太山寺 (松山市)

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太山寺
Ryuunzan Taisanji 04.JPG
本堂(国宝)
所在地 愛媛県松山市太山寺町1730
位置 北緯33度53分6.3秒東経132度42分53.9秒座標: 北緯33度53分6.3秒 東経132度42分53.9秒
山号 瀧雲山
宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観音
創建年 (伝)用明天皇2年(587年
開基 (伝)真野長者
正式名 瀧雲山 護持院 太山寺
札所等 四国八十八箇所52番
文化財 本堂(国宝)
仁王門・木造十一面観音立像1躯・木造十一面観音立像6躯(重要文化財)
算額(松山市有形民俗文化財)
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太山寺(たいさんじ)は、愛媛県松山市にある真言宗智山派寺院。瀧雲山(りゅううんざん)、護持院(ごじいん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩四国八十八箇所霊場の第五十二番札所伊予十三仏霊場の第三番札所。

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌:太山に 登れや汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし

歴史[編集]

太山寺の草創については、以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。飛鳥時代用明2年(586年)、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で大嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。長者は感謝し一宇建立の大願を起する。早速、豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、一日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にして建立したということである。

その後、天平11年(739年聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音(重文)が安置された。そして、孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音(文化財指定はされていないが本堂最奥の中央に専用の厨子の中に祀られている)を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。

現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年伊予国守護河野氏によって再建され、近世には松山城加藤氏の庇護を受けて栄えた。

境内[編集]

  • 一の門:冠木門に切妻屋根を架けた簡素な門。門は3つあり、一の門から本堂までは0.8kmある。1955年再建
  • 二の門(二王門)【重要文化財】:入母屋造八脚門、1305年再建
  • 三の門(四天王門):入母屋造楼門、1683年再建
  • 本堂【国宝】:1305年再建
  • 大師堂:大師像を拝顔できる。1884年再建
  • 鐘楼堂:1655年再建。
  • 聖徳太子堂:1971年再建
  • 稲荷
  • 護摩
  • 地蔵堂
  • 厄除大師堂
  • 長者堂
  • 身代観音
  • 一畑薬師堂
  • 十三仏石像
  • 大師石像
  • 観音石像

一の門から坂道の山道を行き二の門を入ると左に一畑薬師、右の中門の奥に庫裏・納経所がある。さらに坂を進むと右に地蔵堂、左に十三仏石像、正面に手水場が、その後に大師石像、観音石像がある。右の石段を上って三の門をくぐると左上壇に大師堂、長者堂、身代観音が、右に厄除大師堂、鐘楼があって正面に本堂が建つ。本堂右に護摩堂、稲荷堂、聖徳太子堂がある。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:50台、大型5台。

文化財[編集]

国宝
堂内から発見された墨書により嘉元3年(1305年)の建立と判明する。行7間 (16.38m)、梁間9間 (20.91m)[1]屋根入母屋造本瓦葺きで木造建築としては県下最大である。柱はすべて円柱で、正面の柱間をすべて蔀(しとみ)とするなど、建築様式は和様を基調とするが、虹梁(こうりょう)の形状など細部に大仏様(天竺様)を取り入れている。堂内手前の参詣者が立ち入る部分は板敷きとする。その奥は柱間5間×5間分の床を一段高く造り、手前を畳敷きの外陣(げじん)、奥を土間の内陣とする。内陣には横長の宮殿 (厨子)を置き、7躯の十一面観音立像(秘仏)を安置する。宮殿のある内陣を土間とするのは延暦寺根本中堂など天台宗系仏堂にみられる手法である。宮殿の7躯の十一面観音立像と最奥に祀られている十一面観音立像(舟形光背を持つ)は、平成26年(2014年)10月18日から26日まで、50年ぶりに、宮殿の背後に祀られている五智如来や多くの仏像と共に公開された。明治37年(1904年).8.29重要文化財(旧国宝)に、昭和29年(1954年).6.28国宝指定される。
重要文化財
  • 二王門 - 入母屋造本瓦葺き八脚門。鎌倉時代。明治37年(1904年).8.29指定
  • 木造十一面観音立像 1躯 - 当寺本尊。像高155.4cm古色。宮殿内部いっぱいの大きさの黄金色の舟形光背を持つ。本堂内宮殿の中央に安置。寺伝に聖武天皇の奉納とされるものだが、実際の制作は平安時代後期と推定される。昭和32年(1957年).2.19指定
  • 木造十一面観音立像 6躯 - 本堂内宮殿の左右の間に3躯ずつ安置。2躰は檜で4躰はカツラ材の一木造り。いずれも黄金色でリング状の輪光を頭部の後ろに持つ。像高147.3cm、152.4cm、144.5cm、143.8cm、156.3cm、150.7cmの六体。平安時代後期作、明治34年(1901年).3.27指定。6躯の勅納された天皇名と年は次の通り→後冷泉天皇(1062年)、後三条天皇(1069年)、堀川天皇(1087年)、鳥羽天皇(1108年)、崇徳天皇(1124年)、近衛天皇(1142年)
県指定有形文化財
  • 絹本著色弘法大師像:鎌倉時代中期以前の作と云われる、縦113cm横118cm、昭和40年(1965年).4.2指定
  • 梵鐘:高さ116cm直径61cm、鋳銅製、1383年作[2]。昭和40年(1965年).4.2指定
松山市指定有形民俗文化財
  • 算額 - 嘉永5年(1852年)山崎昌竜門人花山金次郎直孝奉納。本堂内陣に掲額。非公開。平成16年(2004年).11.11指定
  • 納札 - 昭和42年(1967年).5.24指定

交通案内[編集]

鉄道
バス
  • 高浜線三津駅より伊予鉄道バス 三津ループ線に乗車「太山寺」下車 (0.5km)
道路

奥の院[編集]

経ヶ森の十一面観音立像
経ヶ森

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
51 石手寺 -- (10.7km)-- 52 太山寺 -- (2.5km)-- 53 圓明寺

脚注[編集]

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  1. ^ この「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を示す社寺建築用語。
  2. ^ 愛媛県教育委員会文化財保護課のホームページ

参考文献[編集]

  • 四国八十八箇所霊場会 編 『先達教典』 2006年
  • 『週刊朝日百科』「日本の国宝 25」、朝日新聞社、1997
  • 久野健編『図説 仏像巡礼事典』(新訂版)、山川出版社、1994
  • 宮崎健樹 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編、へんろみち保存協力会、2007年(第8版)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]