都営バス杉並支所

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都営バス小滝橋自動車営業所 杉並支所
Tokyo Metropolitan bus Otakibashi bus office
Suginami branch
Toei-Suginami.jpg
杉並支所
所在地 東京都杉並区梅里1-14-22
所管系統数 5系統
主な運行担当区域 主に新宿駅西口をメインターミナルに、各方面へ延びる路線が中心。長距離運行路線が多い。
備考 はとバスに委託。高速バスの待機場がある。収容数110台と、支所では臨海に次いで多い。
奥は高速バスの待機場となっている

都営バス杉並支所(とえいバスすぎなみししょ)は、東京都杉並区梅里に位置する都営バスの営業所(支所)の一つ。営業所記号はD

2003年4月1日付けで業務全般の管理をはとバスへ委託したため、組織としては廃止されたことになっているが、現在も広大な敷地面積を持つことから各社が運行する高速バスの待避所に使用されるなど、利用者への案内上でも都営バスの支所として存続している。

概要[編集]

管轄路線は比較的長距離のものが多く、また営業所から離れたエリアを走る路線も受け持っている。このため路線は杉並区・渋谷区新宿区中野区練馬区板橋区北区世田谷区港区品川区千代田区の11区にまたがっており、宿91が大森駅前(大森操車所前)まで運行されていた時には、目黒区大田区にまで赴いていた。

かつては所管路線が多く集まる新宿を中心に、西側は荻窪駅を経て東伏見、東は銀座を経て晴海埠頭方面へ至る路線を受け持っていた。特に晴海埠頭方面は、新宿から都市新バス都03)として運行していた。しかし、都03は長距離のために道路渋滞による遅延が後を絶たないことから地下鉄利用者が増えていき、都市新バスにも関わらず営業係数が120 - 130ほどの路線だった。さらには晴海見本市会場東京ビッグサイトに移転したことによる利用者の減少が進んだことで、2000年12月12日の都営地下鉄大江戸線全線開業時に、新宿駅西口 - 四谷駅前間が廃止された上に深川営業所へ移管され早稲田営業所管下の支所に降格した。杉並営業所時代は管轄下に青梅支所を置いていたが、改正により杉並・青梅は早稲田の管轄下に変わっている。その後2009年4月1日付で上部の営業所が小滝橋営業所に変わった。

歴史[編集]

バスの事業所としての前身は同じ杉並区の堀ノ内にあった堀ノ内自動車営業所になる。

堀ノ内営業所の移転[編集]

1963年(昭和38年)、都電唯一の狭軌線だった14系統(新宿駅前 - 荻窪駅前)が廃止された。青梅街道に面した杉並電車営業所の敷地は遊休地となり、手狭になりつつあった堀ノ内自動車営業所はより広く取り回しやすい電車車庫跡地へ移転することになる。1966年11月30日、堀ノ内自動車営業所は杉並電車営業所跡地に移転、杉並自動車営業所と名前を改めた。現在につながる営業所がここに開設された。

この頃の杉並営業所は、荻窪以東の青梅街道を軸に新宿や都心を結ぶ路線を多数運行していた。そのうちの1つが304系統であり、1968年の都電撤去で新設された511系統を担当する基礎となる。両系統は1970年統合、現在の都03系統へとつながっていく。

環七通りを基軸に[編集]

ただ、青梅街道には都電14系統の代替となる地下鉄丸ノ内線が開通しており、交通局は杉並営業所の新たな方向性を練らなければならなくなっていた。折から環状七号線の整備が進んでいたことから、交通局では高円寺陸橋に近い場所に立地する杉並営業所を核に、山手線西側の環七通り全域へと路線を伸ばすという目論見をし、堀ノ内移転直前の1966年、66系統(現在の王78)(新宿駅西口 - 王子駅;一時的に志村自動車営業所へ移管)が開業する。翌1967年には、5系統(後の宿73→宿91)を延長して高円寺以南の環七通りを縦走する138系統(後の宿91)を東京急行と相互乗り入れで(新宿駅西口 - 若林駅前 - 大森駅山王口 - 大森操車所)も開業した。

また、高円寺陸橋から大原陸橋の間では既存の130系統や131系統(現在の渋66)などもあり、共管相手の関東バス京王帝都電鉄(現・京王バス東)、東京急行電鉄(現・東急バス)まで巻き込んだ激しい乗客獲得合戦に発展した。1972年には66系統とほぼ似たルートで国際興業バス(現在の赤31)も参戦してきた。しかし、大原陸橋を中心とした環七通りの渋滞が日に日に悪化し、定時運行の確保が難しくなっていくと、路線の廃止や共管先の撤退が相次ぐようになる。

路線再編の嵐[編集]

1977年の再編は杉並営業所でも行われるようになり、東75が新宿駅で運行を打ち切ったほか、中77は中野駅で分断・中野駅から北側が関東バスの運行となったほか、高79は不採算を理由に全線廃止された。1979年の再編ではさらに追い討ちを書けるように、東75の系統番号変更による(旧)宿75が廃止されたほか、南阿佐ヶ谷駅より西側の路線が全て廃止されたことで事実上撤退となった。さらに、1982年には中77が廃止されたほか、1984年には宿91が野沢銀座まで短縮の上、野沢銀座から南側が東急バス単独による運行となった。

その一方で、志村営業所へ移管されていた王78は、1982年の志村営業所閉鎖によって杉並営業所へ再移管された。

都市新バス路線誕生、そして凋落[編集]

(旧)宿75系統が廃止になった後も、銀71系統は山手線を東西に貫く幹線として需要があり、1988年、都営バス3番目の都市新バス路線に選ばれて都03系統と姿を変えた。しかし、東京ビッグサイトの完成により東京国際見本市会場が閉鎖され、乗客が激減。道路の渋滞で日比谷以西は地下鉄への流出が止まらなくなり、2000年(平成12年)の都営地下鉄大江戸線開業時に行われた再編で四谷駅までに短縮され、深川営業所へ移管された(後述)。

はとバス委託へ[編集]

2003年4月1日より、都営バスでは初となる「はとバスへの民間委託」が開始された。これによって勤務していた都営バス職員は全員が早稲田・渋谷・小滝橋・青梅へ異動となり、車両についても品川・渋谷・目黒・葛西との間で交換させた。 なお、支所化後の車庫敷地内はジェイアールバス関東福島交通富士急行山梨交通神姫バスなどの高速バスの待機場ともなっている。

年譜[編集]

  • 1966年11月30日:開設。
  • 1982年3月29日:王78を志村から再移管。
  • 1984年2月16日:宿91の大森操車所 - 野沢銀座間が廃止(短縮)。該当区間は東急バス森91単独となる(東急も新代田以北は廃止)。
  • 2000年12月12日:都03・05を深川へ移管、支所に降格。
  • 2003年4月1日:はとバス委託化 渋66を新宿へ移管。
  • 2005年4月1日:品97を品川より移管。
  • 2006年4月1日:渋66を新宿より再移管。
  • 2009年4月1日:新江62を練馬より移管。
  • 2013年4月1日:宿91の新代田駅 - 駒沢陸橋間が廃止(短縮)。
  • 2013年10月1日:新江62が廃止。
  • 2014年4月1日:高71を小滝橋より移管。

現行路線[編集]

渋66系統[編集]

渋谷センター街を走る渋66 (D-E435)
109の前を走る渋66 (京王・D30616)
往路・復路が異なる渋66系統の渋谷付近の経路
渋谷駅前方面便
富ヶ谷→神山→東急百貨店本店前→渋谷駅前
阿佐ヶ谷駅前方面便
渋谷駅前→西武百貨店前→宇田川橋→放送センター西口→富ヶ谷

渋谷駅西口から発車する唯一の都営バス路線で、131系統として運転されていた物を、渋66系統とした。山手通り甲州街道から環七通り青梅街道を経由して阿佐ヶ谷駅へ向かう中距離路線。JR中央線の駅から離れた杉並区内の地域から渋谷まで直通出来る点から、高齢者を中心に利用客は多い。しかし、数年前には一時的に利用客が減少したことから京王が路線の撤退を仄めかしたため、沿線の和田・堀ノ内・方南和泉地区の住民が渋66の利用を促進したところ、縮小を免れて都営:京王=2:1での運行となった。その後、京王は2003年からバス部門の経営効率化を進めるとともに都内の路線網を積極的に拡充する方針に転じ、渋66においても担当本数を増やした。一部は杉並車庫発着があるが、夜には和田堀橋発着も運転される。また方南八幡通り・方南町発着は京王の出入便のため都営は担当しない。

2003年に杉並支所がはとバスに委託されたが、渋66だけは委託を免れて新宿支所へ移管、阿佐ヶ谷駅・渋谷駅から新宿車庫への出入庫便を新設し、この改正時に本数比率が都営:京王=1:2と逆転する。しかし、交通局の方針変更で渋66も2006年4月よりはとバス委託となり、新宿から杉並に再移管、同時に新宿は分駐所に格下げされた。京王担当便の場合、「都営まるごときっぷ」・「都営交通無料乗車券」は使えない。

渋谷駅 - 富ヶ谷では、井ノ頭通り渋谷センター街付近が西武百貨店 - 放送センター西口への一方通行のため、渋谷方面は富ヶ谷 → 神山 → 東急百貨店本店前を経由している。祭典のため、富ヶ谷 → 東急百貨店本店前間が通行止めとなることが数回ある。その際、富ヶ谷 → 渋谷駅間は渋谷区役所経由で迂回運行する。 東98等々力 - 東京駅南口の都営便が廃止となった為、民営バスとの相互乗り入れ系統はこの系統とC・H01系統の2系統のみとなった。

2013年に大泉学園駅に乗り入れていた新江62系統が廃止されたことにより、当系統が乗り入れる阿佐ヶ谷駅が、都区内を走行する都営バスの最西限となった。

高71系統[編集]

高71 (E-E874)

もともとは、1950年に開通した新井薬師駅 - 大久保駅 - 市ヶ谷駅 - 東京駅北口という路線だった。関東、西武との相互乗入れを継続したが、1972年に中止して東京駅北口 - 大久保駅のみの運行となる。

1986年、起点を高田馬場駅に変更し、新田裏(日清食品前)付近の経路を上下で統一。1990年に九段下 - 東京駅北口間を廃止し、高71となった。現在では中型車幅10.5m車が主に就役[要出典]、朝夕のみ小滝橋車庫発着で運行していた 2008年4月1日3年間の期間限定で、平日の通学時間帯に限り、小滝橋車庫 - 高田馬場駅を延長する(中学校建替中の通学のため)[要出典]2014年4月1日、杉並支所に移管された。

王78系統[編集]

  • (66→)王78:新宿駅西口 - 東京医大病院前 - 中野坂上 - 東高円寺駅前 - 高円寺駅入口 - 野方駅北口 - 羽沢 - 小茂根 - 南常盤台 - 大和町 - 北区神谷町 - 王子四丁目 - 王子駅
  • 王78:杉並車庫前 - 高円寺駅入口 - 野方駅北口 - 羽沢 - 小茂根 - 南常盤台 - 大和町 - 北区神谷町 - 王子四丁目 - 王子駅前
  • 王78:杉並車庫前 → 高円寺駅入口 → 野方駅北口 → 羽沢 → 小茂根 → 南常盤台 → 大和町
  • 王78:大和町 → 南常盤台 → 小茂根 → 羽沢 → 野方駅北口 → 高円寺駅入口 → 東高円寺駅 → 中野坂上 → 東京医大病院前 → 新宿駅西口

新宿駅から高円寺陸橋まで青梅街道を走り、その先から北区神谷町まで延々と環七通りを走行する長距離路線で、全長は18km以上にも及ぶ。志村営業所の閉鎖後では都営バスで唯一板橋区を走行する。かつては早朝などを除いて所要時間が多く掛かることもあったが、はとバス委託化後は、減便されたものの大雪などが無い限りはほほ定時運行が保たれるようになった。

高円寺駅入口(関東・国際は「高円寺中学校」) - 東十条四丁目間において、関東バス国際興業バスの赤31と重複するため、両社との区間指定共通定期券を取り扱っている。この区間の時刻調整などは行われていないようで、時刻が重複して会社が違うバスが高円寺駅入口(または反対方向)から連なって走ることがある。また、大場通り・八幡前・野方消防署の各停留所は通過する。

現在、折返便は王子方面が志村営業所担当時代の名残りの朝の大和町着発1本のみ。新宿駅方面は杉並車庫行きが多く、王子駅方面に車庫がないため南行きの最終は22時台まである。また、志村営業所から、杉並営業所へ志村営業所の廃止に伴う移管時に、中央公園経由だったものを東京医大病院前経由(青梅街道)へ、変更されている。

宿91系統[編集]

  • (5→宿73→)宿91:新代田駅前 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅前 - 中野坂上 - 東京医大病院前 - 新宿駅西口
  • 宿91:堀ノ内 - 東高円寺駅前 - 中野坂上 - 東京医大病院前 - 新宿駅西口
  • 宿91:杉並車庫前 - 東高円寺駅前 - 中野坂上 - 東京医大病院前 - 新宿駅西口
  • 宿91:新代田駅前 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 杉並車庫前

杉並支所の所管路線で唯一、所管変更が行われていない(2013年現在)路線で、新宿駅から青梅街道を西へ走り、高円寺陸橋から環七通り経由で新代田駅まで向かう。東急バスとの共同運行として大森駅(大森操車場)まで運行していたが、1984年に野沢銀座で分断と同時に大森地区から撤退した。その後、1993年に駒沢陸橋まで延長され、僅かながら大森発着時代の一部区間が復活したこととなった。その後、2013年4月1日のダイヤ改正で駒沢陸橋 - 新代田駅間が廃止(短縮)された。

宿91は、環七の開通後、東急バスが運行していた大森操車場 - 駒沢公園間の系統と、都営の5系統をつないで相互乗入れを行うこととなり、1967年(昭和42年)6月25日、138系統・新宿駅西口 - 大森駅 - 大森操車場間で運行開始した。後系統番号整理で宿91系統となる。

しかし、環七通りと青梅街道の渋滞が激しく、定時運行が困難であったことから、1984年に路線を分割、都営は新宿駅西口 - 野沢銀座(宿91)、東急は新代田駅 - 大森操車場(東急バス大橋営業所[4]森91)となった。この分断に際し、通常は両社の運行エリアの境界付近である新代田駅で分割されるが、宿91では野沢付近から新宿方面への直通需要が残っていたため、都営側が引き続き東急エリアに乗り入れる形態で残され、同時に折返し場所である新代田駅前の都営・代田操車場を東急が使用し、逆に都営が東急野沢折返所を使用することで施設使用料が発生しないように調整された。しかし、後に旧・宿73を統合したため新代田駅前以遠に乗り入れるのは全運行回数の3分の1程度に減るように見えた。

その後、1993年(平成5年)に宿91は駒沢陸橋まで延長され、僅かながら大森発着時代の一部区間が復活した。これは、野沢銀座発着時の折返しに使用していた東急バス野沢折返所が廃止されたため、折り返し地点を駒沢陸橋下のUターンレーンに変更したことによるもの。なお、この駒沢陸橋停留所は都営バスの延長に合わせて新設され、陸橋側を走行する東急の森91は停留所の設置箇所(側道上)の影響もあって停車せず、降車専用停留所には「大森行きは止まりません」と表示されている。同時に以前より駒沢陸橋まで回送して折り返していた小田急バス(現・小田急シティバス)の下61系統も、駒沢陸橋まで営業区間を延長している。

宿91の堀ノ内停留所は、かつて杉並営業所の前身・都営バス堀ノ内営業所が存在した場所であり、そのときの名残である堀ノ内発着便のために折返所がある。現在も早朝・深夜に堀ノ内発着が運転されている。堀ノ内と杉並車庫の間は、回送運転している。杉並車庫前発着の出入便は新宿駅西口発着が多いが、一部は新代田駅前発着(かつては駒沢陸橋発着)も少数ながら運転されている。他に新宿駅西口から別の系統となる便も、此の系統で入出庫している。

2013年4月1日の改編で需要の激減した新代田駅前 - 駒沢陸橋間を廃止し短縮した[5]。 また、同日の改編で港南支所担当の東98も全便が東急バスの運行に変更されたため、世田谷区を走る都営バスはわずかな区間となった。

品97系統[編集]

  • 品97:品川駅高輪口前 - 下段参照 - 魚藍坂下 - 天現寺橋 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅南口 - 四谷三丁目 - 新宿三丁目 - 新宿追分 - 新宿駅西口(平日)
  • 品97:新宿駅西口 → 新宿追分 → 新宿三丁目 → 四谷三丁目 → 信濃町駅南口 → 青山一丁目駅前 → 西麻布 → 天現寺橋 → 魚籃坂下 → 高輪警察署前 → 品川駅高輪口前(平日)
  • 品97:品川駅高輪口前 - 下段参照 - 魚藍坂下 - 天現寺橋 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅南口 - 四谷三丁目 - 新宿三丁目 - 歌舞伎町 - 新宿駅西口(土曜・休日)
  • 品97:品川車庫前 → 品川駅高輪口前 → 高輪警察署前 → 魚籃坂下 → 天現寺橋 → 西麻布 → 青山一丁目駅前 → 信濃町駅南口 → 四谷三丁目 → 新宿追分 → 新宿駅西口(平日朝1回)
  • 品97:品川車庫前 → 北品川 → 八ツ山橋 → 品川駅高輪口前 → 高輪警察署前 → 魚籃坂下 → 天現寺橋 → 西麻布 → 青山一丁目駅前 → 信濃町駅南口 → 四谷三丁目 → 新宿追分 → 新宿駅西口(第一京浜回り・平日朝1回。品川車庫前 - 品川駅高輪口間は停車)
  • 品97:品川駅高輪口前 - 泉岳寺 - 魚籃坂下 - 天現寺橋 - 西麻布 - 青山一丁目駅前(日曜・休日の夜間1本のみ)
往路・復路が異なる品97系統の高輪付近の経路
品川駅高輪口行方面便
高輪一丁目→高輪二丁目→高輪警察署前→高輪三丁目→グランドプリンスホテル新高輪前→品川駅高輪口
新宿駅西口方面便
品川駅高輪口→高輪北町→泉岳寺→高輪一丁目

品川駅前 - 四谷三丁目を結んでいた都電7系統の廃止に伴う代替バス路線507系統として運行を開始した。2000年12月の大江戸線全線開業時の再編までは四97として品川車庫前 - 天現寺橋 - 四谷駅前間を結んでいたが、この再編時に、都03の新宿駅西口 - 四谷駅前間、および田70(新宿駅西口 - 田町駅東口 - 港区スポーツセンター)の全線が廃止されたため、これらの代替として四谷三丁目から西に進路を変え新宿通り新宿二丁目、新宿三丁目へと向い新宿駅西口に至るようルートを変更し、あわせて系統名を品97に改めた。

四97の担当は品川だったが、2000年の改正に伴い新宿支所が大半の便を担当する形での共管となった。2003年4月からは渋66が新宿支所に移管されたことに伴う負担軽減、および回送距離削減を背景に新宿担当便が減少し、品川主管に変更された。その後2005年4月よりはとバスによる受託運行路線となり、全便杉並支所に移管された。このため、夜間には品川駅から国道15号 - 山手通り大崎駅中目黒駅初台)を経由して杉並車庫までの回送が行われており、営業路線とはまったく関係のないエリアで同所の車両を見ることができる。さらに2008年4月より港南支所のはとバス委託に伴い、杉並支所と港南支所による共管系統となった。はとバス同士による共同運行路線は、この品97が初である。また港南支所(および品川ナンバーの都営バス)が新宿駅西口に乗り入れる唯一の系統である。

杉並担当分の品97の一部ダイヤでは、食休を新宿支所でとる例がある。この場合の新宿駅西口 - 新宿車庫前間は中央公園経由で回送運用となる。

廃止・移管路線[編集]

市02系統[編集]

  • 市02:新宿駅西口 - 新宿二丁目 - 四谷三丁目 - 四谷駅前 - 桜田門 - 築地 - 築地三丁目 - 海幸橋 - 築地中央市場(主なバス停のみ停車)

都03・05系統(グリーンアローズ)[編集]

杉並担当時代の「都03」専用車両 (D-S223)
  • (304・511→銀71→)都03:晴海埠頭 - 勝どき二丁目 - 銀座四丁目 - 数寄屋橋 - 日比谷 - 三宅坂 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿三丁目 - 歌舞伎町 - 新宿駅西口

1968年(昭和43年)2月25日の都電第2次撤去に合わせ、11系統の代替の511系統として開業後、1972年(昭和47年)の新系統番号化で銀71、1988年(昭和63年)の都市新バス化で都03を名乗るまで一貫して担当していた。

なお11系統は新宿電車営業所、その後大久保電車営業所が担当していたが、当時の堀ノ内営業所では終戦直後から新宿 - 月島間で並行、300系統と有楽町駅 - 清水操車所間がまったく同一ルートで晴海埠頭行という「304系統」を持っていた。511系統の設定で304系統は減便され、1970年(昭和45年)3月27日の都電第5次撤去と同時に511系統に統合、廃止となった。

1977年の第1次再編では、新宿駅西口までに短縮された東75系統の代替として、銀71系統が増便された(後述)。都市新バス最盛期の1990年代前半には、数寄屋橋 - 勝どき2丁目間は都04、05の両系統とともに頻繁運転していた。しかし、1996年(平成8年)に晴海見本市会場が有明の東京ビッグサイトにその役目を引き継いで閉鎖されると、一気に乗客の減少が始まる。

2000年(平成12年)12月12日の都営地下鉄大江戸線開業による再編で新宿駅西口 - 四谷三丁目間を品97系統に譲り(四谷三丁目 - 四谷駅前間は廃止)、四谷駅以南に短縮して深川自動車営業所へ移管されたのち、2012年(平成24年)4月1日付ではとバス委託路線となり、現在は品川自動車営業所港南支所が担当している。

銀71→都03の折返便で、格上げ後に深川営業所が単独で担当していたが、杉並営業所が後から参入する。都03と共に深川営業所へ移管した。

新江62系統[編集]

  • 新江62:大泉学園駅前 - 東大泉二丁目 - 三原台一丁目 - 谷原二丁目 - 中村橋駅入口 - 練馬区役所前 - 練馬駅 - 新江古田駅前(末期は1往復のみ)
  • 新江62:大泉学園駅前 - 東大泉二丁目 - 三原台一丁目 - 谷原二丁目 - 中村橋駅入口 - 練馬区役所前 - 練馬駅(末期は3往復のみ)
  • 新江62出庫:練馬車庫前 → 練馬駅 → 練馬区役所前 → 中村橋駅入口 → 谷原二丁目 → 三原台一丁目 → 東大泉二丁目 → 大泉学園駅前 (末期は昼1回のみ)
  • 新江62出庫:練馬車庫前 → 豊玉北四丁目 → 練馬駅通り → 練馬区役所前 → 中村橋駅入口 → 谷原二丁目 → 三原台一丁目 → 東大泉二丁目 → 大泉学園駅前(練馬駅非経由。末期は朝1回のみ)
  • 新江62入庫:大泉学園駅前 → 東大泉二丁目 → 三原台一丁目 → 谷原二丁目 → 中村橋駅入口 → 練馬区役所入口 → 練馬駅前 → 桜台駅前 → 練馬車庫前

都営バスでは都区内最西部に当たる西武池袋線大泉学園駅前を発着する。1950年代から練馬自動車営業所の所管で、132系統として新宿駅西口発着で運行を始め、当初は西武バスと相互乗入れを行っていた。1972年に入ると系統番号が宿62となり、目白五丁目停留所のある目白通りと山手通りとの交差点である南長崎1丁目交差点から山手通りに入り、現在の西武バス・宿20と同経路を走行していたが、新目白通り開通後は中落合四丁目経由に変更された。西武との相互乗入れは1973年6月に西武の都合で中止されたが路線改変は実施されず、長く都営単独で運行を続けた。ダイヤは単に西武バスが抜け、その減少分を増便しなかったため混雑が増したが赤字額が高い路線であった。バスの運転時分は豊玉北六丁目交差点(練馬区役所付近の千川通りとの交差点)、西落合一丁目の交差点(バス停西落合三丁目:現在の落合南長崎駅前)、中野坂上交差点(バス停も中野坂上)、成子坂下交差点(バス停も成子坂下)の平日朝、新宿方面がほぼ必ず渋滞していたがダイヤは定時通りだった。西武バス宿20中井線と共通定期券を発売し、新宿~中落合まで、どちらにも乗れたが、最初のころの新宿駅西口の乗り場は別々で、利用しづらかった。

1985(昭和60)年に大泉学園駅 - 谷原小学校および練馬総合体育館 - 中村橋駅入口間が狭い旧道を走るため、中型車(RM)が投入されたため混雑に拍車をかけたこともあった。1996年に廃車後は再び大型車での運行に戻ったが、1997年12月19日都営地下鉄12号線新宿延伸開業により、地下鉄と重複する新宿駅西口 - 江原町二丁目(白61系統と、関東バス中12、中28、中41と共に都営地下鉄12号線※現大江戸線、開業時に新江古田駅前と停留所名を変更)間を廃止し、新江62系統として生まれ変わる。新江古田駅前が起点になったのは地下鉄乗り継ぎのためと、当時は練馬駅北口ターミナルが未完成(2003年4月1日に完成)のため、乗り入れることが出来なかったためである。

新江古田駅前起点となった直後から、新江古田駅前で都営地下鉄12号線と新江62系統を乗り継いだ場合、バスと地下鉄の合計運賃が割引になる制度を実施してチケットを配布し、それが証拠としていたが、元々この地下鉄開通時には70歳以上の乗客が使用できるシルバーパス(都営交通と、東京都区内の民営バスを無料で乗車可能)使用者が多かったことと、このチケットを受け取る[6]方法が分からない乗客が多かった事と、短縮前より割引をしても結局割高なこともあり浸透せず、1年で廃止された。また、大泉学園駅前・三原台・谷原・練馬区役所前付近から「新宿駅直通」という唯一の利点を失ったことで乗り換え無しという唯一の長所が無くなり利用客が激減して行き、ダイヤ改正毎に本数が減少していった。2005年の改正で、利用客の少なくなった新江古田駅前 - 練馬駅間の運行本数が約1/3にまで減回されてゆき、大泉学園駅前 - 練馬駅の折返便が多くなっていた(約1時間に1本程度の運行、休日は平日・土曜より1時間早い終車設定となっていた)。練馬車庫前発着便に関しては朝杉並車庫から回送で来た大泉学園駅前行きは練馬車庫前から営業を開始し練馬駅北口ターミナル(下りは練馬駅前:南口は設置されず)を経由せず、逆に練馬車庫前行きは練馬駅で北口バスターミナルへ入らずに南口(練馬駅前)に停車し、西武池袋線に並行し桜台駅前を経由して練馬車庫前へ向かった後、杉並車庫へ回送した。

2009年4月1日、はとバス委託によって132~宿62時代から長く担当していた練馬支所から当杉並支所へ移管された。練馬支所時代には見られた大型車の運行も、杉並支所移管後は品川営業所より転属してきたRJによる運行がほとんどとなり、大型車の運行は練馬支所時代より減ったが,2012年に廃車後再び大型車(中型車幅10.5m車、日野・レインボー。内部では中型系と呼ぶ)での運転になった。

入庫便の練馬駅停留所は、南口の他社の降車所の千川通り上にあり、これは現在も存在する。杉並支所所属のはとバス乗務員の休憩は、練馬支所で行われていた、杉並車庫と練馬車庫の間は王78系統と同じルートを、はるばる環七通りを回送し杉並支所~練馬支所間は営業しなかった。杉並へ移管後も練馬支所時代のダイヤをなぞっており、はとバス委託であっても不採算路線であった。

2013年4月1日の改正で、出入庫運用を廃止、残った運用も大幅に減回(1日4往復とし、新江古田駅発着はその内1往復のみ)された。また「練馬区役所入口」「練馬駅前」の両停留所が廃止となった。[5]。これに合わせて西武バス練馬営業所が当路線と同一経路の「練48」系統を新設してカバーすることになった。

2013年10月1日のダイヤ改正で当系統は廃止され、練馬区中部・西部を走行する都営バス路線がなくなった。

秋72系統[編集]

1970年(昭和45年)3月の都電第5次撤去で廃止された12系統の代替バス、512系統として運転開始したものである。都営地下鉄新宿線の岩本町 - 新宿間開業に合わせ、1980年(昭和55年)3月15日限りで全線が廃止された。

宿73系統[編集]

  • (5→)宿73:新宿駅西口 - 中野坂上 - 鍋屋横丁 - 新中野駅前 - 東高円寺駅前 - 堀ノ内 - 代田橋 - 新代田駅前
  • 宿73:新宿駅西口 - 中野坂上 - 鍋屋横丁 - 新中野駅前 - 東高円寺駅前 - 杉並車庫前
  • 宿73:新宿駅西口 - 中野坂上 - 鍋屋横丁 - 新中野駅前 - 東高円寺駅前 - 堀ノ内
戦前には新宿駅 - 代田橋が開通しており、戦後に新宿追分へ延伸される。代田橋側も新代田駅まで延伸されるが、1977年に新宿追分 - 新宿駅西口を短縮、1990年に宿91と統合された。

東75系統・(旧)宿75系統[編集]

  • (300→)東75:東京駅丸の内南口 - 有楽町駅前 - 日比谷 - 桜田門 - 三宅坂 - 隼町 - 麹町四丁目 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿三丁目 - 新宿追分 - 新宿駅西口 - 東京医大病院前 - 中野坂上 - 鍋屋横丁 - 新中野駅前 - 東高円寺駅前 - 杉並車庫前 - 杉並区役所前 - 荻窪駅前 - 四面道 - 清水一丁目 - 清水操車所 

※こちらがメインで、平日1日50便運転されていた。

  • 東75:新宿駅西口 - 東京医大病院前 - 中野坂上 - 鍋屋横丁 - 新中野駅前 - 東高円寺駅前 - 杉並車庫前 - 杉並区役所前 - 荻窪駅前 - 四面道 - 桃井四丁目 - 荻窪警察署前 - 善福寺 - 水道端 - 関郵便局 - 北裏 - 三ツ塚 - 東伏見 - 東伏見操車所

※こちらは、梅70、宿73,91、王78(志村自動車営業所所管の王78は、中央公園経由であった)の各系統と被っていた為に便数は少なく、平日1日5便のみ運転されて来たものである。

  • (旧)宿75:新宿駅西口 - 東京医大病院前 - 中野坂上 - 鍋屋横丁 - 新中野駅前 - 東高円寺駅前 - 杉並車庫前 - 杉並区役所前 - 荻窪駅前 - 四面道 - 清水一丁目 - (清水操車所)
  • (旧)宿75:新宿駅西口 - 東京医大病院前 - 中野坂上 - 鍋屋横丁 - 新中野駅前 - 東高円寺駅前 - 杉並車庫前 - 杉並区役所前 - 荻窪駅前 - 四面道 - 桃井四丁目 - 荻窪警察署前 - 善福寺 - 水道端 - 関郵便局 - 北裏 - 三ツ塚 - 東伏見 - 東伏見操車所(※こちらはもともと新宿駅西口始発で有った為、東75系統から(旧)宿75系統へ文字を変えただけであった。(旧)宿75系統は、1977年12月から1979年11月22日まで)

杉並営業所の前を走る青梅街道から新宿通りへとひたすら走る長距離路線、300系統として創始された。1970年(昭和45年)までは清水操車所から日比谷までまったく同一ルートで数寄屋橋から晴海通りをまっすぐ進み、晴海埠頭に達する支線の304系統も存在した(前述)。

なお荻窪駅以西は本来関東バスや西武バスのエリアだが、この路線は終始都営単独で運行され、地下鉄丸ノ内線の荻窪開業後も新宿以東から荻窪以遠への直通需要に支えられてきたが、第1次再編に巻き込まれて1977年(昭和52年)12月7日限りで東京駅 - 新宿駅間が廃止。宿75(新宿駅西口 - 清水操車所 / 東伏見操車所)と系統番号を変えて運行を継続した。有楽町 - 新宿間は、並行路線の銀71系統が増便され代替となった(前述)。

改定後も、清水操車所までは平日1日61便の運転が有ったが、東伏見操車所行は便数が非常に少なかった。ところが新宿打ち切りとしたことで乗客が一気に地下鉄や国鉄中央線へと流れ、2年後の追加再編で廃止対象に挙がり1979年(昭和54年)11月22日限りで全線廃止となった。

中77系統[編集]

1957年(昭和32年)、関東乗合自動車(現・関東バス)と相互乗り入れの130系統として運転開始。1972年中77系統と系統番号が整理される。

1977年12月16日の第1次再編で中野駅北口(中野区役所前)を境に分断され、中野駅前と江古田駅前の間は経路を一部変更の上で関東バス単独の中41系統となった。この路線は既にあった中40系統〈中野駅北口~江古田駅~茂呂郵便局前(現・小茂根)〉の支線と位置付けられたが、関東バスは当時乗客に配布したチラシの中で、中41系統が都営・関東バス共管の中77系統の代替系統であると記載している。これにより中77系統は、中野駅前 - 新代田駅前間を走る都営バスの単独系統となった。

しかし、短縮後の中77系統は都営バス全体でも有数の不採算路線に転落。第2次再編の廃止候補に真っ先に挙げられ、1982年(昭和57年)12月25日限りで廃止となった。

高79系統[編集]

  • (136→)高79:高円寺駅北口 - 蚕糸試験場 - 堀ノ内 - 方南八幡通り - 代田橋 - 代田操車所(現;新代田駅前)(1971年8月31日まで京王帝都電鉄永福町営業所と共同運行)
136系統として運転されてきて、系統番号整理で高79系統となって運転されて来たが第1次再編の際に廃止となった。この系統の廃止により、都営バスの高円寺駅前の乗り入れが無くなった。

宿91系統[編集]

  • 宿91:駒沢陸橋 - 野沢銀座 - 上馬 - 若林駅前 - 新代田駅前 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅前 - 新中野駅前 - 中野坂上 - 東京医大病院前 - 新宿駅西口(1993年から2013年3月31日まで)
  • 宿91:駒沢陸橋 - 野沢銀座 - 上馬 - 若林駅前 - 新代田駅前 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 杉並車庫前
  • 宿91:野沢銀座 - 上馬 - 若林駅前 - 新代田駅前 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅前 - 新中野駅前 - 中野坂上 - 東京医大病院前 - 新宿駅西口(1984年2月16日から1993年まで)
  • (138→)宿91:大森操車場 - 大森駅山王口 - 馬込銀座 - 馬込駅前 - 夫婦坂 - 洗足駅入口 - 大岡山小学校前 - 柿の木坂二丁目 - 野沢銀座 - 上馬 - 若林駅前 - 代田操車所(現;新代田駅前)- 代田橋 - 和田堀橋 - 堀の内 - 蚕糸研究場 - 高円寺南一丁目 - 新中野駅前 - 中野坂上 - 東京医大病院前 - 新宿駅西口(1967年6月25日から1984年2月15日まで。東京急行駒沢営業所と共同運行)

2013年4月1日に駒沢陸橋-新代田駅前間が廃止された。これにより大森時代のルートが消滅し、宿73と同じルートとなった。

深夜中距離バス三鷹線[編集]

  • 701:西銀座 → 四谷三丁目 → 新宿駅東口 → 新宿駅西口 → 荻窪駅北口(1969年から1974年まで)
  • 深夜中距離:銀座 → 四谷三丁目 → 新宿駅東口 → 新宿駅西口 → 荻窪駅北口 → 北裏 → 三鷹駅関東バス武蔵野営業所と共同運行)

元は、1969年(昭和44年)に都営初の深夜バスとして営業を始めた4路線のうちの1つ、「深夜帰宅バス701系統」に行きつく。この系統は当時存在した300系統の変形として、西銀座(現・数寄屋橋)始発で平日の24時に出発するものだった。その後、オイルショックによる環境の変化やタクシー業界への影響を考慮、1974年(昭和49年)に一度は廃止となる。

それから15年以上を経て、バブル景気真っ只中の1990年(平成2年)6月18日に関東バスとの共同運行で復活。荻窪駅から先の関東バスエリアへも対象を拡大した。毎日2便が運行され、1カ月ごとに初便(0時30分発)と最終便(0時50分発)で都営・関東と担当を交代するという特異な形態を取った。なお関東バスは同じ青梅街道にある青梅街道営業所ではなく、三鷹駅から近い武蔵野営業所が担当している。

2000年(平成12年)12月11日限りで都営が撤退。以後は2便とも関東バス単独となり、現在に至る。

備考[編集]

指定車種日野自動車

T196:いすゞ自動車 V336〜341,W455~W459: 三菱ふそうトラック・バス

音声合成クラリオンレゾナント・システムズ

N317は背立て式車椅子固定試験車両である。

はとバス委託化後も最近まで全車両が指定メーカーの日野製で、交通局の新車導入が入札制となった後は日野が落札できないとその年度は新車の配属が無く[7]、他所の日野車(HR)を転用して旧式車を置き換えていた(例:日産デ車となった2008年度1期投入分は新車を小滝橋に投入しHRを杉並に転用・当所のB代を除籍)。

2009年度になって初めていすゞ・エルガ(T196号車)が配置され、2011年末には同じいすゞ・エルガのM202号車が転入によって配置された[8]2008年2月からレゾナント・システムズの装置更新をしている。

2014年度中から、新車と他営業所からの転入車は杉並ナンバー(ご当地ナンバー)で登録される予定である。

脚注[編集]

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  1. ^ 東京都乗合自動車の運行系統の名称及び区間、昭和54年11月22日 交通局告示第11号
  2. ^ 東京都交通局80年史、Page351
  3. ^ 東京都交通局80年史、Page350
  4. ^ 森91の大橋担当時は、大橋 - 上馬の出入庫ダイヤが存在した。
  5. ^ a b 都営バスの路線変更等について - 東京都交通局 2013年3月1日
  6. ^ バスから地下鉄への乗り継ぎは、新江古田駅前の停留所で、中ドアから直接降りるのではなく、バス乗務員に申告し、チケットの配布を受け前ドアから降りねばならなかった。地下鉄からバスへは、自動改札を通らず、改札係員へ申告をしなければチケットは配布されず、バスは中ドアから降車したり、地下鉄では自動改札を出てからではチケットの配布が受けられない=証拠が消えたので
  7. ^ R代車(2007年度車)は一台も納入されていない。
  8. ^ ただし、エルガは日野が発売しているブルーリボンIIとの統合車種である。

※参考文献;都営バス系統案内図、都バス担当(系統)営業所一覧表、方面別新旧系統一覧表 - 1972年12月1日現在、東京都交通局発行 都営交通路線案内図 - 1978年発行、東京都交通局。

関連項目[編集]