桜新町
| 桜新町 | |
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| — 町丁 — | |
| 桜新町駅 | |
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| 座標: 北緯35度37分57.8秒 東経139度38分41.1秒 / 北緯35.632722度 東経139.64475度 | |
| 国 | |
| 都道府県 | 東京都 |
| 区 | 世田谷区 |
| 地域 | 玉川地域 |
| 面積 | |
| - 計 | 0.399km2 (0.2mi2) |
| 人口 (2011年(平成23年)8月1日現在) | |
| - 計 | 3,336人 |
| - 人口密度 | 8,360.9人/km² (21,654.6人/mi²) |
| 等時帯 | JST (UTC+9) |
| 郵便番号 | 154-0015 |
桜新町(さくらしんまち)は、東京都世田谷区の町名。桜新町一丁目及び桜新町二丁目が設置されている。郵便番号は154-0015。人口は3,336人(2011年8月1日現在)[1]。玉川地域に属する。
目次 |
[編集] 地理
当地域内を走る東急田園都市線桜新町駅の南側が桜新町一丁目、北側が桜新町二丁目に分かれる。広義には桜新町駅を中心に広がる街を指す場合が多い。駅前には古くからの商店を始め、ファーストフード店やスーパーマーケットが軒を連ね、ここから弦巻、深沢、新町などの住宅地が四方に広がる。
マンション建設ブームに伴い、平成期に入って以降、急激に人口が増えている地域の一つであるが、古くは桜新町一丁目に畑が、桜新町二丁目に町工場が多く、現在も駅前の世田谷目黒農業協同組合などにその名残が感じられる。
深沢七丁目・深沢八丁目の桜は、桜のトンネルのようになっている。1933年(昭和8年)刊行の『玉川電車名所図会』に、桜新町電停の南側に「櫻トンネル」の記載が確認できる。
[編集] 位置情報
[編集] 歴史
新町の名は、この一帯は万治年間(1658 -1660年)に開拓された農地であり、武蔵国荏原郡世田ヶ谷村(彦根藩領)より独立分村し、世田ヶ谷新町村と名づけられたことに由来する。
新町は、1912年(明治45年)から1913年(明治46年)にかけて、東京信託株式会社(現・日本不動産)により、関東初の高級別荘用地である[2]「新町分譲地」が造成された[2]。この時、現在の深沢七丁目・深沢八丁目に当たる開発地の通りにソメイヨシノの並木が設けられた。
桜新町の名称は、1932年(昭和7年)の東急玉川線の駅名に最初に確認できる。なお、近くの東京府立桜町高女学校(元・東京府立十一高女学校、現・東京都立桜町高等学校)は、1941年(昭和16年)から桜町の名称を使っている。
1968年(昭和43年)の住居表示実施の際、現在の桜新町の町域を新町から分離し、旧町名「新町」に「桜」を冠して桜新町とした。
[編集] サザエさんの街
昭和期、当地域に漫画『サザエさん』の原作者・長谷川町子が居住していた。国道246号に程近いセブン-イレブンは、以前は「三河屋」という酒店で、漫画に登場する「三河屋さん」のモデルであった。また、桜新町一丁目の長谷川町子美術館では、『サザエさん』の原画が常設展示されているほか、長谷川姉妹所蔵の美術収蔵品展示が行われている。桜新町駅と当美術館を結ぶ商店街通りが「サザエさん通り」と名づけられ、公共スペースのあちこちにサザエさんのイラストが施されるなど、「サザエさんの町」として親しまれている。
[編集] 集団就職ブーム発祥の地
高度経済成長期のただ中で人手不足に悩んでいた1952年(昭和27年)頃[2][3]、各店舗ごとに求人募集要項を作り、地方に向けて積極的に働き手を求めることを桜新町商店会が発案し、商店街ぐるみで、渋谷公共職業安定所経由で新潟県に申請を出したところ、当時の世相で「金の卵」と形容された若者たちがこぞってこれに応え、就職することとなった[2][4]。これがモデルケースとなり、その後の集団就職ブーム到来の先駆けとなった[4]。
[編集] 年表
- 1907年(明治40年)4月1日:玉川電気鉄道新町(のち桜新町)停留所、および、弦巻(のち新町)停留所の開業。
- 1912年(明治45年):関東初の高級別荘用地「新町分譲地」の造成が始まる[2]。
- 1913年(大正2年):「新町分譲地」が完成[2]。このとき、分譲地域内に植樹された桜並木が評判を呼び、のちの町名改称に繋がる[2]。
- 1932年(昭和7年)頃:当地域に商店街らしき町並みが形成される[2]。
- 1951年(昭和26年):桜新町商店会組合の設立[2]。
- 1952年(昭和27年):この頃、桜新町商店街が高度経済成長期における集団就職者の受け入れ準備を始める[2]。この求人募集の成功例が、数年後の集団就職ブームに繋がる[2]。なお、青森発・上野着の集団就職列車の運行開始は1954年(昭和29年)4月5日である。
- 1955年(昭和30年):桜新町商店街が集団就職者の受け入れを開始し、日本で初めて集団就職制度を実現[2]。第1回住み込み店員のために店員教室を開所する[2]。
- 1969年(昭和44年)5月10日:玉川線廃止により、桜新町駅が廃止される。
- 1970年(昭和45年)11月19日:桜新町一丁目にある長谷川町子の自宅が放火される。
- 1971年(昭和46年)
- 1977年(昭和52年)4月7日:東急新玉川線開業により、桜新町駅が再開。
- 1985年(昭和60年)11月3日:桜新町にて長谷川町子美術館が開館[2]。これを機に、美術館へ至る道を「サザエさん通り」と名付けるべく、美術館に対して承認要請を開始する[2]。
- 1987年(昭和62年)7月25日:長谷川町子美術館へ至る道を「サザエさん通り」と命名。街路灯を135基に増設。[2]
- 1993年(平成5年)11月:大丸ピーコックの開店[2]。
- 2000年(平成12年)8月6日:新玉川線の田園都市線統合により、田園都市線桜新町駅となる。
- 2004年(平成16年)
[編集] 行政区分の変遷
- 万治年間(1658- 1660年):武蔵国荏原郡世田ヶ谷村より独立分村し、世田ヶ谷新町村が成立[2]。
- 1889年(明治22年)4月1日:東京府荏原郡で世田ヶ谷新町村が町制を施行し、大字世田ヶ谷新町が発足[2]。
- 1925年(大正14年):大字世田ヶ谷新町が新町に改称[2]。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 東京府荏原郡全域が東京市に編入され、当地域は新設された世田谷区に組み込まれる。
- 1943年(昭和18年)7月1日:東京府と東京市が都制を施行し、東京都が発足。これに伴い、当地は東京都世田谷区新町となる。
- 1968年(昭和43年):住居表示施行の際、旧・新町から現・桜新町域が分離し、桜新町が成立[2]。
[編集] 祭事・恒例イベント
開花時に「さくらまつり」が開催され、同町在住の歌手・水前寺清子が歌い、近隣の日本体育大学のエッサッサが毎年恒例で行われる。駅前通りの「ヤエザクラの並木」は当地域のシンボルとなっている。
- うめぇ〜!まつり :2月、桜新町商店街主催。
- さくらまつり :4月、桜新町商店街主催。
- サザエさんまつり :7月、桜新町商店街主催。
- 桜新町ねぶた祭り :9月、桜新町商店街主催。
[編集] 脚注・出典
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- “桜新町商店街”. (公式ウェブサイト). 桜新町商店街. 2011年8月26日閲覧。
- “ずっ〜と元気!! 桜新町(桜新町商店街50周年記念誌) (PDF)”. (公式ウェブサイト). 桜新町商店街振興組合 (2005年). 2011年8月26日閲覧。
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