馬場鉄志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
ばば てつし
馬場 鉄志 |
|
|---|---|
| プロフィール | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1950年9月27日(58歳) |
| 血液型 | O型 |
| 最終学歴 | 早稲田大学社会科学部 |
| 勤務局 | 関西テレビ放送 |
| 部署 | 編成局アナウンス部 |
| 活動期間 | 1974年~ |
| ジャンル | 報道・スポーツ番組 |
| 公式サイト | 関西テレビよりプロフィール |
| 出演番組・活動 | |
馬場 鉄志(ばば てつし、1950年9月27日 - )は、関西テレビ所属のアナウンサー。
目次 |
[編集] 来歴・人物
東京都西多摩郡日の出町出身で、血液型はO型。既婚(現在の妻は3人目)。1974年に早稲田大学社会科学部卒業後、関西テレビへ入社(同期入社は岡本栄がいる)。以来、スポーツ実況アナウンサーとして活躍。『大阪国際女子マラソン』の移動中継車からの実況や『ドリーム競馬』の競馬実況などを担当。
1990年10月から1991年3月までに半年間『FNNアタック600』(夕方の関西ローカルニュース)のメインキャスターを務めた。
それ以外では、1996年7月から1997年3月までに島田紳助司会の全国ネット番組『カジノザウルス』でも実況を務めた。
憲法問題について、「日本は普通の国家として軍隊を持った方が良い」との見解を示している。
なお、2010年9月27日に60歳定年を迎えることから、現在順次出演番組の整理に取り組んでいる。近年体重の著しい増加とともに、声質に変化が生じている。
[編集] エピソード
スポーツアナウンサーならではのエピソードには事欠かない。
[編集] 競馬実況
かつての上司で大先輩の杉本清の後を継いで2001年から菊花賞の実況の担当も始めたが、それ以降菊花賞は波乱の決着が続いている(これは天皇賞・春も同じことが言えるが、最初の年2001年はテイエムオペラオーの連覇達成、翌年、2002年はマンハッタンカフェ、ジャングルポケット、ナリタトップロードの3強で決まり、さほど荒れてはいない)。
馬場が実況を担当していた頃は波乱が多かった秋華賞は平穏なレースとなり、2003年のスティルインラブの牝馬三冠達成で後輩の石巻ゆうすけに「三冠実況アナウンサー」を先んじられた(1週間後の菊花賞ではネオユニヴァースの三冠がかかっていたが、3着に終わった)。
しかし、2005年菊花賞にて、ようやくディープインパクトの三冠実況を果たした。この時に残した「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!」は高く評価されて、2006年のFNSアナウンス大賞を受賞している。関西テレビのアナウンサーが同大賞を取るのは2002年の第18回大会の山本浩之以来である。
頻繁に用いられる文句として「大外から○○~!」という力強い実況があるが、さほど外側を通らない馬でも一番外であれば「大外」と言う場合がある。滅多に無いことではあるが、「大外から○○~」のさらに外側から馬が突っ込んできたこともある(例:2006年マーメイドステークス;「大外からはサンレイジャスパー、一番外からはソリッドプラチナム!」)。
また、直線の勝負所で「○○の左(右)ムチが飛んでいる!」という文句も多く用いている。
その他、最後のコーナーを回って逃げている馬がいるとき、「○○、逃げる、逃げる!」というセリフもよく使う。
かつてエリザベス女王杯でホクトベガが優勝した際には「ベガはベガでもホクトベガです!」と言う台詞があったが、これを発したのは馬場であった。
[編集] F1グランプリ実況
F1(番組名『F1グランプリ』)の実況は1987年から1998年まで担当した(関西テレビ枠。馬場以降は現在存在しない)。
アイルトン・セナとの相性が悪かったことで知られ、「馬場アナが実況するとセナが勝てない」というジンクスが長らく存在し、セナがリタイアした1989年のポルトガルGPの後、ホンダの監督であった後藤治から「もう来ないでくれる?」と言われたこともある。1991年にはセナが日本GP直前に開催されたスペインGPでシリーズチャンピオンを決めそうになったため、日本GPまでチャンピオン争いをもつれ込ませたいフジテレビが馬場を実況に送り込み、見事その狙いが当たってセナが5位に沈んだというエピソードを、後にF1実況仲間だった古舘伊知郎が暴露している(馬場自身は当時セナの大ファンなので、何とも皮肉な話である)。セナとは反対に、ゲルハルト・ベルガーとの相性は良く、ベルガーはF1通算で10勝を挙げているが、そのうちの半分の5勝は馬場が実況したレースで優勝している。 1988年、マクラーレンが唯一勝てなかったイタリアグランプリでの実況も馬場であり、優勝したのもベルガーだった。
1990年に全く同じ状況でフジテレビスタッフが、スペインGPの会場であるヘレス・サーキットに馬場の顔写真を国際ファックスしてもらい、実況ブースに貼ってそのグランプリを放送した。それだけでも効果があった事に由来する(この時はさすがに、セナが所属していたマクラーレンにエンジンを供給していたホンダ関係者から「悪ふざけが過ぎる」と苦言を呈されている)。
当然の事ながら、馬場の存在とセナの不成績には何ら因果関係は無い。1991年のモナコグランプリで上記のジンクスは崩れセナが優勝している他、その後1992年のハンガリーグランプリ等、馬場の実況の下、セナが優勝を飾ったレースも多く存在する。
当初はオーソドックスなスタイルだったが、古舘の影響を受けたか、後に比喩法や独自表現を使用するようにもなった。また、カナダグランプリでは、開催地の表現をジル・ヴィルヌーヴ・サーキットより、「セント・ローレンス・シーウェイ」とすることが多い。
中継初期から携わってきた関係や人柄から中嶋悟の信頼が厚く、中嶋が近畿大学で講演した際には自身の話下手を補うため、聞き手として呼ばれたことがある。
[編集] 大阪国際女子マラソン実況
毎年1月末の日曜日に開催される大阪国際女子マラソンで、馬場は1992年からの第11回大会から、第一移動車での実況中継の担当となる。特に、シドニーオリンピックの選考会を兼ねた2000年の第19回大会、リディア・シモン(ルーマニア)と弘山晴美が長居陸上競技場へ入るゴール直前、二人の死闘ぶりを絶叫調で実況した。
弘山晴美は、レース終盤の37Km過ぎでリディア・シモンらを突き放しスパート、その後弘山の独走となる。長居陸上競技場の周回道路入口となる40Km地点、一時はシモンと11秒差をつけた。弘山が優勝確実かと思われたが、そこからシモンが驚異的な追い上げを見せる。その後TVではっきりと、シモンと弘山の差が縮まっているのが映し出された。そして長居陸上競技場へ入る直前、周回道路途中のゴール手前500m付近、ついにシモンが弘山に追いついて逆転。そのまま競技場へ入るとシモンがリードを奪い、2時間22分54秒の当時大会新記録でシモンが優勝。弘山はシモンとわずか2秒差の2位で、2時間22分56秒の好タイム(当時日本女子歴代3位)をマークしたが、シモンに敗れた事などにより、弘山のシドニー五輪女子マラソン代表選出はならなかった。
[編集] プロ野球実況
2007年まで、阪神甲子園球場で行われる阪神対巨人戦の実況を年1回担当していた。
[編集] 主なプロ野球実況経験
日本シリーズでは1995年のグリーンスタジアム神戸でのオリックス対ヤクルト第1戦、1996年のグリーンスタジアム神戸でのオリックス対巨人第3戦・第4戦の実況を担当した。2008年の京セラドーム大阪でマツダオールスターゲーム2008の前半部分の実況をした。
[編集] 競馬G1実況歴
- 桜花賞(1988年、1992年~)
- 天皇賞・春(1991年、2001年~)
- 宝塚記念(1985年、1986年)
- 秋華賞(1998年~2000年)
- 菊花賞(2001年~)
- エリザベス女王杯(1991年~)
- マイルチャンピオンシップ(1997年~2006年)
- ジャパンカップダート(2008年)
- 阪神3歳牝馬ステークス(1991年、1993年~2000年)
- 凱旋門賞(2007年~)
[編集] 現在の出演番組
- DREAM競馬
- プロ野球中継2009(阪神タイガース・オリックスバファローズ戦)他スポーツ中継(大阪国際女子マラソン、名古屋国際女子マラソン、北海道マラソン、三菱ダイヤモンドカップゴルフなど)
- すぽると!
[編集] 過去の出演番組
- FNNアタック600(関西ローカルニュース)
- FNNスーパータイム(全国ニュース) - 上田昭夫、黒岩祐治の代行として
- プロ野球ニュース(全国スポーツ)- 関西地方スポーツキャスター
- カジノザウルス(全国バラエティ) - 実況
以下はスポーツ中継
- 名古屋国際女子マラソン(東海テレビ放送) - 1990年大会の第2放送車の実況担当
- 北海道マラソン(北海道文化放送) - 第2移動車実況・真駒内屋外競技場スタート実況・中島公園ゴール実況
- FISワールドカップスキー
- サッカーJリーグ中継(ガンバ大阪戦)、1994 FIFAワールドカップアジア地区最終予選第4戦「日本対韓国」実況
[編集] その他
- 毎年12月に刊行される『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑(西暦)』(産経新聞社発行)に「GI激走譜」を寄稿している。
- 2003年〜2005年は宝塚記念、2006年は菊花賞、2007年は天皇賞・春、2008年はマイルチャンピオンシップにそれぞれ寄稿している。
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||

