ペトルス・プランシウス
ペトルス・プランシウス(ラテン名:Petrus Plancius 、オランダ名:ピーテル・プラーテフート Pieter Platevoet 、1552年 - 1622年5月15日)は、ネーデルラント(オランダ共和国)の天文学者、地図製作者、聖職者である。
現在のベルギー、ヴェスト=フラーンデレン州フーフェルラント地方ドラヌーテル村(Dranouter)で生まれた。ドイツ、イギリスで神学を学び、24歳でオランダ改革派教会の牧師となった。
1585年スペインがブリュッセルを占領すると、宗教的な審問を逃れるためにアムステルダムに逃れた。アムステルダムで航海技術と地図作成に興味を持ち、ポルトガルから航海図を入手するのに充分な資力があったので、インドへの航路のエキスパートとして認められるようになった。プランシウスはインドに至る近道としての北東航路についての可能性を強く信じており、それは1597年のウィレム・バレンツの3回目の航海が失敗するまで続いた。
プランシウスはオランダの東インド会社の設立者の一人で、東インド会社のために100を超える地図を作った。1592年最も知られた地図 "Nova et exacta Terrarum Tabula geographica et hydrographica" を作った。その他に雑誌や航海の手引書を発行し、経度を決める新しい方法を研究した。航海図にメルカトル図法を採用した。 新大陸の探検家ヘンリー・ハドソンとも極めて親しかった。
1589年、南半球の情報を含む天球儀を製作した。南十字星やみなみのさんかく座、大マゼラン雲、小マゼラン雲が描かれた。
1595年、南半球に航海する航海士ペーテル・ケイセル(Pieter Dirkszoon Keyser)に依頼し南半球の星図の空白部分の観測をさせた。ケイセルは翌年ジャワで没するが、135の恒星の表と12の新しい星座が協力者のフレデリック・デ・ハウトマンからもたらされ、プランシウスは1598年、新しい天球儀を製作した。ケイセルの新しい星座ははと座、カメレオン座などがある。これらの星座は1592年のプランシウスの地図に載せられ、1603年のヨハン・バイエルの星図『ウラノメトリア』に取り入れられた。1613年にさらに新しい星座8個を加えた天球儀をアムステルダムで発表した。
小惑星(10648)プランシウスに命名された。