都営バス港南支所

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都営バス 品川自動車営業所 港南支所
Tokyo Metropolitan Bus Shinagawa bus office
Kohnan branch
Tobus Konan Yard from Tokyo Monorail.jpg
都営バス港南支所(東京モノレール車窓から)
所在地 東京都港区港南4-7-1
所管系統数 12系統(深夜バス等特殊系統除く)
主な運行担当区域 城南地区や臨海副都心エリア(品川・渋谷および深川西側エリア)のはとバス委託路線
備考 運行業務ははとバスに委託
港南支所のあるビル
出入口の上を東京モノレールの高架が通っている

都営バス港南支所(とえいバスこうなんししょ)は、東京都港区港南海岸通り沿いにある都営バスの営業所(支所)である。正式名称は東京都交通局品川自動車営業所港南支所で、営業所記号はYを用いる。 2008年よりはとバスへの管理委託が行われたため、組織的には廃止となっている。

都営港南四丁目第2アパートの下層部を使用している。

概要[編集]

1990年代の末にお台場方面への路線拡大による車両の回送距離を減らし、台場地区の需要の変動に対応することを目的に、当時の目黒自動車営業所(2000年12月以降は支所)の分駐所として開設され、目黒支所の分駐所化に伴い品川自動車営業所の管轄(ただし目黒・港南は一体で、品川本局とは区別されていた)となったのち、2005年3月に目黒分駐所廃止に伴い、支所へと昇格した。同支所の記号は廃止された以前志村自動車営業所板橋区東坂下1982年3月29日に廃止)で使用されていたYである。主力路線は、浜松町駅からお台場地区へのアクセス路線である虹01や東急バスとの相互乗り入れで等々力操車所前→等々力駅前から目黒区 - 目黒駅前 - 東京タワーを経由し東京駅丸の内南口までを結ぶ東98系統などの所管があったが、これらは2013年4月1日に廃止され、現在城南・高輪地区の不採算路線専門となっている。

本、港南支所には本格的な車両点検の施設がなく、日常の検査以外の修理・点検などは品川自動車営業所で行っている。都営バスの車庫でありながら2005年3月まで定期券の窓口販売が行われていなかったなど、異色の存在である。

沿革[編集]

品川近辺には古くからの品川営業所があったが、その後目黒営業所の周辺が目黒駅再開発のエリアとなるため、かなり以前からこの地に移転させる計画があり、昭和末期には当時目黒が受け持っていた田70(新宿駅西口 - 田町駅東口;港区スポーツセンタ-前)や黒10(東京駅南口 - 目黒駅前)を中心に移管させ、目黒営業所を閉鎖する計画があったほどである[要出典]。その後当初の計画は消滅したが、冒頭の目的である台場方面の前線基地のほかに、計画が遅れていたが本家である目黒自動車営業所が再開発の開始で閉鎖されたため、その代替施設としての位置付けもある。

用地は元々、東京都の宿舎として使用されていた場所であり、東京モノレールの線路の下にあるため、モノレール車内からも車庫構内が見える。当初は目黒自動車営業所港南分駐所と名乗っていた。2005年3月に品川自動車営業所目黒分駐所廃止に伴い、支所へと昇格した。車両は旧目黒自動車営業所々属車のうち、大型車は全車両港南支所で引き続き使用され、品川営業所とは東98黒77用の車両との交換が行われた。しかし目黒分駐所が担当していた路線は、一部を除き品川営業所に所轄変更され、反対に埋立地の路線を中心に港南所轄と変更した。

2000年11月に、都営バスの営業所で初めて低硫黄軽油(S-50相当)の導入が行われた。

2008年4月1日から、当支所の全路線がはとバスに管理委託された。

現行路線[編集]

都03系統(グリーンアローズ)[編集]

2001年頃、深川所管時代の都03
都03・都04・都05の運行区間概略

大久保電車営業所所管の都電11系統と、それに並行して晴海埠頭 - 清水操車所間を結んでいた堀ノ内自動車営業所所管の304系統が始まりである。都電の廃止による代替バス511系統の設定をきっかけに両路線は統合され、銀71系統となる。

都心を横断するドル箱的路線のため、1988年3月21日に都市新バスの第3期導入路線となったのを機に系統番号を都03に改め、都04・都05と共に「グリーンアローズ」と名付けられた。晴海通りの需要の他、新宿駅発着のJR・私鉄線から三宅坂にある国立劇場への足としても重宝され、最盛期には数寄屋橋・銀座 - 勝どき橋(晴海通り上)では、昼間でも3系統のどれかが来る程だった。

利用率こそ高かったものの、ほとんどが長距離利用客のため客の回転率が悪く、晴海見本市会場の機能がビッグサイトへ移転した後は、利用客の減少が進んだ。このため営業成績は悪化の一途を辿り、1990年代後半頃から晴海方面からの四ッ谷駅止まり便が増えていく。[要出典]そして、2000年の都営大江戸線開通時の再編で、丸ノ内線と重複する新宿駅西口 - 四谷駅前を短縮(同時に杉並自動車営業所は撤退、代わって深川自動車営業所が参入)し、運行回数を半分以下まで削減した。

その後も乗客の減少に歯止めがかからず、度々のダイヤ改正で減便を余儀なくされており、現在では日中の一部時間帯で40分以上間隔が空く状態となってしまっている。2007年3月26日の改正では土曜・休日の本数がさらに減少し、1時間に1本となっている。

2012年4月1日からはとバス委託路線となるので、深川自動車営業所から品川自動車営業所港南支所に移管された[5]。はとバスに管理委託される都市新バス路線は都03が初となった。

虹01系統(出入のみ)[編集]

  • 虹01:港南4丁目(港南車庫) - 海岸通り - 浜松町駅

本線系統は廃止されたものの、出入庫系統は早朝2本のみ残された。浜松町バスターミナルへの乗り入れは完全廃止。方向幕はLEDを含めて「浜松町駅前」のみの表記となった。なお、出入専用となったためみんくるガイドにはその出入路線は記載されなくなった。

橋86系統[編集]

目黒駅前から広尾橋(広尾駅前)、麻布十番駅前、神谷町駅前を経て新橋駅前に至る路線。途中の広尾橋 - 二ノ橋では片側1車線の狭い坂道(仙台坂)を走行[6]する。

1957年(昭和32年)7月15日に71系統として、目黒駅前 - 一の橋 - 新橋 - 銀座1丁目 - 東京駅北口として開設、目黒駅前から新橋駅前は現行と同じ経路、新橋駅前より先、中央通り(銀座通り)を日本橋室町(現在の日本橋三越まで直進し、三越の裏手・日銀前)から東京駅北口に達していた。 1960年(昭和35年)6月15日に日本橋室町(現在の日本橋三越) - 東京駅北口が廃止され、目黒駅前-日本橋室町となった。

1967年(昭和42年)7月1日に目黒駅前-新橋駅前が新設された。また道路の渋滞により徐々に平日は新橋駅前折返しが多くなった。

長らく路線の変動なかったが、大江戸線が開業した2000年(平成12年)12月12日に新橋駅前-日本橋三越が廃止された。なお、銀座通りが歩行者天国の場合は、新橋駅前から京橋まで外堀通りを迂回した。廃止時点で銀座通りを経由して銀座を縦断する唯一の路線でもあった。

2005年(平成17年)3月28日に目黒分駐所の廃止に伴い、品川自動車営業所に移管。

2006年(平成18年)4月1日に目黒駅前-東京タワー(橋86折返)を新設し、新橋駅前行は平日土曜の朝夕のみの運行となった。

2010年(平成22年)3月28日赤羽橋駅前-麻布十番駅前間が環状3号線経由から都06系統と同じ旧道経由に変更となった。

2013年(平成25年)4月1日にはとバス委託路線となり、品川自動車営業所港南支所に移管された。

反90系統[編集]

この路線は、戦前に現在の東急バス目黒営業所の前身となる目黒自動車運輸が運行していた路線に端を発する。目黒自動車運輸は目黒蒲田電鉄に合併され、1942年(昭和17年)その後身の東京横浜電鉄が山手線内の路線を東京市電気局に引き渡した際、都営バスの路線圏となった。

戦後、1950年(昭和25年)に都営と東急バスの共管の122系統として再スタート。東急では戦前の目黒営業所に代わって神明営業所が担当、東京駅八重洲口まで走っていたが、山手線浅草線に並行するため、1970年(昭和45年)にまず五反田駅を境に分断。そして、1982年(昭和57年)の第2次再編で田町駅 - 東京駅八重洲口間が廃止された。

その後も大きく路線再編の影響を受けて、昔の面影はなくなってしまっている。高輪台駅前 - 田町駅前は比較的狭隘な道路を走行するため、普段は中型車幅10.5m車で運行される。本数は大きく減少しており、現在では平日・土休日ともに朝夕4往復ずつの計8往復の運行である。

田92系統[編集]

  • 田92:田町駅東口 - 藻塩橋 - 高浜橋 - 品川駅港南口 - 天王洲橋 - 品川車庫

再開発の進む港南地区と品川駅・田町駅を結ぶアクセス路線として、浜95から独立・田町駅東口に乗り入れる形で開通した。開通当初から約1年間は、八千代橋を基点に田町駅周辺を反時計回りに一方循環する運行形態だったが、2005年(平成17年)3月に浜95・田99と合わせて田町駅周辺の経路が見直され、田92は芝浦一丁目周りを廃止、往復とも藻塩橋経由に変更された。

2009年(平成21年)4月1日、浜95の田町駅東口乗り入れ復活に伴い、土曜・休日の日中便が運行を中止している。

2014年(平成26年)4月1日にはとバス委託路線となり、品川自動車営業所港南支所に移管された。

浜95系統[編集]

  • (45→)浜95:品川車庫 - 品川駅港南口 - 高浜橋 - 田町駅東口 - 海岸三丁目 - 浜松町駅 - 御成門 - 東京タワー(駐車場内)

45系統として開通当時は、大井競馬場前始発から幾度の経路変更や他系統との統合・分割を経て現行経路に至る。主に交通手段の乏しい港区海岸地区に対する輸送需要を満たす一方で、品川・浜松町から東京タワーへ向かう観光路線としての役割も担っている。

2002年(平成14年)、東京タワー下から赤羽橋駅へ乗り入れる形で浜95乙が開通した。これは赤羽橋駅付近に立地する東京都済生会中央病院国際医療福祉大学三田病院(旧・東京専売病院)へ、芝浦地区からのアクセスを改善するという目的で浜95甲を延長したものである。しかし、徐々に運行回数が少なくなり、2010年(平成22年)4月1日に廃止された。赤羽橋駅を出た品川方面行きのバスは、その先の中ノ橋に停車してから折返して東京タワーへ向かっていた。

もともとは品川・田町・浜松町と、JRの各駅をこまめに立ち寄る路線だったが、2005年(平成17年)3月に田町駅周辺の路線再編によって浜95の田町駅東口乗入れが廃止され、旧海岸通りを直進して芝浦三丁目を経由する形となったが、2009年(平成21年)4月に田町駅乗入れが復活し、品川方面のみロータリーからの乗降が可能となっている。

2014年(平成26年)4月1日にはとバス委託路線となり、品川自動車営業所港南支所に移管された。

反94系統[編集]

五反田駅前を出ると国道1号に入り高輪台駅前・明治学院前を経由、魚籃坂下交差点で桜田通りを離れて古川橋・一ノ橋を経由して赤羽橋駅前に至る。麻布十番駅前 - 赤羽橋駅前は、都06の赤羽橋駅前発着便と同じく、古川を挟んで上下で別のルートとなっている。

魚籃坂下 - 麻布十番駅前は反96本線と平行しており、高輪台駅前 - 魚籃坂下が独自区間となっているが、2000年の南北線三田線大江戸線の相次ぐ延伸開業により、この区間では徐々に本数を減らし、現在1日7往復が残るのみである。これは、系統単独では山手線の内側で完結する路線バスの中で最少で、独自区間での乗降もあるが、五反田駅前 - 麻布地域での利用が多く定時性も良いため、事実上は反96の短絡ルートとなっている。赤羽橋駅前停留所から大江戸線赤羽橋駅までは若干離れている。

運行形態は、平日・土休日とも朝3往復夕4往復で、ともに約1時間おきの運行である。赤羽橋駅前到着便は、発車時刻まで待機し、そのまま五反田駅前行きとなる。

井96系統[編集]

大井町駅前を出発後、青物横丁を基点に反時計回りで天王洲地区を経由し、再び大井町駅前へ至るラケット型の循環路線。1992年品91折返として、大井町駅前と天王洲地区のアクセス向上を目的に開通したが、当初は平日のみの運行だった。その後、大井町駅に関係する系統の再編により、井96として独立、さらに2002年の品91・品98再編に伴う補強として、大井町駅前方面行きの南馬場経由化、土休日の運転開始・ダイヤ増発が行われ、段階的に規模を大きくしてきた路線。2005年の港南分駐所格上げに伴い、品川自動車営業所より移管された。

ダイヤは品川自動車営業所時代に上記の経緯で拡充され、2002年のりんかい線全通にもほぼ影響を受けなかったものの、港南支所移管時に大幅減便され、特に土休日は終日毎時1-2本まで減回されている。

品97系統[編集]

2008年4月1日より、杉並との共管となる。はとバス委託路線として、初の共管路線となっている。目黒自動車営業所時代の所管だった田70系統以来の新宿駅西口への品川ナンバーの都営バスが返り咲いたことになる。

井98系統[編集]

  • 井98甲:大井町駅東口 - 青物横丁 - 大井清掃工場前 - ダイトー大井物流センター - 大井水産物埠頭
  • 井98乙:大井町駅東口 - 青物横丁 - 大井清掃工場前 - 大井水産物埠頭

大井町駅東口から青物横丁駅付近を経由し、大井埠頭地区とをダイレクトに結ぶ。いずれも休日運休、昼前後の運行はされていない。終点付近は大井水産物埠頭入口を基点に、午前はダイトー大井物流センター先回り、午後はその逆のループ状の経路をとるが、循環扱いを行っておらず一旦大井水産物埠頭で運行は打ち切られる。

当初は行先とともに「直通」の文字を掲げていた。これは経路上、旧・品98甲(大井町駅 - 大井埠頭中央公園 - 大井埠頭 - 品川駅)をショートカットする意味で、急行運転は行われていない。

品99系統(無系統)[編集]

  • 品99:港南四丁目(港南車庫構内)→(無停車)→ 品川駅港南口

品川埠頭循環線が品川自動車営業所に移管されたため、出入庫系統のみの運行。以前より大幅に減便されている為、現在は反90運用ダイヤ前に平日3回、土休日2回設定されている。運行時間も早い事もあり、近隣住民の利用も多いようである。

田99系統[編集]

  • 田99:品川駅港南口 - 五色橋 - 芝浦埠頭 -(港区スポーツセンター→)- 田町駅東口

開業から長らく朝夕のみの運行だったが、2002年の新・虹02廃止により日中の運行が開始された。2004年、田町駅東口交通広場の完成に伴い、経路変更を行った。

廃止・移管系統[編集]

港南時代に廃止・移管された系統[編集]

速01系統[編集]

レインボーブリッジ経由で東京駅八重洲口と臨海副都心を結んでいた。当初は都市新バスの経年車を使用して東京駅八重洲口から発着していたが、1998年夏に貸切車を使用、2000年からは貸切車を転用し、経路も有楽町銀座経由・東京駅丸の内南口発着に変更され、専用車はアクアシティお台場デックス東京ビーチヴィーナスフォートいずれかのラッピング装飾が施された。

座席定員制で、運賃は大人300円・小児150円、2000年からは誕生日に乗ると身分証明書の提示で運賃が無料になる特典が設けられた。2003年3月31日廃止。

虹01系統[編集]

かつて虹01には専用のイラストが付いた車両が充当されることがあった(A-A464、既廃車)
2013年3月31日 運行最終日の虹01 最終便には虹装飾のY-E404が充当された
東京ビッグサイト発最終浜松町駅前行(2013年3月31日)
2013年4月1日からは同一経路でkmフラワーバスの運行が開始された

浜松町駅と東京ビッグサイト・国際展示場駅前をレインボーブリッジ経由で結ぶ。東京ビッグサイトでのイベント開催時に運行される国展03(浜松町駅 - 東京ビッグサイト)も本系統の臨時増発便と位置付けられるが、港南以外は運用に入らず、ピーク時に品川の応援がある程度であった。

当初は田町駅東口からレインボーブリッジまでの路線として開通したもので、経路上は現路線と関連は薄く、系統番号以外は全くの別路線である。レインボーブリッジ展望台利用客向けの観光路線だったが、次第に通勤路線の色合いが強くなるとともに平日の運行回数も増え、経路もレインボーブリッジへの直通からダイヤモンドパレス・ピアシティ芝浦などを経由するようになると同時に、田町駅東口側も港区スポーツセンター前発に変更した。しかし、お台場地区の目覚しい発展から路線を新設することとなり、系統番号を譲ることになる。そして誕生した新・虹01は、浜松町駅前からレインボーブリッジを渡り、フジテレビなどがあるお台場へのアクセス手段として機能している。この路線が開通した経緯は、フジテレビなどが東京都に対し、通勤のバス路線開設を要請したから[要出典]で、フジテレビが新宿区河田町からお台場に移転する直前に開通した。

当初は品川との共同運行だったが、1年で共管先が深川自動車営業所に変更された。その後、りんかい線が延伸開業すると、需要が減って改正のたびに減回され、全便がテレコムセンター経由となった結果、当初は毎時5回程度だったものが、末期は日中に毎時1回となる時間帯もあった。

開通から現在まで浜松町駅前 - 国際展示場駅前が本線だが、多くが東京ビッグサイト行きとなっている。一部はテレコムセンター駅前止まりの他に港南車庫への出入便として港南四丁目発着(海岸通り経由)が運転される。出入便のうち浜松町駅前行は毎日早朝4本のみ、港南四丁目行きは平日の夜3本のみ運転。

PTPSを導入しており、信号の優先制御を経路上で実施している。これに対応した機器を搭載する必要があるため、PTPS装着車は一般車と区別するために前面にお台場を象徴するレインボーブリッジなどのイラストを貼り付けており、通称「虹バス」と呼ばれていた。PTPSは目黒通りにも導入されたため、分駐所時代よりPTPS搭載車であれば虹バスか否かに関係なく運用される。

レインボーブリッジが強風、催事などで通行止めになると、この路線は浜離宮 - 勝どき - 晴海 - 豊洲 - 有明となる[7]。レインボーブリッジ上層部の首都高台場線が通行止めになっても下の一般道は通行可能な場合が多い為、迂回運行はあまり行われていない様である。

2013年4月1日の改編で廃止され、ケイエム観光バスが運行するkmフラワーバスに引き継がれた[8]。乗客は比較的多かったものの、ほとんどが固定客で、途中乗降が少なく運賃収入が増えないことから赤字であったことに加え、港区がお台場レインボーバスの運行を開始したことで追い討ちを掛けられた。[9]。なお、出入庫路線の港南四丁目発着便のうち浜松町駅行きのみ、改変後も平日早朝2本に限り運行する(バスターミナルには入らない。路上の浜松町駅前で終点)。

波01系統[編集]

港南支所が、はとバス委託営業所となるため、直営の系統である当系統は品川自動車営業所・深川自動車営業所に移管。

品93系統[編集]

  • 品93甲:目黒駅前 - 明治学院前 - 品川駅前 - 品川車庫前 - 都立高専前 - 陸運支局鮫洲試験場前 - 大井競馬場
  • 品93甲:目黒駅前 → 明治学院前 → 品川駅前 → 品川車庫前 → 都立高専前
  • 品93乙:目黒駅前 - 明治学院前 - 品川駅前 - 北品川 - 都立高専前 - 東京陸運支局前 - 大井競馬場(第一京浜経由・平日朝運行)

港南支所のはとバス委託営業所化に伴い品川自動車営業所の単独所管に変更。

品98・品99系統[編集]

  • 品98甲:品川駅東口 - 天王洲橋 - 品川清掃工場前 - ニチレイ前 - 大田市場
  • 品98乙:品川駅東口 → 天王洲橋 → 品川清掃工場前 → ニチレイ前 → 大井埠頭バンプール(朝運行)
  • 品98丙:品川駅東口 -(急行)- 大田市場(平日・土曜早朝1本のみ、市場定休日は運休)
  • 品99:品川駅東口 → 港南四丁目 → 東京入国管理局前 → 京浜運河 → 品川埠頭 → 品川駅東口(循環)
  • 品99折返:品川駅東口 - 港南四丁目 - 東京入国管理局前(平日のみ)

港南支所の、はとバス委託営業所化に伴い、品川自動車営業所に再移管。

東98系統[編集]

都営バスによる最終運行の目黒駅行き(2013年3月31日)

東京駅丸の内南口を起点に、113系統として営業を開始日比谷、赤羽橋駅前、白金台駅前、目黒駅前、都立大学駅北口経由で等々力駅前に至る。東急バスとの共同運行で長距離路線であった事から、警視庁と共同で行っているPTPSの導入路線となっている。地下鉄網が現在よりも恵まれなかった頃は、この路線以外にも都心・郊外直通型の相互乗り入れ路線が数多く存在したが、交通事情により大部分が分割・短縮され、1984年2月16日より都営と東急が共同運行を行う唯一の路線となっただけではなく、大手民営バスが都心部まで乗り入れる光景が見られる唯一の路線ともなっていた。東急バスは途中の清水停留所にある目黒営業所が運行を担当する。目黒駅以南では目黒通りを通る多数の東急バス路線(東98系統のほか、黒01、黒02、黒06、黒07系統など)があり、運行本数も東急バスの方が圧倒的に多いが、都営バスの運賃は目黒駅以南でも200円と東急バスより10円安くなっていた(目黒駅以南で東急バスを利用する場合は、東98系統利用の場合を含め運賃が210円)。中型車幅10.5mノンステップ車(日野レインボー等)が主に使用されるが、一般の大型ノンステップ車(日野ブルーリボンⅡ等)、ハイブリッドノンステップ車(日野ブルーリボンシティハイブリッド等)が使用されることもあった。

  • 都営バスの等々力方向行きは等々力駅前(東急の等々力停留所)で営業を終了し、東急は往復とも等々力操車所前停留所発着で営業していた。
  • 等々力方向の行先表示は都営が「等々力」、東急は「等々力操車所」、東京駅方向の行先表示は都営が「東京駅丸の内南口」、東急は「東京駅南口」、目黒駅前行きは都営、東急とも「目黒駅」となっていた。

2013年3月31日の改編で都営バス運行便は廃止となり、4月1日より全て東急バスでの運行となった[8]。これにより目黒区から都営バスの営業路線が消滅。東京23区で唯一都営バスが走らない区となる[10]

東急バス単独運行となった現在の東98系統については、「東急バス目黒営業所#自由が丘線」を参照。

目黒時代に廃止・移管された系統[編集]

港南に直接移管又は他営業所に移管後、港南に再移管された系統は記載しない。

都06系統(グリーンエコー)[編集]

  • 都06:渋谷駅前 - 渋谷車庫前 - 天現寺橋 - 古川橋 - 麻布十番駅前 - 赤羽橋駅前
  • 都06:渋谷駅前 - 渋谷車庫前 - 天現寺橋 - 古川橋 - 麻布十番駅前 - 赤羽橋駅前 - 金杉橋 - 大門駅前 - 新橋駅前
  • 都06出入:渋谷駅前 - 渋谷車庫前 - 天現寺橋 - 白金六丁目 - 白金台五丁目 - 目黒駅前

2005年の目黒自動車営業所→品川自動車営業所目黒分駐所の閉鎖時に渋谷自動車営業所に移管。移管と共に目黒駅前着発便は、目黒自動車営業所の入出庫便の為廃止された。その後2008年度の1年間だけ品川本所と渋谷の共管が行われた。

(旧)虹01系統[編集]

  • 虹01:田町駅東口 - レインボーブリッジ

1993年8月26日にレインボーブリッジ展望台への観光目的の路線として誕生した。現在の虹01に機能を譲り1997年2月2日に廃止された。

(旧)虹02系統[編集]

  • 虹02:東京駅丸の内南口 - レインボーブリッジ

(旧)虹01と同時に開設されたが、利用不振のため1995年1月20日に廃止された。

(新)虹02系統[編集]

  • 虹02系統:品川駅東口 - 港南三丁目 - フジテレビ前 - テレコムセンター駅前 - 東京テレポート駅前

2000年4月1日に品川自動車営業所と共管で運行開始。時期不明だが品川自動車営業所に完全に移管した。その後2002年12月1日に廃止された。

黒10系統[編集]

  • 黒10:目黒駅前 - 清正公前 - 一ノ橋 - 赤羽橋 - 日比谷 - (→ 東京駅南口 →) - 永代橋
  • 黒10:目黒駅前 - 清正公前 - 一ノ橋 - 赤羽橋 - 日比谷 - 東京駅南口
  • 黒10:目黒駅前 - 清正公前 - 一ノ橋 - 赤羽橋

都電5系統の代替としてスタートし、2000年(平成12年)12月12日大江戸線開業時に廃止。なお目黒駅前 - 清正公前間はホテル送迎の貸切系統として残った。

田70系統[編集]

  • 田70甲:港区スポーツセンター前 - 田町駅東口 - 札の辻 - 三ノ橋 - 一ノ橋 - 鳥居坂下 - 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿追分 - 新宿駅西口
  • 田70乙:港区スポーツセンター前 - 田町駅東口 - 札の辻 - 赤羽橋 - 一ノ橋 - 鳥居坂下 - 六本木 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿追分 - 新宿駅西口

1957年(昭和32年)に70系統として目黒自動車営業所単独で運行を開始し、1982年の第2次再編で新宿自動車営業所との共管になった後、1992年(平成4年)に新宿自動車営業所へ完全移管。その後、都営地下鉄大江戸線の全線開通に伴い2000年12月11日限りで廃止された。

その後、此の系統の代わりに四97系統が品97系統として、四谷三丁目から、新宿駅西口を結ぶようになった。この路線のはとバス委託化で杉並支所が担当を開始したが、最終の便の回送が遅くなるので、品川側の基地として同じはとバス委託営業所になった目黒自動車営業所を出自とする港南支所が共管となったので、目黒自動車営業所の田70系統以来の品川ナンバーの都営バスが再び新宿駅西口へと乗り入れが復活した。

黒77系統[編集]

  • 黒77:目黒駅前 - 天現寺橋 - 西麻布 - 北青山三丁目 - 明治公園前 - 千駄ヶ谷駅前

2005年3月28日、品川自動車営業所目黒分駐所が閉所廃止になったため品川自動車営業所本所に移管した。

東80系統[編集]

1947年(昭和22年)、都営と東急の共管路線の一つとして設定され101系統を名乗った。東急では「駒沢線」と呼称していた。

東急側の担当営業所は移管を繰り返し、1964年(昭和39年)駒沢営業所に落ち着いた。しかし昭和40年代の中頃になると恵比寿駅を境に分断され、都営は7系統→東80と系統番号を変更、山手線内のみを運行した。

昭和50年代に入ると第1次再編に伴う廃止対象路線に挙げられ、1977年(昭和52年)12月15日限りで廃止された。一方、恵比寿駅から先は東急が恵33の系統番号で引き続き運行したが1981年(昭和56年)6月22日限りで廃止となった。現在は恵比寿駅から途中の東京医療センター前まで、東急バスのエビス線が運行している。

宿97系統[編集]

1956年(昭和31年)2月1日、129系統として運転開始。東急バスの野沢線を新宿駅まで延長する際に都営が共同運行の形で参入した路線である。都営と東急の共管で新宿駅へ向かう路線は、1967年(昭和42年)に138系統が開通するまではこの路線が唯一であった。

第2次再建計画の煽りで都営が撤退、1977年(昭和52年)12月15日限りで廃止。東急は渋谷駅までに短縮して渋70となった後、紆余曲折を経て現在の黒09系統となる。

橋99系統[編集]

  • 橋99:五反田駅前 - 魚籃坂下 - 一の橋 - 赤羽橋 - 金杉橋 - 新橋駅前

都電4系統の代替路線として504系統として設定された。都電第4次撤去翌日の1969年(昭和44年)10月26日に運行を開始し、1979年(昭和54年)11月22日限りで廃止となった。

反90出入系統[編集]

  • 反90出入:目黒駅前(目黒車庫) - 五反田駅前

目黒自動車営業所時代に、五反田駅前を起終点とする各系統のバスの出庫、入庫のためだけにあったもので、早朝の出庫の際などに一度にまとまって五反田駅前行が出て行く時や、夜に五反田駅前から団子状態で目黒駅前行が運転される時、日中の乗務員交代・車両交換・燃料給油などの時に運転されていた。3台まとまって運転のあと2時間開くなど変則的に運行されてきていた。目黒駅前(目黒車庫)の停留所は、駅前のターミナルではなく、五反田駅前の方へ坂を下る国鉄→JR山手線の線路と平行している道に面した目黒自動車営業所の出入り口の脇に存在していた。目黒駅前(目黒車庫)の降車用停留所は標識が無く、車庫の構内へ入ったところで降ろされる事になる。状況から利用しやすいダイヤではなく、鉄道があったり、1.2㎞と近距離であるので徒歩で行く人もおり、乗客は少なくたまに老人が乗車するといった具合で、世間には知られておらず便数が多い割には幻の路線であった。路線の途中には停留所は設置されておらず、深夜長距離高速バスではないが、起点の停留所の次が終点であった珍しい路線であった。この様な状態のバス路線が営業されていたのは珍しい。錦糸町駅前と江東車庫前の間の回送バスが営業されているようなものであった。違いは、こちらはある程度の距離があり、両端とも国鉄→JRの駅前であることである。間には特に何の施設もないので、鉄道が1駅区間であるのと同じ距離を1停留所になっていた。似たようなものには、かつて豊島園まで運転されていた白61系統で復活した練馬車庫前~練馬駅の上りが、練馬駅を出ると次が桜台駅前となる。下りは、練馬車庫前の次が練馬駅である。ここも鉄道1駅区間がバスでも1停留所区間となっている。反90出入との違いは先に直通しない事である。

101系統[編集]

  • 東京駅南口 - 虎の門 - 材木町 - 五本木 - 桜新町

東京急行と相互乗り入れの系統で、相互乗り入れ系統番号の100番台の系統番号である。

62系統[編集]

  • 62:四谷駅前 - 循環 - 東京駅乗車口

車両[編集]

指定車種日野自動車 音声合成クラリオンレゾナント・システムズ(品川から移管した系統はレシップ

いすゞ製のB626(分駐所時代には速01専用車も)、三菱製のH169も所属していた(H169は2007年青戸へ転属した)。

参考文献[編集]

  • 都営バス系統案内図
  • 都バス担当(系統)営業所一覧表
  • 方面別新旧系統一覧表(以上、東京都交通局発行、1972年12月1日版)
  • 都営交通路線案内図(東京都交通局発行、1978年版)

脚注[編集]

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  1. ^ 東京都乗合自動車の運行系統の名称及び区間、昭和54年11月22日 交通局告示第11号
  2. ^ 東京都交通局70年史、Page52、2-11-(1)表 代替バス推移による
  3. ^ 東京都交通局90年史、Page426
  4. ^ 大江戸線等開業に伴う都営バス路線の再編整備の実施について、平成12年11月30日、東京都交通局
  5. ^ 都営バスのダイヤ改正について - 2012年3月9日、東京都交通局
  6. ^ 積雪時には走行が難しくなることもあり、この場合は近隣の道路を迂回する。
  7. ^ 東京湾大華火祭はレインボーブリッジが通行止めになるが、周辺道路混雑により大幅に遅れてしまうため、16時のレインボーブリッジ通行止め規制にあたってしまう。だが、警察によって虹01だけが許可され、都営バスのみ貸切走行となる場合もある。これは非常に希で、2009年はそのような対応になった。
  8. ^ a b 都営バスの路線変更等について - 東京都交通局2013年3月1日
  9. ^ 都バス、唯一のレインボーブリッジ路線を4月廃止 - 日本経済新聞電子版 2013/2/26 12:00(記事全文購読は会員登録が必要)
  10. ^ 日本経済新聞 2013年3月5日 東京・首都圏経済面

関連項目[編集]

座標: 北緯35度37分49.6秒 東経139度45分4.8秒 / 北緯35.630444度 東経139.751333度 / 35.630444; 139.751333