野球ユニフォーム

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野球ユニフォーム(やきゅうユニフォーム)は野球選手が着るユニフォームである。

野球ユニフォームには他の選手と見分けるために、そのユニフォームを着る選手の背番号と名前(背ネーム)とが背中に書かれるのが普通である[1]。野球シャツジャージ)、ズボンベースボールキャップ靴下ストッキング)、スパイクシューズ)とグラブミットは野球ユニフォームの一部である。選手や審判、観客が2つのチームを見分けやすいように、ほとんどのユニフォームが異なるロゴをもつ。

19世紀の野球ユニフォームの例

野球ユニフォームは1849年ニューヨーク・ニッカーボッカーズによって初めて使用された[2]。今日ではユニフォームのレプリカや派生したブランド商品の売り上げは、マーチャンダイジングを通じてメジャーリーグベースボールチームの大きな収入源となっている。

プロ野球においては、各チーム、ホームカラービジターカラーの最低2種類のデザインがある。多くの球団はホーム用にニックネーム、ビジター用に球団名もしくは地域名を入れており、またユニフォームに球団の親会社ならびにスポンサーの社名ロゴおよび社章のワッペン(袖・ズボンなど)を入れていることが比較的多い。

歴史

初期の発展

野球ユニフォームを着る1874年のフィラデルフィア・アスレチックスの選手達

1849年4月4日の試合でニューヨーク・ニッカーボッカーズが史上初めてユニフォームを着用した。その時のユニフォームは青いウールのズボンと白いフランネルのシャツ、そして麦わら帽子だった[2][3]。ユニフォームを着用するという慣習はすぐに広まり、1900年までに全てのメジャーリーグベースボールチームが採用した[4]。1882年までにはほとんどのユニフォームが足から膝までを覆うストッキングを含み、チームを見分けるのに利用された。ユニフォーム自体にはそれぞれの野球ポジションを反映する、異なる色とパターンがあった[5]。 1880年代後半にはナショナルリーグデトロイト・ウルバリンズワシントン・ナショナルズ、またアメリカン・アソシエーションのブルックリン・ブライドグルームス(現ロサンゼルス・ドジャース)が初めてストライプのユニフォームを使用した[6]

ホーム用とビジター用のユニフォーム

2012年のニューヨーク・ヤンキースのユニフォーム
左のピンストライプのユニフォームがホーム用、右のグレーのユニフォームがビジター用

19世紀の終わりまでに、本拠地の野球場での試合(ホーム)用と相手チームの球場での試合(ビジター)用の2種類のユニフォームを使い分けるという慣習が定着した。ホームでは白いユニフォーム、ビジターではグレーや無地の紺、黒などのユニフォームを着ることが一般的となった[4]。この習慣の初期の例として1907年にビジター用として青いデザインのユニフォームを使用し始めたブルックリン・スーパーバス(現ロサンゼルス・ドジャース)が挙げられる[4]

1916年にはサンフランシスコ・ジャイアンツのビジター用ユニフォームに紫の線のタータン柄が登場し、他の種類のビジター用ユニフォームは無地の紺、もしくは黒の生地で周りが白いものだった。カンザスシティ・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)のホーム用、ビジター用のユニフォームは1963年にチャーリー・O・フィンリーによって金色と緑色に変更された[7]。一部のチームは1970年代から1990年代初頭にかけて水色のビジター用ユニフォームを使用した[4]。初期のストライプ模様はユニフォームの長さに合わせて、ピンストライプ(細縞)と呼ばれる長いストライプ模様に発展した。1907年にメジャーリーグの一部のチームが初めてこのピンストライプを採用し、観衆がよりはっきり選手達を見えるように1912年に広まった[4]

ブルックリン・ブライドグルームスは1889年にチェック柄のユニフォームを使用し、それを1907年(スーパーバス時代)と1916-1917年(ロビンス時代)に復活させた[8][9]。サテン(本しゅす)のユニフォームは繊維の光沢がより光を反射して見やすいので、ブルックリン・ドジャースを含む複数のチームによってナイターのために開発された[8]。ピンストライプは一般にニューヨーク・ヤンキースのユニフォームに使われた。ストライプはベーブ・ルースをスリムに見せるために採用されたという言い伝えがあるが[10]、1920年にルースがヤンキースでプレーする数年前からすでにヤンキースはピンストライプのユニフォームを着ていたので、言い伝えは作り話であることが分かった。ヤンキースのホーム用ユニフォームのピンストライプはすぐにチームのシンボルとなった。

1916年にはクリーブランド・インディアンスが初めてユニフォームに番号をつけた。番号はホーム用ユニフォームの左袖だけにつけられた[11][4]。1929年にはニューヨーク・ヤンキースとクリーブランド・インディアンスが初めて番号をユニフォームの背中につけた。1932年までにメジャーリーグの全てのチームが選手達のユニフォームに番号をつけるようになった[4]。1952年にはブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)がユニフォームの前面に番号をつけた初めての野球チームとなった[4][8]

世界のほとんどの地域では背番号は2桁以下だが、日本の選手でチームの育成選手に登録されている選手は3桁の番号をつける。メジャーリーグのチームは概して春の練習で、レギュラーシーズンのロースターには登録されそうにない選手に数字が大きい番号(#50以上)を割り当てる。したがって数字の小さい番号は一流選手の証だと考えられるが、数字の大きい番号をつけるベテラン選手も多くいる。数字の大きい番号をつけ、アメリカ野球殿堂に殿堂入りした選手はブルックリン・ドジャースとロサンゼルス・ドジャースで#53をつけたドン・ドライスデールと、シカゴ・ホワイトソックスで#72をつけたカールトン・フィスクの二人である。

キャップ(帽子)の様式

オークランド・アスレチックスの公式ベースボールキャップ

キャップもしくは日よけがついた他の種類のかぶり物は最初から野球ユニフォームの一部だった[12][13]

1840年代から1870年代にかけてはかぶり物に関する公式なルールがなかったために、野球選手は様々な種類の帽子をかぶったり、もしくは何もかぶらなかった[14]。例えば全面に縁がある麦わら帽子カンカン帽、騎手のキャップ、キャスケット、てっぺんが平たいキャップなどが挙げられる[12]

1860年代にブルックリン・エクセルシオールズがのちに現代のベースボールキャップとなる、丸いてっぺんと日よけという独特の特徴を持った帽子を初めて導入した[12][15]。20世紀の初頭までにはこの様式のキャップは一般的となったが、1916年のニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)や最近では1979年のワールドシリーズでのピッツバーグ・パイレーツなど一部のチームは時折てっぺんが平たいキャップを復活させた[4]。時が経つにつれ、日よけは選手達の目をもっと日差しから守るためにわずかに大きくなった[16]。直近では寒い天候の時に選手達が、折りたたまれた耳覆いがついた帽子をかぶった。

アメリカ野球殿堂に展示されているトニー・グウィンのスパイクシューズ

19世紀末には柔らかいが耐久力のある革靴が野球選手達に好まれた。

1970年代には先進国の野球場で人工芝が目立つようになり、履き物の変更が必要となった[17]。 20世紀には特に芝上で滑るのを防いでくれる、取り外し可能なスパイクが人気となったが1976年に禁止された。

19世紀と20世紀の初頭には野球用のシューズは一般的には黒色だった。1960年にはカンザスシティ・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)が革新的な白いシューズを履くようになり、その伝統はチームの本拠地がオークランドに移っても受け継がれた。それ以来一部のチームがチームカラーと一致する色のスパイクを履くようになっている。例えばフィラデルフィア・フィリーズセントルイス・カージナルスは赤いスパイク、シカゴ・カブスロサンゼルス・ドジャースは青いスパイク、そしてサンフランシスコ・ジャイアンツの一部の選手達はオレンジ色のスパイクを履いている。

ストッキングとズボン

シンシナティ・レッドストッキングスに影響を受け、1860年代のチームのストッキングの色はチームを見分けるための主要な道具となった。(それゆえシカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)、セントルイス・ブラウンズ(またはブラウンストッキングス、現ボルチモア・オリオールズ)などチーム名の由来となった。)いくつかの「キャンディケイン」のような種類を除くと(特にニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)、セントルイス・カージナルス、ワシントン・セネタース(現ミネソタ・ツインズ)ストライプは1920年代には極めて少数となり、それとは対照的に1930年代初頭には他の種類の柄が復活した[18]

伝統的なブリーチズをはくアルフォンソ・ソリアーノ

1990年代までに脚の部分を縁取った新しい様式のズボンが登場したことで選手達は靴の上部にすっきり収まるようにズボンをはけるようになり、何世代にもわたって普及していた伝統的なブリーチズ(乗馬用のひざ下の半ズボン)の様式に取って代わった。同じチームの選手が試合でそれぞれひざ下と普通の長さのズボンの二種類をはいているという点で、これは「ユニフォーム」という言葉に込められた文字通りのコンセプトに背く結果を招いた。マニー・ラミレスなどの選手はこの流行を極端にとり、もう少しで脚の部分がシューズのかかとをくるむようなルーズなズボンをはいた。ゲイリー・シェフィールドなどはスパイクの下に引っ掛けるようなストラップを編み出した。一方でアルフォンソ・ソリアーノなどの選手は伝統的なブリーチズをはき続けていたが、それでも彼らのほとんどは伝統的な野球スターラップス(野球用あぶみ型ソックス)は持っていなかった。

21世紀の初めの10年間の終わりまでにはほとんど全ての選手達が伝統的な膝までの高さのソックスか、靴の上部を覆い、底にゴム素材がないズボンのどちらかをはいた。ほとんどのメジャーリーガーがはいていることから、このルーズなズボンは 「プロフレア」と呼ばれている。しかしながらデレク・ジーターなど数人の年配の選手達は1990年代後半/2000年代初頭のスタイルの、靴の所でちょうど止まるズボンを履いている。

最近では復刻版のユニフォームを着るチームは特にそうした服が着られていた時代の雰囲気を作るため、通常は野球スターラップスかブリーチズを履くようになっている。さらに一部のチームはストライプのストッキングを履くようになった。例としてタンパベイ・レイズのネイビーブルーのストッキングにコロンビアブルーと白のストライプ、セントルイス・カージナルスの赤いストッキングにネイビーブルーと白のストライプ、サンフランシスコ・ジャイアンツの黒のストッキングにオレンジのストライプなどが挙げられる。

グラフィックとロゴ

チームのために古い英語の"E"の文字を見せびらかす、ブルックリン・エクセルシオールズのジム・クレイトン 1860-1862年頃

最初からグラフィックデザインはチームを特定するために使われた。たいてい古い英語の文字が胸の部分に書かれた。このスタイルはデトロイト・タイガースで今でも残っており、彼らのホーム用シャツにはゴシック体の”D”が書かれている。タイガースのビジター用のシャツに「デトロイト」の文字が書かれているように、ビジター用のジャージーにはより顕著に都市を特定する傾向がある。オークランド・アスレチックスでは最近では古い英語の”A”の文字がキャップと代替用のジャージーに書かれている。

1900年代初頭に公式のニックネームが目立ち始めるのにつれて(前の時代のメディアがつけた非公式なニックネームとは対照的に)チームの市場戦略の一環として絵のロゴが登場し始めた。初期の一部の例としては1901年のデトロイト・タイガースの黒いキャップに赤い小さなトラ(最初からタイガースが公式名称だったので)が描かれたり、1907年までにクマの子のロゴがシカゴ・カブスのシャツに描かれたりした。(当時その非公式なニックネームはクラブチームによって公式に採用されていた)

もう一つ有名な例としてボストン・アメリカンズ(単に道を挟んで向かい側にあるライバルチームと区別するためにつけた非公式な名称)が、ナショナルズがやめた赤いストッキングを1908年に採用し、それ以来公式にボストン・レッドソックスとなった[19]

1930年代までにほとんど全てのチームがホーム用シャツに特有のロゴ、文字またはニックネームをつけ、チームの市場戦略の一環としていた。ビジター用のジャージーに都市名を書くという風潮は続いた。近年ではチームのニックネームがクラブチームと密接に関わるようになったことで、以前はホーム用のジャージーにしか使われていなかったロゴは、都市名に取って代わってビジター用のジャージーにも使われるようになっている。

限定ユニフォーム

メジャーリーグでは、公式戦の期間中に限定ユニフォームで試合を行うことが日本に比べて多い。例えば、「オールド・タイマーズ・デー」「ターン・クロック・デー」などと題して、旧デザインのユニフォームを着たり、あるいは、同じ街をフランチャイズにしていたチームに敬意を表してそのチームの復刻ユニフォームを着用して試合を行うことがある(詳細はen:Throwback uniformを参照)。復刻されるのは必ずしもメジャーリーグのチームとは限らず独立リーグニグロリーグのチームの場合もある。また復刻版の他、軍港のあるサンディエゴを本拠地に持つサンディエゴ・パドレスは、毎年4月の一時期、迷彩服を模した特別デザインのユニフォームを使用している。

日本野球機構管轄のプロ野球では、ユニフォーム広告が2000年10月31日のプロ野球実行委員会で「解禁」が決議されたが、その仕様には細かい規制がある[20][21]2005年より始まった交流戦において阪神タイガースが旧デザインのユニフォームを着用し好評であったことから、交流戦を中心に限定ユニフォームで試合を行うチームが増えている。特に2008年は各球団で創設からの節目の年になる事が相次いだため、復刻版ユニフォームが一気に広まった。

オールスターゲームなどのイベント時には、限定ユニフォームが用意されることがある。

また、練習用ユニフォーム(オルタネート)など公式戦では使用しないユニフォームを用意しているチームもある。シアトル・マリナーズなど一部のチームではホーム用ユニフォームを数種類用意し、試合ごとに選手の希望(大抵はその日の先発投手が選び、スターティングメンバー達もそれに従って着る)で好きなデザインを選んで試合することもある。あるいは、特定の曜日のみ、特定の期間限定として着用するユニフォームを用意しているチームもある(例: 千葉ロッテマリーンズ読売ジャイアンツの日曜日限定ユニフォーム[22]横浜DeNAベイスターズの夏季限定ユニフォームなど)。

特徴的なユニフォーム

プロ野球交流戦用ユニフォーム

  • 阪神タイガースが、2005年から始まった交流戦で旧デザインを復刻したユニフォーム(ホームのみ)を使用。これを皮切りに、多くの他球団も交流戦専用ユニフォームを使用するようになった。翌2006年も同デザインでビジター用とともに使用(ただし、ホームとビジターが逆)。2007年ファッションデザイナーコシノヒロコがデザインしたユニフォームを使用。2008年のユニフォームは本物の虎をイメージし、伝統のタテジマの胸部分の色に濃淡をつけ、場所によってシマの濃さが変わるグラデーションが施されている。また、プロ野球界で初めて、従来はアップリケだった胸のロゴ、袖のマークなどをすべてプリントにしたことで、約100g軽くなった。
  • 横浜DeNAベイスターズも、横浜ベイスターズ時代の2005年から交流戦で期間限定のユニフォームを使用している。なお、2年ごとにデザインが変更されている。
  • 東北楽天ゴールデンイーグルスは、2006年から、ホームゲームのみで交流戦用ユニフォームを使用している。
  • 埼玉西武ライオンズは、2008年の交流戦で、所沢移転30周年を記念して、ホームゲームのみで交流戦用ユニフォームを使用した。
  • 読売ジャイアンツは、2008年に期間限定ビジター用の「サマービジターユニフォーム」を使用した。清涼感を出す薄いグレーが基調で、背中の全面と脇の部分にメッシュ素材を採用し通気性がよく、軽量化されている。交流戦が開幕する5月20日から8月末まで着用する予定だったが、2008年は8月以降もシーズン終了までそして2009年におけるチームの正式なビジターユニフォームとなった。

復刻ユニフォーム(NPB)

デザインの詳細は同項目および下記各球団の項目を参照
阪神タイガース
2005年交流戦で、1979年から1981年までホームゲームで使用されていた復刻版ユニフォームを使用した。
2006年の交流戦では、同時期(1979年から1983年まで)にビジター用として使用されていた水色のユニフォーム(いわゆる「青虎」)をホームゲームで、前年使用した復刻ユニフォームをビジター用として使用した。
2009年の交流戦では、球団史上初めて日本一に輝いた1985年当時のユニフォームを復刻。ホーム用は帽子にも白地にタテジマ。ビジター用もグレー地に同じく黒のストライプが入ったシンプルなデザイン。
2010年の交流戦では、1976年から1978年までの当時のユニフォームを復刻。ホーム用は袖とズボンのサイド部分に黒と黄色のギザギザラインがあしらわれた(輝流ラインとも言う)デザイン。
オールド・ユニフォーム・シリーズ2010で1948年から1949年まで使用していた大阪タイガース時代の、上下とも黒一色に染められたユニフォームを着用した。なお、このユニフォームは2011年の交流戦でも使用した。
レジェンド・ユニフォーム・シリーズ2012で大阪タイガース時代の1937年秋季に球団史上初の優勝を飾った当時のユニフォームを復刻。ホーム用とビジタ一用の2種類を用意された。ホーム用はソックスのストッキングが黒・黄色・赤のラインが入ったもの。ビジター用は、ストッキングが黒一色のもの。
北海道日本ハムファイターズ
2005年5月28日のヤクルト戦(札幌市円山球場)で、日本ハムファイターズ時代の1979年から1981年までにホームゲームで使用されていた青い縦縞のユニフォームを復刻し、1試合限定で試合前の練習用ウェアとして使用した。
2013年、「レジェンド・シリーズ2013」では、1993年から札幌移転前年の2003年まで着用した東京時代かつ日本ハムファイターズ時代における最後のユニフォームを着用した。
2014年、全ての人々への感謝を込めて、球団ヒストリー企画である「レジェンドシリーズ2014」を開催。日本ハムファイターズ時代の1982年から1992年までのホーム用ユニフォーム(いわゆる「オレンジユニフォーム」)を着用。
読売ジャイアンツ
2007年6月8日から11日まで、球団通算5000勝記念企画として、V9時代のホーム用・ビジター用ユニフォームを期間限定で使用した。
2009年、球団創立75周年記念事業の一環として、東京巨人軍時代の1936年にアメリカ遠征した時のユニフォームを復刻し、7月7日からの横浜3連戦(東京ドーム)で着用すると発表。
2010年、オールド・ユニフォーム・シリーズ2010でセ・リーグ誕生時である1950年のユニフォームを着用した。
2012年、レジェンド・ユニフォーム・シリーズ2012において監督の原辰徳がプロ入りした1981年当時のユニフォームを復刻。
埼玉西武ライオンズ
2007年・西武ライオンズ時代、1979年から1996年まで使用されていた、いわゆるライオンズブルーのビジター用ユニフォームを復刻。7月10日から8月30日の試合で使用した。
2008年、球団創設30周年および西日本鉄道創業100周年協賛事業として「ライオンズ・クラシック」と銘打ち、西鉄ライオンズ時代の1954年から1959年まで使用していたユニフォームを復刻。6月28日から8月21日までの主催試合のうち12試合と7月15、16日のソフトバンク戦(ヤフードーム)2試合で使用した。
2009年、引き続き「ライオンズ・クラシック2009」のイベントを開催することを発表。「多くのスター選手を輩出した最強ライオンズがよみがえる」をコンセプトに5度の日本一に輝き黄金時代を築いた西武ライオンズ時代の1980年代に使用していたユニフォームを復刻した。
2010年、「ライオンズ・クラシック2010」として太平洋クラブライオンズ時代の1973年に使用された赤いホーム用セカンドユニフォームを復刻。6月26日から8月29日までの主催試合14試合のほか、ビジターゲームでも7月17日から7月19日までのソフトバンク戦(ヤフードーム)3試合で使用された(なお、この3試合はこの年のソフトバンク主催イベント「鷹の祭典」の期間にあたる)。
2011年、「ライオンズ・クラシック2011」では1951年に誕生した西鉄ライオンズ時代かつライオンズ時代の初代ユニフォーム。7~8月の本拠地・西武ドーム計13試合と、9月2日 - 4日のVSソフトバンク3連戦で使用。
2012年、「ライオンズ・クラシック2012」では稲尾和久の背番号「24」の永久欠番化を記念し、西鉄ライオンズ時代の1961年のユニフォームを復刻。チーム全員が背番号「24」をつけてプレーした。
2013年、「ライオンズ・クラシック2013」では西武鉄道開業100周年を記念し、1936年の東京セネタース(なお、消滅時の球団名は翼軍)のユニフォームを復刻。「レジェンド・シリーズ2013」では、西武ライオンズ時代の1980年代から1990年代までにかけての黄金期にホーム用として使用したユニフォーム。なお、埼玉西武ライオンズと翼軍に於ける2つの球団の扱いは、別の扱いである。
2014年、「ライオンズ・クラシック2014」では、西武ライオンズ時代の1979年から1995年までに用いられたいわゆる「ライオンズブルー」のビジター用ユニフォームを着用。
西武は後述のソフトバンクと異なり、福岡時代といわれる前身球団の歴史を継承しない方針を2007年まで採っていただけに、転換と受け止められて注目された(事実、その年のオフに西鉄の継承球団であることを公式に表明した)。
福岡ソフトバンクホークス
2008年、福岡移転20周年および球団創設70周年事業として、「福岡ダイエーホークス復刻モデル」と「南海ホークス復刻モデル」のユニフォームを製作。ダイエーモデルは5月24日の阪神戦・6月12日の中日戦(共にヤフードーム)、南海モデルは6月6日の阪神戦(甲子園)・8月2日、3日のオリックス戦(京セラドーム)で使用した。なお、ダイエーモデルは福岡ドーム移転後のものを使用。
2013年、「レジェンド・シリーズ2013」では、南海ホークス時代の1984年から1988年(南海時代最終年)まで着用されたホーム用ユニフォームを着用。
2014年ガッチャマンヘルメットが特徴で、福岡ダイエーホークス時代かつ平和台球場時代の1989年から1992年までのホーム用ユニフォームを着用。
東京ヤクルトスワローズ
2008年手塚治虫生誕80周年記念として、左袖に「鉄腕アトム」のイラストが入ったアトムズ時代の1969年のビジター用ユニフォームを復刻。5月3日から15日の9試合(神宮球場)と21、22日の西武戦(西武ドーム)の計11試合で着用した。なお、西武戦については、手塚キャラをシンボルマークとしていたもの同志ということで着用するものだった。
2009年、球団創立60周年を記念し、国鉄スワローズ時代の1951年(チーム活動2年目)に着用したユニフォームを復刻。日本生命セ・パ交流戦期間中に開催する主催6試合で着用。
2010年、オールド・ユニホーム・シリーズ2010でヤクルトスワローズ時代の1990年代に使用していたホーム用とビジター用の2種類のユニフォームを着用した。
2012年、レジェンド・ユニフォーム・シリーズ2012においてヤクルトスワローズ時代の1978年の球団史上初の優勝・日本一当時のホーム用ユニフォームを復刻。
千葉ロッテマリーンズ
2008年、ロッテ球団40周年記念として、ロッテオリオンズ時代の1973年から1991年まで使用されていたホーム用ユニフォームを復刻。8月13日から16日のソフトバンク戦と楽天戦(千葉マリンスタジアム)で使用した。
2009年、球団創設40周年を記念し8月18日から20日に、ロッテオリオンズ時代の1969年から1972年まで使用したユニフォームを復刻。
2011年、本拠地移転20周年企画として、1992年から1994年まで使用したマリーンズ初代ユニフォームを復刻。
2013年、「レジェンド・シリーズ2013」では、ロッテオリオンズ時代の1974年にチームとして4年ぶりのリーグ優勝を達成し、パ・リーグとしては10年ぶり(チームとしては24年ぶり)に日本一を奪還したことから「チャンピオンユニフォーム」と呼ばれているビジター用ユニフォームを復刻。
広島東洋カープ
2008年広島市民球場のラストイヤーを記念し、1977年から1988年まで使用したデザインのユニフォームを復刻。9月23日から25日の巨人戦(広島市民球場)で使用した。これは、いわゆる「赤ヘル軍団」黄金時代のユニフォームである。
2010年、オールド・ユニフォーム・シリーズ2010で1989年から1995年まで使用していたユニフォームを着用した。
2011年、1977年から1988年までビジター用で使用した水色のユニフォームを復刻。マツダスタジアムで行われる8月23日からの横浜3連戦と、26日からの巨人3連戦で使用。
2012年、レジェンド・ユニフォーム・シリーズ2012において1975年に球団史上初の優勝を飾った当時のブルーグレーのビジター用ユニフォームを復刻。
オリックス・バファローズ
2010年、5月30日のヤクルト戦を「がんばろうKOBEデー」としてオリックス・ブルーウェーブ時代の1995年にリーグ優勝を成し遂げた時のユニフォームを着用。
2011年、1970年代の阪急ブレーブス・近鉄バファローズ(なお、近鉄は2004年オフにオリックスに吸収合併)の復刻版ユニフォームと2年連続で「がんばろうKOBE」の文字が縫い付けられた1995年のオリックス・ブルーウェーブ時代のユニフォームをこの年の公式戦で着用するイベントを開催すると発表。着用後のユニフォームは慈善オークションを行い、東日本大震災の被災地への義援金とする。
2012年、1980年代の阪急ブレーブス・近鉄バファローズの復刻版ユニフォームを着用すると発表。阪急版は1988年まで使用された阪急ブレーブス時代最後のユニフォーム。近鉄版は1996年まで使用された藤井寺球場時代最後のユニフォームで芸術家の岡本太郎デザインの「猛牛マーク」が入った3色の帽子が復活。
2013年、リーグ優勝を成し遂げたオリックス・ブルーウェーブ時代の1995年に着用していたホーム用ユニフォームを「LEGEND OF Bs2013」「レジェンド・シリーズ2013」で着用した。
中日ドラゴンズ
2010年、オールド・ユニフォーム・シリーズ2010で球団史上初の優勝・日本一に輝いた1954年に使用していたユニフォームを着用。
2012年、レジェンド・ユニフォーム・シリーズ2012において1974年にV9巨人の10連覇を阻止し優勝した当時のホーム用ユニフォームを復刻[23]
横浜DeNAベイスターズ
2010年・横浜ベイスターズ時代、オールド・ユニフォーム・シリーズ2010で横浜大洋ホエールズ時代のユニフォームを着用した。
2012年、レジェンド・ユニフォーム・シリーズ2012において横浜ベイスターズ時代の1993年から2008年まで使用され、1998年には日本一を達成した際のビジター用ユニフォームを復刻。
OSAKA CLASSIC
オリックス・バファローズ対福岡ソフトバンクホークス戦の限定企画。お互いの前身球団である近鉄バファローズ対南海ホークスを京セラドーム大阪で再現するイベント。(なお、オリックス・バファローズと近鉄バファローズに於ける2つの球団の扱いは、別の扱いである。)
2013年:オリックスは藤井寺球場時代まで使用されたもの、ソフトバンクは南海時代末期のもの。
2014年:オリックス・ソフトバンク共に1970年代頃のもの。

その他

  • 2004年オフにオリックス・ブルーウェーブ大阪近鉄バファローズとの吸収合併で誕生したオリックス・バファローズの新ユニフォームは、ホーム用はオリックスの「BlueWave」を同じ書体で「Buffaloes」に変更しただけで、ビジター用は殆ど従来と同じであった。それを見た旧近鉄選手やファンなどからの批判もあり、急遽大阪ドーム用のユニフォームを作成し、当初のホーム用は神戸総合運動公園野球場や地方開催の主催ゲームで使うことになった。大阪ドーム用ユニフォームは帽子と胸の左側部分に、従来とは異なるデザインの紺に黄色の縁取りがある「Bs」マークを使用。ロゴは水牛の角をモチーフにデザイン。前立てにはブルーウェーブ時代のユニフォームと同様に紺のラインが入っている。また紺のラグランスリーブと袖口の赤いラインに近鉄のイメージが残るように配慮されている。ラグランスリーブは1974年から1996年までの近鉄バファローズのユニフォームに使用され、赤は近鉄のチームカラーだった。翌2006年には、神戸用ユニフォームも、ロゴを大阪用と同一に変更した。
  • 横浜DeNAベイスターズは、横浜ベイスターズ時代の2004年から毎年夏季限定ユニフォームを使用している(非実施の年度もあり)。
  • 福岡ソフトバンクホークスは、2006年から毎年「鷹の祭典」と題して、3日間のみ着用する限定ユニフォームを使用している(一部のビジターゲームで着用することもある)。
  • 東北楽天ゴールデンイーグルスは、2007年から毎年、公募デザインのユニフォームを期間限定で使用している。また2011年シーズンには、東日本大震災の犠牲者を悼み、左腕に黒い環状の喪章を入れたユニフォームを使用した。
  • 埼玉西武ライオンズは、西武ライオンズ時代の2007年7月10日から8月30日まで期間限定ユニフォームを使用した。背面にライオンの牙をイメージしたデザインが入ったユニフォームであり、上記のライオンズブルーを復刻したユニフォームと併用した。また、2013年からは主催試合の一部で3rdユニフォームとして右袖に埼玉県章、胸には「Saitama」の文字が入ったSaitamaユニフォームを使用することが発表された。プロ野球史上初の県章を取り入れたユニフォームとなる。
  • 北海道日本ハムファイターズは、2007年から「We Love HOKKAIDOシリーズ」と題して限定ユニフォームを登場させている。2007年8月17日からの3連戦では胸に「HOKKAIDO(北海道)」の文字が入った青色のユニフォームを3試合限定で使用。2008年にはユニフォームの胸の部分に「HOKKAIDO」の文字が入るのは前年と同じだが、ユニフォームの生地の色は黒、袖が青で前年とカラーリングを逆転させたものを使用。2010年7月9日からの3連戦では“北海道の豊穣を表現”として金色(光沢がないので正しくは山吹色)のユニフォームを着用。2013年には“不屈のエネルギー”を表現した「バーニングレッド」色のユニフォームを7月12日からの札幌4連戦と7月17日の函館開催試合時に着用。2014年は北海道移転から11年、次の10年を見据え原点に立ち返るイメージを表現した「ネクストブルー」色のユニフォームを6月27日から7月16日までのビジターゲーム含め全16試合で着用予定。2012年8月17日からの3連戦では「サマーフェスタ」と銘打ち、過去に利用したユニフォームなどを原料として再利用した「エコユニ」を着用した。
  • 千葉ロッテマリーンズでは年に一度、ホームゲームでもビジター用ユニフォーム(黒)を着用する「ブラックブラックナイト」を開催している(親会社・ロッテの主力商品『ブラックブラックガム』にちなむ)。この試合の場合はファンもビジターシャツや黒系のシャツを着て応援するのがお約束である。
  • 2008年、マツダオールスターゲーム2008の練習時及び試合前イベント時に限りセ・パそれぞれのイメージカラー(セ・リーグ - 緑、パ・リーグ - 水色)に合わせたプラクティスユニフォーム(ミズノ株式会社提供)を着用。なお、このユニフォームは2009年以降も用意されている。
  • 読売ジャイアンツは、2010年7月19日からの対東京ヤクルトスワローズ3連戦限定で、中学生以下のファンによるユニフォームデザインコンテストでグランプリを獲得したものを基にしたユニフォームを採用した。採用されたデザインは埼玉県在住の女子中学生による「ジャイアンツ スターズ」で、星と稲妻がちりばめられている。左胸に番号に入り、その下に「GIANTS」ロゴが入る。2012年からは、アディダス・ジャパンとの「橙魂(とうこん)」プロジェクトでオレンジ色を基調とした限定ユニフォームを年間数試合で着用している。
  • 埼玉西武ライオンズは2012年、球団の親会社である西武鉄道の設立100周年を記念し、全国の小中学生からユニフォームのデザイン案を募集。採用案がデザインされたユニフォームを、8月に本拠地・西武ドームで開催される主催試合において着用する。
    • 採用案のタイトルは「4000系とスマイルトレインユニフォーム」。西武鉄道が保有する鉄道車両である4000系電車ならびに30000系電車「スマイルトレイン」の車体塗装をモチーフとし、スマイルトレインの帯色であるブルーとグリーンのグラデーションをベースに胸部分には「SEIBU」ロゴ(2003年までのビジター用のものと同一)をあしらい、首・袖周りには4000系電車の帯色である青・赤・緑3色のライオンズカラーが入る。原案においては右袖に西武鉄道のコーポレートロゴがあしらわれていたが、同部分についてはリーグ規定により通常ユニフォームと同様「saitama seibu」ロゴが貼付される。
  • MLBでは聖パトリックの祝日に行われる試合の際、緑色のユニフォームまたは帽子を着用する。

着用規則と状況

同一チームの選手、監督およびコーチは同色、同型、同意匠のユニフォームを着用すること、ホームゲームのチームは色の生地を使用すること、6インチ(15.2cm)以上の背番号を付けることなどが、公認野球規則で定められている。しかし、規則はそれほど厳しく適用されているわけではなく、袖が他の人より長い選手や、ズボンをパンタロンタイプにする選手もいる。また、アンダーシャツに対して色は規制されているが、材質・形状は選手間で異なる場合が多い。試合前や終了後は上からスタジアムジャンパー(グラウンドコート)を着用することもある。

ただし、公認野球規則においてはコーチのみ義務で、監督はこの限りではない。20世紀前半のMLBの名監督コニー・マック背広姿で指揮を執ったことがよく知られている。

野球のユニフォームの着こなし

2006年4月30日、北海道日本ハムファイターズ新庄剛志が、一人だけ襟付きアンダーシャツを着ていたことが問題視され、翌日から使用を取りやめた。

ユニフォームのズボンをひざ下まで引き上げ、ストッキングを見せる着こなしのことを、黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの穿き方にちなみ「ジャッキー・ロビンソン・スタイル」という[24]。アマチュア野球まではソックスを見せるタイプが多いが、現在のプロ野球ではソックスを隠し、パンツの丈を長くするスタイルが主流である。落合博満によれば、このスタイルをNPBで一番早く導入したのは宇野勝であったという[25]。「ソックスを隠すのはだらしない」、「正式でない」とみる人物もおり、1995年千葉ロッテマリーンズGMに就任した広岡達郎が監督以下全コーチ、全選手にソックスを見せるスタイルに統一する事を義務付けた他、東北楽天ゴールデンイーグルス二軍は2011年に一軍監督に就任した星野仙一の指示によってジャッキー・ロビンソン・スタイルに統一された[26]

日本プロ野球におけるメーカー

2016年2月8日現在(広島のみホームとビジターでメーカーが異なる)[27]

日本の旗 ミズノ 広島ホーム)、阪神オリックス日本ハム
日本の旗 アシックス 中日
日本の旗 デサント 広島(ビジター)、DeNAロッテ
アメリカ合衆国の旗 アンダーアーマー 巨人
アメリカ合衆国の旗 マジェスティック・アスレティック 楽天ソフトバンク西武ヤクルト

脚注

  1. ^ ただし背ネームに関しては日本の学生野球では付いていない場合が多い。
  2. ^ a b Evolution of Baseball Equipment: The Uniform”. 19th Century Baseball. 2012年3月23日閲覧。
  3. ^ National Baseball Hall of Fame - A History of the Baseball Uniform - Introduction”. National Baseball Hall of Fame. 2008年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i Baseball Uniforms of the 20th Century by Baseball Almanac”. Baseball Almanac. 2008年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月2日閲覧。
  5. ^ National Baseball Hall of Fame - Dressed to the Nines - Timeline”. National Baseball Hall of Fame. 2008年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月11日閲覧。
  6. ^ National Baseball Hall of Fame - Dressed to the Nines - Uniform Database”. National Baseball Hall of Fame. 2008年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月2日閲覧。
  7. ^ “Charlie Finley: Baseball's Barnum”. Time. (1975年8月18日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,917734-7,00.html 2008年6月28日閲覧。 
  8. ^ a b c National Baseball Hall of Fame - Dressed to the Nines - Parts of the Uniform”. National Baseball Hall of Fame. 2008年5月2日閲覧。
  9. ^ National Baseball Hall of Fame - Dressed to the Nines - Timeline”. National Baseball Hall of Fame. 2012年3月23日閲覧。
  10. ^ Trebay, Guy (2000年10月24日). “New York Yankees using pinstripes to make Babe Ruth look slimmer”. New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B07E0DA1431F937A15753C1A9669C8B63&sec=&spon= 2008年7月14日閲覧。 
  11. ^ Okkonen, p. 36, p. 120
  12. ^ a b c Atkin, Ross. “A short history of the baseball cap”. The Christian Science Monitor. 2012年3月23日閲覧。
  13. ^ “Happy 50th, baseball caps”. BBC News. (2004年4月27日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/3660333.stm 2008年5月2日閲覧。 
  14. ^ Celebrating the rich history of baseball caps”. mlb.com. 2008年6月29日閲覧。
  15. ^ DiMeglio, Steve (2006年7月27日). “Baseball cap has endured generations as the all-American hat”. USA TODAY. http://www.usatoday.com/sports/baseball/2006-07-25-cap_x.htm 2012年3月23日閲覧。 
  16. ^ History of baseball caps and how it is made”. madehow.com. 2008年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月29日閲覧。
  17. ^ Baseball Shoes”. Baseball information. baseball.mu. 2008年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月3日閲覧。
  18. ^ Hosiery History”. Village Voice. 2008年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月3日閲覧。
  19. ^ History of the Boston Americans and their uniforms”. redsoxnation.com. 2008年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月27日閲覧。
  20. ^ ご隠居さんの野球問答「プロ野球ユニフォーム物語」 日本野球機構 2005年05月17日
  21. ^ プロ野球ユニ メーカーのロゴあり・ロゴなし球団がある理由 NEWSポストセブン(週刊ポスト2013年7月19・26日号)
  22. ^ ただし、読売ジャイアンツの場合は日曜日限定ユニフォームを採用したのは2006年・2007年シーズンの2年間のみ
  23. ^ なお、同スタイルのユニフォームには、背番号の上にアルファベット(ローマ字)の選手名入りのバージョンもあるが、1974年当時のものは選手名が入っていないため、背ネームは入れていない。
  24. ^ 「オールドスタイル」、「クラシックスタイル」、「田吾作スタイル」(田植えをすると脛まで泥に浸かるのでこれに擬えて)とも呼ばれる事もある。
  25. ^ 2010年8月24日付中日新聞「読む野球」
  26. ^ スカイ・A sports+|仙台発:今日は楽天日和
  27. ^ スポーツ報知 12月23日3面

参考文献

  • Okkonen, Marc (1991). Baseball Uniforms of the 20th Century: The Official Major League Baseball Guide 

関連項目

外部リンク