スープカレー

スープカレーは、日本のカレー料理のひとつ。スパイスの香り・刺激・辛みのきいたスープと、大振りの具が特徴である。2000年代に札幌市でブームとなり、その後全国に広まった。
概要[編集]
札幌市には現在でもスープカレーを提供する店が200店以上存在する。各店は個性を競い合っており、多様なバリエーションがある。北海道の函館、旭川、帯広、富良野はもちろん、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡など日本各地に札幌由来の店が出店しており、香港、シンガポール、バンコクなど海外にも進出している。
札幌スープカレー[編集]

(マジックスパイスのもの)

(はれる屋(倶知安町のもの))
1971年に札幌市に開店した喫茶店『アジャンタ』が1975年ごろに発売した「薬膳カリィ」が原型と言われている[1]。その後、30年ほどをかけて札幌市内を中心に発展し、1990年代から2000年代に大ブームを引き起こした[2]。
サラサラとした粘り気のないスープ状のカレーである。特定の店舗が開発したというわけでもなく、前述の『アジャンタ』以外にも『スリランカ共我国』(1984年開店)、『木多郎』(1985年開店)といった店舗が個性的なカレーを提供していた[3]。自分の店のカレーを「スープカレー」と命名したのは1993年に札幌市白石に開店した『マジックスパイス』である[4][3]。これらの店は「スープカレー第1世代」と呼称されている[3]。
スープカリー第1世代の各店舗には熱狂的な支持層もいたが、一般的であるとは言い難かった[3]。北海道新聞の掲載から見ると「スープカレー」の語が紙面で確認されるのは、1996年に道東部限定開催されたカレー教室の告知記事においてであり、1998年にスープカレーのレシピがコラム記事として掲載され、1999年ころになって札幌市内のスープカレー専門店の記事が目立つようになってきた[5]。スープカレーのバイブル的な本『北海道スープカレー読本』(2004年)の著書樺沢紫苑は1999年を「乱立元年」としている[5]。
第1世代の店に影響を受けて開業した「スープカレー第2世代」の店によって、スープカレーは一般に浸透した[5]。
2000年代、樺沢の『札幌激辛カレー批評』、『仏太のカレー修行』を代表とするスープカレー情報を発信するウェブページが人気を集めた[5]。2002年には札幌市を中心とするカレー店100店を紹介するガイドブック『カレー賛昧』が刊行され、3万3千部を売り上げた[5]。インターネットアクセスがまだまだ不自由であった当時、ガイドブックにより食べ歩きが容易にできるようになったことでスープカレーブームは加速することになった[5]。
2003年には『マジックスパイス』が神奈川県の「横濱カレーミュージアム」に出店して大評判になり、札幌発のスープカレーが全国に知られるきっかけになった[6]。その後、札幌発のスープカレー店が各都市に進出し、大手牛丼チェーンやファミリーレストラン、コンビニエンスストアでもスープカレーが販売された[7]。
また、人気タレントの大泉洋が「スープカレーファン」を標榜したこともブームを大きく後押ししたと考えられる[8]。大泉は、2004年にベル食品から発売された「本日のスープカレーのスープ」(スープカレーの素)の監修と勤めると共にエッセイ写真集『本日のスープカレー』(2006年、HAJ出版)、ISBN 978-4902882001)を上梓、『100%スープカレー』という題のDVDをリリースしている[8]。
2012年時点では札幌市内にはスープカレーの専門店が200店以上あり、日本全国規模の商品にもスープカレー関連商品があり、文化として定着したことがうかがえる[8]。
2017年の『ミシュランガイド北海道 2017 特別版』に『カレー食堂 心』ほか7店が掲載された[9]。
特徴[編集]
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源流店[編集]
以下の店舗がスープカレーの源流店と考えられている。
- アジャンタ薬膳カリィ店[4]
- スープカレー店の多くの店主が「大きな影響を受けた店」として名前を挙げている店である[10]。店主の辰尻宗男(1934年〜2009年)は薬売りの行商で知られる富山県の生まれで、幼少期に札幌に移り住んだ。両親は薬局を営んでいた。1971年に喫茶店を開店。家に伝わっていた漢方の養生食とインド料理を融合した「薬膳カリィ」を考案し、一日20食限定で出したところ、口コミで評判となった。はじめは具無しのスープとライスだったが、1975年に「もったいないから出汁に使った鶏肉も出して」という客のリクエストによりチキンレッグを入れ[10]、つづいて大振りのニンジンとピーマンも加えるようになった。これがのちのスープカレーの原型となった。
- スリランカ狂我国[4]
- 1984年に開店。インドに近い島国で出汁文化が日本と共通するスリランカのカレーを日本に紹介したごく早い例である。
- 木多郎[4]
- 1985年に開店。素揚げ野菜をトッピングするスタイルを考案。「トマト系スープカレー」のルーツでもある。
- マジックスパイス[4]
- 1993年に開店。初めて「スープカレー」という商品名を使った。インドネシアの「ソトアヤム」の要素を取り入れた独特のカレーが人気となり、スープカレーブームを牽引する役割を担った。
後続店[編集]
- らっきょ[要出典]
- 1999年、ホテルマンだった井出剛と調理人の開賀津也により開店。以前からあったトマト系スープカレーにフランス料理のフォン・ド・ボーを取り入れ、さらに焦がしバジルを浮かべるというスタイルを広めた。開賀津也はのちに独立し、『カレー食堂 心』を開店した。
- 奥芝商店[11]
- 2006年に開店。「エビ系スープカレー」のルーツとして新たな定番を作った。
参考文献[編集]
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- 樺沢紫苑『北海道スープカレー読本』亜璃西社、2004年。ISBN 978-4900541542。
- 井上岳久『カレーの雑学』日東書院本社、2007年。ISBN 978-4528014299。
- 一個人編集部 編『日本一のカレーグランプリ』KKベストセラーズ、2010年。ISBN 978-4584166123。
- 森田武志「札幌スープカレーに見る地域ブランド構築のメカニズム」『観光学高等研究センター叢書』第7号、北海道大学、2012年、249-270頁、2023年8月21日閲覧。
出典[編集]
- ^ 杉浦美香 (2018年1月2日). “「おせちもいいけどカレーもね!」お正月に探る札幌名物、スープカレー ルーツは“薬”だった?!”. 産経ニュース. p. 1. 2018年10月2日閲覧。
- ^ 森田 2012, p. 254.
- ^ a b c d 森田 2012, p. 255.
- ^ a b c d e 樺沢 2004, p. 184.
- ^ a b c d e f 森田 2012, p. 256.
- ^ 井上 2007, p. 173.
- ^ 井上岳久「ブームは誰が仕掛けたか」『カレーの経営学: 勝ち続ける驚異のしかけ・ノウハウ』東洋経済新報社、2012年。ISBN 9784492502334。
- ^ a b c 森田 2012, p. 257.
- ^ 『ミシュランガイド北海道 2017 特別版』日本ミシュランタイヤ、2017年。ISBN 978-4904337226。
- ^ a b 樺沢 2004, p. 202.
- ^ 大谷修一 (2017年7月17日). “札幌スープカレーの歴史とおすすめの名店3選”. All About. p. 2. 2018年10月16日閲覧。
関連項目[編集]
- カレー賛昧 - 2002年から2011年まで毎年発売されていた札幌スープカレー店のガイドブック。最新刊は2015年。