三遊亭楽太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| さんゆうてい らくたろう 三遊亭 楽太郎 |
|
三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である。又、笑点で着用している着物の紋も同様。 |
|
| 本名 | 會 泰通[1] |
|---|---|
| 別名 | 楽さん |
| 生年月日 | 1950年2月8日(59歳) |
| 出生地 | |
| 血液型 | A型 |
| 職業 | 落語家 |
| 活動期間 | 1970年 - |
| 活動内容 | 落語家 |
| 家族 | 長男:会一太郎 |
| 受賞 | |
| 放送演芸大賞最優秀ホープ賞 | |
三遊亭 楽太郎(さんゆうてい らくたろう、本名:會 泰通(あい やすみち)、1950年2月8日 - )は、東京都墨田区出身の落語家。円楽一門会所属。2010年2月、師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名予定。
出囃子は師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊り』(以前は『花が咲き候』を使用)。墨田区立両国中学校、東京都立深川高等学校、青山学院大学法学部卒業。血液型A型。長男は落語家、声優の会一太郎。
目次 |
[編集] 芸歴
- 1970年 - 4月、青山学院大学法学部在学(因みに落語研究部に所属、発表会で兄弟子鳳楽(当時・楽松)に会っており、入門前から面識があった)中に三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願、暫くの付き添いを経てスカウトされ、入門。
- 1976年 - 7月、二つ目昇進。
- 1977年 - 8月28日、師匠5代目圓楽の弟弟子6代目圓窓の後任として笑点レギュラーとなる。師匠5代目圓楽卒業で欠員が出ていたため師匠5代目圓楽が着ていた紫色の高座着を着用する事となった。因みに桃色の高座着を着用したのは同じく新メンバーとして加わっていた三笑亭夢之助(2年後卒業)である。現在同色の高座着を着用しているのは木久扇の弟弟子の好楽である。
- 1978年 - 落語協会分裂騒動で師匠と共に脱退し、落語三遊協会所属となる。
- 1979年 - 1月放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。
- 1980年 - 落語三遊協会解散。大日本すみれ会(現:円楽一門会)所属となる。
- 1981年1月、若手落語家努力賞受賞。
- 同年 - 3月、真打昇進。
[編集] 6代目圓楽襲名
2008年8月、師匠・5代目三遊亭圓楽から、楽太郎が還暦を迎える2010年2月に6代目三遊亭圓楽の名跡を襲名することが明らかとなった。楽太郎は「圓楽の名跡は師匠(5代目三遊亭圓楽)が大きくしたもの。5代目・6代目はよかったねといわれるよう精進したい」と語った。襲名披露は2010年3月に定席である新宿末廣亭で開催予定。これは桂歌丸率いる落語芸術協会が楽太郎の要望に応じて協力した結果実現したものである。
[編集] 人物
博士号(嘘博士として社会問題となっているディプロマミルのものであり、正規の学位ではない)を取得(購入)しているため、笑点メンバーは元より、お笑い界でもインテリとして通っている。
- 父は警視庁警察官。
- 『笑点の謎』(河出書房新社)でも明かされているが、「博士号」に関しては、在学中から(アルバイトの形で)圓楽についてそのまま落語家となったため、大学院に入学しておらず、自分の論文(「心から笑える健康づくりのために」)を知人に英訳して貰い、アメリカ・ルイジアナ州のアメリカンM&N大学に送って「理学博士」の認定書を得た。
- この為、事実上在学はしておらず、自身のプロフィールでも最終学歴は青山学院大学としている。メンバーいわく、「取ったはいいものの何の役にも立っていない」模様で、楽太郎なりのファッションの一つなのだろうと書かれている。弟子の伊集院光の証言によれば、「インテリキャラを箔付けする為に半分洒落で取った」とのこと。
- 学業系以外にも、ゴルフやゲートボールなどのスポーツの会員証や資格、「アメリカ海軍後援会会員(大笑点でも出たが、本人曰く、軍の関連施設への立ち入り許可、酒税免除などの特典がある)」など、認定証(資格)を集める事が趣味と思わせる面もある。
- 楽太郎の名は大師匠6代目三遊亭圓生が付けたものであり、昇進の際にも改名を拒んだという。
[編集] 趣味
- ゲートボール。審判員の資格を持ち、昭和末期に放送されていたテレビ朝日系のゲートボール番組「おはようゲートボール」で審判を務めていたこともある。
- ゴルフ。三遊亭小遊三より回数は少ないが、一緒にサントリーオープンゴルフのアマプロチャリティートーナメントに参加する事がある。
- 釣り。息子や桂歌丸の影響で始めた。また村田基とも交友がある。
- プロレス観戦。生前のジャイアント馬場と親交があり、全日本プロレス主催試合における後楽園ホール年間指定席を購入していたほどの落語界きってのプロレスファン。プロレスラーの天龍源一郎とは墨田区立両国中学校の同級生。また角界の田上明へプロレス転向を勧めたり、ウルティモ・ドラゴンの面倒を見るなど、様々なレスラーと親交を結んでいる。またレジャーニューズでコラム・『プロレスおやじ倶楽部』を執筆していた。三沢光晴の死に関しては「勘弁してくれねぇかなぁ」と未だノーコメントを貫いている。
[編集] 大喜利メンバーとして
1977年8月から「笑点」の大喜利に出演している(入門直後から5代目圓楽の付き人・裏方として「笑点」とは関わっていた)。2009年現在の大喜利メンバーの中では林家木久扇(1969年11月加入)に次ぐ古参である。しかしながら、既にベテランレベルにありながらも2004年12月に林家たい平(1964年生)が加入するまでは長くメンバーの中では最年少者であった。
27歳で大喜利メンバーに加入したが20代で大喜利メンバーとなったのは楽太郎と夢之助(生まれが楽太郎より8ヶ月早い)が最後である。ちなみに、大喜利で共演したメンバーの中で楽太郎より年下なのはたい平のほかに7代目桂才賀(1950年7月生)、春風亭昇太(1959年生)がいるだけである。
笑点で着用している高座着(着物)の薄紫色は、師匠5代目圓楽が大喜利メンバー時に着用していた色と同じである。
当時から愛称は「楽ちゃん(楽さん)」。また、圓楽一門の直弟子(好楽等の移門組を含む)のほぼ全員が名前の頭か最後に“楽”が付く(6代目圓橘・圓福などの例外はある)ため、紛らわしい場合は基本的に略さずに呼ぶことが多い。なお、代々木アニメーション学院学院長に就任した直後は、歌丸が楽太郎に対し「学院長」と言ったりする場面がよく見られたが、2006年5月に学院が学費返還で公正取引委員会から排除命令を受けてからは、番組内で学院長について触れられることはあまりなくなった。直後に退任している。
大喜利では歌丸と罵倒合戦を繰り広げているが、普段は二人会を頻繁に行い(メキシコで二人会を行ったこともある)、また楽太郎が歌丸の元を訪れて一緒に落語の研究をするなど基本的には仲が良い。逆にいえば大喜利の罵倒合戦は仲が良いからできることでもある。実際に互いに言葉では罵倒しつつも笑みを浮かべながらやり取りしていることも多い。
大喜利でのキャラクターについては「大喜利 (笑点)#三遊亭楽太郎」を参照
[編集] 映画やドラマ等
- の・ようなもの(1981年、日本ヘラルド映画)
- ひらり(1992年10月5日~1993年4月3日、NHK連続テレビ小説)
- 暴れん坊将軍
- VI・VII め組小頭 卯之吉(1994年10月16日~1997年1月25日、テレビ朝日系列)
- IX 宇太郎
- VIIでは桂歌丸が卯之吉(楽太郎)の父治助役で出演した。また、一度だけ歌丸と楽太郎の罵倒合戦がある。
- エルフモーニングダッシュ 楽太郎のおいしい朝だよ(文化放送の早朝番組、1986年10月6日~1991年10月4日)
- HARAGURO ラジオ(文化放送・KBCラジオ、2001年頃)
- おはようゲートボール(テレビ朝日系列)
- メイコとあなたの税ミナール(国税庁提供、フジテレビ系列)
- 熱血!平成教育学院(フジテレビ系列、2007年5月27日放送分に出演)
- 笑っていいとも!(フジテレビ系列、2008年5月1日のテレフォンショッキングに出演)
- サプライズ2009年4月- 水曜コメンテーター
[編集] CM
- 松下電器産業(ナショナル パナスプレー 園芸用殺虫剤噴霧器。1980年代後半)
- 祐徳薬品工業(パスタイム 『きもちんよか~♪』のCMで薬局の薬剤師の役で出演)
- 太洋技建(ポリマーライト)
- 野村證券(株券電子化篇、桂歌丸・林家木久蔵と共演、8月からは三遊亭好楽が加わった)
- 日本香堂 (毎日ローソク ※低煙線香「青雲」のCMで師匠圓楽と共演(※ 但し、圓楽は声のみ)していた事がある)
- 代々木アニメーション学院
- 「サンコー」(※山形県限定)
- サントリー(「笑点」とのコラボ企画、「福T(笑点オリジナルTシャツ)」プレゼント 2007年春)
- 日清オイリオ(TOKIOの城島茂、山口達也と共演)
- サントリー(「笑点」とのコラボ企画、「福バッグ(笑点オリジナルバッグ)」プレゼント 2008年春)
- サントリー(「笑点」とのコラボ企画、「福ジャン(笑点オリジナルジャンパー)」プレゼント 2008年秋)
- サントリー(「笑点」とのコラボ企画、「帰ってきた福T(笑点オリジナルTシャツ)」プレゼント 2009年春)
[編集] 主な著書
- 失敗しない司会進行実例百科 (池田書店 刊)
- 失敗しないスピーチ・あいさつ実例百科 (池田書店 刊)
[編集] その他
- 1980年 - 、税務大学校講師
- 1991年9月、アメリカンM&N大学より哲学・理学博士号(ディプロマ・ミル)授与(購入)
- 1992年11月、国税庁長官より表彰を受ける
- 1994年4月 - 、栃木・中央福祉医療専門学校客員教授
- 1996年9月 - 、ハワイ・オアフパークゴルフ協会名誉顧問
- 2006年4月 - 、代々木アニメーション学院学院長に就任
[編集] 一門弟子
[編集] 元弟子
廃業した弟子を含めれば、楽太郎の師匠である圓楽にとっては初の孫弟子となっている(カウントしない場合および真打昇進者として初の圓楽の孫弟子は、好楽の惣領弟子の三遊亭好太郎となる)。
既に自主廃業をしたが、2003年の一門会には参加。楽太郎は今も身内として扱っている。伊集院自身も時折、落語家時代の話題を話すこともある。「伊集院光」は落語家時代ラジオでの芸能活動を楽太郎に知られないようにするため考えられた芸名。1995年には伊集院のラジオ番組にゲスト出演し、思い出話に花を咲かせた後、伊集院を叱咤激励し「師弟共演」が実現した。なお、伊集院と上記現在の楽太郎の弟子である楽大は直接関係ないが、現在の楽大にその名を与える際には楽太郎から伊集院に話があったという。
[編集] 関連項目
[編集] 出典・脚注
- ^ (星企画の公式ホームページでは「泰通」となっている。DVD"炎の落語"内の「會 泰道」は間違い)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||

