志度寺

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志度寺
志度寺 本堂と大師堂
本堂(国の重要文化財)と大師堂
所在地 香川県さぬき市志度1102番地
位置 北緯34度19分27.5秒
東経134度10分46.7秒
座標: 北緯34度19分27.5秒 東経134度10分46.7秒
山号 補陀洛山
宗派 真言宗善通寺派
本尊 十一面観音
創建年 (伝)推古天皇33年(626年
開基 (伝)尼凡薗子
正式名 補陀洛山 清浄光院 志度寺
札所等 四国八十八箇所86番
文化財 本堂、仁王門、木造十一面観世音菩薩両脇士立像ほか(国の重要文化財)
閻魔堂・奪衣婆堂、木造如来形坐像、木造金剛力士立像(県文化財)
絹本著色十一面観世音菩薩(市文化財)
生駒親正墓塔、海女の墓五輪塔群(市史跡)
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志度寺(しどじ/しどうじ)は、香川県さぬき市志度にある寺院。宗派は真言宗善通寺派で、四国八十八箇所霊場の第八十六番札所。詳名は補陀洛山清浄光院志度寺本尊十一面観音

謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段/しどうじのだん)などの舞台にもなっている。

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌:いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ

歴史[編集]

本寺の縁起によると、志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたという。創建は626年推古天皇33年)のこととされている。681年天武天皇10年)には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけたという。不比等に関わる「海女の玉取り」伝説は謡曲などでも知られる。また、693年持統天皇7年)には不比等の子・藤原房前行基とともに堂宇を建立したと伝えている。

室町時代には四国管領細川氏が代々寄進を行い繁栄するが、そののち戦乱により寺院は荒廃する。藤原氏末裔の生駒親正による支援などを経てのち、1671年寛文10年)、高松藩松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興された。

1962年昭和37年)に重森三玲による枯山水「無染庭」が造られている。

伽藍[編集]

  • 山門仁王門) - 本堂と同様、1670年(寛文10年)頃の建立
  • 本堂 - 1670年(寛文10年)建立。毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。
  • 大師堂
  • 五重塔 - 高さ33m。1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進された。
  • 閻魔堂
  • 薬師堂
  • 奪衣婆堂
  • 奥書院 - 浄瑠璃『花上野誉の石碑』の舞台となった。
  • 曲水式庭園 - 室町時代、四国管領であった細川氏によって造成。
  • 無染庭 - 枯山水庭園(曲水式庭園に隣接)。

仁王門をくぐり、参道を進むと正面に薬師堂、その左に閻魔堂があり、さらに大師堂がある。本堂は大師堂の左にある。納経所は仁王門をくぐって右を進むとある。

  • 宿坊 - なし
  • 駐車場 - 山門右から入った納経所の前は普通車までで、境内の海側にバスも可能な駐車場の2ケ所にあり、いずれも無料。

備考[編集]

この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(琰魔堂の1文字目)が含まれています(詳細)。

文化財[編集]

重要文化財
  • 本堂および附棟札2枚 1983年(昭和58年)6月2日指定。
  • 仁王門 1983年(昭和58年)6月2日指定。
  • 木造十一面観音立像および両脇侍(不動明王立像・毘沙門天立像) - 1901年明治34年)3月27日指定。
    (十一面147.0cm榧の一木造り彩色・藤原時代、不動78.2cm、毘沙門79.4cm)
  • 絹本著色十一面観音像 - 1901年(明治34年)3月27日指定。
  • 絹本著色志度寺縁起 6幅(附:紙本墨書志度寺縁起等付属文書9巻) - 1901年(明治34年)3月27日指定。
県指定有形文化財
  • 閻魔堂 - 1984年(昭和59年)8月14日指定。
  • 奪衣婆堂 - 1984年(昭和59年)8月14日指定。
  • 木造如来形坐像 - 1969年(昭和44年)3月28日指定(五重塔内)。
  • 木造金剛力士立像 - 1969年(昭和44年)3月28日指定(仁王門内)。
さぬき市指定有形文化財
  • 絹本著色十一面観世音菩薩 - 1986年(昭和61年)2月27日指定。
さぬき市指定史跡
  • 生駒親正墓塔 - 1991年平成3年)3月6日指定。
  • 海女の墓五輪塔群 - 1990年(平成2年)12月26日指定。

塔頭寺院[編集]

平賀源内墓(自性院)

以下の寺院は志度寺の僧坊を起源に持ち、後に塔頭として独立した寺院であり、現在も志度寺の西側に隣接している。なお、これら各寺の宗派は志度寺と同じく真言宗善通寺派である。

圓通寺(えんつうじ)
山号は福聚山、院号は世尊院。本尊は観世音菩薩。讃岐三十三観音霊場第三番札所。また西国三十三所写し霊場のひとつであり、本堂には西国三十三所各寺院本尊の写し躰が奉納されている。
奈良時代頃に行基によって志度寺僧坊「西林坊」として開基されたと伝わる。江戸時代の初めに志度寺の住職を務めた宥忍和尚が住職の座を次代に譲った折、のちに隠棲する際、西林坊を居とした事で寺院として独立。江戸時代中期に現在の寺号を持つようになったとされる。
なお、よく通寺と誤記されるが、公称・通称ともに「通寺」が正しく、寺院側から寺号を用いる場合は、いかなる場合でも「円」の文字は用いられない。
自性院(じしょういん)
山号は微雲窟、寺号は常楽寺。塔頭時代の名残から院号である自性院を通名とし、各種電話帳および地図においても、これが踏襲されている。本尊は不動明王新四国曼荼羅霊場第十番札所。
讃岐(白石)平賀家の菩提寺であり、それを理由として平賀源内の墓がある。ただし源内が実際に葬られている墓は東京都板橋区にある総泉寺の橋場墓地(台東区)であるとされ、この墓は平賀家および地元の人間が源内を悼み弔うための参り墓とされている。(ただし分骨等による分祀墓であるなど諸説アリ)
2010年1月9日早朝、失火により本堂と客殿が全焼失した。これらは後に再建されている。

奥の院[編集]

地蔵寺

志度寺を開いた薗子尼の屋敷跡に建つという。

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
85 八栗寺 -- (6.5km)-- 86 志度寺 -- (7.0km)-- 87 長尾寺

交通アクセス[編集]

鉄道
バス
さぬき市コミュニティーバス 「市役所前」下車 (0.7km)
道路

参考文献[編集]

  • 宮崎建樹 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]