明石寺

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明石寺
Meisekiji 01.JPG
参道
所在地 愛媛県西予市宇和町明石201
位置 北緯33度22分9.2秒東経132度31分8.3秒座標: 北緯33度22分9.2秒 東経132度31分8.3秒
山号 源光山
宗派 天台寺門宗
本尊 千手観音
創建年 (伝)6世紀
開基 (伝)正澄上人
正式名 源光山 円手院 明石寺
札所等 四国八十八箇所43番
南予七福神霊場 第5番(布袋尊)
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明石寺(めいせきじ)は、愛媛県西予市にある寺院。源光山(げんこうざん)、円手院(えんしゅいん)と号す。宗派は天台寺門宗本尊千手観世音菩薩四国八十八箇所霊場の第四十三番札所

本尊真言:おん ばざらたらま きりく そわか

ご詠歌:聞くならく 千手の誓ひ 不思議には 大盤石も 軽くあげ石

歴史[編集]

寺伝によれば6世紀、欽明天皇の勅願により正澄上人がからの渡来仏である千手観世音菩薩を祀るため創建したという。天平6年(734年)に寿元行者が熊野より十二社権現を勧請し修験道の中心道場としたとされる。弘仁13年(822年空海(弘法大師)が再興したという。

縁起の通りであれば飛鳥寺四天王寺以前の創建ということになるのでこれは史実とは考えられず、実際の創建年は不明といわざるを得ない。建久5年(1194年)に、源頼朝が池禅尼の菩提を弔うため阿弥陀如来を安置、経塚を築き堂宇の修繕をした。この時に山号を現光山から源光山に改めたという。その後も武士からの信仰が篤く、室町時代西園寺氏の祈願所、寛文12年(1672年)には宇和島藩伊達宗利が堂宇を建立した。

寺号[編集]

本来の名称は「あげいしじ」だが、現在は「めいせきじ」と呼ぶ。ご詠歌「〜軽くあげ石」からついたと伝えられ、現在でも地元では「あげいしさん」「あげしさん」と呼んでいる古老がいる。

境内[編集]

  • 山門仁王門) 単層
  • 本堂:毎年、8月9日、本尊千手観音が開帳され堂内の諸仏を拝観できる。外陣の天井は信徒によって奉納された絵馬が天井絵として飾られている。
  • 大師堂
  • 鐘楼
  • 地蔵堂
  • 弘法井戸
  • 夫婦杉

参道から石段を上ると右手に本坊・納経所が、左に手水場があり山門をくぐる。右手に地蔵堂があり、さらに石段を数段上がると正面に本堂が建つ。その右側に鐘楼と大師堂がある。山門手前を左に行くとトイレがあり、その先奥に弘法井戸がある。また、本坊前を通り奥の山に入っていくと宇和西国三十三所があり最奥に、しあわせ観音石像が立つ。

  • 宿坊:定員30名(団体専用)
  • 駐車場 20台

文化財[編集]

2007年10月に本堂等の建造物が国の登録有形文化財に登録された。

登録有形文化財[編集]

以下の建造物が国の登録有形文化財に登録されている。鐘楼堂が江戸末期建立であるほかは、明治時代から昭和戦前期の建立である。

  • 仁王門
  • 手水舎
  • 石段及び石垣(仁王門前)
  • 石段及び塀(本堂前)
  • 本堂
  • 大師堂
  • 地蔵堂
  • 鐘楼堂
  • 客殿

愛媛県指定有形文化財[編集]

  • 絹本著色熊野曼荼羅図 1幅(1965年4月2日指定)[1]

画像[編集]

交通案内[編集]

鉄道
バス
道路

奥の院[編集]

白王権現
白王権現

山門の約200m手前の左側にある鳥居から山に沿って300mほど進む。大きな石が神体である。

『宇和旧記』に「十八、九の娘が、軽々と大石を両腕に抱き歩いていたが、当所まで来たとき夜が明けてしまったので、そのまま置き去ってしまった。その女は観音の化身か龍女か、その石を白王権現と崇め、祠を奉った」とある。

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
42 佛木寺 -- (10.6km) -- 43 明石寺 -- (67.2km) -- 44 大寶寺

脚注[編集]

  1. ^ 愛媛の国・県指定絵画一覧表(明石寺) (PDF)

参考文献[編集]

  • 四国八十八箇所霊場会 編 『先達教典』 2006年
  • 宮崎建樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
  • 同 解説編 2007年(第7版)

外部リンク[編集]