フラワーロード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
主要地方道
兵庫県道30号標識
兵庫県道30号 新神戸停車場線
主要地方道 新神戸停車場線
フラワーロード
起点 新神戸停車場北緯34度42分21.7秒 東経135度11分44.7秒 / 北緯34.706028度 東経135.195750度 / 34.706028; 135.195750 (県道30号起点)
終点 神戸市中央区北緯34度41分11.0秒 東経135度11分53.0秒 / 北緯34.686389度 東経135.198056度 / 34.686389; 135.198056 (県道30号終点)
接続する
主な道路
記法
都道府県道21号標識
兵庫県道21号神戸明石線
国道2号
国道174号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
神戸市役所北

フラワーロードは、兵庫県神戸市中央区加納町1丁目から同6丁目に至る南北幹線道路兵庫県道30号新神戸停車場線(ひょうごけんどう30ごう しんこうべていしゃじょうせん)の路線名で県道主要地方道)に認定されている路線の愛称である[1]。かつては布引の滝へ向かうことから「滝道」と呼ばれていた。

概要[編集]

生田川の旧河道にあたる。六甲山系布引山麓の新神戸駅から都心部の三宮を経由して神戸港新港地区の神戸税関に至る坂道で、標高が高くなるほど斜度も高くなる。

北端では、北に山麓バイパス(南行出口)が[注釈 1]、東西に北野通りが接続する(北野通りの東端は加納町1丁目にあると誤解されがちであるが、実際の東端は、さらに約150m東の生田川橋梁であり、そこで原田線と接続する)。

三ノ宮駅以南の地下部分は、地下街(さんちか)と駐車場になっている。沿線には神戸市役所などがあり[注釈 2]、毎年ここで神戸まつりのパレードが行われる。三ノ宮駅以北の地下部分には神戸市営地下鉄西神・山手線が通っている。

生田区葺合区が中央区として統合される1980年(昭和55年)までは、フラワーロード以西が生田区、以東が葺合区であった。

路線データ[編集]

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

歴史[編集]

三宮から新神戸方面

フラワーロードの区間には遅くとも1594年(文禄3年)には生田川が流れていた[2]。当時の川幅は80〜90mで交通の妨げになっており雨で氾濫することもあったという[2]

神戸開港に際しての条件とされた外国人居留地の整備に際し、天井川であった生田川の治水対策が急務となり、1871年(明治4年)に約800m東側に付け替えられた[2][3]。旧河川敷には1873年(明治6年)に幅員10(約18m)の道路が整備された[4]。後に幅員30 - 50mに拡幅され[5]、歩道および中央分離帯に花を植えるようになったことや花時計が誕生したことなどからフラワーロードと命名された。

神戸まつりはフラワーロード周辺で行われているが、1970年代には祭りに合わせて暴走族が走り回るようになり、それを観に集まる者も多く詰めかけるようになった。1976年5月15日には、警察がフラワーロードへの立ち入りを規制したことを契機に、群衆が自動車に放火するなどの暴動状態となり、写真を撮影していた神戸新聞のカメラマンが暴行を受けて死亡する事件に発展している[6]

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で、沿線のビルが数多く倒壊した。これに関して「旧生田川を埋め立てたために地盤が弱い」との評論がまれに散見されるが[7]これは必ずしも正しくない。[要出典]旧生田川を埋め立てた部分もあるにはあるものの(加納町二丁目あたりまでが該当)、ビルの倒壊が集中した場所では旧生田川は天井川であり、埋め立てたのではなく掘り下げて平らにしたのである。ビル倒壊の直接の原因は、1950年代から1970年代にかけて、建造物の高層化のなかで模索された建築手法の主流(中層階の剛性を小さくすれば上層階への振動を減らせるとの仮説)や建設ラッシュに伴う建築資材の粗悪化によるものである。沿線のビルのうち、この当時の建造物ばかりが、中層階あるいは1階といったワンフロアのみ圧縮倒壊したのはこのためである[注釈 3]。ただし、地盤の点で言えば、旧生田川流域で上流から流れてきた砂が堆積して扇状地が形成されており、それはフラワーロード沿線に限らず、右岸(西岸)では旧居留地のほぼ全域や生田神社の東側など、左岸(東岸)では旧菟原郡小野新田村域など広範囲に及ぶ。

神戸市では3車線のうち1車線を廃止して歩道を拡張し人工水路を整備する計画である[2]

地理[編集]

交差する道路[編集]

沿線にある施設など[編集]

国際会館前交差点南西
神戸市役所前

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 山麓バイパス南行き出口付近の標高は、34メートル。
  2. ^ 神戸市役所付近の標高は、7メートル。
  3. ^ 神戸阪急ビルについては1930年代の建造物だが、地上に完全崩落した5階映画館は戦後の増築部分であり、その時期はやはりこの時期である。また、同じく半壊したそごう神戸店(現:神戸阪急(三代目))に関しても、倒壊した中央部分2階以上は同時期に増築されたものであり、同じ部分の1階より下は崩壊していない。

出典[編集]

  1. ^ 道路の愛称”. 神戸市 (2012年9月14日). 2013年4月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 神戸の玄関口に水路整備構想 新神戸駅-三宮間の1.7キロ”. 兵庫おでかけプラス(神戸新聞). 2021年1月5日閲覧。
  3. ^ フラワーロードは昔、生田川だった”. 神戸市. 2013年4月7日閲覧。
  4. ^ 小原啓司「明治期の神戸における市街地整備手法の成立に至る考察」『土木史研究』第18巻、土木学会、1998年、81-91頁、CRID 1390001204329054208doi:10.2208/journalhs1990.18.81ISSN 0916-72932024年1月5日閲覧 
  5. ^ 手づくり郷土賞「税関線シンボルロード(ふれあいの並木道)」”. 国土交通省 (1987年). 2023年10月12日閲覧。
  6. ^ 上がる炎、狂乱の群衆 深夜まで無法地帯化 暴走騒ぎ三年 ついに死者『朝日新聞』1976年(昭和51年)5月16日朝刊、13版、23面
  7. ^ 神戸及び周辺地域の地形・地質・地盤” (PDF). 神戸大学付属図書館. p. 83. 2020年8月28日閲覧。
  8. ^ s:道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 - 平成五年五月十一日建設省告示第千二百七十号、建設省

関連項目[編集]

外部リンク[編集]