永徳寺

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永徳寺
Toyogahashi 01.JPG
十夜ヶ橋 本堂
所在地 愛媛県大洲市徳森1296(本坊)
愛媛県大洲市東大洲1808(境外仏堂)
位置 北緯33度31分24秒
東経132度34分54.5秒
座標: 北緯33度31分24秒 東経132度34分54.5秒(本坊)
北緯33度31分54.6秒
東経132度34分28.8秒
(境外仏堂)
山号 正法山
宗派 真言宗御室派
本尊 千手観音(本坊)
弥勒菩薩(境外仏堂)
創建年 (伝)永徳年間(1381年 - 1384年
開基 不詳
中興年 享保12年(1727年
中興 秀意
正式名 正法山 永徳寺
別称 十夜ヶ橋
札所等 四国八十八箇所霊場番外
四国別格二十霊場8番
南予七福神霊場 第7番(福禄寿尊)
公式HP 弘法大師 御野宿所 十夜ヶ橋
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永徳寺(えいとくじ)は愛媛県大洲市に所在する真言宗御室派の寺院である。山号は正法山。本尊は千手観音(本坊)、弥勒菩薩(境外仏堂)。境外仏堂は弘法大師 御野宿所 十夜ヶ橋、通称十夜ヶ橋(とよがはし)と呼ばれ、空海(弘法大師)が野宿をしたという伝説が残る。また、四国八十八箇所霊場番外札所、四国別格二十霊場八番札所、南予七福神七番札所(福禄寿尊)となっている。

ご詠歌:行き悩む 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋とおもほゆ

概要[編集]

大洲市東部の郊外に位置する。寺院は本坊と本坊の北に約1.5キロメートルにある境外仏堂(通称・十夜ヶ橋)の2カ所から成る。

本坊は室町時代初期の永徳年間(1381年 - 1384年)に創建されたと伝えられている。これが寺院名の由来となっている。しかし、火災のため記録が焼亡し伝承のみが残り詳細は不明である。その後、江戸時代中期の享保12年(1727年)に秀意によって再建された。本堂は江戸時代後期の弘化3年(1846年)に建造されたが、老朽化のために平成16年(2004年)に建て直された。

境外仏堂では土用の丑の日に『きゅうり加持』が行われ参拝者で賑わう。

十夜ヶ橋の由来[編集]

言い伝えによれば、四国を巡錫中の空海が菅生山(大寶寺)に向かう途中、この地で日が暮れた。このとき周囲は田園であり、宿泊場所となる民家が見あたらなかった。

空海は小川に架かる橋を見つけ、仕方なくその橋の下で一夜を過ごすことにしたが、暗く長い一夜が十夜にも思えた。そこで、この寺の御詠歌となっている『行き悩む浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋とおもほゆ』という歌を詠んだと言われる。

この言い伝えから、この橋は「十夜ヶ橋」と呼ばれるようになり、橋のたもとに大師堂が結ばれたほか、橋の下には野宿をする空海の像が置かれている。また、橋の下は「修行」として国内で唯一野宿が認められている場所であり、十夜ヶ橋納経所ではござを貸し出している。なお、四国遍路などでは、空海が安眠できるよう巡礼者はこの橋に限らず橋の上ではをつかないという習慣がある。[1][2]

現在、この橋は肱川の支流に架かる国道56号の橋となっており、さらに橋の上には松山自動車道の高架橋がかかっている。

画像[編集]

前後の札所[編集]

四国別格二十霊場
7 出石寺 --(県道24号経由 29.2km)-- 8 十夜ヶ橋 --(国道56号経由 51.4km)-- 9 文殊院

参考文献[編集]

  • 宮崎建樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』解説編 へんろみち保存協力会/刊 2007年(第7版)
  • 『十夜ヶ橋 永徳寺』現地配布パンフレット

注釈[編集]

  1. ^ 四国八十八箇所#四国遍路にちなむ文化も参照。
  2. ^ 十夜ヶ橋永徳寺(大洲市) - ほっとde西伊予(ポータルサイト)

外部リンク[編集]