松陰神社
松陰神社(しょういんじんじゃ)とは、江戸時代末(幕末)の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする神社である。松陰の墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にある。どちらも、学問の神として崇敬を受ける。
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[編集] 松陰神社(東京都)
| 松陰神社(東京都) | |
|---|---|
御社殿 |
|
| 所在地 | 東京都世田谷区若林4丁目35-1 |
| 位置 | 北緯35度38分50.04秒 東経139度39分21.92秒 |
| 主祭神 | 吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰) |
| 社格等 | 府社 |
| 創建 | 明治15年(1882年) |
| 例祭 | 4月27日・10月27日 |
東京都世田谷区若林に所在する。旧社格は府社。また、付近には国士舘大学(世田谷キャンパス)や世田谷区役所がある。東急世田谷線松陰神社前駅下車。
鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。
松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれている。松下村塾を模造した建物、頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もある。また、桂太郎の墓所も近くにある。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、慶応4年(明治元年)、木戸孝允がこれを修復整備した。墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。 敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあるが、案内が不十分なこともあり、参拝者は少ない。桂自身の遺言により、この地に埋葬された。
徳富蘆花の「謀反論」でも書かれているが谷を挟んだ向こう側には豪徳寺がある。豪徳寺は吉田を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の寺である。
[編集] 外部リンク
- 松陰神社(公式サイト)
[編集] 松陰神社(萩市)
| 松陰神社(萩市) | |
|---|---|
| 所在地 | 山口県萩市椿東1537 |
| 位置 | 北緯34度24分43.70秒 東経131度25分5.60秒 |
| 主祭神 | 吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰) |
| 社格等 | 県社 |
| 創建 | 明治40年(1907年) |
山口県萩市椿東に所在。旧社格は県社。JR山陰本線東萩駅下車。
明治23年(1890年)、松陰の実家・杉家の邸内に松陰の実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀ったのが当社の創建である。明治40年、共に松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して土蔵造りの本殿に付し、同時に県社に列格した。現在の社殿は昭和30年に新しく建てられたものである。創建当時の土蔵造りの旧社殿は松下村塾での門人を祭る末社・松門神社となっている。
境内には松下村塾が現存している。また松陰幽囚の旧宅・吉田松陰歴史館などがある。2009年10月28日には松陰没後150年を記念し、宝物殿『至誠館』が開館した。萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れる。