)、軽輩と呼ばれた足軽中間なども入学できなかったのと対照的であった。

短期間しか存続しなかったが、尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出した。塾生名簿は現存しないが、著名な門下生には久坂玄瑞高杉晋作吉田稔麿入江九一伊藤博文山縣有朋前原一誠品川弥二郎山田顕義野村靖飯田俊徳渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞増野徳民有吉熊次郎らがいる。また木戸孝允も塾生ではないものの明倫館時代の松陰に兵学の教えを受けている。

明治維新の後に復活し、1892年(明治25年)まで存続した。萩市の松陰神社の境内には、修復された当時の建物がある。

1922年(大正11年)10月12日、国の史跡に指定されている。管理団体は松陰神社である。

2009年(平成21年)1月5日に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載された。

[編集] 模築

下記のところに松下村塾の模築がある。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

他の言語