麦飯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
麦飯

麦飯(むぎめし、むぎいい、ばくめし、ばくはん)は、大麦裸麦炊いた[1]麦ご飯(むぎごはん)ともいう。季語

と混ぜて炊くほか、米の乏しい畑作地帯ではこれにさらになど雑穀を加えたり、雑穀と大麦のみで作るような麦飯もかつては見られた[2][1]

概要[編集]

米あまりの時代以前は、白米だけの飯は都市部以外では祝祭時のみ炊かれるもので、東京を例にとると東京都区部のうち山の手下町では普段でも白米飯を食べていたが、その外側の作地帯では、陸稲米が2割から3割の麦飯を食べていた[1]。現在は住宅地になっている杉並区では大正時代から少しずつ蔬菜の栽培が増加し、都市近郊の野菜栽培農家に転換したが、それ以前はなどの穀物を栽培し、日常食は稗と麦で、米は少し入れるだけだった[3]。日本では米に対する思い入れは強く、日本人主食は米と考えられてきたが、実際の日常食は麦飯の他、かて飯といって米に他の穀物野菜海草などを加えて共に炊飯したもの、あるいは粟、稗など米以外の穀物のみを炊飯したものが普通だった[1]

調理[編集]

麦飯は米飯とは異なる独特の香りと、やや固めで粘りけの少ない食感をもつ。調理に際しては米との比率を好みによって調製する。麦を多くするほど米に由来する飯の粘り気が少なくなり、固い食感となる。麦は炊き上げるのに米よりも多くの水が必要なため、麦の量が増えるにしたがって米のみの場合よりも水を多めにする。

大麦は世界的には粗挽きにしてに炊く、炒ったものを粉にして(はったい粉ツァンパ)熱湯やで練る、発芽させて麦芽とし、これを乾燥、粉砕してパンの材料や醸造原料とするという利用法が主体である。米と同様に粒の状態で炊飯する食べ方は、日本以外では朝鮮でみられる。ヨーロッパでは、大麦のみ、または大麦と米を混ぜてピラフとして炊いたものなどがみられる。

伝統的な麦飯[編集]

大麦は米に比べて煮えにくいので、先に丸麦を煮ておき水分を捨てて粘り気を取り、米と混ぜて一緒に炊いた。湯取り法の一種である。また麦を石臼で挽き割った挽割麦は、米と混ぜて炊くことができ、ヒキワリメシという。その後、大正時代から昭和前期に押麦が普及した。明治・大正時代までは麦のみのバクメシもあったが、米2麦8の混合率から次第に米3麦7、そして半々のハンバクメシとなり、戦後には米7麦3へとその比率が逆転した[1]

昨今の情勢[編集]

麦飯は米あまりの時代以前の日常の一般的な食べ物の一つだが、今日では健康食品、あるいは麦とろご飯牛タン定食水軍鍋など特に麦飯と相性のよい食味を持つ献立に添えて好んで食べられるように変化した。健康食品として食べられるのは、大麦は米と比べて食物繊維タンパク質ビタミンを多く含むためである。

大麦を炊飯用に加工したものを精麦と呼び、元々の丸麦や大正時代に登場した押麦に加え、昨今ではさまざまなものが開発されている[4]

丸麦
大麦の外皮を取り除き、精白した状態そのままのもの。
押麦
精白した大麦に水と熱を加えて2つのローラーで押したもの。粒の真ん中に黒条が残る。麦とろに良く用いられる。
切断麦
黒条(中央の線)を縦に半分に切り、水と熱を加えて2つのローラーで押したもの。さらにビタミンB1ビタミンB2を強化した「ビタバァレー」もある。「ビタ」はビタミン、「バァレー」は大麦(Barley)のことで、脚気予防のため開発された。
米粒麦
黒条から縦に半分に切り、米粒状に剥いたもの。押麦や切断麦は水洗いの際に浮きやすいのに対し、米粒麦は米と混ざりやすくなっている。

健康食として[編集]

江戸時代江戸大坂では精白された白米が普及し、ビタミン不足から脚気が大流行したのは有名な話だが、白米の食味の良さを喜んだ民衆の偏食とともに、大都市の燃料問題も理由として挙げられる。が周辺の山野で簡単に手に入る農村や山村と異なり、都市では薪も金を出して買わなくてはならない。庶民が燃料費を節約するために、煮えにくい玄米や丸麦を避け、主食を白米のみに依存した結果、脚気の流行を招いたともいえる。

日本軍では、白米のみの飯を兵食の主食とした陸軍日露戦争で多数の脚気による戦病死者を出したのに対し、麦飯を採用した海軍では脚気の発生を阻止した(ただし、麦飯の食味を嫌って麦を捨ててしまう烹炊兵が多かったらしく、海軍でもその後脚気禍が何度も発生している)ことが知られる。

麦飯は、かつては米より食味で劣り、かつ安価で流通していたため、粗食であり、貧民の食物という社会的な観念があった[5]。そのため吉田茂内閣の池田勇人大蔵大臣の発言が「貧乏人は麦を食え」の見出しで新聞に掲載され、物議を醸した[6]。しかしその優れた栄養価から、支配的階級の人物にあって麦飯を食していた人物も少なくなく、徳川家康昭和天皇は生涯、麦飯を主食として食し続けたことで知られている。ちなみに徳川家康も昭和天皇も、長寿であり生涯を通して健康体の持ち主であった。

エピソード[編集]

日本の刑務所では、近代の懲役刑の導入とともに麦飯が導入されており、米:麦=7:3の比率のものが主食とされている。かつては、精麦が不十分だったため炊きあがった麦飯は独特の臭いを持っていたことから、刑務所に収監されることを「臭い飯を食う」と言う表現ができたという説がある(ただしこれは「臭い房内の中で食べるため、飯まで臭く感じる」という意味であって、麦飯そのものは臭くはなかったとする体験談も多く聞かれる)。2005年(平成17年)8月に、秋田市で開催された第46回日本人間ドック学会学術大会に於いて、2型糖尿病患者の血糖値刑務所服役中に著明に改善した事例が発表された。福島刑務所医務課の日向正光は、受刑者の栄養摂取量が日本人の平均と同等以上であることや、運動量がそれほど多くはないのにも拘らず、インスリンで治療していた17人のうち5人が注射をやめることができ、経口血糖治療薬で治療していた34人についても17人が服薬を中止できた事を踏まえて、刑務所の主食が今どき珍しい“麦飯”であることに着目した。米7麦3の飯を毎日食べることで、食物繊維、とりわけ水溶性の食物繊維の摂取量が多くなり、糖代謝の改善につながったのではないかと考えた。受刑者は平均的日本人男性の2倍の食物繊維を摂取し、水溶性食物繊維は5倍摂っているという。「規則正しい生活習慣と麦飯などの高食物繊維食で、十分な糖尿病の治療効果がもたらされる可能性がある」としている[7][8]

ラットの動物実験で、大麦食の血糖上昇抑制効果が認められているが、グルコースの吸収速度が遅くなるのが理由ではないかとしている[9]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 新谷 尚紀 他 『民俗小事典 食』 吉川弘文館、2013年、ISBN 978-4-642-08087-3 、26-29頁
  2. ^ 搗いた大麦(丸麦)のみの飯を東京の多摩地方や長野県などではオバク、バクメシといい、時には小豆やいんげんなどを混炊した。
  3. ^ 増田 昭子 『雑穀の社会史』 吉川弘文館、2001年、ISBN 4-642-07545-3 、46、79頁
  4. ^ 大麦を5つのタイプに加工しました 株式会社 はくばく KOKUMOTSUを知ろう。
  5. ^ 現在(2015年)の押し麦の小売価格はコメと同等か、品種によってはむしろコメより高い場合もあり、麦飯を粗食とする社会通念は薄れつつある。
  6. ^ 池田は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」と締めくくったが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていた新聞を刺激した。 翌日の朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言として伝わり、各方面から強い批判を受けることになった。
  7. ^ M. Hinata, M. Ono, S. Midorikawa, K. Nakanishi: Metabolic improvement of male prosonners with type 2 diabetes in Fukushima Prison, Japan, Diabetes Research and Clinical Practice, 77巻、327-332(2007)
  8. ^ 日向正光『塀の中の患者様』 祥伝社、2013年、ISBN 978-4-396-61481-2 、146-148頁
  9. ^ ラットにおける実験的糖尿病発症に対する大麦の効果、池上幸江、日本栄養・食糧学会誌 Vol.44 (1991) No.6

関連項目[編集]