暴走族

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暴走族(ぼうそうぞく)とは日本に於ける、公道上で自動車オートバイに乗り、違法な運転や騒音を伴って走る集団である。

暴走族風ファッションを模した『数取団』のコスプレ
暴走族風の改造を模したスズキ・GSX400Eの模型

インターネットを中心に珍走団という表記も見られる。

概説

他者への妨害や危険をもたらす一連の行動は、主に道路交通法共同危険行為として罰せられる。また、自動車やオートバイは、ほとんどが違法改造車であるため、この点で検挙されることもある。2004年11月現在、共同危険行為で摘発された場合、最高で2年の懲役または50万円の罰金、交通反則通告制度に基づく違反点数25点が課され[1]運転免許取り消し後の欠格期間(免許を再取得できない期間)が数年におよぶ。このため、摘発された場合には、その後の就業に支障をきたす部分もあり、取り締まりも年々強化されていることから、全盛期と比べて構成者の大幅な減少も見られる。

一方で、小人数で暴走するケースが増えている。このことは「たまたまその場に居合わせただけ」という逃げ口が設けられるため、「集団」に対する取り締まり方法である共同危険行為を適用し辛いという問題も生じさせている。また、警察車両がこれらの犯罪行為を確認したとしても、路地裏などへ逃避されるなどのため、警察の能力では対処できない例も増加している。

分類

警察の分類では、大きく分けて「共同危険型」と「違法競走型」の二種の分類が存在する[2]

共同危険型暴走族

意図的に大きなエンジン排気音を発生させる、あるいは大音響のホーンを鳴らすといった騒音を出したり、マフラーの消音機を外したり、マフラーを途中で切断して爆音をとどろかしたり、何台も車両を連ねて路上を占拠し低速で蛇行走行などを行う形態の暴走族を、共同危険型暴走族という。おもに、幹線道路や繁華街の一般道路、一部高速道路などで活動する。一般市民を威嚇するなどの暴力的側面も併せ持ち、車両暴走をメインに活動していることを除けば、実質的にストリートギャングに近い集団である。

1970 - 1980年代に大きく社会問題化したこともあり、一般に「暴走族」というと、この共同危険型暴走族の姿をイメージされることが多い。構成員の多くが若い男性で、女性のみの集団は「レディース」という俗称で呼ばれることもある。車両改造は、騒音を大きくしたり派手な装飾を施すことに費やされることが主で、かつてはスポーツバイクが主流だったが、近年ではスクーターセダン型の四輪自動車など多岐に渡る。

不良行為少年の代表格と見られる事が多く、1970 - 1980年代には一種独特な服装や髪型などが、暴走族への所属有無に係らず不良少年全般に広まっていた。ブームが終焉した後は通常のいでたちの者も少なくない。グループごとに地域性が強く、おもに中学校時代に仲がよかった不良グループを元にして結成され、出身中学校の同級生同士を本拠に地元近圏を初めとした知人・後輩の不良グループを勧誘、複数の暴走族グループの連合化や傘下を繰り返し、組織の維持と勢力拡大を図っていく。そのため、それら中学校・高校の不良グループが結束したクラブ活動のような存在となり、加入予備軍となる軽度の不良少年に対しても背後で一定の影響を及ぼしている。さらには暴力団の下部組織として機能、または同団体への加入斡旋の場となるケースも多い。

参加は比較的容易にできるが、体育会系的な体質からグループ内に見られる「掟」や負の同調圧力などのために脱退が難しく、掟を破るとリンチを加えるなどで拘束される。一方で時代の変化とともに、掟の厳しさが青少年層に受け入れられ難くなり、1982年ごろを境に規模は縮小傾向にある。基本的に、18歳または成人となる20歳をもって暴走族から足を洗い、その際に別の年少者を加入させるという慣習があるとされてきたが、後継者不足から勧誘ができずに引退の歳になっても足を洗えない者が出たり、人数不足を成人OBの再加入によって賄ったりするなどで、構成員が高年齢化する傾向もある。

旧車會
成人版・共同危険型暴走族。2000年前後から、共同危険型暴走族を引退した後も楽しさを忘れられない者や、少年期に憧れながら加入していなかった者などの成人が集まり、自らの少年時代に新車だったバイク(現在では旧車)を改造して活動するようになった。
バイカー
成人版・共同危険型暴走族。アメリカのモーターサイクルギャングに影響を受けた若者が、暴走族のように暴走行為をしたもの。暴走族との違いはファッションとバイクであり、ライダースジャケットや革パンなどで統一し、アメリカンバイクハーレードラッグスターなど)を乗り回す。元暴走族も多い。

違法競走型暴走族

一台ずつや複数台で連なって、速度を競うように走行する形態の暴走族を、違法競走型暴走族という。山間部の峠道、直線・環状の一般道路や高速道路などにおいて、純正品より排出音の大きいエンジンやマフラーに付け替えた車両を用いることや、ドリフト走行による摩擦音が発生することなどによって、通常の通行車両よりも大きな騒音を出して走る。本人らは共同危険型暴走族と同一視されることを嫌う傾向が強く「走り屋」の呼称を好んで用いる。速度を競う性質上「その進行を制御することが困難な高速度(刑法第208条の2)」での走行になりやすい運転の仕方であり、他の車両の運転者に危険を感じさせ急ブレーキをかけさせたり[3]、無関係な人を巻き込んで死亡させる事故も起きている[4]

正規のモータースポーツを真似ていると称する「イベント」を無断開催し、大規模なものになると、パーキングエリアや沿道などに同好の見物人も擁して占拠する。車両はスポーツカーなどの高速走行向きのものがおもに用いられ、走行性能を高めるための車両改造には、共同危険型暴走族よりも多額の資金を費やし違法改造をすることが多い。

1950 - 1960年代カミナリ族の嗜好を受け継ぐ形態であり歴史的には古いものであるが、1970 - 1980年代に共同危険型暴走族が社会問題化した印象が大きく、一般的な認知度は低かった。1990年代以降になって、共同危険型暴走族の活動が比較的下火になったことで相対的に違法競走型暴走族の比率が高まったため、社会問題として注目されるようになり警察などの取り締まりも本格化してきた。被害の大きい峠道などでは、夜間通行止めにせざるを得ない状況にもなっている。

また、人間関係などに制約の多い共同危険型暴走族よりも楽に活動しやすいことから、従来よりも不良少年が違法競走型暴走族に流入する傾向にあり、活動内容的に差異が薄い者もみられる。

種別

活動内容の違いによって、呼び名にいくつかの種別がある。子細は「走り屋#種別」も参照。

ルーレット族
首都高速都心環状線阪神高速1号環状線など、都市高速道路の環状部分で周回する速度を競いあう。「イベント」開催時にはパーキングエリアを大挙して占拠することもある。関西では環状族とも呼ばれる。
ローリング族
峠道で急カーブの続く道程を競走しあう。山間部の一般道や観光路線などが用いられる。
ドリフト族
峠道や港湾地区の一般道などで、車体を横に滑らせてタイヤをスリップさせながら走るドリフト行為を行う。タイヤが擦れるスキール音が非常に大きいのが特徴である。
ゼロヨン族
直線の続く一般道でドラッグレースを行う。「ゼロヨン」とはドラッグレース競技全般に対する通称で、1/4マイル(約402m)区間競技が多いことから「0-400m」の略語。

歴史

勃興

1950 - 1960年代ごろから、富裕層を中心に当時まだ高価だったオートバイを集団で乗り回す若者が登場、マフラーを外してけたたましい爆音を響かせながら走り回る様から「カミナリ族」という呼称が生まれた。交通を妨げて疾走する事から交通事故が懸念されたものの、時代は高度成長期であったため、社会が大きく変容することのストレスを受けたモラトリアムの範疇として、マスメディア文化人を中心にある程度容認される傾向も見られた。

しかし1970年代になると、オートバイは低価格化とともに広く一般へも普及し、とりわけ不良少年に浸透していくと暴行恐喝事件を起こす傾向が強くなり、一般市民への暴力事件やグループ同士の抗争事件が社会問題として取り上げられるようになった。1972年富山県富山市中心部の城址大通りから端を発して全国に広がった騒動をきっかけに、「暴走族」の呼び名が広まり警察当局もこの名称を公文書に用いた[5]。東日本では1972年ごろからグループ化が始まり、1974年には確認されているだけで86件の抗争事件が発生。1975年上半期の時点では、全国に571グループ、約2万3千人が存在しており[6]、包丁、火炎瓶ヌンチャク、角材や木刀などで武装するグループも現れた。グループ同士の対立の増加は、結果として「自衛を目的とした連合の結成」を促すこととなり、1975年ごろの大組織の台頭は小組織の小競り合いを減らした反面、抗争の規模を肥大化させ[7]、グループ同士の争いのみならず、暴徒化した一般の群衆を巻き込んだ暴動にまで発展する事もあった[8]。この時代になると、社会の安全を脅かす存在として、従来の「モラトリアムの範疇」という論は低調になっていった。

1978年に道路交通法の改正により「共同危険行為等禁止規定」が新設され、一旦は鳴りを潜めたが以後も再び勢威は増していった。元来のカミナリ族の嗜好に相当する、運転技術を重視するスタイルの者は、仲間うちで「街道レーサー」と呼ばれた後に「走り屋」を自称しその様態は存続し続けるが、一時的に社会の注目は薄れていく。

共同危険型の盛衰

1980年前後に暴走族は最盛期を迎えた。警察庁の1980年11月調査では、全国で754グループ、38,902名の暴走族が確認された。これは1980年6月に比べて10.8%増の数字である(女性暴走族は948名から1,426名に増加)。低年齢化も進み、15歳以下の構成員は、1976年当時の47名から1,208名へと約25倍になっていた。1981年にもグループ数は更に増加し、835グループが確認され、8,255名が検挙された(前年比82.5%増)。

彼らは、パンチパーマに剃り込みを入れた髪型に、特攻服に刺繍などで飾り付けをしたものを着て、自分たちのことを「ツッパリ」という語で呼ぶようになり、徒党を組んで集会などを行った。この後、「ツッパリ」は暴走族以外にも拡大して、次第に不良行為を行う事で自己を顕示する少年少女らのスタイルとして定着するようになる。ツッパリファッションを身にまとった「リーゼントロック」[9]音楽バンドが、当時の管理教育に反発する少年層の間で大流行し、ツッパリファッションを子猫に着せた「なめ猫グッズ」が発売されたのもこの時期である。

しかし暴走族文化の拡大とともに、本来は「10代の若者が、学校や社会に反発していることを示す行動様式」とされた暴走族は、次第にOBを含めた上下関係や既存の暴力団との繋がりを持ち、グループ内の制約遵守や規律を守らない構成員に対する制裁などの掟に、構成員はがんじがらめとなってきた。若者を取り巻く環境の変化に伴って、この厳しい伝統的拘束を嫌う傾向が青少年層に強く見られるようになる。地縁で結ばれた先輩後輩関係の強力なリーダーシップの希薄化、集団行動への忌避意識の高まりといった風潮の影響も受け、大きな責任を背負って主従関係を維持し、組織を編成・運営していくスタイルは成り立ちにくくなってくる。

これに替わって、1980年代半ば以降の大都市においては、厳しい上下関係を嫌う者たちが、アメリカのストリートギャングを真似た「カラーギャング」や「チーマー」と呼ばれる集団へ流れる傾向が見られた。1990年代以降では少年向けファッション誌などの登場に代表されるファッション性重視の少年層増加に伴い、旧来の特攻服をまとったスタイルに垢抜けない「時代遅れ」的なイメージを持つ傾向が強まり、暴走族文化は若者の間で次第に廃れていった。

違法競走型への移行と高年齢化

こうした流れを受け、仲の良い不良少年同士が組織やルールといった従来スタイルに囚われずに、多くても十数名程度の小集団で適当に集まって散発的な暴走行為を行うケースが主流となっていった。これらでは、従来の「ヤンキースタイル」をしているケースは稀で、大集団となる傾向は見られない。また、バイクのアクセル音でリズムを刻むことを追求したり、ただ単に「乗りたい」というだけの行動や、走りを重視するゼロヨン族やドリフト族など、新しい形態の暴走族に姿を変えていく傾向が見られ、社会への反抗といった思想性や既存の特定集団への帰属意識は薄れていく。警察でも従来の調査方法では実態を把握しづらくなってきたことから、1994年からは「従来型」の暴走族に対し、ローリング族やゼロヨン族を「非従来型」として分離して統計を取るようになった。これによって、1995年には暴走族総数のうち非従来型の暴走族の割合が26.4%を超えていることが判明するなど存在感が増し[10]、彼らが高速道路や山岳道路を占拠する状況が社会問題として取りざたされることも増えてきた。警察では1999年から、従来型の暴走族を「共同危険型暴走族」、非従来型を「違法競走型暴走族」と呼ぶようになっている[11]

一方で、地方では「ヤンキースタイル」が社会的反抗の様式として伝統的に残っている地域・集団もあり、ある種の「モラトリアム・ファッション」として共同危険型暴走族の形を取る少年が見られる。ただ、これらは1980年代の懐古趣味スタイルという位置付けで、個人が単なるファッションとしてそれを行っているに過ぎないケースも多く見られ、やはり思想背景は含まないものとなっている。

社会環境としても、地域の繁華街や観光地・イベントで周囲を威嚇するなどの行為への対策として、2002年広島市暴走族追放条例が施行[12]されたのを皮切りに、全国の自治体で暴走族の取り締まりを目的とする条例を制定する動きが広がった。2004年11月1日には、道路交通法改正により、共同危険行為の摘発に際して必要だった被害者の証言が不要となり、現場の警察官の現認のみで逮捕が可能となった。全国のグループ構成員の総数は、1982年の4万2510人をピークとしてその後は減り続け、2005年には1万5086人となっている。2010年には、警察庁が統計を取るようになった1975年以降で初めて1万人を下回る9064人となったが、その過半数は特定のグループに加入していない者たちであるため、たとえ一部の者を逮捕しても他の暴走族の情報を入手しづらいことから、全体像の実態把握を難しくしている[13]。共同危険型暴走族は減少しているものの、違法競走型暴走族の摘発はむしろ増加しており、そのうえ違法競走型暴走族の場合は、大規模に集団走行している場合を除いて共同危険行為による摘発が難しいことが問題となっている[14]

また、若者離れの影響により、従来であれば後輩を加入させることで「成人したら引退する」といった慣習があったとされる共同危険型暴走族では、既存構成員が成人になった後もずるずると所属し続けたり、勢力維持のために成人OBを呼び戻す例が増えるようになった。加えて2000年前後からは、OBや未経験者の成人が独自に暴走族を結成した「旧車會」も現れるようになった。もともと年齢層が高めな傾向がある違法競走型暴走族の場合も、2008年には50歳代2人を含むグループが検挙されており[15]高年齢化が進行している。暴走族構成員の平均年齢は年々上がってきており2006年からは成人が過半数となった[16]。30歳代から40歳代の成人が検挙されるなど、相対的に少年層よりもこれらの活動のほうが活発という地域も発生し、さらに暴走族の平均年齢を押し上げる要因となっている。

社会の対応

1970年代以降は、不良少年が既存の暴走族グループに居場所を求め急速に規模を拡大していた。また、暴走族の中に特定のファッションやスタイルが生まれると、これに憧れや興味を持った少年を更に集めていく循環に陥り、未成年の比率が80 - 90%を占めていた。一方で、これらに対しては「社会に適応する準備段階に於いて発生する反発」や「まだ方向を見出せない若いエネルギーの発散」の範疇として、迷惑行為とはされながらもモラトリアムとして容認される向きもあり、警察側も無理な追跡は(事故を防止する上でも)避けるといった傾向も見られたが、次第に道路の占拠や騒音で迷惑度を高め、抗争や暴徒化で暴力事件を引き起こすなど凶悪化していくと、傷害や窃盗などで検挙されることも増えてきた。こうした状況の解決には、カミナリ族の勃興当時には単なる交通違反の取り締まりとして対応されていた状況から、交通違反のみではなく三ない運動のように家庭や学校などを含めた少年非行問題としての対策へと転換する必要に迫られた。

センターライン上にチャッターバーが設置された峠道

一方で、このような未成年者の問題とは異なり、違法競走型暴走族は構成員の社会属性などに特定の共通性を見いだしづらく、また成人が多くなった現在の共同危険型暴走族も同様であることから、そういったものへの対策は交通違反を逐一取り締まっていく従来型が主となる。ルーレット族の集会や初日の出暴走のように規模の大きなものには、パーキングエリア内の集団を解散させたり検問を行うなどして取り締まっている。違法競走型暴走族の大規模な暴走行為にも共同危険行為が適用されている[17]。しかし、一人もしくは少数グループでのゲリラ的な活動が増加しており、それらの取り締まりは非常に困難である。ドリフト族への予防的対策としては、カーブの路面に凹凸を設けたり、センターライン上にチャッターバーを設置したりすることや、峠道入り口での検問や夜間閉鎖などの措置が取られている。

暴力団が一部の暴走族を組織化し、一定の庇護や武器・薬物の提供を見返りに、上納金を納めさせて資金源とする例も見られる。暴走族構成員の少年にアルバイトを世話したり、パーティー会場を斡旋してパーティー券を販売させるなどで、その収益の一部を手数料や上納金として徴収する。1977年からは暴走族の麻薬[18]による検挙が顕在化している[19]。暴力団と一定の関係を持つ暴走族では、構成員の一部が暴走族「卒業」後に暴力団員として雇用され、暴力団の予備軍的存在となっており、暴力団との関係を断つためにこうした暴走族の解体も図られている。

呼び換え運動

暴走族が様々な迷惑行為で社会問題視されている一方、主として地方の青少年にとってはなお若者文化としての側面がある。このため、暴走族を「格好良い」など憧憬の対象とする者もおり、そういった者たちの中には実際に暴走族に加入して、同種の問題行動に走ることも懸念される。

このため、従来よりあるこういった価値観を否定し、ともすれば揶揄することで「格好悪い」ことと位置づけ、参加者や憧れを持つ少年少女らを減らそうという運動も見られる。これらでは、暴走族そのものは勿論、暴走行為を見物したりなど助長しかねない行動も否定したり、あるいはそういった見物するなど関心がある側と暴走族そのものを分断するためのイメージ戦略も見られる。

珍走団
ダウンタウン松本人志が命名したものであるが、「暴走族」や「走り屋」という呼称を、迫力のない「珍走団(ちんそうだん)」という呼称に言い換える[20]「珍呼運動(ちんこうんどう)」がインターネット上で散見される。一部のテレビ番組で取り上げられた[21]ほか、漫画やゲームなどのインターネット文化と親和性の高いメディアで扱われている[22]ものの、語感が不謹慎で冗談としての隠語2ちゃんねる用語)の域を脱しておらず、報道機関や一般へは浸透していない。
一方で、福岡県警察2003年愛媛県警察2004年に、暴走族追放キャンペーンの際に「珍走団」の語を一部で用いている。
ダサイ族
沖縄県宜野湾市宜野湾警察署は、市民生活を脅かす集団暴走行為のイメージダウンを狙った名称を公募し、2009年5月26日に「ダサイ族」の呼称を選定した。同選考では寄せられた685点から一次選考・二次選考を経て「よわむし族」「ゴキブリ族」「ダサイ族」を選び、三次選考で同名称が決定した。同署では今後標語などに同語を使ってイメージダウンを図り、暴走行為を見物する「期待族」の減少に期待したいとしている[23]

暴走族の文化

ローリング族にステッカーを貼られたガードレール(山梨県道志村国道413号線)

暴走族は自分たちの存在を誇示するために、それぞれ固有の旗やユニフォームを持っている場合があり、それを表す文字や記号を沿道の建築物の壁面や塀、道路設備(電柱や立看板)などに落書きしまたステッカーを貼るなどの縄張り宣言、ヴァンダリズムが行われることもある。共同危険型暴走族は、それに当て字でわざと旧字体のような難しい字や意味のよくない漢字を用いることが多い(例:「夜露死苦(よろしく)」「愛羅武勇(アイ・ラブ・ユー)」)。

服装は、共同危険型暴走族の場合、かつては特攻服甚平などが多かったが、そういった文化が廃れた地域では通常の私服が多くなってきている。ヘルメットは基本的に着用しないか、半キャップ(半帽、半ヘル)と呼ばれるヘルメットを被らずに首に引っ掛けるだけや、あご紐をきちんとかけていない姿が多く見られる。対して違法競走型暴走族はこのような服装はとらず、共同危険型暴走族のイメージと同一視されることを嫌う傾向もある。違法競走型暴走族は「走り屋」の自称に拘るなど違法性(またはその可能性)に対する意識が共同危険型暴走族よりも希薄で、あくまでも自らの活動は各個人の運転欲求に伴う「趣味」だと捉え、一般から迷惑行為と判断される状況を、自分たちは社会から冷遇されているのだと認識している傾向にある。

アマチュア・モータースポーツとして正規のサーキットで合法的に走行を楽しんでいながらも、同時に公道暴走も行っている者も少なからず存在する。さらには、土屋圭市ら公道暴走活動からプロのツーリングカーレーサーになった人物もおり、モータースポーツの中でもツーリングカーレースや二輪レースは違法競走型暴走族の行動形態と親和性が高いため、違法競走型暴走族をこれらモータースポーツの「登竜門」として肯定的に捉える言説もある。日本における二輪レースのイメージが四輪レースに比べて未だに悪い要因は、これらのネガティブイメージに起因しており、二輪モータースポーツ振興の妨げとなっていると見る向きも多い。

違法競走型暴走族の車を待ち伏せして襲う「走り屋狩り」や「つぶし屋」などを行う共同危険型暴走族も存在する。騒音や危険運転など両者の行為一般は似ている面が多く、いわゆる威圧、嫌がらせ目的であったり単に憂さ晴らしである場合が多いとされるが、それに加えて高級スポーツカーや大金を投じた改造車など、経済的に裕福そうな違法競走型暴走族を対象とした恐喝、強盗も少なからず存在している。

また、二輪車の運転免許を取得できない小・中学生や未取得の高校生の中には、自転車に乗って共同危険型暴走族のような運転を行う「自転車暴走族」も存在する。暴走族への憧れから、自転車にカウルマフラーなどを模した飾りをつけて、共同危険型暴走族の「族車」に見立てた「デコチャリ」にしている場合もある。これらについては、道路交通法の「軽車両の並進の禁止」での検挙が行われている[24][25]

車両

暴走族が乗る車両は改造が施されることが通例で、騒音規制や二輪車・四輪車の規格・保安基準に違反する違法改造である場合が大半である。共同危険型暴走族は装飾性に重点が置かれる「カスタムカー」のスタイルを取るのに対して、違法競走型暴走族は走行性能の向上を目的に行われる「チューニングカー」のスタイルとなっている。また、共同危険型は意図的に騒音を大きくするための改造が行われ、違法競走型の場合も性能向上が結果的に騒音を生むため、どちらの車両でも一般車と比べて騒音性が高い。共同危険型の車両は「族車」という俗称で呼ばれることがある。

元になる車両はどちらも国産車が中心になっている。共同危険型では希少な1980年代の旧型車が二輪・四輪ともに人気が高く、四輪車は普通乗用車(3ナンバー)のセダン(特にFR車)が多いが、他にもミニバンを派手に改造・装飾する「バニング」や、高級セダンを独特の改造を施す「VIPカー」と呼ばれるものなど、それぞれの嗜好に応じて多様な車種が用いられる。違法競走型では、速さを競う必然上から走行性能上位車種に限定され、二輪車はスーパースポーツやプロの競技用車両をスペックダウンした「レーサーレプリカ」、四輪車はスポーツカーと、それに準ずるスポーツセダンライトウェイトスポーツなどの「スポーティーカー」が多い。車両価格が高価なため少数派ではあるが、日本国外のスポーツカーに乗っている者も存在する。

改造

共同危険型暴走族の改造を模したホンダ・ホークIII/CB400Nプラモデル

装飾については、違法競走型も一部装飾性の高いエアロパーツやステッカーなどが施される場合もあるものの、見た目の特異さは共同危険型の方がより強い。二輪車の場合、「三段シート」「爆音マフラー消音器がない直管や特殊構造で騒音を増幅する)」「絞りハンドル」又は「アップハンドル」の装備が基本で、加えて、派手な模様などの塗装、「ツッパリテール」「ロケットカウル」「布たれ風防」などの装飾部品を装着する。非常に高い二連ロケットカウルと電飾を装着した二輪車は「ブチ上げ」と呼ばれる。赤く発光する事が義務である尾灯を白く変える者、白の不動光が義務である前照灯を閃光を放つように改造する者もいる。四輪の場合、車高を下げる「シャコタン(ローダウン)」、タイヤのサイズダウン、「爆音マフラー」装着が基本で、加えて「ロングノーズ(前方に突き出したボンネット)」「デッパ(出っ歯:鋭利なチンスポイラー)」「竹槍マフラー(跳ね上げた長いマフラー)」「オーバーフェンダー」などの装飾部品を装着することが多い。装飾部品はかつて、町工場クラスの所で製造されていた。

これらにより、共同危険型の車両は走行特性が著しく低下している。ローダウン車では一般道の数ミリ程度の凹凸でもシャーシ底面をぶつけて壊すことがあり、スポイラーやフェンダーのアプローチアングルが低過ぎて一部踏切などの段差を越えられない車両も存在する。ロケットカウルやブチ上げは空力抵抗を無視し目立つ事だけを考えた造作である。マフラーを外した二輪車では2サイクルエンジンの吸気効率の低下(→チャンバー)などといった制約を抱えており、極端な低速走行である事が多い。特に二輪車の場合は盗難車を改造していることもよくあるため、盗難被害に遭って返って来た車両が、一般には乗用に適さないほどになっている事例もある。

共同危険型車両が当初目指したのは、「チョッパー(映画『イージー・ライダー』などに登場した改造車)」仕様、並びに「レーサー」仕様、「プレスライダー」仕様を、それぞれ再現することである。

チョッパー仕様の場合、当時の輸入二輪車両は100万円 - 300万円もしたため、購入可能な国産二輪車で再現しようとした結果、アップハンドルは絞りハンドルで、シーシーバー(背凭れ)は三段シートで、フィッシュテールのマフラーは竹槍マフラーでそれぞれ再現している。

レーサー仕様ではロケットカウルを取り付けることになる。本物のレーサーの場合、セパレートハンドルなどで低い位置にハンドルを取り付けているが、市販車にそのまま取り付けるとハンドルとカウルが干渉してしまう。対処法としてカウル自体をハンドルが干渉しない位置に取り付ける方法と、ハンドルを絞りハンドルにしてカウルとの干渉を避ける方法があった。前者の場合、当時の市販車のハンドル高にあわせると必然的にカウル取り付け位置は高くなる。

プレスライダー仕様の場合には、手本となる仕様自体が市販の国産二輪車を改造したものであるため、他の仕様と比べて再現度が一番高い。当時のプレスライダーが乗る二輪車では、渋滞中のすり抜けを行う際にハンドルが四輪車のサイドミラーと当たる[26]のを避けるために絞りハンドルや鬼ハンドルに改造したり、風圧による疲労低減のために布たれ風防[27]をつけている者がいた。また、彼らは所属する報道機関の旗をつけるために旗棒を取り付けていた。

こういった成り立ちに対して、世代が変わる毎に理念は失われ、個々の改造が「何故その仕様になったのか」に関係なく全てを取り込むようになり、派手さを強調する方向へ変化していった。

「レディース」の場合、スクータータイプの原動機付自転車が使われる事が多く、シールなどで装飾する事はあっても、車両自体は改造されていない事が多い。

ベース車種

二輪車では、共同危険型は、ホンダCB750FOURカワサキ750RS(Z2)750SS MACHスズキGT750ヤマハTX750、大型二輪免許規制後は、ホンダCB400FOUR(ヨンフォア)CBX400FCBR400FホークII/ホーク III(バブ)、スズキGS400EGSX400/250Eカタナ(ゴキ)、スズキ・GSX400/250E(ザリ)、GT380(サンパチ)、カワサキZ400FX(フェックス)KH400/250(ケッチ)、ヤマハRZ250/350などが人気である。現行車としてZEPHYRCB400SFXJR400RインパルスZRX-2などもある。2000年代にはいると、中型排気量のスクーターを使用しているケースも見られるようになった。違法競走型では、旧型車はホンダNSR250R、スズキRGV250Γ、ヤマハヤマハTZR250Rなどに人気があった。

セダンでは、「VIPカー」のベースとなるのは、マークIIチェイサーアリストソアラクラウンセルシオセドリックローレルなどの人気が高い。違法競走型の現行車種は、ラリー競技やジムカーナ、ダートトライアルなど公式競技でも活躍するものが主で、ランサーエボリューションインプレッサWRXなどのスポーツセダンや、スカイラインGT-RフェアレディZなどのスポーツクーペに人気があり、旧型車では、トヨタ・AE86プラットフォーム車(カローラレビンスプリンタートレノ)、スープラシルビア180SX、旧型のスカイラインなどが根強く好まれている。中古車で購入する場合、ラグジュアリーカーは節税対策としての企業の社用車需要もあって新モデルに注目が集まり旧モデルが定期的に市場放出されるが、スポーティーカーでは車種ごとに熱心なファンも存在するためそもそも中古で出回る数も少なく、市場価格は高値安定傾向にある。

「バニング」のベース車両は、ハイエースエスティマキャラバンS-MXといった、商用バンやミニバンが多い。

積雪地域

豪雪地帯では、冬季に積雪・凍結によって車両がスリップし易くなり、警察に追われた場合に暴走族自身に命の危険がおよぶため、シーズンオフが存在する。これらの地域では、活動停止期間の存在から年間を通じて組織を維持することが困難となり、構成員が少ない傾向がある。すなわち、冬季の積雪量・気温に依存した気候の影響で、構成員の分布には「北限」が存在する。太平洋側では宮城県、日本海側では新潟県が、シーズンオフのない北限といわれている。

例外的存在として、北海道札幌市には「徒歩暴走族」「徒歩族」が存在する。冬期に札幌の繁華街である大通すすきの狸小路、あるいは、外の寒さを逃れて地下街に出没し、特攻服などの衣装を身につけ、集団で円陣を組んだり列を組んで練り歩き、グループ名を大声で連呼したり、奇声をあげたり、周囲の買い物客や店員を威圧する者もいる。徒歩は「暴走」ではないが、暴走族がオフシーズン中の組織維持に行う活動なので、このように呼ばれている。

豪雪地帯以外でも、祭りなどで大規模な交通規制が敷かれる際に、バイクなどの車両に乗らず騒いだり暴徒化する例もあり、この場合も「徒歩暴走族」と言われることがある[28]

暴走族を扱った雑誌

チャンプロード』が共同危険型暴走族文化の維持に一役買っているという見方をする者もいる。また違法競走型暴走族向けの雑誌の場合、以前は違法な公道暴走や車両改造を教唆・幇助する内容が含まれていた。

ファッションの疑似右翼性

1970年代後半 - 1980年代の共同危険型暴走族ファッションの特徴のひとつとして、特攻服日の丸鉢巻きを身に着け、車両に「愛国」「尊皇」「神風」などと(右書きで)書かれたステッカーを貼り付けるなど、国粋主義右翼)的な意匠・記号が取り入れられている点が挙げられる。また、ハーケンクロイツなどナチスの意匠・記号を好んで取り入れた暴走族も存在し[29]、暴走族内部では、先頭を走るグループを「特攻隊」、リーダーの側近を「親衛隊」などと呼称している事例も多い。

当時の構成員の多くは反体制的な不良少年であるが、こうした者たちは、かえって、先輩後輩の厳格な上下関係や仁義などの保守的・伝統的・非都会的な価値観を持つ場合が多い。こうした価値観が、復古的、国粋的なメンタリティと結びつく点は、日本の暴力団が取締りを受け右翼団体に衣替えを始めたこと(右翼標榜暴力団)とも通底している。また歴史的にも、日本の南北朝時代後醍醐天皇の周囲に「悪党」と呼ばれる野武士が多く結集したと指摘されている例や[30]幕末尊皇攘夷運動や戦前昭和維新運動において、アウトロー的な人物が呼応した例が少なくなかったことなどがある。

日本以外の暴走族に類似した集団

米国

米国でも、昼間にフリーウェイを集団で爆音を立てながら大型オートバイで疾走する事を好むような連中がおり、これらは モーターサイクル・クラブMotorcycle club) と呼ばれ、カリフォルニアなど一部の都市周辺部・郊外での活動も見られる。ただ米国ではこれら集団の立てる爆音も、国民性にも絡んで寛容な傾向が見られ、またこれら集団の構成員も30代・40代といった大人が多く、健全な趣味の範疇として扱われる。おもに1970年代の懐古スタイルである場合が多く、ハーレーダビッドソンの二輪車を好むとされる。

これらの集団は季節労働者として全米を移動しながら活動していると見られており、また健全な趣味として認知されるべく、ハイウェイ周辺のゴミ拾い活動を展開するなど、社会奉仕活動に率先して従事する姿も見られる。その多くは成人の肉体労働者(ブルーカラー)であるため、自身の健康を損なう麻薬には手を出さない・社会のルールを守るなど、一定の自負をもって活動している様が見られ、日本の反社会的な存在としての暴走族とは大きな違いがあり社会的に容認されている。

しかし、その一方で、ヘルズ・エンジェルスHells Angels - 地獄の天使達)に代表されるモーターサイクル・ギャングMotorcycle gang)と呼ばれる組織化された違法行為に従事する大型オートバイを乗り回す団体(ギャング)があり、こちらは恐喝・麻薬取引および殺人事件に関わっており日本の暴力団に近いより凶悪な集団でありその構成員は大人で、日本の暴走族のような他の組織の下部構造ではなく、独立した暴力団組織と見なされるなどの傾向が見られる。

ヘルズ・エンジェルスは1948年カリフォルニア州で結成されたが、売春と麻薬の売買で挙げた利益、またはマネーロンダリングなどにより、社会問題化された1960年代には年10億ドルの闇利益を得ていたとFBIでは見ている。同団体はしばしば反体制のアンチヒーローのように見なされる事もあり、度々メディア上にも登場するものの、白人至上主義を掲げたりといった問題行動が見られる。
同団体はMotorcycle clubであると自称しながらも、カナダ・ケベック州では1994年より爆弾の使用や対立組織への抗争などにより、巻き添えを含む100名以上の死傷者が発生している84の事件・放火や行方不明に絡む130の事件に関与していると考えられている。

ただ、この犯罪組織であるMotorcycle gangのスタイル(ファッションなど)は健全な趣味の範疇にあるMotorcycle clubに継承されているケースが多く、外見上で両者を見分けるのは困難なようである。

また、違法競走型暴走族の場合では、長い直線道路を利用した違法なドラッグレースが多く行われている。ナンバープレートを外して走る悪質な者も存在する。地形的に曲がりくねった峠道が少ないことから、ローリング族は定着していない。

韓国

韓国でも2005年ごろからポクジュジョク(폭주족:暴走族のハングル読み)と呼ばれる集団が3月1日三・一独立運動8月15日光復節の記念日にあわせて国旗を掲げて大韓民国国会議事堂を目的地にソウル特別市を集団暴走する事象が発生している。別名「反日暴走族」と呼ばれているが、日本の暴走族漫画や初日の出暴走に感化された者が多い。中には民間の救急車レッカー車も暴走に加わり取締りを妨害する事例も報告されている。構成員は特に中高生が多く、暴走族専用のネットカフェも存在するほどで、車線逆走や信号無視などの危険運転やそれに伴う死亡事故が相次いでいる事から、韓国では社会問題ともなっている。警察では毎年暴走シーズンになると警官や警察車両などを大量に投入しているが、数が多い事から対応できず、ナンバー読み取り用のカメラを設置したりするなどの対応に追われているのが現状である。

タイ

タイでも、首都バンコクなどで暴走族が出没するようになった。タイでも現地語に訳された日本の『暴走族漫画』が幾つか出版されており、日本や前述の韓国同様、それらを読んだ若者達が感化され、夜中に大勢でバイクに乗って騒音を撒き散らしたり、スピード違反や信号無視などの『交通ルール違反』を犯している。これらの無謀運転により事故も誘発され、暴走族自身や事故の巻き添えになった一般人に死傷者も出ている。所得格差のためか、彼らの乗るバイクの殆どが『盗難車』である。タイの警察当局も現状を見かねて強硬姿勢で暴走族の摘発に取り組んでいる。 また、日本の旧車會風ライダーも目撃されている。

サウジアラビア

サウジアラビアを中心とする中東地域では、公道でドリフト走行を行う者が存在し、サウジドリフトと呼ばれインターネット上で知られている。沿道に見物人も多く集まる中、一般車も通行している脇を平然とドリフトですり抜けるなど危険性が高い。車両は通常のセダン車が用いられ、改造などは行われていない。

関連項目

脚注

  1. ^ 勘違いが多いが、減点ではなく加算。免許初取得の時点では誰もが0点で、反則告知を受けると積み上がっていく
  2. ^ 警察庁『平成16年 警察白書』「第6章 安全かつ快適な交通の確保 - 13 総合的な暴走族対策 - (1) 暴走族の実態と動向」
  3. ^ MSN産経ニュース「首都高「ルーレット族」を逮捕 警視庁」(2011年3月23日)
  4. ^ Response.「箱根で正面衝突…走り屋の事故が多い有料道路」(2005年9月25日)
  5. ^ 警察庁『昭和48年 警察白書』「第6章 交通安全と警察活動 - 4 交通指導取締り - (5) 地方都市に多発した暴走族騒ぎ」
  6. ^
    警察庁資料(1975年)
    年齢構成 職業構成
    年齢 東京 神奈川 秋田 大阪 職業 東京 秋田
    15歳以下 0.3% 0.5% 高校生 45.0% 9.0%
    16歳 19.3% 10.8% 1.3% 大学生 5.4% 1.5%
    17歳 35.4% 24.2% 10.0% 公務員 0.5% 1.3%
    18歳 13.5% 20.8% 15.1% 8.8% 会社員 12.8% 15.8%
    19歳 12.2% 13.8% 15.1% 31.6% 店員 11.4% 17.6%
    小計 80.4% 69.9% 41.9% 40.3% 運転手 3.9% 5.6%
    20歳 9.8% 13.7% 23.8% 21.6% 自動車修理
    21歳 4.3% 7.6% 17.9% 10.0% 工員 9.2%
    22歳 1.4% 3.3% 7.9% 9.1% 土建業 3.6% 12.8%
    23歳 2.0% 2.8% 4.9% 4.1% 農業 11.8%
    24歳 0.7% 1.5% 1.5% 2.8% 家事手伝い 6.4%
    25歳 1.2% 0.5% 2.0% 2.2%(※) 無職 2.0% 11.8%
    26歳以上 0.7% その他 6.1%
    サンプル数 4,994名 1,201名 391名 320名 サンプル数 4,994名 391名

    ※25 - 29歳まで

  7. ^ 特に大規模な抗争の例として、1975年6月8日に国道134号で、東京の暴走族(ブラックエンペラー、ルート20、スペクター、アーリーキャッツなど)400名と、神奈川と横須賀の暴走族(ピエロ、ホワイトナックル、崇族、邪道会など)の連盟200名が、同年5月8日に起こった傘下グループ間の諍いを理由に大乱闘を行った。4台の車両が炎上、21台が大破、相当数の負傷者を出した。のちに神奈川県警の鎌倉警察署はこの件に関する捜査本部を設置し、抗争に関与した者の一部を逮捕した。
  8. ^ 特に大規模な暴動の例として、1975年5月17日に兵庫県神戸市で、約3,000名の群衆が250台の暴走族車両と合流しフラワーロードを占拠した。タクシーを横転させ、立看板に放火、建物の窓ガラスを割り、警察官や派出所へ投石し44名の警察官を負傷させた。また同日には愛知県岡崎市でも、約500名の暴走族と約1,000名の群集が国道を占拠し、愛知県警の警察部隊と衝突する事件があった。
  9. ^ キャロルクールスダウン・タウン・ブギウギ・バンド、1980年にデビューした横浜銀蝿など
  10. ^ 警察庁『平成9年 警察白書』「第2節 高齢者を中心とした安全の確保と地域・ボランティア活動 - 3 運転者の特性に応じた交通警察活動 - (4) 総合的な暴走族対策の推進 - ア 暴走族の実態と動向」
  11. ^ 警察庁『平成11年 警察白書』「第5章 安全かつ快適な交通の確保 - 5 交通秩序の確立 - (3) 総合的な暴走族対策の推進 - ア 暴走族の実態と動向」
  12. ^ 広島市では、暴走族が「えびす講祭り」を幹部卒業式と位置づけて、集団で練り歩くなどの示威活動を行って来た背景があり、祭り自体の治安悪化が問題となっていた。この条例制定以降はえびす講期間中における暴走族のトラブルは激減した。→参考:1999年胡子講暴挙事件広島市暴走族追放条例事件
  13. ^ MSN産経ニュース「全国の暴走族、初めて1万人切る 上下関係や「おきて」の厳しさ敬遠」(2011年2月10日)
  14. ^ 47NEWS(よんななニュース)「暴走行為「違法競走」増加 ルーレット族が問題に」【共同通信】(2008年2月7日)
  15. ^ Response.「違法競争型暴走族を摘発、参加メンバーには50歳代も」(2008年12月8日)
  16. ^ 警察庁『平成19年 警察白書』「第3章 安全かつ快適な交通の確保 - 10 総合的な暴走族対策の推進 - (1) 暴走族の実態と動向」
  17. ^ MSN産経ニュース「「捕まっても公道でまた走る!」ドリフト族の大御所40歳を道交法違反容疑で逮捕」(2009年8月3日)
  18. ^ 覚醒剤シンナートルエンなど
  19. ^ 『昭和53年 警察白書』「第7章 交通安全と警察活動 - 6 暴走族の動向と対策 - (2) 特徴的傾向」
  20. ^ 同様に仲間内の「専門用語」も格好悪く言い換えること(例:「族」→「珍」、「レディース」→ 「女珍、女珍団(にょちん、にょちんだん)」、冬季の「徒歩暴走族」→「珍歩団(ちんぽだん)」、「特攻服」→「珍服、寿司屋の湯呑み」、「族車」→「珍車、珍装車」など)も提唱されている。
  21. ^ ダウンタウン松本人志は、日本テレビダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で、深夜、暴走族が出す騒音に悩まされた話をした後「暴走族なんて呼び方は止めて、珍走団と呼ぶべき」と発言し、著書の『松本人志の人生相談 プレイ坊主』(集英社)にも「暴走族を珍走団と呼びかえる動きがある」と書いている。また、よみうりテレビたかじんのそこまで言って委員会』で、「援助交際」「プチ整形」などの、罪悪感を薄れさせる言い換え語への反発から生まれた「マイナスイメージに塗りかえる言い換え語」の一例として、珍呼運動が取り上げられた事があり、さらに同番組パネラーの勝谷誠彦は、自身が出演する朝日放送の情報番組『ムーブ!』で『今どきの暴走族事情』が取り上げられた際、「『暴走族』なんて呼ぶから付け上がる。『珍走族』と呼びかえるべき」と発言している。
  22. ^ 元は木多康昭の漫画『幕張』に登場する台詞が発祥であるとされる[要出典]。他の例として、 奥浩哉作『GANTZ(ガンツ)』や大和田秀樹作『警死庁24時』などの漫画、あかべぇそふとつぅ美少女ゲームG線上の魔王』などで、「珍走団」と呼ぶシーンがある。また、バンダイナムコゲームズのゲームソフト『ことばのパズル もじぴったんDS』で「ちんそうだん」を検索すると「珍走団」に変換される。他にも 三才ブックスのゲーム情報誌『ゲームラボ』の2010年7月号第2特集「ヤンキーゲーム特集」記事中に「暴走族は『珍走団』『ダサイ族』と呼びかえられ…」という記述が見られ、漫画家の佐木飛朗斗へのインタビューに「珍走団」の語句がある。
  23. ^ 琉球新報記事「暴走族は「ダサイ族」・宜野湾署命名、イメージダウン狙う」
  24. ^ Response.「自転車暴走族、秋田で少年9人を検挙」(2004年7月6日)
  25. ^ 西日本新聞「“自転車暴走族”を摘発 「並進禁止」県内初適用 筑後署 3少年家裁送致」(2010年7月7日)
  26. ^ 当時の四輪車のサイドミラーはドアミラーが認可されていなかったことからフェンダーミラーである。
  27. ^ 当時ビキニカウルは一般的ではなく、布とプラスチックシールドのいわゆる「風防」である。
  28. ^ 神戸新聞「姫路ゆかたまつり 若者暴徒化 歯止めなく」(2006年5月19日)
  29. ^ 『ヒトラーの呪縛』佐藤卓己・日本ナチ・カルチャー研究会(飛鳥新社)
  30. ^ 『異形の王権』網野善彦(平凡社ライブラリー)

参考文献

  • 『世界大百科年鑑スペシャル 1973〜79』 平凡社 1980年5月10日
  • 『世界大百科年鑑 1981』 平凡社 1981年4月20日
  • 『世界大百科年鑑 1982』 平凡社 1982年4月12日
  • 『暴走族のエスノグラフィー―モードの叛乱と文化の呪縛』 佐藤郁哉著 新曜社 1984年10月