半蔵門

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座標: 北緯35度41分02秒 東経139度44分44秒 / 北緯35.68389度 東経139.74556度 / 35.68389; 139.74556

半蔵門(2007年4月)
半蔵門(明治時代)

半蔵門(はんぞうもん)は、江戸城(現在の皇居)にあるの1つである。

城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道(現・国道20号)に通じている。大手門とは正反対の位置にある。住所は東京都千代田区麹町1丁目。また半蔵門・半蔵門駅周辺の呼称。

概要[編集]

この門内は、江戸時代には吹上御庭と呼ばれ、隠居した先代将軍や、将軍継嗣などの住居とされた。現在は吹上御苑と呼ばれ、御所今上天皇の住居)、吹上大宮御所(かつての香淳皇后の住居)、宮中三殿、生物学御研究所、天皇が田植えをする水田などがある。天皇及び内廷皇族の皇居への出入りには、主にこの門が用いられている。他の皇族乾門を使用することが多い。一般人の通行は認められていない。太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門高麗門を移築したものである。

1986年昭和61年)3月25日過激派が半蔵門に向けてロケット弾を発射する事件が起きた[1][2]

名前の由来[編集]

半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説と、山王祭の山車の作り物として作られた象があまりにも大きかったために半分しか入らなかったことに由来するとする説がある[3]。定説は前者であり、服部家の部下(与力30騎、伊賀同心200名)がこの門外に組屋敷を構え、四谷へと通じる甲州街道(現在の国道20号、通称麹町大通り新宿通り)沿い一帯が旗本屋敷で固められていたことに由来するという。

これは、非常時に将軍を甲州街道から幕府の天領である甲府へと安全に避難させるためと言われている[誰によって?]。その意味で、半蔵門は江戸城の搦手門にあたる。また服部半蔵は、その特異な職責から講談小説ゲームなどの歴史ものの創作にもよく登場する。

脚注[編集]

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  1. ^ 昭和62年警察白書
  2. ^ 桧町公園事件
  3. ^ 両説を紹介する文献として、船戸安之『勝海舟』309頁

関連項目[編集]

  • TOKYO FMJFN - 放送スタジオのある本社が、皇居半蔵門前の内堀通り・半蔵門交差点の角に位置するため、さまざまな放送番組内で「半蔵門のスタジオから-」「半蔵門のお天気は-」というフレーズがしばしば聞かれる。
  • TOKYO MX - 東京都江東区青海テレコムセンターから、2006年平成18年)に半蔵門交差点近くに移転。