日本のカレー
日本のカレー | |||||||
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日本風のカレーライス | |||||||
種類 | カレー | ||||||
発祥地 | 日本 | ||||||
関連食文化 | 洋食 | ||||||
誕生時期 | 明治時代 | ||||||
提供時温度 | 温製 | ||||||
主な材料 | 野菜 (玉ねぎ、人参、じゃがいも)、肉 (牛肉、豚肉、鶏肉) | ||||||
派生料理 | カレーライス、カレーうどん、カレーパン | ||||||
119 kcal (498 kJ)日本食品標準成分表2020年版(八訂)(ビーフカレー) | |||||||
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Cookbook ウィキメディア・コモンズ |
日本のカレー(にほんのカレー)は、インドからイギリスを通じてもたらされた後に、日本で独自の発展を遂げたカレーである[1][2][3]。とろみのあるカレースープに[4][5][6]、肉や野菜などの具が豊富に入れられているのが特徴[7][8][9]。西洋料理を日本人に合うようにアレンジした洋食の一つである[10][6][11]。日本では、家庭料理として好まれるほか[12][2]、カレー専門店も多い[2][12]。さらに、学校の給食のメニューとしても圧倒的な人気を誇り[12]、日本の代表的な国民食とされるほど広く親しまれている[13][14][2][15]。
カレーうどんやカレーパンなどさまざまな日本生まれのカレー料理があるが[16][17][18]、米飯の上からカレーソースをかけたカレーライスが最も一般的で、単にカレーと言った場合、カレーライスを指すことが多い[19][7]。太平洋戦争後、固形のカレールーが開発されると、日常的な家庭料理となった[20][21][22]。1960年代以降、個食化の進行とともにレトルトカレーも普及している[23]。カレーライスにはさまざまなバリエーションがあり[7]、2000年代に入るとスープカレーや[24][25]スパイスカレーなどが流行した[26][27]。
日本国内にインドや東南アジアなどの本場のカレーを提供する店が増えている一方で[8]、日本のカレーは「Japanese curry」や[28]「日式咖哩」と呼ばれて日本国外にも人気を広げている[29]。特にヨーロッパでは、日本のアニメや漫画の影響で、日本のカレーの人気が高まっている[13]。
特徴
日本のカレーは、カレーライス(ご飯の上にカレーをかけたもの)、カレーうどん(麺の上にカレーをかけたもの)、カレーパン(カレーの入ったパン)の3つの形で提供されるのが一般的であり、日本料理で最も一般的な料理の一つである。ごく一般的なカレーライスは、単にカレーと呼ぶことが多い[30]。
日本のカレーは、ソースと一緒に様々な野菜や肉を使って作られる。基本的な材料のうち野菜としては玉ねぎ、にんじん、じゃがいもが、肉としては牛肉、豚肉、鶏肉が挙げられ、これらの一般的な食材は根強い人気を誇る。カツカレーは、パン粉で揚げたカツレツ(通常は豚肉または鶏肉)に日本のカレーソースをかけたものである[31]。
イギリスでは日本のカレー全般を指して「カツカレー」と表現することがある[32]。カレーはインド料理が起源で、イギリス人によってインドから日本にもたらされた。大日本帝国海軍が脚気対策としてカレーを採り入れ、その伝統を引き継ぎ現在でも海上自衛隊の金曜日のメニューがカレーになっている[33]。
ソースとライス
カレーソースは、炊き上がったご飯の上にカレーソースをかけてカレーライスを作る[34]。カレーソースは、カレー粉、小麦粉、油などを炒めてルー(ルウ)を作り、煮込んだ肉や野菜に加えてとろみがつくまで煮込んだものである[35]。圧力調理も可能である。カレーソースにじゃがいもを加えることは、当時の米不足のため札幌農学校のウィリアム・スミス・クラークによって導入された[36]。
日本の家庭では、カレーソースといえば、カレー粉、小麦粉、油、各種調味料などが入ったブロックや粉状のインスタントカレールーを使って作るのが一般的である。準備がしやすく、インスタントカレーミックスの種類が豊富で手に入れやすいことから、カレーライスは他の日本料理に比べて非常に簡単に作れて、人気が高まっている。真空パックに入っており、熱湯で温めなおすことができる、あらかじめ作られたカレーがある。また、カレールーを一から作る人のために、「和風カレー」の味を出すために特別に配合されたカレー粉もある[37]。
インスタントカレールーは、1926年にハウス食品から粉末状で、1956年にエスビー食品からブロック状で販売された。2007年のインスタントカレールーの国内出荷額は827億円である[38] 2007年の家庭用シェアは、ハウス食品(59.0%)、エスビー食品(25.8%)、江崎グリコ(9.4%)がほぼ独占している[39][40]。カレーは、テレビゲームやアニメのキャラクターを使って、子供向けに販売されている[41]。
また、レトルト食品をお湯や電子レンジで加熱して作る真空パックのカレーソースも人気がある。2007年現在、カレーソースは真空包装食品の単一カテゴリーとしては国内最大で、売上の3割以上を占めている[42]。
市販のカレーの辛さ(辛味)として甘口・中辛・辛口といったものがあるが、これらは辛味成分(唐辛子由来のカプサイシン、胡椒由来のピペリン)の量を参考に、各食品メーカーごとに独自の評価基準を設けて定めているものである。1972年、エスビー食品がゴールデンカレーに甘口・中辛・辛口の表示を行ったのが始まりとされる[43]。
盛りつけと付け合わせ
日本のカレーライスは、平皿から汁椀まで何にでも盛られている。かけ方や量は自由で、ご飯の上にカレーをかける。インド料理で使われる中粒米よりも、粘りがあって丸い日本の短粒米が好まれる。カレーは液状のため、箸ではなくスプーンで食べるのが一般的。カレーライスは通常、 福神漬けやらっきょうが添えられているのが一般的である[44]。
歴史
伝来
インドからイギリスへ
カレーはインド発祥の料理であるが[1]、インドではさまざまな料理に多くの香辛料を使うため、ほうれん草とチーズであれば「サグパニール」、鶏肉を使ってまろやかな味に仕上げれば「チキンコルマ」といった具合に[45]、それぞれの料理にそれぞれ名前が付けられており[45][46]、総称としての「カレー」にあたる言葉はない[45][47][46]。ポルトガル人医師のガルシア・ダ・オルタが1563年に出版した『インド薬草・薬物対話集』で「インド人が『カリール』という料理を作る」と記し[48]、オランダ人旅行家のヤン・ホイフェン・ヴァン・リンスホーテンが1595年から1596年に出版した『東方案内記』の中で[48]香辛料をふんだんに使って米にかけて食べる料理を「カリール」と紹介したのが、ヨーロッパにおける最初期のカレーへの言及とされる[45]。その語源についてはさまざまな説が唱えられており[45][49]、語源は不明とするものや[8]ヒンズー語で香り高いものやおいしいものを意味するTurcarriであるとするもの[50]、修行を終えた仏陀が「カリ」という村で香辛料から作られた長寿の薬を出したたことに由来するとする説などもあるが[45][51]、一般的にはタミル語で「スパイスで味つけした野菜や肉の炒め物」を意味するKarilまたはKariが語源とする説が有力視されている[52][45][49][47]。これは、現代タミル語ではソースや汁を意味する言葉となっている[52][1]。17世紀初頭にはポルトガル人が特定の料理を「カリル」または「カリー」と呼び[49][52]、のちにイギリス人が香辛料を多用したインド料理をまとめてCurryと呼ぶようになった[52]。さらに、英語では特にアジアの香辛料を多用した炒め煮料理全般をもCurryと呼ぶようになり[8]、コリーン・テイラー・センは『カレーの歴史』の中でカレーを「スパイスを効かせた肉、魚、または野菜の煮込み料理で、ライス、パン、コーンミールなどの炭水化物が添えられた食べ物」と定義している[53][54]。
カレーは、1772年にベンガル知事で[6]翌年初代インド総督となるウォーレン・ヘースティングズが[55]、複数の香辛料とベンガル地方の主食である米とを[55]イギリスに持ち帰ったことでイギリスに伝わった[6][55]。多量の香辛料を使った野菜の炒め煮を米飯にかけた料理としてイギリスに渡ったカレーは[56]、シチューのように小麦粉でとろみがつけられ[55]、香辛料はイギリス人の味覚に合うように調合された[45]。カレーは、ビクトリア女王にも献上されて好まれたといい[57]、18世紀末には[5]イギリス社会に少しずつ浸透していった[58]。しかし、もともとインドでは、それぞれの家庭の主婦がさまざまな香辛料の配合を工夫してそれぞれの家庭の味を作り出していたものであり[59]、カレーを一から作るのは非常に手間がかかったため[60]、カレーはイギリスでは上流階級向けの料理となった[61]。こうした状況を受けて[59][56]、粉状にした香辛料をあらかじめ混合した[62][63]カレー粉が商品化された[10]。19世紀初頭[64][65][63]、エドモンド・クロスとトーマス・ブラックウェルによって[59]クロス・アンド・ブラックウェル(C&B)社が設立され[59][6]、世界で初めて工業製品としてのカレー粉が開発された[64]。このカレー粉は、一般向けにインドのカレーより辛さを抑えて口当たりを柔らかく調合された[59]。
カレー粉の開発によって、余りもののシチューにカレー粉を加えるだけでカレーを作ることができるようになった[22]。経済的で栄養価も高いと考えられたカレーは[22]、イギリスの家庭に浸透し[63]、さらには世界中に広まっていった[63][58]。フランスに渡ったカレー粉は、ルーにカレー粉を加えたカレーソースとなり[8]、「カリー・オー・リー」(カレーライス)としてフランス料理に加えられた[59]。大英帝国に広まったイギリス風のカレーは、19世紀にはアメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランドで酒場の定番メニューとして定着した[61]。こうして、米飯と組み合わせたカレー&ライスの形で[55]、C&B社のカレー粉とともに[65]、小麦粉でとろみをつけたイギリス風のカレーが日本にも伝えられることになる[66]。
なお、イギリスではカレー粉によって中流階級から労働者階級まで浸透した一方で[61][22]、上流階級向けに本格的なインド料理店がいくつも開店した[22]。1947年のインドの独立以降には[45][22]、インドやパキスタン、バングラデシュから多くの移民が押し寄せ[45]、彼らによってカレーハウスと呼ばれる大衆向けのインド料理店が数多く開店した[22]。その結果、イギリスではインド風のカレーが食されるようになり[45]、小麦粉は使用されなくなった[4]。イギリスにおいては、カレーはイギリス料理でも家庭料理でもなく、インド系の出身者が作るインド料理の一つとなっている[22]。
最初期の接触
カレーに最初に言及した日本の文献は、1860年(万延元年)に発行された福沢諭吉の『増訂華英通語』とされている[67][68][69]。この中で福沢は、「curry」という単語を「コルリ」と訳しているが[67][68][69]、福沢自身がカレーを食したとする記録は残っていない[69]。1864年(文久4年)には、江戸幕府の使節団の一員であった岩松太郎が、渡航中にアラビア人がカレーと思われるものを食する様子を記録している[67]。
日本人で最初にカレーを食べたとされているのは、山川健次郎である[69]。1871年(明治4年)、国費留学生としてアメリカに向かう船の中で、西洋料理が合わなかった山川は、メニューから「ライスカレー」を選んだという[69]。ただし、カレーソースは口にせず米飯だけを食したとされている[69]。また、岩倉使節団に同行した久米邦武も、セイロンで「らいすかれい」を食べたと『米欧回覧実記』に記している[70][68]。
これらの記録はいずれもカレーに好意的なものではなく[67]、当時の日本人にとってカレーは、西洋の得体の知れない食べ物として敬遠されていたようである[70][67]。
上陸
カレーが日本に伝来したのは、江戸末期[71]あるいは明治初期である[59][62][68][8]。1854年(嘉永7年)に日米和親条約が、1858年(安政5年)に日米修好通商条約が締結されて鎖国政策が終わると[72]、カレーは、当時インドを植民地支配していた[73]イギリスを通じて、西洋料理の一つとして持ち込まれた[13][10]。
伝来年には1859年(安政6年)[71]や1868年(慶応3年)[74]など諸説あり[75]、伝来地についても北海道や横須賀、神戸などの説もあるが[68][76]、一般的には1859年(安政6年)に開港した横浜港にイギリス船によってもたらされたとするのが通説とされている[71]。ビールやアイスクリーム、食パンなど横浜から全国に広まった西洋料理が多いことから、カレーも同様に横浜から広まったとするものである[77]。一方、北海道説では明治維新後にお雇い外国人を通じて日本にもたらされたとされるが、いずれにしても開国後の外国人居留地から広まったのは確からしいと考えられている[76]。なお、カレー粉がイギリスから持ち込まれたのは1870年(明治3年)ともされる[75]。
1871年(明治4年)に肉食が解禁されると、西洋料理店が相次いで開店した[75]。既製のカレー粉を使って簡単にできるカレーは[75]、特にカレーライスが日本人になじみのある汁かけ飯の形態であったことに加えて、独特の香りが西洋文明の香りとして日本人に受け入れられた[8]。とはいえ、この頃はオムレツやカツレツの方が人気があり、また、高級料理だったため一般大衆にはなかなか手の届かない存在であった[75]。カレーはホテルのレストランや西洋料理店で提供されるものであり、一部の上流階級の者だけが食べることができたのである[14]。
初期の普及
初期のレシピ
日本語文献にカレーのレシピが登場するのは、1872年(明治5年)発行の『西洋料理指南』と『西洋料理通』である[59][14][55][6]。敬学堂主人によるとされる[55]『西洋料理指南』では「カレー製法ハ葱一茎 生姜半箇 蒜少許ヲ細末ニシ 牛酪大一匙ヲ以テ煎リ 水一合五勺ヲ加エ 鶏 海老 鯛 蛤 赤蛙等ノモノヲ入テ能ク煮 後ニカレーノ粉小一匙ヲ入煮ル 西洋一時間 已ニ熟シタルトキ 塩ヲ加エ 又小麦粉大匙二ツヲ水ニテ解キテ入ルベシ」とされており、仮名垣魯文による[55]『西洋料理通』では「カリド・ウイル・オル・ファウル(カリーの粉にて肉或いは鳥を料理するを云) 冷残の小牛の肉或いは鳥の冷残肉いずれも両種の中有合物にてもよろし 葱四本刻み林檎四個皮を剥き去り 刻みて食匙にカリーの粉一杯 シトルトスプウン匙に小麦の粉一杯 水或いは第三等の白汁いずれにても其中へ投下煮る事四時間半 その後に柚子の露を投混て炊きたる米を皿の四辺にぐるりと円く輪になる様もるべし」とされているのをはじめ[78]、肉や魚を用いた計3種類のカレー料理が紹介されている[55]。
いずれも小麦粉やカレー粉を使用するところに、インドのカレーとは異なるイギリスのカレーの特徴を見ることができる[79][55][5]。具材に肉や魚介類に加えて蛙があげられているのは、当時イギリス人が中国人を調理人として雇っていたか、フランス料理の影響ではないかと推測されている[78][75]。 また、まだ具材としてジャガイモやニンジンは用いられておらず、タマネギではなく葱が使われている[5][14]。
その後、肉食の浸透とともに[68]さまざまな料理書や婦人雑誌の記事でカレーの作り方が取り上げられ、人気メニューとして広まっていった[74]。西洋料理が普及していく明治30年代になると、タマネギを使用するレシピがあらわれ、スープや牛乳を用いたり、シチュー鍋といった西洋の調理用具を使う本格的なものになっていった[80]。
札幌農学校での導入
札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭であるウィリアム・スミス・クラークが「ライスカレー」の名付け親で[79]、生徒にカレーを推奨したとする説がある[72][14][81]。1876年(明治9年)に赴任したクラークは、対面した日本の生徒たちの体格が貧弱であったため、食生活の改善を図り、寮での食事を洋食に改めた[81]。そして、カレーライスを「らいすかれい」として生徒に紹介したところ[6]、生徒たちが「らいすかれい」は特別によく食べたことから[79]、寮では一日おきに「らいすかれい」が出されたとされる[14][82]。寮の廊下に「生徒は米飯を食すべからず。但しらいすかれいはこの限りに非ず」と貼り出したという[83]。
ただし、札幌農学校で食生活改善のために洋食が推奨されたことと寮でカレーが提供されたことは確認できるが、それにクラークが関わっていたかは不明である[72]。また、クラークがライスカレーの語を生み出したとする説の真偽も詳らかではない[83]。
なお、カレーライスは、明治時代には新聞や雑誌でも料理書でも「ライスカレー」と呼ばれていた[79]。「カレーライス」の初出は1912年(明治45年)の婦人雑誌『女鑑』であるとされ、この後、大正時代になると「カレーライス」と呼ばれることが一般的になった[6]。
陸海軍での導入
カレーが日本人に人気が出始めたのは、日本軍で採用されてからである[84]。体格向上のために肉食を推奨していた日本軍では[11]、大きな鍋に肉や野菜を入れて煮込むだけで大人数分が一度に作れ[85]、一皿で肉と野菜と米が摂れて[11]栄養バランスが良く[85][68]、安上がりで食べ応えもあり[11]、片付けも楽なライスカレーは[85]、理想的な軍隊食として採用された[85][68]。1873年(明治6年)、ライスカレーは陸軍幼年学校のメニューとして取り入れられ、毎週土曜日がカレーの日とされた[82][68]。日清戦争では軍隊食としてカレーが重宝されたとされ[68]、1910年(明治43年)発行の陸軍省検閲済『軍隊料理法』や1918年(大正7年)発行の海軍教育本部編『海軍五等主厨厨業教科書』にカレーの作り方が掲載されている[86]。
特に大日本帝国海軍では、イギリス海軍でカレーが出されていたことに倣って狭い厨房でも大人数分作れる料理として導入されたが、脚気対策としても推奨された[14]。日本では江戸時代から脚気が蔓延していたが、特に日本軍においては罹患率が高かった[68][87]。玄米が常食であった時代、三食白米が食べられると集められた兵士たちは、ビタミンB1やタンパク質が不足していたのである[87]。脚気の原因は栄養不足にあると考えた海軍軍医の高木兼寛は、麦飯を使用した肉や野菜の豊富なライスカレーを推奨した[88]。当初は、当時陸軍軍医総監を務めていた森鴎外が細菌原因説を採っていたため相手にされなかったが、実際に海軍で患者の症状が改善し患者数が減少したことから評価は一変した[88]。後に高木は海軍における脚気撲滅の功により男爵に叙せられ、「麦飯男爵」と呼ばれた[89]。
なお、海上自衛隊では毎週金曜日にカレーが食べられている[90]。これは、海上に出ると曜日感覚がなくなるため、毎週同じ曜日に同じメニューを食べることで曜日感覚を取り戻すためと言われることも多い[90][14]。ただ、海上幕僚監部広報室によると、もともと週休二日制が導入されるまでは土曜日の昼がカレーであったという[14]。土曜日は大掃除の日で午後は半休であったことから、作るのも片付けるのも簡単なカレーがメニューとして採用されたもので、週休二日制が導入されて土曜日が金曜日に変更されたものとしている[14]。
洋食化と一般化
具材の変化
ジャガイモとタマネギは江戸時代にオランダ人によって日本に持ち込まれていたが、ジャガイモが救荒植物として栽培された程度で、本格的な栽培が始まったのは、明治時代に入って北海道の開拓が進むようになってからであった[91]。ジャガイモの生産量が初めて20万トンを超えたのは1897年(明治30年)であり、それでもサツマイモに比べて10分の1程度であったが、その後の10年間で急速に栽培が広がって50万トンから60万トンに達した[92]。タマネギは明治初期には外国人居留地の需要にも足りない程度の生産量しかなく[92]一般には出回らなかったためカレーにはネギが使用されており、1886年(明治19年)になってカレーのレシピにタマネギが登場するようになる[82]。また、東洋系のニンジンは江戸時代に日本に伝わっていたが、西洋系のニンジンがもたらされたのは明治に入ってからで、これもオランダ人によってもたらされたと考えられている[91]。
これら西洋野菜であるジャガイモ、ニンジン、タマネギが日本のカレーの具材の定番となるのは、明治時代後半から[14][82]大正時代にかけてである[93]。なお、肉は牛肉や鶏肉が使われていたが、日清戦争・日露戦争で牛肉の大和煮の缶詰が大量に戦地に送られて牛肉の価格が高騰したことから、豚肉もカレーに使われる肉の定番の一つとなった[92]。
一般大衆への普及
大正時代になると、都市部の人口が急激に増えてサラリーマンという階層が形成され、彼らを対象とする大衆食堂が増加した[94]。西洋料理は日本人の口に合うようアレンジされた洋食と呼ばれるようになって[11]、大衆的な洋食屋も生まれはじめた[94]。カレーも、1893年(明治26年)に鰹節の煮汁や醤油を使用するレシピが現れると[93]、大正時代にはこうした調味料の使用が広く行われるようになり[18]、日本生まれの三大洋食の一つとして[6]カツレツやコロッケとともに普及していった[22]。また、カレーソースと米飯を別にしていた盛り付けは、明治時代後期には米飯の上からかけるスタイルに変わっている[6]。
1923年(大正12年)の関東大震災以降、こうした流れはさらに加速する[94][14]。1924年(大正13年)、「簡易洋食」を看板とする「須田町食堂」(現・聚楽)が東京・神田須田町で開業[95]。「ウマイ、ヤスイ、ハヤイ」を掲げた気軽に食べられる洋食は評判となり、半年で京橋に支店を開店し、翌1925年(大正14年)にはさらに4店を出店した[95]。ここでの人気メニューはライスカレーとカツレツであった[95]。また、1918年(大正7年)の米騒動に続く物価高騰、その後の不況などで増加した失業者に対する社会事業として全国の都市に開設された公設食堂でも、ライスカレーは人気メニューであった[96]。
カレーは、この頃には、都市部の中流階級を中心に[6]、料理書や料理学校を通じて、洋食店だけでなく家庭料理としても食べられるようになっていった[22]。イギリスから伝来したカレーは、50年前後を経て日本のカレーとして定着したのである[97][22]。
普及の背景
カレーが急速に日本人に受け入れられた理由については、いくつかの考察がなされている[11][98]。まず時代背景として、明治時代から大正時代にかけての日本には、文明化のために西洋のものを積極的に吸収しようとする姿勢があったことが挙げられる[11]。それまで日本料理で使われていなかったジャガイモやタマネギといった西洋野菜や、鶏肉や牛肉、豚肉を材料に使うカレーは[11]、その独特の香りと相まって、西洋文明の味と香りと受け止められた[99][8]。そして、カレーの作り方は肉じゃがのような煮物と似ていた[4]。肉を少量しか使わなくてもカレー粉さえあればそれなりの味になるカレーは、経済的でもあった[8]。カレーは、簡便に作れる西洋料理として普及したのである[6]。
カレーが、イギリス料理として、日本人になじみのある汁かけ飯スタイルのカレーライスとして伝わったことも大きいと考えられている[66][8]。日本人にとって親しみのある米飯に合う西洋料理として自然に日本人の間に溶け込み[6][100][4][55]、米飯の上にカレーがかかったカレーライスは、日本の文化と西洋の文明の融合ともとらえられた[6][99]。江戸風俗研究家でエッセイストの杉浦日向子は、米飯に汁物をかける「ぶっかけ飯」と小麦粉でとろみをつけた汁を麺にかける「あんかけ麺」が江戸時代から庶民に親しまれていたことが、カレーという「あんかけ飯」が受け入れられ国民食と呼ばれるまでに普及した背景にあるのではないかと指摘している[66]。食に関する多くの著述のあるライターの澁川祐子は、この杉浦の指摘を受ける形で、「『米と一緒に食する西洋料理』として入ってきたからこそ、『新鮮でありながら親しみもある』という絶妙な距離感が生まれ、人々の関心を引くメニューとなった」とし、「もしカレーが『カレー&ナン』の形でインドから直輸入されていたら、日本でこれほど定番メニューになったかどうか」と論じている[66]。
また、カレーの持つアレンジの容易さを指摘する見解もある[101]。カレーはスパイスの集合体であることから力強い味であり、何と合わせてもカレーと分かる[93]。スパイスの配合を変えることで味が調整でき、さまざまな応用が可能である[93]。カレーは日本で、鰹節や醤油を用いるなど[93][18]日本人の口に合うようにアレンジされた「洋食」となり[11]、日本の気候にもあった味の「日本のカレー」となっていた[4]。そして、醤油と相性の良いカレーは、カレーうどんなどへと展開していくのである[4]。
展開
国産カレー粉
日本におけるカレー粉の歴史は、1890年代後半から1900年代にかけて[68][64]クロス・アンド・ブラックウェル(C&B)社のカレー粉の本格的な輸入から始まったが[65]、日本の各社も国産のカレー粉の開発に取り組んだ[20]。1903年(明治36年)[102][103][6][82][注釈 1]、大阪・道修町で[103]薬種問屋今村弥[103][6][68][82][注釈 2](現・ハチ食品)[64][68][82]を営んでいた今村弥兵衛が、国産初のカレー粉「蜂カレー」を発売[65][64]。「洋風どんぶり 家でも作れまっせ!」の宣伝文句で売り出すと[6][103]、大ヒットとなった[103]。今村は、暗い蔵の中でカレー粉を開発中に、ふと見上げた窓にハチが止まり朝日を受けて金色に輝いていた光景にちなんで「蜂カレー」と名付けたという[64]。
「蜂カレー」のヒットを受けて[64]、1923年(大正12年)には日賀志屋(現・エスビー食品)が[62][82][65]、1926年(大正15年)には浦上商店(現・ハウス食品)が[18]、1929年(昭和4年)には弘木屋(のちのメタル食品)が[104]、1930年(昭和5年)にはキンケイ食品が、それぞれ国産カレー粉の販売を開始するなど[104]、他の薬種問屋などが相次いで参入した[64]。日賀志屋の山崎峯次郎とキンケイ食品の森村国夫は、それぞれ子どもの頃に食べたカレーの味が忘れられずにカレー粉の開発に取り組んだと語っている[105]。ただし、当時の国産カレー粉の中には、輸入したカレー粉を混ぜ物で増量しただけのものを国産と称して販売するものも少なくなかったという[106]。
また、1906年(明治39年)[103][106]、東京・神田の一貫堂が「カレーライスのたね」を発売[102]。これは、カレー粉を肉などとともに混合乾燥して固形化し、湯で溶かすとカレーになるというものだったとされ[103]、のちのインスタントカレーの元祖と言われている[102]。また、大正時代に入ると[102]、東京・日本橋の岡本商店が「ロンドン土産即席カレー」を発売している[103]。粉末状で[102]、湯で溶かしてから肉や野菜を煮込むとカレーが簡単にできるというもので、1缶15人前で30銭だった[107]。こちらは、のちのカレールーの原形とされる[103]。これらは、太平洋戦争後の固形カレールーの開発へとつながっていく[102]。
第一次世界大戦頃からの需要増に応え[6]、高価なC&B社のカレー粉に替わって[82]次第に受け入れられていった国産のカレー粉だったが[108][64]、それでも一流の洋食店ではC&B社のカレー粉を使うことにこだわり、国産のカレー粉は質の劣るものとみなされていた[64]。そのような1931年(昭和6年)、「C&Bカレー粉偽装事件」が発覚[109]。C&B社の空き缶に国産カレー粉を入れて販売していたとして業者が摘発されたのである[109]。しかし、国産カレー粉を使いながら長期間偽物と気づかれなかった事実から、国産カレー粉がC&B社のカレー粉と遜色のないことが証明される形となり、逆に国産カレー粉の評価を高めることとなった[109]。この事件によって、C&B社のカレー粉と比べて比較的安価だった国産カレー粉は、一般家庭はもとより飲食店にも広まっていった[109]。日本人の嗜好に合わせて作られた国産カレー粉は[1]、カレーが高級食から大衆食へと転換する契機となり、カレーうどんなどの誕生につながっていく[82]。
カレーうどんとカレーパン
この頃から、カレーを使った日本独自のメニューが次々と考案されるようになった[93]。その嚆矢はカレーうどん(カレー南蛮)である[17]。鰹節や醤油のだし汁にカレーを加え、片栗粉でとろみをつけて、うどんやそばにかけたものである[102]。発祥には諸説あるが[110]、東京・早稲田の「三朝庵」[102]または大阪・谷町の「東京そば」(のちに移転し、現在の東京・上目黒の「朝松庵」)であるとされる[111]。「三朝庵」説では1904年(明治37年)頃[102]、「東京そば」説では1909年(明治42年)のこととされる[110]。カレー丼も、「東京そば」の角田酉之介がカレー南蛮とともに売り出したとされる[94]。関東大震災頃からカレーうどんは人気となり[18]、昭和初期には、カレーは、カレーライスとしてよりカレーうどんとして食される方が一般的だったともされる[112]。
カレーパンの発祥にも諸説あるが[113]、1927年(昭和2年)に[102][18]、東京・深川の「名花堂」(現・カトレア洋菓子店)が考案したとされる[114]。カレーに水分が多く焼きにくかったため、カツレツを参考に[115]、パンの中にカレーを入れ油で揚げる調理法としたという[114]。これは、実用新案として登録され、当初は「洋食パン」の名で売り出された[114]。パンの中にカレーを入れるという斬新な発想は、たちまち大ヒットとなったとされる[115]。
戦前のレストラン
次第に庶民に親しまれるようになったカレーは、レストランの人気メニューとなっていく[96]。中でも、カレーを目玉メニューとして取り扱ったのが、「新宿中村屋」と「資生堂パーラー」、「阪急百貨店」であった[96]。
「新宿中村屋」を通じて日本に本格的なインドカレーを伝えたのが、インドの独立運動家ラース・ビハーリー・ボースである[116]。インド総督襲撃事件に関与したボースは1915年(大正4年)にインド政府からの追及を逃れて日本に亡命したが[117]、当時イギリスと日英同盟を結んでいた日本政府は、同盟国の顔色を窺ってボースに国外退去を命じた[117]。これを知ってボースを匿ったのが、「新宿中村屋」の創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻であった[20]。菓子やパンの製造販売を行っていた「新宿中村屋」は[117]、1927年(昭和2年)に喫茶部を設けることとなり[96]、ボースはそこのメニューに「純インド式カリー」を加えることを提案した[118]。ボースは、イギリス経由で伝来したカレー粉に小麦粉を加えてとろみをつける日本のカレーが不満だった[119]。「新宿中村屋」の「純インド式カリー」は、小麦粉ではなくブイヨンにヨーグルトと炒めタマネギでとろみをつける本場インドのカレーであった[120]。銭湯が5銭[121]、洋食屋のカレーが10銭前後だった時代に[96][118]、「純インド式カリー」は80銭で提供された[121][18][118]。当初は骨付き肉にスパイスの強烈な香りという「新宿中村屋」の「純インド式カリー」に戸惑う客も多かったというが[118]、次第に評判が評判を呼んで人気メニューとなり[96][118]1日で200食が売れたという[121]。インドカレーは「中村屋カレー」として知られるようになり[116]、「新宿中村屋」は、日本における本格的なインドカレー店の先駆けとされている[20][18]。
1928年(昭和3年)、東京・銀座に「資生堂パーラー」が開店し、カリーライスを50銭で提供した[121]。米飯とカレーを別盛りにし、薬味としてショウガや、酢漬け、福神漬け、ラッキョウといった漬物を添えたのが特徴であった[121]。特に家族連れでにぎわう土曜日や日曜日にはカレーは大人気メニューであった[121]。
1929年(昭和4年)には、大阪・梅田に「阪急百貨店」が開業[121]。創業者の小林一三は、開業前、ヨーロッパへ向かう船上で食べたカレーが美味であったことに目をつけた[121]。船のコックに頼み込んでカレーの作り方を教えてもらい、百貨店の食堂の目玉メニューとして売り出した[122]。20銭で販売されたライスカレー(コーヒー付き[122])は人気を博し[18]、大ヒットとなった[122]。百貨店の増築に合わせて食堂も拡張し、1932年(昭和7年)に客席面積1000坪超となり日本一の広さを誇った「阪急百貨店」の食堂では、1937年(昭和12年)7月には1日1300食のライスカレーを売り上げたという[122]。また、「阪急百貨店」では、世界恐慌の影響でライスカレーを食べられない者に向けて、より安価でカレーを食べた気分になれるメニューとして、米飯にソースをかけただけの「ソーライス」も販売されていた[18]。
戦時下
第二次世界大戦がはじまると、英語は敵性語として禁止され[14]、「カレーライス」は「辛味入汁掛飯」と呼ばれた[14][6]。1941年(昭和16年)になると食料統制で軍需用以外のカレー粉の製造販売が禁止された[18]。それでも「辛味入汁掛飯」は、軍において人気メニューであり続けた[6]。
カレー粉の製造販売が解禁されるのは、終戦後の1946年(昭和21年)になってからである[18]。1933年(昭和8年)に「白缶カレー粉」を発売していた日賀志屋(現・エスビー食品)は[106]、1950年(昭和25年)に戦後復興に向けたエネルギーの象徴として赤色を採用した「赤缶カレー粉」を発売した[123]。「赤缶カレー粉」は、その後、日本の定番のカレー粉として定着した[65][124]。
太平洋戦争後
学校給食
終戦後、日本のカレー文化は再び活況を呈するようになる[18]。太平洋戦争前は、カレーの大衆化はまだまだ都市部に限られていたが[21]、日本各地から集められ軍でカレーの作り方を覚えた兵士たちが、終戦によりそれぞれの故郷に帰って家で作ったことで、カレーは全国に広まっていったとされる[68][85]。食通としても知られた映画監督の山本嘉次郎は、著書『日本三大洋食考』の中で、「ライスカレーが一般化したのは軍隊のおかげだという説がある」と紹介し、簡単に作れるライスカレーは「地方の青年が入隊して、軍隊でカレーの味と作り方をおぼえて、それを農村に持ち帰った。農繁期のときなんか、とくに便利である。 ちかごろ、農村ではライスカレーが流行っている。」と記している[86]。食文化史が専門の小菅桂子も、著書『洋食物語大全』の中で、「戦前の日本青年に軍隊がカレー普及に大きな貢献をしたことは確かであろう」としている[125]。
それとともに、終戦後にカレーが日本中に広まるきっかけとなったのが、学校給食であった[126][20][127]。学校給食で最初にカレーが登場したのは1948年(昭和23年)とされる[21][127]。東京都内の学童用にとメーカーが提供したカレー粉を使い、塩とカレー粉で味付けしただけのスープやシチューであったが、児童には好評であったとされている[127]。一部の地域で始まった学校給食は、1952年(昭和27年)4月には全国の小学校に広がり[127]、カレーは子どもたちの人気メニューとなった[20]。
米飯給食の試験導入が始まった[127]1970年(昭和45年)以降、カレーライスも学校給食で提供されるようになった[20][127]。これには、インドが大量のスパイスを提供したことや、カレー業界がカレーを広めようとしたことが背景にあったと言われている[20]。その後、学校給食のカレーは多様化し、ダルカレーやフィッシュカレー、キーマカレーとナンのセットなども提供されている[128]。
学校給食でカレーに親しんだ子どもたちは、大人になってからもカレーを好んだ[127]。そして、家庭でもカレーを作り、その子どもたちもそのカレーを食べて育つことで、カレーは世代を超えて親しまれる食べ物となっていった[127]。
固形カレールー
1945年(昭和20年)、オリエンタルが「即席カレー」を発売した[129]。これは粉末状のカレールーで、家庭で気軽にカレーを作れるとして人気商品となった[20]。1952年(昭和27年)[注釈 3]にはベル食品(現ベル食品工業)が「ベルカレールー」を発売[129][130]。菓子メーカーだったベル食品はカレールーを板チョコの形状の固形とし、「ベルカレールー」は1枚で8人分、4つに割って使うことができた[130]。
1954年(昭和29年)になるとエスビー食品が「ヱスビーカレー」を、1960年(昭和35年)にはハウス食品が「印度カレー」、江崎グリコが「グリコワンタッチカレー」を、1961年(昭和36年)には明治製菓が「明治キンケイカレー」を発売するなど[129][130]、昭和30年代半ば以降、固形カレールーがブームとなり新商品が次々と発売された[131]。1963年(昭和38年)には、ハウス食品が、辛いものが苦手な人や子どもも食べられるようにと考案された「バーモントカレー」を発売[21]。リンゴ酢とはちみつを使う「バーモント健康法」にちなんでリンゴとはちみつを加え[132][74]、カレーの風味を残しつつ[132]比較的マイルドで甘い味わいは[74]、西城秀樹が歌う印象的なテレビCMとともに、幅広い世代に受け入れられた[21]。
日本独自の固形カレールーは、材料を煮込んだ後に加えるだけで簡単にカレーを作ることができた[129]。料理に簡便さが求められるようになった戦後復興期[4]、カレー粉を計量する手間がかからず使い勝手も良い固形カレールーは主婦の支持を受け[130]、日本におけるカレーの普及をさらに後押しした[8]。1965年(昭和40年)に約3万3000トンだった固形カレールーの生産量は、1975年(昭和50年)には約8万6000トン、1995年(平成7年)には約10万2000トンに達した[129][130]。食文化史が専門の小菅桂子は「この簡便な即席固形ルウを抜きにして日本のカレー史を語ることはできない」と評している[125]。
レトルトカレー
1968年(昭和43年)2月12日[133]、大塚食品工業が[134]、世界初の市販レトルト食品となる「ボンカレー」を発売した[20]。アメリカ陸軍が開発した真空パックに入った携帯食用のソーセージの記事がヒントとなったといい[133]、「お湯で温めるだけ」のカレーをコンセプトに開発された[133][135]。当然、軍事技術であったレトルトパウチの製法の詳細は明かされておらず、大塚食品工業では一からの開発を余儀なくされた[135]。幸い医療用の点滴薬を製造していたグループ企業があったことから、その高温殺菌技術を活用して自前でレトルト釜を製作[134]。温度や圧力、包材の耐久性などの数々なテストを繰り返して発売にこぎつけたものだった[134]。
湯煎して米飯にかけるだけでカレーライスができるという「ボンカレー」は画期的な商品であり[136]、パッケージも、女優の松山容子を起用し、「牛肉100% 新鮮な野菜の煮込 3分間で本場の味」というコピーを添えた斬新なものであった[137]。「ボンカレー」は、レストランのカレーライスが100円前後であった時代に、80円の定価で売り出された[138]。しかし、発売当初は、できあがっているカレーが長期保存可能ということに、むしろ抵抗感を感じる人が多く、あまり受け入れられなかったという[4]。転機は1969年(昭和44年)のアポロ11号の打ち上げであった[129][139]。これに搭載されたことでレトルト食品が広く知られるようになり[129][139]、大塚食品工業が「宇宙食が開発のヒント」と謳ったことで注目された[4]。ちょうど高度経済成長期で人々の生活が大きく変化した時期にあたり[138]、効率化が求められた時代背景もあって、レトルトカレーは広く普及していくようになった[129][138]。なお、のちにレトルトカレーは実際に宇宙食に採用され、1997年(平成9年)に毛利衛が初めて宇宙でカレーを食している[136]。
「ボンカレー」の成功を受けて、他社も次々と参入した[138]。ハウス食品は1971年(昭和46年)に「ククレカレー」の販売を開始[136][138]。「調理しない」というクックレスから命名された[140]。マイルドな味と程よいスパイシーさが消費者に受け入れられ、「おせちもいいけどカレーもね」のテレビCMが話題となったこともあって、一躍レトルトカレーのトップに立った[140]。その後、特徴のあるレトルトカレーの発売が続いた[140]。江崎グリコは辛さにこだわった「LEE」を開発[141]。唐辛子と胡椒の辛み成分の総量を基準とする辛さの表示に倍率を用い、同社の辛口に相当するものを1倍として、10倍や20倍といった商品を販売している[141]。発売当初は1倍も販売していたという[141]。明治製菓は、キンケイ食品が1930年(昭和5年)に発売したカレー粉「ギンザカレー」の復刻版という謳い文句で、1994年(平成6年)に「銀座カリー」を発売した[142]。一晩煮込んだブイヨンをさらに牛肉と香味野菜で煮出した二段仕込みブイヨンを使用し、まろやかなコクと甘みのソテーオニオンと特製のスパイスを加えた滑らかなルーが特徴とされている[142]。さらに、有名店のカレーの味を再現したものや、素材にこだわったもの、海外のカレーを模したものなど多様なカレーが商品化されていった[138]。個食化の進行や単身世帯の増加もあってレトルトカレーの市場は年々拡大した[138]。
また、包材にも改良が続けられた[134]。「ボンカレー」の発売当時の袋はポリエチレンとポリエステルの2層からなる半透明の袋で、賞味期限は冬場は3か月、夏場は2か月であったが[134]、1969年(昭和44年)に間にアルミを挟む3層構造とすることで2年の賞味期限を実現した[23]。さらにのちには、箱に入れたまま電子レンジで温めることができる商品も開発されている[140]。
カレー専門店
「新宿中村屋」のラース・ビハーリー・ボースと並び、日本における本格的なインドカレーの普及に貢献した人物としてA.M.ナイルが挙げられる[143]。1928年(昭和3年)に日本に留学したナイルは[20]、ボースとともに日本でインドの独立運動を展開したほか、極東国際軍事裁判で判事を務めたラダ・ビノード・パールの通訳を務めた[144]。ナイルはインド独立後も日本に残り、日本とインドの友好に尽くした[20][143]。ナイルは「日印親善は台所から」の信念の下[143]、1949年(昭和24年)東京・銀座に「ナイルレストラン」を開業[21][20][143]。これが日本で最初のインド料理店とされる[20][143]。このほか、インドから輸入したスパイスを独自に調合したカレー粉「インデラカレー」を販売した[143]。「インデラカレー」はロングセラー商品となり[143]、「ナイルレストラン」もカレー専門店の老舗として長く人気を保っている[21]。また、ナイルに対しては、長年日印親善に尽くした功績が認められ、勲三等瑞宝章が授与された[20][145]。
1973年(昭和48年)には東京・神保町に「ボンディ」が、1978年(昭和53年)には「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店が開業、カレー専門店が日本に定着する[136]。その後、バブル景気の時代には[146]、インドカレーや、タイカレーなどの東南アジアのカレー店が増えていった[8]。
2000年代以降
2000年代には、寿司や天ぷらよりもカレーの方が頻繁に食べられるようになった[126]。2001年(平成13年)には、横浜に「横濱カレーミュージアム」がオープン[147](2007年(平成19年)まで[12])。カレーの歴史を学べる展示や、カレーやカレー粉を使った多様な料理を味わえるフードコートを備え、サリーを着たスタッフが話題になった[9]。同ミュージアムに出店したカレー専門店は注目され、大手食品メーカーからそれらの店が監修したレトルトカレーが発売されることもあった[147]。また、札幌の「マジックスパイス」が同ミュージアムに出店するとスープカレーブームが起こり、首都圏にもスープカレー専門店が続々と開店した[147]。その後も、さまざまなカレーが流行しブームとなっている[147]。カレーうどん誕生100周年とされる2003年(平成15年)には記念のイベントやキャンペーンが開催され、これまでにないカレーうどんが各所で考案された[148]。2007年(平成19年)にはカレー鍋が、2008年(平成20年)にはキーマカレーが、2015年(平成27年)には金沢カレーがブームとなっている[149]。
農林水産省の「カレー生産実績調査結果」によると、日本におけるカレー関連商品の生産は、2008年(平成20年)時点で25万6172トン、1505億8900万円に上る[124]。この時点で最も多かったのは固形カレールーで、次いでレトルトカレー、カレー粉の順であった[124]。2007年(平成19年)時点では固形カレールーの国内出荷額は827億円[150]、家庭用シェアは、ハウス食品(59.0%)、エスビー食品(25.8%)、江崎グリコ(9.4%)でほぼ独占していた[151][152]。また、2007年(平成19年)のレトルト食品の売り上げに占めるレトルトカレーの割合は3割以上と、単一カテゴリーとしては最大であった[153]。レトルトカレーの売上額が固形カレールーを逆転するのは、2017年(平成29年)以降である[138]。ただ、一人であればレトルトカレーを食べるが、家族や友人とだったら手作りしたいとして、固形カレールーの人気も根強い[132]。
また、テレビゲームやアニメのキャラクターを使った子ども向けのカレーも販売されている[154]。「カレーの王子さま」シリーズは、「安全・安心、健康・栄養」をコンセプトに離乳食後の1歳から食べられる「はじめてのカレー」として開発され、アレルギー特定原材料不使用や国産緑黄色野菜使用などの商品を展開している[155]。
イギリスから日本にもたらされたカレーは[1][2][3]、明治、大正、昭和を通じて徐々に浸透し[20]、国民食と呼ばれるまでに日本に定着した[13][14][2][20]。カレーライスをはじめカレーパンやカレーうどんなどのほか[16][17][18]、カレー味の惣菜や菓子などさまざまなカレー食品が日本中に流通している[124]。
バリエーション
- カツカレー: カレーライスの上にカツが乗っているもの。
- ドライカレー: カレー味のチャーハンや、より乾燥したミンチ肉のカレーソースをカレーライスにかけたもの。
- 混ぜカレー: ソースとライスがすでに混ざった状態で提供されるカレーライス。大阪の自由軒のカレーで広まった。
- カレー丼: とろみをつけてめんつゆや出汁で味付けしたカレーソースをごはんの丼にのせ、和風な味わいに仕上げたもの。
- 合がけ: カレーソースとハヤシソース(牛肉と玉ねぎの炒め物を赤ワインとデミグラスソースで料理したもの)をライスにかけたもの。
- 焼きカレー: 生卵をトッピングしてオーブンで焼いたカレーライス。北九州発祥。
- 石焼きカレー: 熱した石の器に盛られたご飯にカレーソースをかけたもので、石焼ビビンバと同じような食べ方である。
- スープカレー: スープカレーは、鶏の足や粗めにカットされた野菜などの塊のある具材と一緒に食べる、やや水っぽいスープのようなカレーソース。北海道で人気がある。
- カレーパン: 昭和初期生まれた、パンにカレーを入れてそれを揚げたパン。
- カレーうどん: 片栗粉を入れて煮たカレーをうどんに掛けた麺料理。
- カレーそば: 片栗粉を入れて煮たカレーをそばに掛けた麺料理。
- カレーラーメン: カレーのスープを煮て、ラーメンに入れるかカレー具をそのままラーメンに掛ける麺料理。
ご当地カレー
1990年代後半には、真空パック入りカレーソースとして普及した地域特産のカレーが数多く登場した。以下のようなものがある。
- えぞ鹿カレー(北海道)
- ほたてカレー(青森県)
- 鯖カレー(千葉県)
- リンゴカレー(長野県と青森県)
- 納豆カレー(茨城県水戸市)
- 名古屋コーチンカレー(愛知県)
- 松坂牛カレー(三重県)
- クジラカレー(和歌山県)
- 牡蠣カレー(広島県)
- 梨カレー(島根県)
- 黒豚カレー(鹿児島県)
- ゴーヤカレー(沖縄県)
観光振興のために、地元のカレーも販売されている。横須賀の海軍基地としての伝統をアピールするために横須賀で販売されているよこすか海軍カレーや[156]、大湊海軍カレー、1929年にツェッペリンが上陸したことをアピールするために土浦で販売されているツェッペリンカレーなどがある[157]。
日本国外
朝鮮半島
韓国のカレーは、日本統治時代に日本から持ち込まれたとされており、日本のカレーによく似ている[158]。市販のカレールーを使用することも日本と同様である[159]。韓国のカレーは、日本のカレーと比べて、汁気が多く、色は薄めで黄色が強い[158]。具材は多く、四角く形が整えられ、あまり煮込まずに固めの歯応えを残す[158]。付け合わせはキムチが一般的である[158]。日本のカレーチェーン店が進出しているほか、都市部では日本の最新の流行店も見られる[158]。
北朝鮮では、1960年代から1970年代頃の在日朝鮮人の帰還事業や、拉致された韓国人や日本人によって、日本式のカレーが北朝鮮に持ち込まれた[160]。ほかの日本料理と同じように、新たに入ってきた人たちが現地の産物と交換したり、朝鮮労働党幹部に賄賂として贈っていたとされる[160]。
中華文化圏
中華圏においては日本のカレーは日式咖哩飯と呼ばれ、いわゆる日式料理として広く受け入れられている[161]。中国の人々にとって日式カレーは、油が少ないと感じられるが口当たりはよいと評されている[161]。もともと中国ではインドのカレー文化の影響をあまり受けておらず、炒め物やスープにカレー粉で風味をつける程度であった[162]。1990年代から日式カレーが入ってくるようになり[163]、2005年(平成17年)にはハウス食品がバーモントカレーの販売を開始したが[164]、ハウス食品ではまず子どもにカレーの味を知ってもらうことから始めて徐々に浸透させていったという[162]。
身近な材料と市販のカレールーで簡単に作ることができる日式カレーは次第に受け入れられ[162]、家庭料理として定着していった[164]。日本式のカレールーは大都市のスーパーや食料品店でも扱われるようになり[162]、カレーといえば一般的に日式カレーのことを指すようになっている[163]。中国で販売されているカレールーは、ターメリックを増やして中国人の好む黄色味を強めたり、中華スパイスの八角を入れるなど、中国人の嗜好に合わせた工夫が行われているが、一方でカレーハウスCoCo壱番屋など中国に進出した日本のカレー店では、あくまで日本のカレーとして日本国内と同じ味で提供している[165]。
台湾には日本統治時代に日本人向けの料理としてカレーが伝わったとされるが、一般的に食べられるようになったのは1970年代以降に日本のカレールーが販売されるようになってからである[166]。家庭料理や屋台料理としての台湾のカレーは、スパイスの種類は少なめで、ターメリックを多く用いた明るい黄色をしており、具材は大きくカットされる[166]。
2000年代以降、日本式のカレー店がオープンするようになり、日式カレーは台式カレーより少し高級な料理として受け止められている[166]。台湾に進出したカレーハウスCoCo壱番屋の店舗も、日本の店舗より店構えや調度、内装がデートや接待にも使えるやや高級な作りとなっている[166]。台式カレーや日式カレーに加えて、インドやマレーシア、ベトナムといったアジア各国のカレー店も増えている[166]。また、台湾では日本のレトルトカレーが日本土産として人気である[166]。
その他
そのほかの国にも日本のカレーは広まっている[162]。ハウス食品は、日本のカレールーを50か国以上で販売してきたという[162]。また、日本のカレールーはオンラインショップでも入手可能である[167][168]。イスラム圏向けには、ハラールに適合したカレールーも製造販売されている[169]。
日本のカレー店も世界中に出店を続けている[170][171][7]。ハウス食品は1984年(昭和59年)からアメリカ国内に「Curry House Japanese Curry and Spaghetti」をチェーン展開した[172]。カレーハウスCoCo壱番屋は、1994年(平成6年)に日本国外で初めてハワイ・オアフ島に出店したのを皮切りに、アジアやアメリカに店舗を展開している[171]。ゴーゴーカレーも2007年(平成19年)にニューヨークにアメリカ1号店を出店した[11]。この店は、当時ニューヨーク・ヤンキースに所属していた松井秀喜がホームランを打った日には、すべてのカレーが55セントになることで知られた[159]。なお、ハウス食品は「Curry House Japanese Curry and Spaghetti」を2019年(平成31年/令和元年)にCH Acquisitions LLC社に売却し、店舗は2020年(令和2年)2月に突然閉鎖された[172]。
ヨーロッパなどでは、日本のアニメや漫画の影響で日本のカレーが注目されている[13]。2018年(平成30年)、カレーハウスCoCo壱番屋は、ヨーロッパで最初の店舗をイギリス・ロンドンに出店した[171]。イギリスでは、約150店舗を展開する和食チェーン「Wagamama」をきっかけにカツカレーブームが起こった[173]。もともと豚肉より鶏肉を好むイギリスではチキンカツカレーが定番となり[173]、カツレツが載っていなくても日本式のカレー全般を指して「Katsu Curry」と表現することもある[174][173]。
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カレーの日
1982年(昭和57年)1月22日、「給食の意味や大切さを知ってもらいたい」との全国学校栄養士協議会の呼びかけで、全国の小中学校の給食で統一メニューを組むことになった[175]。事前に希望メニューのアンケートをとったところ、全47都道府県で1位という圧倒的な支持を受けたカレーが提供された[175]。これを記念して、1月22日が「カレーの日」となっている[175]。ただし、メニューを統一することは「管理教育ではないか」という意見も出されるなど賛否両論を巻き起こしたため、実際にこの日にカレーを提供した学校は約6割にとどまったという[175]。
以降、毎年1月22日には、自治体やカレー専門店、食品メーカーなどによってさまざまなイベントが企画されている[175]。東京・恵比寿では、前年に話題を集めたカレーやメーカーなどを表彰する「カレー・オブ・ザ・イヤー」が開催されている[175]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e 全国調理師養成施設協会編『調理用語辞典』社団法人全国調理師養成施設協会、1986年11月27日、230頁。
- ^ a b c d e f ハウス食品株式会社監修『世界のカレー図鑑』株式会社マイナビ出版、2019年7月29日、92頁。
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- ^ a b c d e f g h i 野村麻里著 (2014-04-03). “日本のカレー粉を探求!”. 東京人 (都市出版株式会社) 29 (5): 46.
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- ウィキメディア・コモンズには、日本のカレーに関するカテゴリがあります。