中村屋

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株式会社 中村屋
NAKAMURAYA CO.,LTD
Shinjuku nakamuraya head store tokyo 2014.jpg
新宿本店(2014年10月リニューアル)
種類 株式会社 (日本)
市場情報
東証1部 2204
1957年(昭和32年)3月14日[1]上場
大証1部(廃止) 2204
2013年7月12日上場廃止
略称 新宿中村屋
本社所在地 日本の旗 日本
160-0022
東京都新宿区新宿三丁目26番13号
設立 1923年大正12年)4月1日
業種 食品
法人番号 6011101015442
事業内容 和洋菓子、パンの製造・販売
レストランの経営
不動産業
代表者 長沼誠(代表取締役社長)
資本金 74億6940万円(2006年3月期)
売上高 単体397億600万円、連結403億7500万円(2013年3月期)
総資産 単体358億1000万円、連結359億2100万円(2013年3月期)
従業員数 単体853人、連結925人
決算期 3月
主要株主 中村屋取引先持株会 8.37%
(株)みずほ銀行 4.89%
三井不動産(株) 3.01%
日本製粉(株) 2.18%
(2012年3月末現在)
関係する人物 相馬愛蔵相馬黒光
外部リンク http://www.nakamuraya.co.jp/
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株式会社中村屋(なかむらや)は、東京都新宿区に本社を置く、老舗食品メーカー

概要[編集]

一般には老舗の「新宿中村屋」で知られる。和菓子洋菓子の他、菓子パン中華まんレトルト・缶詰のカレー等を製造販売している他、いわゆるデパ地下ショッピングセンター等に菓子の名店として出店(直営店160店)、レストラン(直営店20店)を営業している。

関東で販売される中華まんのシェアトップを占めており[2]コンビニエンスストア向け業務用食品にも商品を持つ。

その他事業として、旧・笹塚工場跡地に地上18階建ての「笹塚NAビル」を所有し、賃貸事業・スポーツクラブ事業をおこなっている。

売上比率は菓子事業64%、食品事業20%、レストラン事業13%、賃貸事業1%となっている。(2006年現在)

現在日本で食べられている中華まんは、大正14年[3]から昭和2年発売日まで改良を加えられて、日本人の口に合うように工夫されたものである[4]。また、クリームパンを日本で初めて販売しており、カレーパンと共に有名である[5]

沿革[編集]

  • 1901年(明治34年)12月 現文京区本郷東京大学正門前にあったパン販売店中村屋を相馬愛蔵夫妻が買い取り、個人経営で創業。夫婦ともに学校出であったことから「書生パン屋」と呼ばれて繁昌した[6]
  • 1909年(明治42年)9月 新宿(現在の本店)に移転し各種菓子や缶詰等の製造販売も始める。
  • 1923年(大正12年)4月 株式会社に改組。
  • 1927年(昭和2年)6月 喫茶部を開設、カリーライスとボルシチを売り出す。
  • 1948年(昭和23年)8月 多摩川食品株式会社を吸収合併。
  • 1948年(昭和23年)12月 専属の和菓子工場、黒光製菓株式会社を設立。
  • 1951年(昭和26年)9月 渋谷区笹塚に笹塚工場(のち東京工場に改称、現・東京事業所)を新設。
  • 1957年(昭和32年)3月14日 東京証券取引所上場[1]
  • 1959年(昭和34年)10月 エース食品株式会社に資本参加し、商号を株式会社中村屋食品へ変更させる。
  • 1968年(昭和43年)11月 神奈川県海老名市に神奈川工場を新設。
  • 1973年(昭和48年)9月 黒光製菓株式会社を子会社化。
  • 1977年(昭和52年)10月 株式会社ハピーモアを子会社化。
  • 1989年(平成元年)9月 埼玉県南埼玉郡菖蒲町に埼玉工場を新設。
  • 1991年(平成3年)12月 株式会社エヌエーシーを子会社化。(現エヌエーシーシステム)
  • 1993年(平成5年)2月 エヌエーシーが笹塚NAビル竣工。
  • 1997年(平成9年)4月 中村屋食品とハピーモアが合併。
  • 1998年(平成10年)5月 エヌエーシーが株式会社エヌエーシーシステムに商号変更。10月 茨城県牛久市につくば工場を新設。
  • 2001年(平成13年)9月 東京工場での生産を終了。東京事業所とする。
  • 2005年(平成17年)10月 エヌエーシーシステムが株式会社エヌエーシービルに商号変更して新設の株式会社エヌエーシーシステムに事業譲渡。エヌエーシービルは中村屋に合併。
  • 2011年(平成23年)10月 本店が建替え工事のために休業。翌月、隣接する新宿高野本店内に仮店舗を開設。
  • 2014年(平成26年)10月 本店がリニューアルオープン。[7]
  • 2016年(平成28年)10月28日 生産能力増強の為、埼玉県入間市大妻女子大学狭山台キャンパス跡地を取得する事を公表した。[8]

相馬愛蔵(創業者)[編集]

屋号は明治の末頃に中村不折が揮毫したものを用いている[9]

1901年の創業以来、妻の相馬黒光とともに独創的なパン・食品を作り続けた。1904年にはシュークリームをヒントに現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した。1927年には現在の中華まんのもととなる「中華饅頭」を発売。これが現在の中華まんの始まりとも言われている。

1918年に娘がインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボース結婚をしたことから、本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)6月12日に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。本店のカリーのキャッチフレーズ「恋と革命の味」はここから生まれ、引き継がれている。また中村屋では発売開始日の6月12日を「恋と革命のインドカリーの日」と定めている。

フランスパンを日本で最初に発売した京都の進々堂創業者の続木斎や、山﨑製パン創業者の飯島籐十郎も相馬のもとで勤務していた。

新宿本店には愛蔵・良の人柄に惹かれた文化人が盛んに来店していた。その中にロシアの童話作家ヴァスィリー・エロシェンコもおり、彼がレシピを伝えたボルシチも、前述のカリーと並び本店レストランの開店以来の人気メニューである。ただし、このボルシチはテーブルビートの代わりにトマトを使用した物である。また、エロシェンコが着用していたロシアの民族服ルバシカも、その機能性から店員制服として採用されている。

逸話[編集]

寺山修司プレイボーイ誌で人生相談欄を担当していたとき、自殺願望の青年の葉書に対し、「君は新宿中村屋のカリーを食べたことがあるか?なければ食べてから再度相談しろ」と返答した。

レストラン・ベーカリー[編集]

2005年、新宿中村屋本店のインドカリー
  • 新宿中村屋インドカリーの店(10店)、他カレー店(1店)(2008年10月末現在)
    • 新宿本店でもルパでも同様にインド式カレーを提供。但しメニュー等は異なる。新宿本店は建て替えのため平成23年11月10日から平成26年まで仮店舗で営業。
  • オリーブハウス(南欧風レストラン・19店)(2008年10月末現在)
  • イルベローネ(イタリアンレストラン・1店)(2008年10月末現在)
  • ファリーヌ(ベーカリー・1店)(2008年10月末現在)

主な事業所[編集]

渋谷区笹塚にある中村屋中央事業所(かつての東京工場)。
  • 本店
    • 新宿駅東口にある。本店には商品の販売のほか、インドカリーやフレンチ、中華料理などを供するレストランが入っている。建て替えのため、平成23年11月10日から平成26年までは隣接する新宿高野の本店ビル内に設けた仮店舗で営業した。
  • 東京事業所(東京都渋谷区笹塚
  • 神奈川工場(神奈川県海老名市
  • 埼玉工場(埼玉県久喜市
  • つくば工場(茨城県牛久市

関係会社[編集]

  • 黒光製菓株式会社(菓子事業)東京都新宿区、100%子会社
  • 株式会社ハピーモア(食品事業)東京都新宿区、100%子会社
  • 株式会社エヌエーシーシステム(笹塚NAビル、NAスポーツクラブA1経営他)東京都渋谷区、100%子会社

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『株価20年 昭和33年版』 東洋経済新報社、1958年3月13日。
  2. ^ 株式会社中村屋第86期報告書
  3. ^ 中華まんの起源 相馬夫妻の視察旅行後
  4. ^ glico 中華まんの歴史
  5. ^ 企業探求 新宿中村屋
  6. ^ 『夫婦成功美談 : 男女修養』東京実用女学校編 (東京実用女学校出版部, 1909)
  7. ^ 中村屋 新宿中村屋ビル
  8. ^ 中村屋、生産力増強へ入間市の土地8.3万m2取得
  9. ^ 中村不折なかむら ふせつ”. 創業者ゆかりの人々、歴史・おいしさの秘密. 新宿中村屋. 2014年11月12日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]