FNNスーパータイム
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FNNスーパータイム FNN Super Time | |
---|---|
ジャンル | 報道番組 |
オープニング | 作曲:たかしまあきひこ |
エンディング | 同上 |
製作 | |
制作 | フジテレビジョン(FNN) |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
月-金曜版 | |
出演者 | 逸見政孝 幸田シャーミン 野間脩平 安藤優子 上田昭夫 黒岩祐治 露木茂 松山香織 河村保彦 江本孟紀 長田渚左 森末慎二 中井美穂 八木沼純子 岩谷忠幸 山形斉子 濱田典子 |
放送期間 | 1984年10月1日 - 1997年3月28日 |
放送時間 | 月-金曜 18:00 - 19:00 |
放送枠 | フジテレビ系列夕方ニュース枠 |
放送分 | 60分 |
土日版 | |
出演者 | 陣内誠 城ヶ崎祐子 山中秀樹 野間脩平 安藤優子 黒岩祐治 小田多恵子 田代尚子 小林穂波 大林典子(現:吉崎) 近藤サト 川端健嗣 三宅正治 永麻理 笠井信輔 筒井櫻子 塩原恒夫 有賀さつき 木幡美子 吉田伸男 松井みどり 大坪千夏 佐藤里佳 岩谷忠幸 菊間千乃 富永美樹 岩谷忠幸 |
放送期間 | 1985年4月6日 - 1997年3月30日 |
放送時間 | 【土曜】18:00 - 18:30 【日曜】17:30 - 18:00 |
放送枠 | フジテレビ系列夕方ニュース枠 |
放送分 | 共に30分 |
特記事項: ネット局により番組タイトルが異なる時期があった。(詳細は当該項目を参照) 放送回数:全曜日合わせて全4497回 |
『FNNスーパータイム』(エフエヌエヌ - )は、フジテレビ系列(FNN)で1984年10月1日から1997年3月30日(月-金曜版は1984年10月1日から1997年3月28日、土日版は1985年4月6日から1997年3月30日まで)にかけて放送されていた夕方のニュース番組。略称および番組タイトルコールは「スーパータイム」。
概要
本番組は当時フジサンケイグループ議長だった鹿内春雄(1985年6月からフジテレビ会長に就任)の「やわらかいニュース番組を」というコンセプトを元にそれまで夕方の全国ニュースとローカルニュースを統合し、全国ネットのニュース番組では初めてニュースキャスターが立ってニュースを伝えるというフォーマットを採った(2015年4月より土日に放送されている『FNNみんなのニュースWEEKEND』でもそのスタイルが適用されている)。わかりやすさを重視した構成、視聴者の視線に沿った特集、親しみやすい演出で多くの視聴者の心を掴んだ。その結果、他局の番組に影響を与え夕方ニュース戦争のきっかけとなった。
その後、このコンセプトは『FNNモーニングコール』、『FNNニュース工場』、『FNN DATE LINE』、『FNNスピーク』、『FNN NEWSCOM』に引き継がれた。
放送終了後『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』→『みんなのニュース』とつながる「フジテレビ系列夕方ニュース枠」の基礎を築き上げた番組でもある。
歴史
1984年度後期 - 1987年度(逸見・幸田時代)
前番組『FNNニュースレポート6:00』と『FNNニュースレポート6:30』を統合した民放初の1時間枠のニュース番組(実際は55分)。1984年10月1日に放送開始。メインアンカーマンには『FNNニュースレポート6:00』から引き続き逸見政孝アナウンサーが起用され、アシスタントにフリーアナウンサーの幸田シャーミンが登板。スポーツコーナーは月-水曜は『FNNニュースレポート6:00』から野球解説者の河村保彦、木-金曜は野球解説者の江本孟紀が担当。タイトルデザインは『なるほど!ザ・ワールド』等のロゴを手がけた山形憲一、音楽は『クイズダービー』等を手がけたたかしまあきひこが担当。
- 1984年度 - 1987年度の沿革
- 1984年10月1日 - 放送開始。冒頭、逸見政孝が「いよいよスーパータイムが始まりましたが、気楽にお伝えすることにします」と挨拶。これを受けて、幸田シャーミンは「皆様どうぞ、気楽にご覧下さいませ」と挨拶した。
- 1985年4月1日 - リニューアル。スポーツコーナーは月-水曜日はスポーツ記者の長田渚左、木-金曜日は体操競技選手でロサンゼルスオリンピック金メダリストの森末慎二が担当。また同番組の開始前に生放送バラエティ番組・『夕やけニャンニャン』がスタートした。
- 1985年4月6日 - 土日版がスタート。アンカーマンは陣内誠、アシスタントは城ヶ崎祐子、スポーツコーナーは川端健嗣の各アナウンサーが担当。
- 1985年8月12日 - 日本航空123便墜落事故発生。逸見も当初定期123便ボーイング747SR-100に乗る予定だったが家族の勧めで東海道新幹線に変えた事で難を逃れる。この時の代理キャスターは露木茂で当番組を含めた臨時ニュースのメインキャスターを務めた功績で日本新聞協会賞を受賞。
- 1986年1月1日 - 元日とあって逸見は袴姿、幸田は着物姿で登場。
- 1986年3月30日 - 川端が降板。『FNNモーニングコール』の司会となる。
- 1986年4月5日 - 土日版のスポーツコーナーに三宅正治アナウンサーが登板。
- 1986年7月7日 - 第38回衆議院議員総選挙及び第14回参議院議員通常選挙の開票が行われ『ダブルマッチ’86ニャンだって16時間ぶっつづけ開票速報』が放送され司会を当番組から逸見政孝と幸田シャーミン、『FNNニュースレポート11:30』の露木茂が担当。
- 1986年9月28日 - 陣内が降板。営業局に異動。
- 1986年10月4日 - 土日版のアンカーマンに山中秀樹アナウンサーが登板。
- 1987年1月1日 - 元日とあって逸見は袴姿、幸田は着物姿で登場。
- 1987年3月29日 - 三宅が降板。スポーツ実況に専念。
- 1987年4月3日 - 金曜日アシスタントとして野間脩平アナウンサーが登板。
- 1987年4月4日 - 土日版のスポーツコーナーに永麻理アナウンサーが登板。
- 1987年7月18日・19日 - 『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』が放送され同番組のコーナーはタモリと逸見政孝が担当。天気予報は気象予報士の福井敏雄と長野智子アナウンサーが、宮城県からの中継をムツゴロウさんこと畑正憲が担当した。
- 1987年9月27日 - 山中、城ヶ崎、永が降板。山中、城ヶ崎は『FNNモーニングコール』のアシスタントとなる。永は司会と務めている『美味しんぼ倶楽部』に専念。
- 1987年10月2日 - 金曜日、土日版のアシスタントに安藤優子が登板。
- 1987年10月3日 - 土日版のアンカーマンに野間脩平、スポーツコーナーは笠井信輔両アナウンサーが担当。
- 1988年3月27日 - 野間と笠井が降板。野間は『FNNスピーク』の金曜日キャスター。笠井は『タイム3』のアシスタントとなる。
- 1988年3月31日 - 幸田が降板。ハーバード大学ケネディスクールに留学。
1988年度(逸見・安藤時代)
フリーアナウンサーとなった逸見政孝と上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科を卒業した安藤優子のコンビでリニューアルスタート。
- 1988年4月1日 - リニューアル。
- 1988年4月2日 - 土日版のアンカーマンに黒岩祐治キャスターが登板。アシスタントに小田多恵子、スポーツコーナーは筒井櫻子両アナウンサーが担当。
- 1988年7月9日 - 筒井が降板。
- 1988年7月16日 - 土日版のスポーツコーナーに塩原恒夫アナウンサーが登板。
- 1988年7月16日・17日 - 『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'88』が放送され同番組の特別版『スーパータイムデラックス』をタモリと露木茂が担当。スポーツコーナーは塩原恒夫と笑福亭鶴瓶が務めた。福岡県小呂島からの中継で当時九州産業大学の学生・松村邦洋が登場。この時に片岡鶴太郎と出会い芸能界に入るきっかけとなった。また黒岩は東京上空から中継リポーターを務めた。
- 1988年9月17日 - 10月2日 - ソウルオリンピックが開催。9月27日には競泳男子100m背泳ぎで金メダルを取った鈴木大地選手がゲスト出演。、
- 1989年1月7日 - 救急医療キャンペーン「救急医療にメス」がスタート。
- 1989年3月31日 - 逸見が降板。1978年10月からスタートした『FNNニュースレポート6:30』から足掛け10年半にわたる活躍だった。降板後はフリーアナウンサーだけではなくタレントとしても活躍。
- 1989年4月2日 - 塩原が降板。スポーツ実況に専念。
1989年度 - 1990年度(上田・安藤時代)
『FNN DATE LINE』の司会を務めた上田昭夫が2代目アンカーマンとして移籍登板。
- 1989年4月3日 - 月-金曜版リニューアル。
- 1989年4月8日 - 土日版のスポーツコーナーに有賀さつきアナウンサーが登板。
- 1989年7月15日・16日 - 『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'89』が放送され同番組の特別版『スーパータイムデラックス』をタモリと露木茂が担当。スポーツコーナーを明石家さんまと中井美穂アナウンサー。ゲスト解説委員に政治評論家の舛添要一と報道局解説委員長の竹内貞男。天気を福井敏雄が担当。
- 1989年7月23日 - 第15回参議院議員通常選挙の開票が行われ『参院選速報”選挙列島そりゃもう大さわぎ”」』が放送。司会は『FNNスピーク』の露木茂とタレントの三田寛子。解説は俵孝太郎、宮川隆義、三宅久之。当番組から竹内貞男報道局解説委員長も出演。その他、海老一染之助・染太郎もゲスト出演。
- 1989年9月30日 - 有賀が降板。『パラダイスGOGO!!』に専念。
- 1989年10月1日 - 土日版のスポーツコーナーに木幡美子アナウンサーが登板。
- 1989年10月2日 - 5周年。これに合わせてオープニングの演出およびセットが一新し、音楽もアレンジされた。
- 1990年2月18日 - 第39回衆議院議員総選挙の開票が行われ当番組のスペシャルが放送。司会は上田昭夫と安藤優子、『FNNスピーク』の露木茂と『FNN DATE LINE』の木村太郎、。解説は舛添要一、野坂昭和、堺屋太一、田英夫、山口敏夫、猪瀬直樹。
- 1990年7月1日 - 小田と木幡が降板。小田は人事異動で報道局ディレクターに、木幡は『森田一義アワー 笑っていいとも!』の月曜日担当のテレフォンアナウンサーに専念。
- 1990年7月7日 - 土日版のアシスタントに八木亜希子、スポーツコーナーに吉田伸男両アナウンサーが登板。
- 1990年7月21日・22日 - 『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90』が放送され同番組のスペシャル版は通常の黒岩、八木コンビが担当。
- 1990年9月30日 - 八木が降板。『FNN NEWSCOM』の金曜日アシスタントとなる。
- 1990年10月6日 - 土日版のアシスタントに田代尚子アナウンサーが登板。
- 1990年12月30日 - 2年近く続いた救急医療キャンペーン「救急医療にメス」が終了。
- 1991年3月29日 - 上田が降板。報道記者に転じる。
- 1991年3月31日 - 吉田が降板。競馬中継に専念。
1991年度(黒岩・安藤時代)
土日版のアンカーマンを務めた黒岩祐治キャスターが登板が月-金曜版に異動。土日版は小林穂波キャスターが務めた。
- 1991年4月1日 - リニューアル。
- 1991年4月6日 - 土日版のスポーツコーナーは松井みどりアナウンサーが登板。
- 1991年4月23日 - 救急救命士法が制定。
- 1991年7月20日・21日 - 『FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91』が放送され同番組のコーナーは武田鉄矢と露木茂が担当。
- 1992年3月29日 - 小林と田代、松井が降板。小林は人事異動で外信部デスクとなり、また『週刊フジテレビ批評』のコメンテーターとなる。田代は『FNN World Uplink』のパリ中継の為、パリ支局に異動。松井はスポーツ中継に専念。
- 1992年3月31日 - 黒岩が降板。『報道2001』の司会となる。
1992年度 - 1993年度(露木・安藤時代)
『FNN World Uplink』の司会を務めた露木茂と大林典子、『FNNスピーク』の金曜日キャスターを務めた山中秀樹両アナウンサーがそれぞれ月-金曜版アンカーマンと土日版アンカーマンと土日版アシスタントして登板。
- 1992年4月1日 - 月-金曜版リニューアル。これと同時にセットが一新。露木は登板初日。エープリルフールであっても嘘ではないと否定。
- 1992年4月4日 - 土日版リニューアル。4年半ぶりに山中が再登板。スポーツコーナーは大坪千夏アナウンサーが登板。
- 1992年7月18日・19日 - 『FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ』が放送され、同番組のコーナーは逸見政孝と岡本夏生が担当。スポーツ、天気コーナーは木幡美子アナウンサーが担当。
- 1992年7月25日 - 8月9日 - バルセロナオリンピックが開幕。
- 1992年7月26日 - 第16回参議院議員通常選挙が開票され同番組のスペシャルが放送。司会は露木茂と安藤優子。コーナー司会に『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』の上岡龍太郎が担当。
- 1993年4月1日 - FCIワールドコーナーが設けられ、ニューヨーク支社特派員として城ヶ崎祐子アナウンサーが5年半ぶりに再登板。同時にオープニング演出及びCMに突入時のアタック音楽も変更となる。
- 1993年7月24日・25日 - 『FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ』が放送され、同番組のコーナーは奥山佳恵と辰巳琢郎、安藤優子が担当。
- 1993年9月26日 - 大林と大坪が降板。大林は半年の休養の後、『おはよう!ナイスデイ』のアシスタントに再就任。大坪は『タイムアングル』のアシスタントとなる。
- 1993年9月27日 - 月-金曜版のお天気コーナーに気象予報士の岩谷忠幸が登板。
- 1993年10月1日 - 10年目に突入。同時に『スーパータイム関東』が放送開始。また進行胃癌(スキルス胃癌)で入院中の逸見政孝からメッセージが届く。
- 1993年10月2日 - 土日版のアシスタントに『FNN おはよう!サンライズ』から近藤サト、スポーツコーナーに佐藤里佳両アナウンサーが登板。
- 1993年12月25日 - 初代アンカーマンの逸見政孝が末期のスキルス胃癌・再発転移による癌性悪液質の為死亡(享年48歳)。中継を担当したアナウンサーはリポートの締めくくりにフジテレビアナウンサー時代の逸見との思い出を語った。また土日版のキャスターだった山中秀樹は「今日はスタジオにいる私にとっても、中継に出ているアナウンサーにとっても辛い1日となりました。(逸見さんは)プロのアナウンサーでした」とコメントした。
- 1993年12月27日 - 逸見の葬儀・告別式をトップで伝えた。葬儀会場から露木が、棺を乗せた霊柩車がフジテレビに立ち寄った際には安藤がフジテレビ玄関前からそれぞれリポートした。その後在りし日の逸見の映像を流し、VTR明けに安藤は号泣、露木は「我々の(テレビに出る)仕事というものは、亡くなってからも元気な頃の映像が残るということは、逆に言えば残酷なのかもしれません」とコメントした。
- 1994年3月25日 - 『スーパータイム関東』が放送終了。
- 1994年3月30日 - 長田が降板。ノンフィクション作家に専念。
- 1994年3月31日 - 安藤と森末が降板。安藤は『ニュースJAPAN』のキャスター。森末はタレントだけでなく週刊少年サンデーで連載する『ガンバ!Fly high』の原作に専念。
1994年度 - 1996年度(露木・松山時代)
『報道2001』の司会を務めた元中部日本放送アナウンサーの松山香織が黒岩と入れ違いでアシスタントとして登板。また慶応義塾大学のラクビー部の監督に再就任した2代目アンカーマンの上田昭夫がスポーツキャスターとして登板。同アシスタントは中井美穂アナウンサーが務めた。
- 1994年4月1日 - 月-金曜版リニューアル。
- 1994年7月23日・24日 - 『FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー』が放送され、「オールキャスターニュース」で同番組から露木茂、前アシスタントで『ニュースJAPAN』の安藤優子、『めざましテレビ』の大塚範一が担当。
- 1994年10月1日 - 岩谷が土日版に異動。
- 1994年10月3日 - 10周年。これを機にオープニング演出およびセットが一新。また新たに気象予報士として山形斉子が登板。
- 1995年9月29日 - 中井が降板。東京ヤクルトスワローズ投手・古田敦也と結婚し退社、フリーアナウンサーとなる。
- 1995年10月1日 - 佐藤が降板。『めざまし天気』、『夕食ばんざい』、『風まかせ 新・諸国漫遊記』に専念。
- 1995年10月2日 - 月-金曜版のスポーツアシスタントとしてフィギュアスケート選手の八木沼純子が登板。
- 1995年10月7日 - 土日版のスポーツコーナーに菊間千乃アナウンサーが登板。
- 1995年12月1日 - 山形が降板。
- 1995年12月4日 - 月-金曜版のお天気コーナーに気象予報士の資格を取った濱田典子が登板。
- 1996年3月29日 - FCIワールドコーナーが終了。城ヶ崎は帰国後、広報局に異動
- 1996年3月31日 - 菊間が降板。『めざましテレビ』のレポーターとなる。
- 1996年4月6日 - 土日版のスポーツコーナーに富永美樹アナウンサーが登板。
- 1996年7月13日・14日 - 『FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック』が放送され、同番組のスペシャルをラサール石井と松山香織が担当。
- 1997年3月10日 - お台場社屋に移転。
- 1997年3月28日 - 月-金曜版終了。この日のトップニュースはフジテレビ社員(ドラマプロデューサー)が婦女暴行で逮捕されたニュース原稿を読み上げた際、露木は「『スーパータイム』最後の日に、私ども身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなければならない事は大変情けない話」と前置きでコメントをした(通常の自局社員の不祥事は警察発表と広報からのコメントのみで終わらせることが多い中で厳しいコメントを述べるのは珍しい)。露木は足掛け5年にわたる活躍で自分のアナウンサー時代に印象に残る仕事だったとコメントした。終了後、露木は『報道2001』の司会を、松山は『ニュースJAPAN WEEKEND』のキャスター、上田はラクビー部の監督に専念と同時にスポーツ局スポーツ業務推進センター・スポーツ業務部デスク担当部長となる。濱田は『めざまし天気』に専念。八木沼は引き続き次番組のスポーツコーナーを担当。そして次番組・『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』の笠井信輔、笹栗実根、三井良浩から花束を贈られた。露木は3人に「24時間頑張ってください」とエールを送った。
- 1997年3月30日 - 土日版終了(放送回数:4497回、伝えたニュースの数:約6万[要出典])。終了後、山中は『森田一義アワー 笑っていいとも』のテレフォンアナウンサーに専念。近藤は『FNNスピーク』の平日キャスターとなる。富永と岩谷は引き続き次番組のスポーツコーナー、天気コーナーを担当。
出演者
歴代出演者
期間 | メインキャスター | スポーツキャスター | お天気 キャスター | |||||||||
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アンカーマン | アシスタント | 進行 | アシスタント | |||||||||
月 - 金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 水曜日 | 木・金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 金曜日 | 月 - 金曜日 | 土 - 日曜日 | ||
1984年10月1日 | 1985年3月29日 | 逸見政孝1・2 | なし | 幸田シャーミン3 | なし | 河村保彦1 | 江本孟紀 | なし | なし | (下記参照) | なし | |
1985年4月1日 | 1986年3月30日 | 陣内誠4 | 城ヶ崎祐子 | 長田渚左 | 森末慎二5 | 川端健嗣 | 逸見政孝 | (メインが兼務) | ||||
1986年3月31日 | 1986年9月28日 | 三宅正治 | ||||||||||
1986年9月29日 | 1987年3月31日 | 山中秀樹4 | ||||||||||
1987年4月1日 | 1987年9月30日 | 幸田シャーミン3 | 野間脩平 | 永麻理 | ||||||||
1987年10月1日 | 1988年3月31日 | 野間脩平 | 安藤優子 | 笠井信輔 | ||||||||
1988年4月1日 | 1988年7月9日 | 黒岩祐治 | 安藤優子3 | 小田多恵子 | 筒井櫻子 | |||||||
1988年7月10日 | 1989年4月2日 | 塩原恒夫 | ||||||||||
1989年4月3日 | 1989年9月30日 | 上田昭夫 | 有賀さつき | 上田昭夫 | ||||||||
1989年10月1日 | 1990年7月1日 | 木幡美子 | ||||||||||
1990年7月2日 | 1990年9月30日 | 八木亜希子6 | 吉田伸男 | |||||||||
1990年10月6日 | 1991年3月31日 | 田代尚子 | ||||||||||
1991年4月1日 | 1992年3月31日 | 黒岩祐治 | 小林穂波 | 松井みどり | 黒岩祐治 | |||||||
1992年4月1日 | 1993年9月26日 | 露木茂7 | 山中秀樹8 | 大林典子9 | 大坪千夏 | 安藤優子 | ||||||
1993年9月27日 | 1994年3月31日 | 近藤サト | 佐藤里佳 | 岩谷忠幸 | ||||||||
1994年4月1日 | 1994年9月30日 | 松山香織3 | 上田昭夫 | 中井美穂 | ||||||||
1994年10月1日 | 1995年10月1日 | 山形斉子 | 岩谷忠幸10 | |||||||||
1995年10月2日 | 1995年12月3日 | 菊間千乃 | 八木沼純子10 | |||||||||
1995年12月4日 | 1996年3月31日 | 濱田典子 | ||||||||||
1996年4月6日 | 1997年3月30日 | 富永美樹10 |
- 1 『FNNニュースレポート6:00』から続投。
- 2 『夕やけニャンニャン』ニュースコーナーを兼務。
- 3 タイトルコールも担当(松山は1994年10月から)
- 4 『FNNニュース・明日の天気』、『FNNニュースレポート23:30』を兼務。
- 5 『ザ・ビッグチャンス!』・『アンテナホット7』を兼務。
- 6 小田の人事異動による降板後の中継ぎで担当。
- 7 『ビッグトゥデイ』ニュースコーナーを兼務。
- 8 土日昼のニュースを兼務(詳細は各番組のページを参照)。
- 9 吉崎典子の当時の姓。
- 10 『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』、『FNNスーパーニュースWEEKEND』も続投。
- 放送開始半年間のスポーツコーナー名は「わくわくスポーツ」。
- 前述の月 - 金曜日お天気コーナーはフジテレビの若手女性アナウンサーがシフトで担当。なお濱田は当時フジテレビアナウンサーであったが、気象予報士の資格を持っていた為、「気象予報士」の肩書きで出演。
- 土 - 日曜日お天気コーナーは、岩谷の着任前までメインキャスター2人がお天気カメラの映像をバックにスツールに座って伝えた。月-金曜版のクロマキーは使用せず、画面全体がクロマキーであった。なお、岩谷の着任以降は新設の大型モニターの前で伝えた。
代役キャスター
期間 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | 月 - 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土 - 日曜日 | ||
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メイン | アシスタント | メイン | アシスタント | |||||
1985年 | 1986年 | 露木茂1 | 紺野美沙子2 | 不明 | なし | |||
1987年 | 野間脩平 | 須田哲夫1 | 小田多恵子 | なし | ||||
1988年 | 須田哲夫3 | 牛尾奈緒美4 | 城ヶ崎祐子4 | 野間脩平4 | 阿部知代 | |||
1989年 | 1990年 | 城ヶ崎祐子4 | 永麻理4 | |||||
1991年 | 馬場鉄志 | 田代尚子 | 木幡美子 | |||||
1992年 | 堺正幸4 | 近藤サト | 木幡美子4 | 堺正幸4 | ||||
1993年 | 木幡美子5 | 近藤サト5 | ||||||
1994年 | 1995年 | 田代尚子4 | ||||||
1996年 | 木幡美子4 |
- 1 『FNNニュースレポート11:30』と兼務。
- 2 その後も期末の特別番組『スーパータイムスペシャル』に番組終了までレギュラー出演
- 3 『タイム3』と兼務。
- 4 『FNNスピーク』と兼務。
- 5 『FNN おはよう!サンライズ』と兼務。
基本的に土日版キャスターは休まずに出演。月-金曜版は年末年始にメインキャスターの片方が代役キャスターとコンビで出演(たとえば年末=露木・近藤、年始=堺・安藤)、土日版は通常のキャスターがそのまま出演。いずれも15分の短縮版。
『FNSの日』放送時のキャスター
期間 | キャスター | スペシャルキャスター | スポーツ | 天気 | 中継 |
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1987年 | 逸見政孝 | タモリ1・2 | なし | 福井敏雄1 長野智子 |
畑正憲 |
1988年 | 露木茂2 | 笑福亭鶴瓶3 塩原恒夫 |
福井敏雄2 | 黒岩祐治 | |
1989年 | 明石家さんま3 中井美穂3 |
横山隆晴 黒岩祐治 西村洋子 | |||
1990年 | 黒岩祐治 八木亜希子 |
なし | 吉田伸男 | なし | |
1991年 | 露木茂4 | 武田鉄矢 | なし | なし | 須田哲夫 |
1992年 | 逸見政孝4 | 岡本夏生4 | 木幡美子 | ||
1993年 | 安藤優子 | 辰巳琢郎 奥山佳恵 |
|||
1994年5 | 露木茂 | 安藤優子 大塚範一 |
|||
1996年 | 松山香織 | ラサール石井 |
- 1 『タモリのニュースファクトリー』も担当。
- 2 『DATE LINEデラックス』も担当。
- 3 『プロ野球ニュースデラックス』も担当。
- 4 『FNN NEWSCOMスペシャル』も担当。
- 5 タイトル名は「オールキャスターニュース」
放送時間
月-金曜版、土日版(1985年4月6日開始)ともに放送時間は一貫して変わらなかった。以下、日本時間(JST)で表記。
平日 | 土曜日 | 日曜日 | |||
---|---|---|---|---|---|
全編 | 全国枠 | 全編 | 全国枠 | 全編 | 全国枠 |
18:00 - 19:00 (60分) |
18:00 - 18:20 (20分) (後に18:25まで) |
18:00 - 18:30 (30分) |
18:00 - 18:20 (20分) |
17:30 - 18:00 (30分) |
17:30 - 17:50 (20分) |
コーナー
- 月-金曜
- オープニング[1](18:00)
- ヘッドライン[2]
- FNN全国ニュース(中断CMあり・Bパート終了後、地域によってはネット局側でローカルパートへ突入するスーパーを独自に送出表示していた。)
- ローカルパート(18:25(初期は18:20)、提供スーパーが流れる)
- 北海道文化放送では全国パートからローカルパートへの切り替えの際、全国パートの提供スーパー終了後、フジテレビからのネット回線の映像を縮小して、札幌市内の天気カメラの映像を一旦2画面にした状態で映し出し、ネット回線映像を先に左へスライドアウトしてから札幌市内の天気カメラの映像をズームする形で画面いっぱいに表示し、ニューススタジオに切り替わる構成をとっていた。
- 特報(18:27 、関東ローカル、ネット局はローカルニュース(ローカルパートの内容に関しても各局任意で編成)、中断CMあり/初期は「ニュースジョッキー」、「外信コーナー 〜松浦さんの海外うらおもて〜」)
- スポーツ(18:40、愛称は「わくわくスポーツ」。関西テレビ以外は任意ネット、東海テレビも独自の時期あり)
- NEWS JOCKEY → NEWS SCRAMBLE(18:47、関東ローカル)
- 天気予報・終了タイトル(18:53、初期は終了タイトル・天気予報の順)
- 天気予報・終了タイトルはお天気カメラの映像が表示された窓状のクロマキーがある専用セットにキャスターが立って、お天気キャスターと対話する形で放送していた。
- 土日
- オープニング(土曜:18:00・日曜:17:30、中断CMあり)
- 全国ニュース
- スポーツ
- ローカルニュース(土曜:18:20・日曜:17:50、オープニング映像→中断CMあり)
- 天気予報(季節の話題を1項目)
- 終了タイトル
- 土日版のヘッドラインは月-金曜版と違い、オープニングタイトル終了後すぐ始まっていた。東海テレビなど一部の局はヘッドライン終了後に飛び乗っていた。
- 天気予報・終了タイトルは、お天気カメラの映像が表示されたクロマキー(月-金曜版と異なり画面全体)の前にキャスターが座って放送していた。男性キャスターは正面を向いていたが女性キャスターは斜め45度で浅めに腰掛けるという特色があった。
天気予報について
1988年3月末までは、月-金曜のみ天気予報を本編終了後のおまけ番組として放送していた。それは天気予報の前に「スーパータイム 終」という終了タイトルが表示されていた為別番組と見なされたが、同年4月からは表示されなかったため同一番組と見なされた。また天気予報の終了タイトルでは一貫して「スーパータイム あすの天気 終 提供(略)」と一緒に表示されていた。
土日版では一貫して1コーナー扱いであったが関東地方では日曜日の天気予報だけスポンサーがついていた事から、箱根 彫刻の森美術館の映像をバックにした土日版独自のオープニングが放送されていた。またエンドタイトルは「スーパータイム 天気予報・終」と出ていた(1988年3月末まで)。また関東地方は日曜日のみ、オープニングで日付と曜日の表示があった。
『スーパータイム』が初めてのもの
「テレビのニュース」を伝えるというコンセプトから、『スーパータイム』がニュース番組ではじめて行ったものは幾つかある。
- キャスターが立ってニュースを伝える
- スポーツや「NEWS JOCKEY」といった一部コーナーでは座って伝えられた。
- 男性キャスターがスーツではなく若干カジュアルな服装でニュースを伝える
- 番組開始当初はスーツ+ネクタイという衣装ではなく、シャツ+カーディガンなど、若干カジュアルな衣装でニュースを伝えていた。それまでのニュースとは違うということを、男性キャスターの衣装においても見せるという意図があったようだが、視聴者やフジテレビ社内、FNS系列各局からの受けがあまりよくなかったことなどもあって、タートルネック+ブレザー姿となり、翌1985年からは普通のスーツ+ネクタイ姿へと戻った。
- アタック音
- それぞれのニュースのリード(スタジオカット)の後のVTR冒頭に見出しスーパー(テロップ)と音楽(ジングル)を流した。
- CM前のアイキャッチ
- CMが始まる前に予告映像とアタック音楽を流した。『NNNきょうの出来事』(日本テレビ系列)では使われていたが、夕方のニュースでは初めてである。全国向けとローカルニュースが混合した編成だったため、ネット局に配慮する意味もあった。
- テロップの電子化
- それまでのテロップは基本的にテロップカード(写真植字機による写真植字で作成されるものや、手書き文字をテロップカードに直接書き込んで作成されたもの)を専用の送出装置(オペークなど)にて送出していたが、この番組ではそれらのテロップ作成と送出をコンピューターによる電子化で行った。
これは、この番組の開始と前後して電子的にテロップの作成や送出を行うシステム(所謂「ワープロシステム」)をフジテレビが報道専用に導入したものである。
当時、既に一部用途[3]については、作成および送出を電子化する例がキー局を中心としてみられたものの、あくまで定型化されたものに対してのみであった。
- しかし、他局のテロップシステム更新でフジテレビの報道用字幕が1990年代には相対的にシンプル過ぎて見える様になった為、1994年夏頃に機材を更新。1994年10月のスタジオセット更新と共に立体的な字幕へ変更された。これはお台場へ本社を移転した後も2010年9月まで16年間に渡り使用された。
その他番組放送当時に関するエピソード
- よくバラエティ番組で真似されていた。特にビートたけしの番組では、たけしと鬼瓦権三(たけしの二役)とのやりとりが放送され話題になった。スタジオセットも「FNN」のかわりに「TAKESHI」とかかれた本物そっくりなものだった。また、『火曜ワイドスペシャル』ではたけしが幸田と実際に共演した事もある。またタイトルコールもあり、幸田が「テューズデェイ、ワイドスペシャル!!」とコールしていた。
- また、『いきなり!フライデーナイト』では「冒険王タイム」というコーナーがあり、オープニングは本物のタイトル映像(冒頭のアニメーションはなし)に白縁に緑文字のタイトルが出現したものとなっていた。キャスター役は渡辺徹と長野智子(当時フジテレビアナウンサー)が担当した(長野はアタック音も担当)。
- スポーツコーナーにおいて、全国のスポーツ美少女を紹介する企画「南ちゃんを探せ」などの人気企画があった。南ちゃんとは、当時放送されていたアニメ『タッチ』のヒロイン、浅倉南の事を指していた。なお、関西テレビでは独自にスポーツコーナーを制作していたため放送されなかった。またテレビ新広島もスポーツコーナーの後半をローカルニュース・広島県内の交通事故の状況(協力・広島県警察本部)・私の交通標語等のコーナーに差替えていたため、放送されないことが多かった(ごくまれに放送されたことがある)。
- 年末年始も休まず放送していた。初期の頃は12月31日も通常通りの時間枠であったが、その後年はレギュラーで時間を短縮するなど、前後の番組に合わせ調整を図っていた。
- 1995年に起きた阪神大震災やオウム真理教関連のニュースが起きた時は、特別番組として30分拡大して放送した。
- 1989年頃から放送終了まで、オープニングの提供テロップは画面右下に右寄りでスポンサー名を表示していた。
- 12年半という長きに渡って放送された番組だけありスポンサーも数多く替わっていったが、この中には現在放送中の『スーパーニュース』迄ずっとフジテレビ夕方ニュースのスポンサーを務めている企業もある。
- 月-金曜放送後期の提供表示では全国ニュースの前提供のみ画面下半分の左側に「提供」、右側にスポンサー名が表示されていた(実質2列表示)。
- 1995年9月21日の『あっぱれさんま大先生スペシャル』の中で「あっぱれスーパータイム」と言うあっぱれとのコラボ企画が放送され、司会は露木とあっぱれ学園の女子生徒2人が行った。
- 終了から約10年後の2007年に映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』の1シーンで『スーパータイム』が復活した。ただし、劇中の設定は、当時1994年4月から1997年3月まで担当していた露木茂・松山香織コンビである。スタジオセットも1994年以降の4代目セットである。一方で、主人公がテレビ局を訪れたシーンで張り出されている視聴率の垂れ幕には「FNWスーパータイムニュース」と書かれている。
- この番組は「河田町を代表する夕方のニュース番組」などと一部で言われている(お台場からの放送は3週間のみだった)。
- フジテレビにおいて時刻出しは番組終了まで実施することはなかった。実施したのは次番組である『FNNニュース555ザ・ヒューマン』からである。しかし、岡山放送では1990年頃まで日曜に限って実施[4]しており、テレビ愛媛では月曜から土曜に限り18時から10秒間表示されていた。
- 『FNNスーパータイム』のタイムテーブル順(全国ニュース→ローカル→全国スポーツ→ローカル)は次番組『FNNニュース555ザ・ヒューマン』と次々番組『FNNスーパーニュース(18時台)』(2000年4月-)でも受け継がれている。
- 1994年10月8日、この日フジテレビ系列では日本プロ野球史上初、同率首位で並んだチーム同士の最終戦での直接対戦による優勝決定戦中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ(いわゆる10.8決戦)を18時30分から放送。これにより、前番組のスーパータイム土曜版から生中継した。なお、この日は「10.8決戦」以外のニュースは3本。放送時間30分のうち4分20秒(冒頭で当時土曜版キャスターのフジテレビ・山中秀樹アナ(当時)がコメント。)しか伝えず、その大半で「10.8決戦」を生中継した[5]。
ネット局の番組名の変遷
番組開始当初から数年間、この番組はテレビ静岡・テレビ愛媛・テレビ西日本・鹿児島テレビの4局を除いて地域ごとに独自のタイトルに差し替えていた(ただし、この4局もフジテレビと全く同一のタイトルではなく、例えばテレビ静岡においては『FNN テレビ静岡 スーパータイム』など、各ネット局の名前も入った番組タイトルとなっていた。)。
このため、キー局フジテレビでは『FNNスーパータイム』のオープニングをベースに番組タイトルを各局のものに差し替えたオープニング用VTRも制作・提供していた。また、全国のニュースや『夕やけニャンニャン』のニュースコーナーでは『スーパータイム』の名前が使えずに「6時のニュース」等と表現していた。土日版も同様に差し替えた地域に配慮して、挨拶の後「○月○日土曜日(日曜日)のニュースです」と番組名は入れずに「ニュース」とした。
番組放送後期にさしかかった頃には福島テレビ『FTVテレポート』、関西テレビ『アタック600』、テレビ大分『ニュースインおおいた』(テレビ大分は1985年度の日曜版にスーパータイムのタイトルを使用していた)の3局を除くネット局(あくまでこの番組放送当時だが)で「スーパータイム」に番組タイトルが統一されていた(1992年4月から)。
以下に表記するネット局による差し替えタイトル表は、番組放送当時のものである。下の表で1984年10月番組開始となっている番組は、テレビ新広島を除いて土日版は1985年4月放送開始であるが、煩雑になるため注記を省略した。また、●は『スーパータイム』が放送開始した1984年10月以前からの番組名を引き継いでいる番組である(「FNN」が付けられたものや、「600」など数字部分のみの変更も含む)。
放送局名 | 番組名 |
---|---|
CX フジテレビ (基幹・報道部番組制作局) |
FNNスーパータイム |
uhb 北海道文化放送 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN uhbイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(月-金曜) 1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN uhbイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)、FNN uhbイブニングニュース(土曜)、uhbニュースレポート5:30 FNN / 道新ニュース・天気予報(日曜) 1988年4月1日 - 1993年9月30日:FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)、FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN(土日) 1993年10月1日 - 1996年3月31日:FNNスーパータイムHOKKAIDO / キリンお天気ジョッキー → ホクレンお天気アイズ(月-金曜)、FNNスーパータイムHOKKAIDO(土日) 1996年4月1日 - 1997年3月30日:uhbスーパータイム FNN / ホクレンお天気アイズ(月-金曜)、uhbスーパータイム FNN(土日) |
mit 岩手めんこいテレビ (1991年4月1日開局) |
1991年4月1日 - 1997年3月30日:mitスーパータイム FNN |
OX 仙台放送 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN仙台放送イブニングニュース●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN仙台放送イブニングニュース(全曜日) 1988年4月1日 - 1997年3月30日:FNN仙台放送スーパータイム ※1992年4月3日 - 1994年9月30日は『FNNとうほく 金曜ニュース一番星』(OX・mit・YTS(1993年3月26日まで)・AKT・FTV)、1994年10月3日 - 1996年12月は『夕やけTV編集局』、1997年1月6日 - 9月26日は『ほっとチャンネル』として放送。 |
AKT 秋田テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー(月-金曜)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(土日) 1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムあきた(月-金曜)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(土日) |
YTS 山形テレビ (現:テレビ朝日系列) |
1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN YTSニュースワイド60(月-金曜) 1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN YTSニュースワイド60(月-金曜)、FNN YTSニュースワイド60 / YTSニュース・天気予報(土日) 1987年4月1日 - 1993年3月31日:FNN YTSニュース スーパータイム → YTSニュース スーパータイム FNN ※1993年3月31日で番組終了。[6] |
SAY さくらんぼテレビ | 1997年3月15日 - 3月30日:SAYスーパータイム ※約2週間のサービス放送期間中のみの放送だったため、最後までタイトルに「FNN」が付かなかった。サービス放送開始当初はローカル枠も全てフルネットだったが最後の1週間のみ山形ローカル枠が設けられ、スポーツコーナーの後に15分程度放送された。 |
FTV 福島テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイム / FTVテレポート●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1986年1月5日:FNNスーパータイム / FTVテレポート(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜) 1986年1月6日 - 1993年3月28日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜) 1993年3月29日 - 1996年6月30日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜)、FNN FTVテレポート(日曜) 1996年7月1日 - 1997年3月30日:テレポート525(月-土曜17時台) / FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜18時台)、FNN FTVテレポート(日曜) |
NST 新潟総合テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NSTワイド6:00 / お天気ホットライン●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1990年9月30日:FNN NSTワイド6:00 / お天気ホットライン(月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日) 1990年10月1日 - 1993年3月31日:NSTニュース予告編 / NSTスーパータイム FNN(月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日) 1993年4月1日 - 1997年3月30日:NSTスーパータイム予告編 / NSTスーパータイム FNN(月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日) |
NBS 長野放送 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NBSイブニング6:00●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN NBSイブニング6:00(月-土曜)、FNN NBSイブニング5:30(日曜) 1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN NBSスーパータイム NEWS&SPORTS |
SUT テレビ静岡 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(月-金曜) 1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(月-金曜)、FNNテレビ静岡スーパータイム(土日) |
T34 → BBT 富山テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNイブニングワイド6:00(月-金曜) 1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNNイブニングワイドとやま6:00(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) 1986年3月31日 - 1992年4月5日:FNNスーパータイムとやま(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) 1992年4月6日 - 1994年3月27日:スーパータイムとやま530 / FNNスーパータイムとやま(月-金曜)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) 1994年3月28日 - 1997年3月30日:5時ってうきうき / FNNスーパータイムとやま(月-金曜)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) |
ITC 石川テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースワイド石川6:00●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNNニュースワイド石川6:00(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) 1986年3月31日 - 1997年3月30日:FNN石川テレビスーパータイム(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) |
FTB 福井テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN福井テレビニュース6:00●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN福井テレビニュース6:00(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜) 1987年4月1日 - 1997年3月30日:FNN福井テレビスーパータイム |
THK 東海テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN東海テレビイブニングニュース600●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN東海テレビイブニングニュース600(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中) 1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN東海テレビスーパータイム(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中) |
KTV 関西テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN KTVアタック600●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNN KTVアタック600(月-金曜)、KTVニュース FNN(土日) 1986年3月31日 - 1997年3月30日:FNN KTVアタック600 → FNNアタック600(月-土曜)、FNN KTVアタック530 → FNNアタック530(日曜) ※年末年始のみ『KTVニュース FNN』として放送された時期がある。 |
TSK 山陰中央テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TSKイブニングワイド(月-金曜) 1985年4月1日 - 1988年4月3日:FNN TSKイブニングワイド(全曜日) 1988年4月4日 - 1997年3月30日:FNN TSKスーパータイム → TSKスーパータイム FNN ※年末年始のみは『FNNスーパータイム』として放送。 |
OHK 岡山放送 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OHK報道センター6:00●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN OHK報道センター6:00(月-土曜)、 FNNニュースレポート5:30 / OHKニュース(日曜) 1987年4月1日 - 1997年3月30日:FNN OHKスーパータイム → OHKスーパータイム FNN ※1990年4月7日 - 1997年3月29日、土曜のみは『OHKスーパータイムWEEKLY』として放送。 |
tss テレビ新広島 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN tssワイドニュース / 天気予報(月-金曜) 1985年4月1日 - 1987年10月4日:FNN tssワイドニュース / カープとお天気(月-金曜)、FNN tssワイドニュース(土日) 1987年10月5日 - 1997年3月30日:FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN / カープとお天気 → カープっ娘TV(月-金曜)、FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN(土日) |
EBC 愛媛放送 (現:テレビ愛媛) |
1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(月-金曜) 1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(月-土曜)、FNNスーパータイムEBC530 / 天気予報(日曜) 1990年4月2日 - 1997年3月30日:EBCスーパータイム FNN / 天気予報 |
KSS 高知さんさんテレビ | 1997年3月20日 - 3月30日:SUNSUNスーパータイム FNN ※サービス放送期間中に放送。 |
TNC テレビ西日本 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS / とべとべトピックス(月-金曜) 1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS / とべとべトピックス → とべとべホークス(月-金曜)、FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS(土日) |
sts サガテレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース(月-金曜)、FNN stsニュースレポート(土日) 1989年4月3日 - 1991年3月31日:FNN stsニュースレポート / デイリーフラッシュ(月-金曜)、FNN stsニュースレポート(土日) 1991年4月1日 - 1995年4月2日:stsスーパータイム FNN / デイリーフラッシュ(月-金曜)、stsスーパータイム FNN(土日) 1995年4月3日 - 1997年3月30日:stsスーパータイム FNN |
KTN テレビ長崎 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(月-金曜) 1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(月-金曜)、FNNニュースワイドKTN(土日) 1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN(土日) |
TKU テレビ熊本 → テレビくまもと |
1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム(土日) 1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN(土日) |
TOS テレビ大分 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土曜)、FNN TOSスーパータイム(日曜) 1986年3月31日 - 1989年4月2日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土日) 1989年4月3日 - 1996年9月30日:FNNニュースインおおいた TOS / おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土日) 1996年10月1日 - 1997年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気 |
UMK テレビ宮崎 | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報●(月-金曜) 1985年4月1日 - 1988年4月17日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(土日) 1988年4月18日 - 1992年3月31日:FNN UMKニュースリポート → UMKニュースリポート FNN / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(土日) 1992年4月1日 - 1996年3月31日:UMKスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、UMKスーパータイム FNN(土曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(日曜) 1996年4月1日 - 1997年3月30日:UMKスーパータイム FNN |
KTS 鹿児島テレビ | 1985年4月1日 - 1995年10月31日:FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS 1995年11月1日 - 1997年3月30日:KTSスーパータイム530 / FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS(月-金曜)、FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS(土日) ※1985年3月31日まではNNNのニュースをネット。 |
OTV 沖縄テレビ | 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(月-金曜) 1985年4月1日 - 1992年3月31日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム(土日) 1992年4月1日 - 1997年3月30日:OTVスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、OTVスーパータイム FNN(土日) |
番組の終焉とその後
1996年10月からはリニューアルをしフライングスタートに成功した『NNNニュースプラス1』(日本テレビ系)に視聴率を奪われるなど視聴率の面で苦戦する。同年10月1日にリニューアルを試みるが好転せず、お台場社屋移転後の番組改編により放送を終了し12年半(土日版は12年)の歴史に幕を閉じた。また、テレビ朝日系『ステーションEYE』の月-金曜版も同時期に終了した。
脚注
- ^ 関東・秋田テレビ『テレポートあきた』・福島テレビ・山陰中央テレビでは司会者の横顔のアップを写してスタートした
- ^ 通常は前半FNN全国ニュースから2-3項目→後半各都道府県別ローカルニュース(ネット各局より)から2-3項目という体裁
- ^ スポーツ中継用のスコアや選手名表示、ニュース速報や地震速報などの定型化されたもの
- ^ 当時は全曜日早朝の番組開始時から18:00(後に17:54)まで実施していたことによる。後に17:30までとなり表示されることは前述の『FNSの日』くらいに限られていた。2004年以降午後の表示は廃止しており、『FNNスーパーニュース』『FNNスーパーニュースWEEKEND』では時刻出しはしていない。
- ^ 10月9日付中日新聞p.3によると、当日18時からのFNNスーパータイムは「野球以外のニュースは4分20秒しかお伝えできません」であったという。
- ^ ただし終了後も、近隣のフジテレビ系列局(新潟総合テレビ・仙台放送・福島テレビ・秋田テレビ)をケーブルテレビなどで受信できた場合はその地域の物が視聴できた。
フジテレビおよびFNN 月-金曜夕方のFNNニュース(1984年10月1日 - 1997年3月28日) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
FNNスーパータイム
※全国・ローカル枠を統合 |
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フジテレビおよびFNN 土日夕方のFNNニュース(1985年4月6日 - 1997年3月30日) | ||
FNNスーパータイム
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FNNニュース ザ・ヒューマン
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フジテレビ系列 土曜18:00枠(1985年4月6日 - 1997年3月29日) | ||
あした天気になあれ
(金曜19:00へ移動) |
FNNスーパータイム
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FNNニュース ザ・ヒューマン
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