出釈迦寺

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出釈迦寺
Shusshakaji 08.JPG
全景
所在地 香川県善通寺市吉原町1091番地
位置 北緯34度13分9.8秒東経133度45分1秒座標: 北緯34度13分9.8秒 東経133度45分1秒
山号 我拝師山
宗派 真言宗御室派
本尊 釈迦如来
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺
札所等 四国八十八箇所73番
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出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)は、香川県善通寺市にある真言宗御室派寺院四国八十八箇所霊場の第七十三番札所。我拝師山 求聞持院 出釈迦寺と号する。本尊は釈迦如来

本尊真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

ご詠歌:迷ひぬる 六道衆生 救はんと 尊き山に いづる釈迦寺

歴史[編集]

寺伝によれば、空海(弘法大師)が7歳の時に倭斬濃山(わしのやま)(現、我拝師山)に登り、「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、山の断崖から谷へと飛び降りた。すると、落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就された。感激した空海は、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。

約300年前までは山頂が札所になっていたが、1920年大正9年)に麓に移された。

伽藍[編集]

本堂(左)と大師堂(右)
  • 山門:2008年落慶、旧山門は鐘楼門であったが楼門として新築され、その釣鐘は釣鐘堂として分離して建立計画中である。
  • 本堂:すだれ越しにうっすらと本尊が浮かび上がる。
  • 大師堂:鼻から下の顔が拝顔できる。大師像のまとう緋色の衣は定期的に新調される。
  • 地蔵堂
奥之院遥拝所
  • 奥之院遥拝所(おくのいんようはいじょ)
奥の院である捨身ヶ嶽禅定の遥拝所。石碑には、身を投げる空海とそれを救う釈迦如来と天女の図が描かれている。この場所で念仏を唱えると、捨身ヶ嶽禅定に登ったのと同じ利益(りやく)が得られると言われており、捨身ヶ嶽禅定の建物を望める。

山門を進み右に折れると左に納経所があり、正面に本堂、その右側が大師堂と並置されている。本堂の左の石段を上がると赤い壁の地蔵堂があり、その先に奥之院遥拝所と大きな石の台座に虚空蔵菩薩石像があり、眼前に奥の院のある我拝師山がそびえる。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:山門前と境内の山側にあり、いずれも無料。一部有料の部分あり。

文化財[編集]

善通寺市指定有形文化財
  • 木造不動明王立像:2009年10月16日に初めて公開され、それ以前は絶対秘仏、平安後期作、103cm、平成21年12月25日指定
  • 禅定石造層塔:平成23年4月11日

交通アクセス[編集]

鉄道
道路

奥の院[編集]

捨身ヶ嶽禅定

出釈迦寺から約1kmの登山口(無料駐車場あり)から徒歩約40分で奥の院「捨身ヶ嶽禅定」の山門に着く。その先の大きな建物が根本御堂である。ここは約300年前に麓に移されるまで札所であった。根本御堂の裏から鎖場を越え岩場を約100m登ると稚児大師石像があり、ここが最終目的地で幼き空海が身を投げたといわれる「捨身ヶ嶽のお行場」である。その途中には岩壁に彫られた目治篭彫不動尊をお見逃しなく。 根本御堂では、毎月旧暦の15日夜(7月のみ土用丑の日)に信者(誰でも参加可能)が集まり法要があり宿泊する。 上記の法会の時のみ寺境内から奥の院まで、無料送迎車がでる。それ以外のときは、納経所に頼むと500円で奥の院山門前駐車場まで自動車での乗り入れが許可される。(急坂の車道のため運転に自信がある人のみで、普通車以下)

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
72 曼荼羅寺 -- (0.5km) -- 73 出釈迦寺 -- (2.2km) -- 74 甲山寺

参考文献[編集]

  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]