インディカ米
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長粒種の玄米(品種:バスマティ)
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| 分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | |||||||||||||||||||||||||||
| Oryza sativa subsp. indica |
インディカ米( - まい)は、イネの品種群の一つ。世界のコメ生産量の80%以上を占める。日本国内で俗に「タイ米」( - まい)「南京米」などと呼称される。
特徴[編集]
イネ(Oryza sativa)は、indica、japonicaの二つの亜種を含む。前者は長粒、後者は短粒を特徴とするとされており、インディカ米には、米粒が細長くアミロース含量が高くて粘り気が少ないものが多い。しかし、アミロペクチン含有量の高いもち米様のインディカ種も存在する。また、近年遺伝子の解析に基づき長江流域で栽培化された単系統の品種群をジャポニカと定義し、長江流域に発する稲作文化の影響下に西方で新たに野生種から栽培化された複数の品種群をインディカと定義する見解が生じている。この定義に基づくインディカ米には長粒品種と短粒品種が混在しており、従来の見解とは必ずしも一致しない。
生産地[編集]
インディカは、インドからベンガル地方のバングラデシュなどの南アジア、タイをはじめとするインドシナ半島、中国中南部、インドネシアを中心に、カスピ海沿岸、アメリカ合衆国、ラテンアメリカなど気温の高い地域で作られる。日本や朝鮮半島、中国東北部の東アジア北部は、インディカ種の栽培がない。
調理[編集]
粘りが少なく、独特の匂いがある。
ピラフやチャーハンのように、副食材と混ぜ合わせて調理したり、カレーやガンボのような、スパイスを利かせた濃厚な汁料理とともに供されたり、タイのカオパットのように、濃い味付けの挽肉とともに供される。いずれも現地で食事する際に、皿で混ぜて食べる場合がほとんどであり、日本の様に単品の白飯で食べる例は少ない。
ピラフ、ジャンバラヤなどでは、具を炒めてインディカ米を加え、スープストックを加えて炊き込みご飯にする。また炊飯する場合は、パスタのように鍋で大量の水でコメを茹で、柔らかくなった頃を見計らい、煮汁を捨てて湯切りして蒸らす「湯取り法」が生産地における一般的で、簡便かつ短時間で済む調理方法である。
しかし、煮汁に含まれる栄養分の損失が大きく、また水資源の浪費や河川の富栄養化への影響も無視できない。それゆえ一部の地域では、アジア各地における電化製品の普及もあって、ジャポニカ米のように炊飯器で「炊く」ことも推奨されはじめている。
日本への輸入[編集]
日本に輸入されるインディカ米の用途は、タイ料理飲食店用の食材と加工原料用(味噌、泡盛、煎餅等)が主体で、主食用としての需要はほとんどなく、一般米穀店やスーパーの店頭では、稀に見る程度である。
中国・東南アジア産のインディカ米は明治時代から日本に輸入され「南京米」の名称で流通した。しかし日本人には生産地のように米を調理する食習慣がなく、また調理の方法も知らず適切な調理が行われなかった。消費者が国産米と同じように炊飯して食べたことから、パサパサした食感と、独特のにおいが不評であった[1]。そのため最下層の貧民の食物として流通し、戦中戦後の食糧難の時代に、不足する国産米の代用として消費されるのみであった。また刑務所の食事は本来麦飯であるが、予算やその時代の食料事情によっては南京米の「臭い飯」が受刑者に出された[2]。戦後、食糧生産が回復して米不足が解消してからは需要もなくなり、また日本国政府は昭和40年代(1965年-1974年)初頭に米の自給が実現できるようになった頃から国内農業保護のために米輸入を原則禁止した。
1993年(平成5年)は記録的な冷夏で、国内産の米は需要1000万トンに対し収穫量が800万トンを下回る大不作となり、平成の米騒動に見舞われた。日本国政府は米の緊急輸入を行う必要に迫られ、1993年12月、GATTのウルグアイ・ラウンド農業合意を受け入れ、米以外の農産物は関税を課して輸入を認めることを決定した。米については国内農業への配慮から特例として輸入制限を維持したが、代償として最低、国内消費量の4%(のち8%に拡大)を輸入する義務を負った。同年、タイや中国から大量のインディカ米が緊急輸入されたが、前述のとおり日本人の嗜好や伝統的な調理法に合わないことから消費は伸びず、事態終息後にも約100万トンものインディカ米の在庫が残り、投棄されたり家畜の飼料にされて処理された。
現在、ウルグアイ・ラウンド合意に基づいて日本は年間最低77万トンの米(ミニマム・アクセス)を輸入する義務を負っている。日本国政府は義務的に輸入したインディカ米の消化に苦慮しており、加工用として売れ残ったインディカ米は、外国への食糧援助用に転用したり、一部は飼料用として備蓄される。1995-2004年まで集計した輸入インディカ米の用途は、加工原料用が212万トンで最も多く、ついで外国への食糧援助向けの182万トンである。主食用に輸入されている59万トンは主に業務用に用いられる中国北部やアメリカ産のジャポニカ米である[3]。
インディカ米を扱った作品[編集]
出典[編集]
- ^ 「自分は…光沢のない飯を一口掻き込んだ。すると…舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液に和けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。…自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである」 - 夏目漱石『坑夫』 1908年(明治41年)
- ^ 「・・食物はずいぶんひどい。飯は東京監獄は挽割麥だが、こちらは南京米だ。このごろ麦の値が高くなって、南京米の方が安く上るのだそうな。何にせよ味の悪いことは無類で、最初はほとんど呑み下すことが出来なんだ。・・・聞くところによれば、この三度の菜の代が、今年の初めまでは平均一銭七厘であったが、戦争の開始以後は五厘を減じて一銭二厘となったとのこと」 - 堺利彦「獄中生活」
- ^ 農林水産省「米穀の需給及び価格の安定に関する基本指針」2005年