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大島慶久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大島 慶久
おおしま よしひさ
生年月日 (1940-03-30) 1940年3月30日(84歳)
出生地 日本の旗 愛知県名古屋市
出身校 愛知学院大学歯学部
所属政党 自由民主党

選挙区 愛知県選挙区
比例区
当選回数 3回
在任期間 1990年11月 - 2004年7月25日

選挙区 南区選挙区
当選回数 3回
在任期間 1979年4月 - 1990年
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大島 慶久(おおしま よしひさ、1940年昭和15年〉3月30日 - )は、日本政治家、歯科医師。元参議院議員(通算3期)、元名古屋市会議員(3期)。

来歴

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愛知県名古屋市出身。1967年(昭和42年)3月、愛知学院大学歯学部卒業。同年、南区六条町の大島病院[1]に歯科診療所を設立[2]

1979年(昭和54年)、名古屋市会議員選挙・南区選挙区に出馬し初当選を果たす。以後、3期連続当選。1981年(昭和56年)、医学博士号授与。

1990年(平成2年)9月24日、無所属の参議院議員の高木健太郎が病気のため任期中に死去。高木の死去に伴い11月4日に行われた愛知県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で立候補し初当選した[注 1]

1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙では比例代表区に移り、出身母体である日本歯科医師連盟の支援を受け、再選を果たした。

1996年(平成8年)、北海道開発庁政務次官に就任。

1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙も比例代表区に立候補し3選。同年、自由民主党国会対策副委員長に就任。2001年(平成13年)の第1次小泉内閣で経済産業副大臣など要職を歴任[2]

2004年(平成16年)の第20回参議院議員選挙において日本歯科医師連盟が比例候補差し替えを表明したため、再び愛知県選挙区からの出馬を表明した。この年、愛知県選挙区において党の候補予備選が行われ、元衆議院議員の浅野勝人、寺西学県議の長男の寺西睦と争うが、浅野が党の公認を勝ち取った[4]。それとともに日本歯科医師連盟の政治資金規正法疑惑が発覚(日歯連闇献金事件)。このため出馬断念に追い込まれ、政界から引退した。

医療法人大医会日清おりど病院の理事長を務めた[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 名古屋市会議員辞職後、後援会幹部の息子の横井利明が大島の後を継ぎ、翌1991年の市議選で初当選した[3]。横井は2021年に市議を辞職し、名古屋市長選挙に立候補するが次点で落選した。

出典

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  1. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日、1547頁。ISBN 4-04-001230-5 
  2. ^ a b 経済産業副大臣 大島慶久”. 首相官邸ホームページ. 2002年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月22日閲覧。
  3. ^ 『中日新聞』1991年4月8日付朝刊、23面、「女性・ヤング新風 名古屋市議選 20代トリオ誕生 天白と東・南」。
  4. ^ 朝日新聞2004年2月14日夕刊10頁
  5. ^ 医療法人大医会日清おりど病院様” (PDF). 富士通. 2021年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月22日閲覧。
公職
先代
古屋圭司
松田岩夫
日本の旗 経済産業副大臣
古屋圭司と共同

2001年 - 2002年
次代
高市早苗
西川太一郎
議会
先代
新設
日本の旗 参議院文教科学委員長
1998年
次代
南野知惠子
先代
清水嘉与子
日本の旗 参議院文教委員長
1997年
次代
廃止