大韓民国

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大韓民国
대한민국
韓国の国旗 大韓民国の国章
国旗 国章
国の標語:홍익인간
(和訳例 : 弘益人間)(建国理念、デ・ファクト
国歌애국가 (愛國歌)(朝鮮語)
愛国歌
韓国の位置
公用語 韓国語韓国手話言語
首都 ソウル特別市
最大の都市 ソウル
政府
大統領 文在寅
国務総理 李洛淵
国会議長文喜相
大法院長金命洙韓国語版
面積
総計 100,339km2109位
水面積率 0.3%
人口
総計(2015年 51,069,375[1]人(25位
人口密度 503(12位)人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2015年 1,449兆4,940億大韓民国ウォン
GDP (MER)
合計(2015年 1兆7,898億ドル(11位
GDP (PPP)
合計(2018年2兆1,272億[2]ドル(12位
1人あたり 41,173[2]ドル
独立
大韓民国臨時政府
日本統治時代の朝鮮における三・一運動によるもので、現行大韓民国憲法はその継承性を主張)
1919年4月13日
アメリカ軍政庁設置1945年9月8日
独立準備選挙実施1948年5月10日
大韓民国樹立宣言
アメリカ軍政の終了)
1948年8月15日
通貨 大韓民国ウォン (KRW)
時間帯 UTC +9 (韓国標準時)(DST:なし)
ISO 3166-1 KR / KOR
ccTLD .kr
国際電話番号 82
大韓民国
各種表記
ハングル 대한민국
漢字 大韓民國
発音 テハンミングク
日本語読み: だいかんみんこく
ローマ字 Daehan Minguk
英語表記: Republic of Korea
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大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語: 대한민국漢字: 大韓民國)、通称韓国(かんこく)は、朝鮮半島(韓半島)に位置する東アジア共和制国家であり、戦後の冷戦で誕生した分断国家

憲法上は鴨緑江豆満江以南の「朝鮮半島及び付属島嶼」全域を領土とするが、現在、北緯38度付近の軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治下にあり施政権は及んでいない。朝鮮戦争で争った北朝鮮とは1953年休戦したが、その後も断続的に軍事的対立や小規模な衝突が発生している。

政治面は1980年代半ばまで独裁体制が取られていたが、1987年の民主化宣言によって成立し、現在まで続いている第六共和国憲法に基づく体制は民主主義政体と評価される[3]

経済面は1960年代前半まで世界最貧国グループにあったため[4][5][6]、独自に資金や技術を調達できなかった[7]。しかし、ベトナム戦争参戦で獲得したドル資金と、日本からの1960年代半ばから1990年までの約25年に渡る円借款により、社会インフラを構築し輸出産業が育ち経済発展を遂げた[7][8]。これは漢江の奇跡と呼ばれ、国内総生産(GDP)で世界11位(2015年時点)となっている[9]

国土面積は日本の約26%で(北朝鮮を除く)[10]、山地が多く平野部は少ない。森林と農地で国土の約81%を占める[11]ソウル首都圏には全人口5千万人の約半数が居住し、世界の都市圏人口の順位は第5位である[12]。海上では南と東に日本、西に中華人民共和国と各々国境を接する。

目次

国名[編集]

太極旗
大韓民国
人口 - 経済
教育 - 交通
言語 - 軍事
政治
文化
遺跡 - 映画
芸術 - 文学
演劇 - 舞踊
宗教 - 民俗
地理
温泉 - 国立公園
歴史
先史時代
古朝鮮 - 檀君朝鮮
箕子朝鮮 - 衛氏朝鮮
三韓時代 - 三国時代
統一新羅
後三国時代
高麗
李氏朝鮮 - 大韓帝国
日本統治時代
連合軍軍政期
大韓民国
カテゴリ
政治 - 法律 - 経済
教育 - 軍事 - 交通
組織 - 文化 - 歴史

正式名称[編集]

正式名称は、ハングル表記: 대한민국漢字表記: 大韓民國。読みは、テハンミングKo-Daehan_Minguk.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]。略称は、한국韓國、ハング)である。

」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓辰韓弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名で、1897年に当時の朝鮮国(朝鮮王朝)がから独立するにあたって使用した国号大韓帝国」に由来している。(朝鮮国が国号を「大韓帝国」とした経緯については大韓帝国#国名を参照のこと)1910年日韓併合後、朝鮮の地域呼称は「韓」から「朝鮮」へ戻されたが、1919年朝鮮独立運動の活動家達が中華民国で「朝鮮の亡命政権」(大韓民国臨時政府)を樹立する際、共和制国家の名称として「大韓」と「民国」を採用した(名称採用の経緯については大韓民国臨時政府#名称の由来参照のこと)。

現在の「大韓民国」という国号は、李承晩金九などの「大韓民国臨時政府」を正当な独立運動の主体と考える大韓独立促成国民会(独促国民会)の強い意向により決まった。

1945年日本の降伏時点で、連合国は大韓民国臨時政府の政府承認を否定し、朝鮮全土を連合国軍の占領下に置いた。その後、1948年米軍統治下の朝鮮のみで独立することが決まると、米軍は憲法制定(制憲)国会を招集して独立準備に当たらせた。その際、憲法起草委員会が新国家の憲法起草と共に新国家の国号と年号も決めることになり、国号候補として「大韓民国」、「高麗共和国」、「朝鮮共和国」、「韓国」の4つが挙げられた。最終的には、1948年6月23日に採決が行われ、独促国民会が推す「大韓民国」が新国家の国号に決定した[13]。なお、委員会が国号を決定しかねていたある日、臨時政府側の池青天(チ・チョンチョン)将軍(光復軍司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、「国号は『大韓民国』、年号は『檀紀』に即決せよ、さもないと割腹自殺する。」と頑張るハプニングがあったという[14]

日本における呼称[編集]

日本語表記は、大韓民国。略称は、韓国。ただし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府を「朝鮮の合法な政府」として支持する者(朝鮮総連等)の間では、南朝鮮(みなみちょうせん)という呼称が使用される[15]

また、北韓(北朝鮮)との対比で南韓と呼ばれる場合もある。大韓民国の建国からしばらくの日本では、韓国の他に、南朝鮮・南鮮などの呼称も一般的であった。だが、1965年日韓基本条約締結で国交が樹立されてからは、大韓民国(韓国)の呼称も使用されるようになるが、メディア等では「南朝鮮・大韓民国」と二つ並べて呼称されることが多かった[16]。80年代中ごろ以降、南朝鮮・南鮮の呼称は公式の場面でほとんど用いられなくなっている[17]。日本語での伝統的な異称としては高麗(こま、「狛」とも表記)があり、「こまひと(高麗人)」といえば朝鮮半島の人々の異称であった[18]

ヨーロッパ諸語における呼称[編集]

ヨーロッパ諸語でのコリア (Korea) はマルコ・ポーロの『東方見聞録』における「高麗(고려 [koɾjʌ]、コリョ)」に由来する。大韓民国のヨーロッパ諸語の呼称はRepublic of Korea英語)を公式に使用している。また、北朝鮮をNorth Korea、韓国をSouth Koreaと略称することも多い。

朝鮮民主主義人民共和国と韓国における「朝鮮」の呼称[編集]

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府は、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いており、かつ韓国を主権国家として正式に承認していない。南北朝鮮は、東西ドイツのように条約東西ドイツ基本条約)に基づいて相互を国家承認していない。1991年南北基本合意書に「相手方の体制を認定し尊重する」(第1条)との規定はあるが、合意書が批准を経たものでないため、法的拘束力を持っていない。このため、北朝鮮(朝国)の人々は、韓国政府が実効支配している地域を南朝鮮(みなみちょうせん、남조선〈ナムジョソン〉)と呼んでいる。韓国政府をアメリカ合衆国の傀儡政権と見なして、「南朝鮮かいらい」と表記することもしばしばである。

韓国(南朝鮮)の人々も、大韓民国建国まで、韓国政府の実効支配区域(38度線以南の朝鮮)に居住する朝鮮民族の間でも、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いていた。しかし、韓国と北朝鮮は、1948年の両者の建国以来、「朝鮮の合法な政府」としての地位を巡って対立しており、1950年には朝鮮戦争によって甚大な被害をこうむっている。このため、韓国の人々は、大韓民国建国以降は、敵対する北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国を「南朝鮮」と呼称していること、韓国人から歴史的にあまり芳しくないと考えられている日本統治時代李氏朝鮮を想起させること[19]などの歴史的・政治的事情により、「朝鮮」という表現を避ける傾向が強い。

これらの事情のため、韓国人が「朝鮮民族」「朝鮮語」などの言葉を日常で使うことはほとんどなく、「韓民族」「韓国語」という表現が主流となっている。また、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮戦争を「韓国戦争」または「韓国動乱」などと呼称するのが一般的となっている。朝鮮の南北についても「北韓・南韓」と呼んでいる[20]。更に、朝鮮人参も「高麗人参」という[21]

ただし、ごく一部の民族民主 (NL) 系人士が自国のことを「南朝鮮」と呼んでいる他、ホテル名学校名朝鮮日報のような大韓民国成立以前から存在する組織など、極少数の固有名詞では、敢えて歴史的な事実を尊重して、歴史的感覚から「高麗」「新羅」と同様に「朝鮮」を使用している場合もある[22]

歴史[編集]

朝鮮歷史
朝鮮の歴史
考古学 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 AD
伝説 檀君朝鮮
史前 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
前18-660
高句麗
前37-668
新羅
前57-
南北国 熊津安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東
都護府
668-756
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治 1910-1945
現代 連合軍軍政期 1945-1948
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

独立に至る経緯[編集]

朝鮮1910年韓国併合によって日本の統治下に入り、国際的に併合の合法性を問題視する国も無かった。だが、第二次世界大戦の勃発で日本連合国が敵対するようになると、連合国の首脳は1943年に発表したカイロ宣言の中で大戦後の朝鮮に「自由且独立ノモノタラシムル」事を宣言した[23]1945年2月、ヤルタ協定にて連合国首脳は戦後朝鮮を四国による信託統治下に置くことを決定[24]、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいてソ連軍8月9日対日参戦後速やかに朝鮮半島へ侵攻を開始した。1945年8月15日、日本がポツダム宣言の受託を宣言したことで朝鮮の日本統治からの離脱が決定的となった。韓国ではこれを「光復」と呼び、8月15日を光復節という祝日に定めている(北朝鮮も同日を祝日に定めている[25])。

光復後、朝鮮は北緯38度以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)をアメリカ軍にそれぞれ占領された。米軍司令部は9月7日に朝鮮における軍政(占領統治)実施を宣言し、独立運動家らが自発的に樹立した朝鮮人民共和国大韓民国臨時政府政府承認を否定した[26]9月9日米軍朝鮮総督府から降伏文書の署名を受け[27]、南朝鮮では新設された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が朝鮮総督府の統治機構を一部復活させて直接統治を実施した[28]。連合国は同年12月のモスクワ三国外相会議にて朝鮮半島の信託統治を協定し、翌1946年1月から京城府で信託統治実施に向けた米ソ共同委員会を開催した。だが、共同委員会は信託統治受け入れに反対(反託)する李承晩金九大韓民国臨時政府系の右派の扱いを巡って紛糾し、米ソ対立から1947年7月に決裂した[26]

アメリカは朝鮮問題を国際連合に持ち込み、国連は1947年11月14日に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。翌1948年1月に国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行なった。ソ連がUNTCOKの入北を拒否した為、アメリカ主導の国連は2月26日にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、金九金奎植ら大韓民国臨時政府重鎮や北朝鮮人民委員会による南部単独での総選挙反対を押し切って5月10日南部単独総選挙を実施した。選挙によって成立した制憲議会7月12日制憲憲法を制定、7月20日には李承晩大韓民国大統領に選出[29]して独立国家としての準備を性急に進めた。そして光復から3年後の1948年8月13日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言[30]、8月15日独立祝賀会が行われ、実効支配地域を北緯38度線以南の朝鮮半島のみとしたまま大韓民国が独立国家となった[31]

南朝鮮単独で大韓民国が建国された翌月の1948年9月9日、大韓民国の実効支配が及ばなかった残余の朝鮮半島北部は金日成首相の下で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として独立した。互いに朝鮮半島全土を領土であると主張する分断国家はそれぞれの朝鮮統一論を掲げ、朝鮮民主主義人民共和国金日成首相は建国翌日の9月10日最高人民会議の演説で「国土完整」を訴え、他方大韓民国(南朝鮮)の李承晩大統領は軍事力の行使をも視野に入れた「北進統一」を唱えた[32]。互いを併呑しようとする両政府は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって、実際に干戈を交える事になる。

朝鮮戦争[編集]

1950年6月25日朝鮮人民軍(北朝鮮軍)は韓国との境界であった北緯38度線を越えて南下を開始し、朝鮮戦争(韓国動乱)が勃発した。その頃、弱体である韓国軍は敗退を重ね、洛東江以東の釜山周辺にまで追い詰められた。北朝鮮の侵攻に対して国連安保理は非難決議を上げ、米国を中心とする西側諸国国連軍を結成して韓国軍と共に後退戦を戦っていたが、仁川上陸作戦により北朝鮮軍の戦線を崩壊させ、反攻に転換した。韓国軍・国連軍は敗走する北朝鮮軍を追ってを鴨緑江近辺にまで侵攻した。これに対し中国義勇軍を派遣して北朝鮮の支援を開始、韓国軍・国連軍を南に押し戻し、一時再びソウルを占領した。その後、北緯38度線付近で南北の両軍は膠着状態になり、戦争で疲弊した米国と北朝鮮は1951年7月10日から休戦合意を巡る協議を開始した。2年間に渡る戦協議の末、1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定締結を以って大規模な戦闘は停止した。ただし、韓国政府は休戦協定に署名しておらず、戦争自体も協定上は停戦状態のままとなっている。この戦争により、朝鮮半島のほとんど全域が戦場となり、インフラや文化財の焼失、戦闘での死者のみならず、保導連盟事件済州島四・三事件の例にあるように双方とも敵の協力者と見なした一般市民の大量処刑を行うなど、物的、人的被害が著しく、国土は荒廃した。また、38度線が引かれた事により朝鮮半島が分断が確定的となり、朝鮮統一問題が南北朝鮮の最重要課題となっている。

李承晩時代[編集]

1948年に初代大統領に就任した李承晩は、日本から戦争賠償金を獲得するために「対日戦勝国連合国の一員)」としての地位認定するよう国際社会に要求したが、連合国からは最終的に認定を拒否され、1951年日本国との平和条約を締結することができなかった。そのため、李承晩は李承晩ラインの設置(1952年)や竹島の占拠(1953年)によって一方的に武力で日本の主権を奪う政策に出た。一方、国内では朝鮮戦争という危機的状況下でも権力を維持し、戦争中に釜山へ移転していた政府を休戦後に再びソウルへ戻す事が出来た。朝鮮戦争後、李承晩は政敵の排除(進歩党事件等)や反政府運動に対する厳しい弾圧とともに、権威主義的体制を固めていった。しかし、経済政策の失敗で韓国は最貧国の一員に留まっており、権威主義的な施策もあって人気は低迷していった。そのため、不正な憲法改正や選挙など法を捻じ曲げての権力の維持を図ろうとしたものの、1960年4月19日の学生デモを契機として政権は崩壊し(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命した。

朴正煕時代[編集]

李承晩失脚後は、張勉内閣の下、政治的自由化が急速に進展したが、学生を中心とした北への合流を目指した南北統一運動が盛り上がりを見せるに至り、危機感を抱いた朴正煕少将を始めとした軍の一部が1961年5月16日クーデターを決行し、国家再建最高会議 が権力を掌握した。第三共和国憲法の承認後、朴正煕は1963年10月に第5代大統領に当選 した。1972年、野党勢力の伸張により政権の合法的延長が難しくなった朴正煕は10月17日非常戒厳令を発し憲法を改正(第四共和国)、大統領の直接選挙を廃止して、自らの永久政権化を目指した。「維新体制」と呼ばれるこの時期には反対派に対する激しい弾圧により、政治的自由が著しく狭まったが、1979年10月26日、側近の中央情報部長により朴正煕は暗殺された。 朴正煕時代は強権政治の下、朝鮮戦争以来低迷していた経済の再建を重視した。しかし、世界最貧国グループに属していた韓国は[5][6]、自前で「資金」や「技術」を調達できず、いずれも、特に米国や日本など海外に依存せざるを得なかった[7][4]。資金面では、米国のベトナム戦争参戦で得た巨額のドル資金や、1965年日韓基本条約締結を契機に日本からの1990年までの約25年に渡る円借款、技術面は、日米の技術者による指導や日米企業との技術提携を通して、技術やノウハウを吸収し、鉄鋼、石油化学などの基礎産業が整備され、造船や自動車産業などの輸出産業も成長した[7][8]。後に「漢江の奇跡」と呼ばれた。これにより韓国は世界最貧国の層を脱した[4]。一方で朴政権は人材登用や産業投資に際し、自身の出身地である慶尚道を優遇し、全羅道に対しては冷遇をしたため、慶尚道と全羅道の地域対立、差別の問題が深刻になった。この問題は今に至るまで解決していない。

全斗煥・盧泰愚時代[編集]

朴正煕暗殺により、急速に規制が解かれた韓国の政治はソウルの春と呼ばれる民主化の兆しを見せたが、1979年12月12日より始まった粛軍クーデターにより、全斗煥陸軍少将を始めとした「新軍部」が軍を掌握した。新軍部の権力奪取の動きに対して、反対運動が各地で発生したが、80年5月17日非常戒厳令拡大措置が発令され、政治活動の禁止と野党政治家の一斉逮捕が行われた。5月18日、光州では、戒厳軍と学生のデモ隊の衝突が起こり、これをきっかけに市民が武装蜂起したが、5月27日、全羅南道道庁に立てこもる市民軍は、戒厳軍により武力鎮圧された。(光州事件)。新軍部は朴正煕暗殺後に大統領の職を引き継いでいた崔圭夏8月16日に辞任させ、全斗煥が大統領に就任し、憲法を改正。翌81年2月25日に行われた選挙により全斗煥が大統領に選出された。1987年、大統領の直接選挙を求める6月民主抗争が起こり、与党の盧泰愚大統領候補による6.29民主化宣言を引き出されため、大統領直接選挙を目指した改憲が約束された。しかしながら、12月に行われた大統領選挙では、野党側の有力な候補が、金泳三金大中に分裂したために、全斗煥の後継者である盧泰愚が大統領に当選し、軍出身者の政権が続くこととなった。
全斗煥、盧泰愚の時代は、軍政に反対する民主化運動とそれに対する弾圧の激しい時代であったが、朴正熙時代から引き続いた高度な経済成長と、ソウルオリンピックの成功、中華人民共和国ソビエト連邦との国交樹立、国際連合への南北同時加盟などにより新興工業経済国として韓国の国際的認知度の上がった時代でもあった。

文民政権登場以後[編集]

1990年金泳三率いる統一民主党金鍾泌の率いる新民主共和党とともに盧泰愚政権の与党である民主正義党と合同(「三党合同韓国語版」)し、巨大与党である民主自由党が発足した。金泳三は1992年大統領選挙に民主自由党の候補として出馬し当選した。金泳三は久しぶりに軍出身者でない文民の大統領であったが、旧軍事政権と協力したために実現したものだった。しかしながら、金泳三政権時代に、全斗煥、盧泰愚元大統領らに対する軍事政権下の不正追及が開始された。
1997年大統領選挙では、長年に渡って反軍政・民主化運動に関わってきた金大中が大統領に当選した。金大中政権に於いて民主化、自由化は本格化し、国家安全企画部の改組、民主労総の合法化などが行われた。民主労総を支持基盤とした民主労働党が結成され、後に国政進出を果たした。対北朝鮮政策も「太陽政策」の下2000年6月南北首脳会談を実現させ、分断された鉄道の連結や経済協力など南北融和が進み、近い将来の統一の期待を膨らませた。金大中は日本文化の開放も進め、日韓ワールドカップの共催を頂点に日韓の友好ムードは高まった。
2002年大統領選挙で当選した盧武鉉は支持基盤的に金大中の後継であり、政策も引き継いだ。
2007年大統領選挙に当選した李明博2012年大統領選挙に当選した朴槿恵により、再び政権は慶尚道系保守勢力へ戻り、各種政策も揺り戻しが起こっているが、民主的政体は大韓民国に於いてもはや定着していると言える。2017年3月には民主化以降初めての大統領弾劾が成立して朴槿恵が失脚。5月の大統領選挙文在寅が当選し、再び革新系に政権が戻った。

年表[編集]

大韓民国の地図

大韓民国成立後の歴史は、憲法大韓民国憲法)による政体の相違によって、7つの時代に区分される。

1945年 - 1948年アメリカ軍政庁期連合軍軍政期、非独立)
1948年済州島4・3事件
1948年5月10日 : 南朝鮮単独での初代総選挙が実施される。
1948年7月12日 : 大韓民国憲法が制定され、7月17日に公布される。
1948年 - 1960年第一共和国期
1948年8月15日アメリカ合衆国の承認を得て李承晩大韓民国の独立を宣言。
1948年済州島4・3事件継続。
1948年:麗水・順天事件
1949年聞慶虐殺事件
1949年:対馬領有宣言[33]
1950年1月12日アメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンが「アチソンライン」を表明する。
1950年6月25日:北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国朝鮮人民軍が大韓民国を奇襲し、朝鮮戦争が勃発する。
1950年:保導連盟事件
1952年1月18日李承晩ライン宣言により竹島を取り込む[34]
1953年竹島近海の日本巡視船への銃撃開始[34]
1953年7月27日:「北進統一」に固執した李承晩大韓民国大統領を除いた上で、中朝連合軍代表の南日朝鮮人民軍大将国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr英語版アメリカ軍中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名される。
1953年10月1日米韓相互防衛条約が署名され、米韓同盟が結ばれる。
1954年韓国沿岸警備隊竹島派遣公表[34]
1955年8月18日日本との経済関係断絶[35]
1959年12月4日新潟日赤センター爆破未遂事件
1960年4月27日四月革命によって李承晩初代大統領が失脚し、第二共和国が始まる。
1960年 - 1961年第二共和国期
朴正熙少将による5・16軍事クーデターによって国家再建最高会議が設置される。
1961年 - 1963年国家再建最高会議軍政)期
朴正熙が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
1963年 - 1972年第三共和国期
1964年 - 1973年ベトナムに出兵する。
1965年1月:竹島密約
1965年6月22日朴正煕大統領と日本国佐藤栄作内閣総理大臣との間で日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)を批准。日本との国交を回復する。
1968年青瓦台襲撃未遂事件
1971年8月23日実尾島(シルミド)事件
1972年10月17日十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
1972年 - 1979年第四共和国期
1973年8月8日大韓民国中央情報部(KCIA)によって日本国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致する事件が発生し、この日本国への主権侵害によって日韓関係は悪化する。
1974年8月15日朴正煕大統領の陸英修夫人が在日韓国人文世光によって暗殺される文世光事件が発生する。
1976年8月18日ポプラ事件
1970年代コリアゲート事件発覚。
1979年10月26日朴正煕暗殺事件によって崔圭夏によって第五共和国が始まる(ソウルの春)。
1979年 - 1987年第五共和国期
1980年5・17非常戒厳令拡大措置
1980年5月18日 - 5月27日光州事件
1983年9月1日 - 大韓航空機撃墜事件
1983年10月 - ラングーン事件
1987年6月29日盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
1987年 - 現在:第六共和国期
1987年11月29日大韓航空機爆破事件
1988年 - ソウルオリンピック
1991年湾岸戦争に参戦。国連加盟国となる。
1997年11月21日IMFに救済金融を要請したと公式発表[36]
1997年12月3日IMF資金支援合意書に署名[36]
2000年6月13日:「太陽政策」を推進していた金大中大統領が朝鮮民主主義人民共和国金正日国防委員長南北首脳会談を実施、6月15日6.15南北共同宣言を締結する。
2002年アフガニスタンに出兵する[37]
2003年イラクに出兵する。
2004年9月:イラクアルビール県ザイトゥーン部隊を派遣する。
2007年10月:盧武鉉大統領と金正日国防委員長の間で第2回南北首脳会談が行われる。
2008年ザイトゥーン部隊をイラクから撤収する。
2010年3月26日韓国哨戒艦沈没事件
2010年11月23日延坪島砲撃事件
2014年4月16日セウォル号沈没事故
2018年 - 平昌オリンピック

地方行政区分[編集]

特別市(Teukbyeol-si、トゥクピョルシ)
1:ソウル特別市(ソウルとくべつし)
広域市(Gwangyeok-si、クァンヨクシ)
2:釜山広域市(プサンこういきし)
3:大邱広域市(テグこういきし)
4:仁川広域市(インチョンこういきし)
5:光州広域市(クァンジュこういきし)
6:大田広域市(テジョンこういきし)
7:蔚山広域市(ウルサンこういきし)
特別自治市(Teukbyeol-jachisi、トゥクピョルヂャチシ)
#:世宗特別自治市(セジョンとくべつじちし)
道(Do、ト)
8:京畿道(キョンギどう)
9:江原道(カンウォンどう)
10:忠清北道(チュンチョンブクどう)
11:忠清南道(チュンチョンナムどう)
12:全羅北道(チョルラブクどう)
13:全羅南道(チョルラナムどう)
14:慶尚北道(キョンサンブクどう)
15:慶尚南道(キョンサンナムどう)
特別自治道(Teukbyeol-jachido、トゥクピョルヂャチド)
16:済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)

なお、現在大韓民国の統治の及んでいない黄海道平安南道平安北道咸鏡南道咸鏡北道の5つの道(以北五道)も名目上設置されている。

地理[編集]

NASAからの2012年における夜間の朝鮮半島の合成写真。光量は経済活動の直接的な指標である。
大韓民国の地形図

大韓民国は朝鮮半島全域を領土と主張し、その内の南北軍事境界線以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府によって実行統治されているが、大韓民国では北朝鮮地域を指す表現として「北韓북한 プッカン、ほっかん」が用いられている。

西には黄海、東には日本海に面し、大韓海峡対馬海峡の西水道)を隔てて釜山対馬とは約50kmの距離である。全国土面積は100,339km2で、(2017年基準、干拓事業による領土拡張)これは日本の総面積377,961km2のほぼ1/4(26%)にあたり、北海道本島の面積77,984km2の1.26倍に相当する。国土は古期造山帯が支配的である。

地震九州など日本から伝わるものを除きほとんど発生しないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり、戸建より人気がある。活火山も全く存在しない(済州島鬱陵島火山島だが活動していない)が少数の温泉はある。

日韓間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在する他、1990年代以降、日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称を巡って日本国政府と大韓民国政府が対立する等、幾つかの問題がある(参考:日本海呼称問題李承晩ライン)。

1948年8月の建国以降も、日本統治時代植林政策を受け継ぎ森林の造成を行い、1970年代以降、40年間で100億本(1日あたり約68万本)の木を植林したと韓国内で報道されている[38][39]

韓国の範囲
最北端(韓国政府の実効支配下にある地域) - 江原道高城郡
最北端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 咸鏡北道
最南端 - 馬羅島済州特別自治道西帰浦市
最西端(韓国政府の実効支配下にある地域) - (ペンニョンとう、仁川広域市甕津郡
最西端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 平安北道
最東端(韓国政府の実効支配下にある地域、韓国政府が主張) - 独島(竹島
最東端(日本政府が主張) - 竹嶼

気候[編集]

ケッペンの気候区分によると、ソウル春川堤川などの北部や内陸部、山岳地帯は亜寒帯冬季少雨気候、それ以外の地域は温帯夏雨気候および温暖湿潤気候に属する。半島状に位置しているものの、顕著な大陸性気候であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日較差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である[40]。例えばソウルは新潟県長岡市付近と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.4度で、冬の寒さは日本の北東北から北海道南部と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われると、ソウルでも最低気温が-10〜-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また釜山名古屋京都と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.2度で、東京より平均気温が2, 3度低い。全体的に、日本の北関東から東北地方北海道南部の気温に匹敵する。この気候はオンドルを発達させた。

冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、韓国一の豪雪地帯である鬱陵島の他、過去に1mを超える積雪を観測したことのある日本海沿岸の江陵東海市束草や内陸の平昌郡大関嶺)など江原道を除けば降雪量は少なく、東日本西日本の太平洋側の降雪量と同程度かむしろ少ないくらいである。実際に、ソウル周辺地域の過去最深積雪でさえ30cm程と少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず、2月になれば三寒四温となり大分暖かくなり、4月に入るとが開花する。

済州島九州北部の福岡県と同緯度にあり、韓国では最も温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である漢拏山標高1950m)がそびえる地形的要因により非常に風が強く、済州市の1月の平均気温は5~6度と東京などとほぼ同じ寒さである(体感温度はさらに低い)。西帰浦市の位置する南部は温暖で高知県宮崎県北部の気温に匹敵する。

は半島部においては日本列島よりは湿気が少ない。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある大邱は韓国で最も暑いとされるが、湿気が少なく、また熱帯夜になる事はほとんどないため、エアコンが無くても寝苦しいということはほとんどない。

近年は[いつ?]中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。

大韓民国各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:大韓民国気象庁
平年値
(月単位)
北西部沿岸 北部内陸 北部高地 ソウル都市圏 北東部沿岸
江華 鉄原 春川 原州 楊平 堤川 忠州 清州 平昌郡
大関嶺
太白 ソウル 水原 仁川 利川 天安 束草 江陵
気候区分 Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Dwa Cfa Dfb Dwb Cwa Cwa Cwa Dwa Cfa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 24.5
(8月)
23.8
(8月)
24.6
(8月)
24.8
(8月)
25.0
(8月)
23.8
(8月)
24.9
(8月)
25.8
(8月)
19.1
(7,8月)
21.0
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
25.1
(8月)
23.7
(8月)
24.6
(8月)
最寒月 -3.8
(1月)
-5.5
(1月)
-4.6
(1月)
-4.3
(1月)
-3.4
(1月)
-5.2
(1月)
-4.2
(1月)
-2.4
(1月)
-7.7
(1月)
-4.8
(1月)
-2.4
(1月)
-2.9
(1月)
-2.1
(1月)
-3.1
(1月)
-2.9
(1月)
-0.3
(1月)
0.4
(1月)
降水量
(mm)
最多月 358.2
(7月)
400.9
(7月)
383.8
(7月)
362.2
(7月)
429.4
(7月)
373.5
(7月)
293.5
(7月)
285.1
(8月)
420.9
(8月)
287.3
(7月)
394.7
(7月)
351.1
(7月)
319.6
(7月)
370.2
(7月)
298.3
(7月)
293.0
(8月)
298.9
(8月)
最少月 17.7
(1月)
20.6
(1月)
20.3
(1月)
22.0
(1月)
16.6
(12月)
23.0
(12月)
21.1
(12月)
25.3
(12月)
36.8
(12月)
19.2
(12月)
20.8
(1月)
21.8
(12月)
19.3
(12月)
16.3
(12月)
23.4
(1月)
38.2
(12月)
38.3
(12月)
平年値
(月単位)
中西部沿岸 中部内陸 鬱陵島 南東部沿岸 南部内陸 南部沿岸 済州島
瑞山 保寧 群山 大田 全州 南原 安東 大邱 鬱陵 浦項 蔚山 光州 密陽 木浦 釜山 統営 昌原
馬山
済州 西帰浦
気候区分 Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cfa Cwa Cfa Cwa Cwa Cwa Cfa Cfa
平均
気温
(℃)
最暖月 25.1
(8月)
25.5
(8月)
25.7
(8月)
25.6
(8月)
26.2
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
26.4
(8月)
23.6
(8月)
25.7
(8月)
25.9
(8月)
26.2
(8月)
25.8
(8月)
26.1
(8月)
25.9
(8月)
26.1
(8月)
26.5
(8月)
26.8
(8月)
27.1
(8月)
最寒月 -2.0
(1月)
-0.8
(1月)
-0.4
(1月)
-1.0
(1月)
-0.5
(1月)
-1.4
(1月)
-2.2
(1月)
0.6
(1月)
1.4
(1月)
1.8
(1月)
2.0
(1月)
0.6
(1月)
0.0
(1月)
1.7
(1月)
3.2
(1月)
3.1
(1月)
2.8
(1月)
5.7
(1月)
6.8
(1月)
降水量
(mm)
最多月 295.9
(8月)
297.1
(8月)
263.1
(8月)
333.9
(7月)
299.6
(7月)
346.1
(8月)
244.3
(7月)
235.9
(8月)
170.7
(9月)
227.4
(8月)
240.3
(8月)
308.9
(7月)
269.5
(7月)
236.7
(7月)
316.9
(7月)
313.5
(7月)
299.0
(8月)
262.5
(8月)
309.8
(7月)
最少月 26.6
(2月)
28.1
(1月)
29.3
(12月)
25.9
(12月)
31.1
(12月)
25.4
(12月)
16.6
(12月)
15.3
(12月)
72.2
(3月)
25.7
(12月)
23.0
(12月)
33.5
(12月)
16.4
(12月)
29.3
(12月)
22.8
(12月)
21.1
(12月)
22.0
(12月)
47.7
(12月)
45.1
(12月)
  • 最暖月22度未満・・・薄水色
  • 最寒月-3度未満(=亜寒帯(D)の条件)・・・薄水色、水色、青色

政治[編集]

政治体制[編集]

韓国の政治体制

1948年8月15日の建国以来、大韓民国は共和憲政体制を採用している。国家体制を定める憲法は、建国直前の1948年7月17日最初の憲法を採択して以来、9回の憲法改正を経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲法と呼称されている。それにともない、各憲法に基づいて構成されていた政体も、第一から第六共和国と呼称されている。 現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれ、1987年10月29日に採択された。この憲法は、5年毎の直接選挙による大統領の選出を定めている他、大統領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国憲政史上最も民主主義的な体制を規定した内容である。第六共和国憲法に基づいた第六共和国は、1988年2月25日盧泰愚大統領の就任以来、今日まで持続している。現在でも役人の権限が非常に強い役人社会である。腐敗が余りにも蔓延しているため、中央・地方の全公職者・公企業・国公立の教職員とされていたが、社会に与える影響力が大きいという点から記者などマスコミに携わる従事者と私立学校教職員、そのらの配偶者への接待・贈り物を禁止するキムヨンラン法が制定された[41]

地方自治[編集]

1990年代以降は地方自治体の選挙も実施されているが、それ以前の広域自治体の首長は政府の任命、基礎自治体の首長は知事や特別市長、直轄市長による任命であった。

警察[編集]

司法[編集]

大陸法を採用している。三審制で最高の司法機関は大法院である。法律の合憲性、弾劾裁判、政党への解散命令、憲法訴願審判については大法院に設置される憲法裁判所で審判が行われる。

司法通訳[編集]

誤訳、意訳が問題になった通訳が再び担当になる事、弁護士が用意した通訳者に頼る等があり通訳が不足している。外国人が関係した刑事裁判は2012年の3249件から2014年の3790件と増加傾向にあるが韓国内の裁判所に2015年に登録されている司法通訳は計約1200人で、英語、中国語、日本語など28の通訳が選択可能だが、難しい法律用語を正確に伝えられる司法通訳の数は限られている[42]

名誉毀損の告訴が増加傾向にあり、2005年以降の9年で告訴件数は70%も増え、年間1万2000件を超えた一方で、検察当局が実際に起訴する割合は下がり、2013年の起訴率はたったの22%だった。

軍事[編集]

国防部と国軍[編集]

大韓民国大統領陸軍海軍空軍の最高司令官であり、大統領、国防部長官、合同参謀本部議長のもとに陸海空軍本部が所属する。2011年の国防予算は約31兆4千億ウォン、兵力は陸軍約52万、海軍約6.8万人(大韓民国海兵隊2.8万人含む)、空軍約6.5万人である。26ヶ月から30ヶ月の徴兵制志願兵制を併用しており、全ての男性には兵役義務があるが、近視等の身体的問題やその年度の予算不足のため免除や短縮勤務となる者もある。政治家の息子や有名俳優やスポーツ選手などの中には徴兵逃れをしている者もおり、度々報道されている[43]

大韓民国国軍の主たる国防対象は軍事境界線38度線)を挟んで対峙する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮人民軍であり、大半の陸上戦力を向けている。1950年に勃発した朝鮮戦争以来、朝鮮戦争休戦後の1953年に締結された米韓相互防衛条約に基づいた米韓同盟によりアメリカ軍と緊密な繋がりがあり、しばしば朝鮮半島有事を想定した米韓合同軍事演習を実施している。協定により平時の作戦統制権は韓国軍が単独行使するが、有事の際の戦時作戦統制権は少なくとも2020年代半ばまでは米軍と共同行使するため米韓連合司令部がおかれている[44]。2008年4月に行われた米韓首脳会談において、在韓米軍を2万8,500人体制で維持することが決定されている。

情報機関[編集]

核開発疑惑[編集]

1970年代に大韓民国大統領であった朴正煕は大韓民国独自の核兵器開発を構想しており、大韓民国の核保有を望まないアメリカ合衆国との政治問題に発展していた[45]2004年には過去において韓国がウラン濃縮など核兵器開発の研究を行っていた事実が発覚し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受けている。

また、1979年朴正煕暗殺事件以後も現職の政治家や大統領が核武装を肯定する発言が相次いでいる。ハンナラ党鄭夢準議員や宋永仙議員は北朝鮮への対抗上、韓国は核武装を進めるべきだと述べている[46][47]2013年2月、李明博大統領は韓国国内から核武装論が出ていることについて、「愛国的で、高く評価する」、「北朝鮮と中国への警告になり、間違っているとばかり言えない」と述べた[48]

その他にも外国への核拡散関与が発覚することもある。2005年には大韓民国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射性物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射性物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。

国際関係[編集]

緑色で塗られた国は大韓民国国交を有し、灰色で塗られた国は大韓民国と国交を有していない。

大韓民国は、国際連合加盟国のうち188か国と国交を結んでいる。2016年12月時点で国交の無い国連加盟国は朝鮮民主主義人民共和国キューバシリア、及びマケドニア共和国の4か国である。国交締結国のうち、特にアメリカ中国日本とは経済または軍事のいずれかの面で結びつきが親密となっている。

朝鮮民主主義人民共和国との関係[編集]

1948年8月15日の朝鮮半島南部に於ける大韓民国建国以来、翌月の1948年9月9日に朝鮮半島北部にて建国された朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは「朝鮮唯一の正統な国家」としての立場を巡り、敵対的な関係が続いた。2013年3月6日付の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が「米帝核兵器を振り回せばわれわれは精密核打撃手段でソウルだけでなくワシントンまで火の海にするだろう[49]」と大韓民国とアメリカ合衆国を並べて非難したように[50]、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国は南韓、大韓民国を「米帝傀儡」だと看做し(「南朝鮮傀儡」)、特に米韓合同軍事演習実施の度に関係が悪化する。

1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争以後、朝鮮半島の分断は決定的となった。強硬な反共主義者であり、「北進統一」論を掲げていた李承晩初代大統領は軍事力による朝鮮半島統一の可能性を断ち切らなかったため、1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定国連軍中朝連合軍の間で署名された際も、北側は朝鮮人民軍南日大将が署名したのに対し、南側はアメリカ軍ウィリアム・ハリソン・Jr中将が署名し、大韓民国の要人は休戦協定に署名しなかった。朝鮮戦争休戦後も初代大統領の李承晩朴正煕全斗煥らによる軍事政権は強固な反共主義政策を実行し、1987年6月29日民主化宣言まで朝鮮民主主義人民共和国が「対南工作」で派遣したスパイや、大韓民国国内の共産主義者に対しては「国家保安法 (大韓民国)」やその他の法令に基づき厳重な取締が行われた。ただし、1987年の民主化以後は「国家保安法」の存在にも拘らず、大韓民国にも政治集団として朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮労働党の指導理念である「主体思想」を支持する「主体思想派」が存在する。また、1990年代北朝鮮の経済が崩壊し、北朝鮮で「苦難の行軍」と呼ばれる飢餓が発生した後には「脱北者」と呼ばれる亡命者が南朝鮮、大韓民国に流入している。

大韓民国政府は1万人を超える「北派工作員」を北朝鮮に送り込み多くの犠牲を出している[51]1971年8月23日に発生した実尾島事件はこの「北派工作員」派遣の過程で発生した事件であった。朝鮮民主主義人民共和国政府も様々な手法で韓国に対する「対南工作」を行っており、青瓦台襲撃未遂事件ラングーン事件文世光事件で大韓民国大統領の暗殺を謀ったり、イ・スンボク事件江陵浸透事件等で大韓民国への侵入事件を引き起こしている。また、大韓航空機YS-11ハイジャック事件等で韓国国民の拉致事件を引き起こしており、大韓航空機爆破事件では韓国国民を標的とした無差別テロ事件を引き起こしている。また陸上の軍事境界線や海上の北方限界線をめぐっては、南北分断以降、1976年ポプラ事件1999年第1延坪海戦2002年第2延坪海戦2009年大青海戦2010年天安沈没事件延坪島砲撃事件等の武力衝突が断続的に発生している。

このような中、統一に向けた努力が試みられているが、実を結ぶには至っていない。1960年四月革命によって学生と市民が李承晩初代大統領を退陣させた後、同1960年8月14日に朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は南北朝鮮統一のために「連邦制統一案」を発表、両政府代表による「最高民族委員会」の結成を提唱し、初めて具体的な平和統一案を提出したが、大韓民国の張勉首相がこの提案を検討することのないまま、翌1961年5・16軍事クーデターによって朴正煕少将が軍事政権を樹立したため、この提案は流れてしまった[52][53]1972年ニクソン大統領の中国訪問によってそれまで敵対していた米中関係が改善した結果が南北朝鮮に波及したため、同1972年7月4日に大韓民国の朴正煕大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は共同で南北共同声明を発表したが、その後朴正煕大統領が維新クーデターで更なる権力集中を進め、また1973年金大中事件で大韓民国国内の民主派を弾圧する姿勢を維持した為、以後北側からの南北間の対話は途絶えた[54]。なお、金大中事件直前の1973年6月23日に朴正煕大統領は「平和統一外交宣言」を、金日成主席は「祖国統一五大方針」をそれぞれ提出しているが、国際連合同時加盟問題に対する南北両政府の主張の隔たりの大きさが浮き彫りになる結果に終わっている[55]

1979年10月26日朴正煕暗殺事件が発生した後、翌1980年5月に5・17非常戒厳令拡大措置によって全斗煥将軍が実権を握ると、同1980年10月10日に朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席は、軍事政権である大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の両国間の政治体制の相違を乗り越えて低い段階での連邦制を実現するため、「高麗民主連邦共和国」創設を提示した[56]

冷戦終結以後は雪解けが進み、1991年の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の国際連合同時加盟や南北基本合意書に結実した。1993年に大統領に就任した金泳三は「三段階統一論」を提示した[57]1998年に発足した金大中政権は「太陽政策」の名の下、積極的に朝鮮民主主義人民共和国との融和政策を進め、2000年6月には金正日国防委員長南北首脳会談を実施、6.15南北共同宣言を締結し、大韓民国国内に和解ムードが広がっていた。

2003年に発足した盧武鉉政権も太陽政策を引き継ぎ、朝鮮民主主義人民共和国による2006年の核実験以後も、2007年10月に第2回南北首脳会談を実施したが、北朝鮮による日本人拉致問題が発覚し、相次ぐ北朝鮮によるミサイル発射実験北朝鮮核問題を巡る六者会合の実施など北朝鮮包囲網が国際的に形成されたこともあり、2008年2月25日に発足した李明博政権以降は太陽政策を転換した。李明博政権下では南北間の緊張が高まり、2009年大青海戦2010年天安沈没事件延坪島砲撃事件等の軍事衝突が勃発している。

朴槿恵政権下の2014年には韓国政府から北朝鮮に対して30億ウォン(約3億円)規模の人道支援が実施された[58]

なお、北朝鮮と韓国は、対中関係で大きく変化してきており、2014年の北朝鮮による核実験の強行によって、建国以来、血盟関係にあった中朝関係は急速に悪化する一方、習近平中国最高指導者が北朝鮮首脳との面会に先だって訪韓するなど中韓両国は急速に接近し、北朝鮮政府は中国に派遣する自国の貿易商に中韓関係の情報収集を命じているとされ北朝鮮は警戒を強めているとされている[59]。2015年2月に北朝鮮は中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加しようと特使を派遣したが中国側の拒否によって失敗に終わったのに対し[60]、韓国は同年3月にアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加した。2015年9月の中国の軍事パレードでは、韓国は大統領の朴槿恵が参加し党総書記である習近平と肩を並べて参観したのに対し、北朝鮮は朝鮮労働党書記である崔竜海を派遣したが席は端に近い位置であった[61]。韓国の聯合ニュースはその写真と1954年に金日成と毛沢東が同じ場所で軍事パレードを参観した写真を並べ、「主人公の変化は、半世紀を超える間に韓中関係と中朝関係がどれだけ変化したかを象徴している」と報じた[61]

中華人民共和国との関係[編集]

反共期[編集]

1948年8月15日に建国された大韓民国は、李承晩初代大統領の反共主義の影響もあって、1949年10月1日中国共産党毛沢東主席によって中華人民共和国が建国された後、中国国民党蒋介石総統と共に台湾に逃れた中華民国と親交を深めた。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、緒戦での首都ソウルの最初の陥落後、臨時首都釜山にまで追い詰められた李承晩政権はダグラス・マッカーサー司令官率いる国連軍の介入によって朝鮮民主主義人民共和国が統治していた38度線以北を北上し、1950年中に大韓民国国軍は一時中朝国境の鴨緑江にまで到達したが、毛沢東主席はアメリカ合衆国(中国語では国)にして鮮民主主義人民共和国をける為(「抗美援朝」)に朝鮮戦争参戦を決断、彭徳懐司令官率いる中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)はアメリカ軍主体の国連軍を38度線以南にまで押し戻し、一時中朝連合軍国連軍が奪還した首都ソウルを再占領した

1953年7月27日中朝連合軍代表の南日大将と国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr英語版中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名された後も、大韓民国は反共主義から中華人民共和国と敵対した。中華人民共和国も1961年7月11日中朝友好協力相互援助条約締結で示したように、大韓民国よりも朝鮮民主主義人民共和国を重視する姿勢を示した。

しかし、1976年の毛沢東主席の死後、中華人民共和国の実権を握った鄧小平1978年12月にそれまでの経済政策を変更して改革開放路線を歩み、西側諸国からの外資導入への意欲を見せたことと、1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因として、大韓民国の対中政策は転換した。

1992年8月24日に盧泰愚大統領は、人口が多く市場として有望で、安価な労働力の提供が可能な中華人民共和国との国交樹立を模索する産業界からの要請もあり、中華人民共和国との国交を正常化し(中韓国交正常化)、「一つの中国論」に基づいて中華民国台湾)とは断交した。

中韓国交正常化後[編集]

中韓国交正常化以降、韓国では対中投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中華人民共和国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回り、投資額は国家としては第1位となっている[62]。とくに山東省青島遼寧省大連吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積している。また中華人民共和国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。

投資額が国家として1位とはいえ、韓国企業の対中投資実行額は04年の62億5000万ドルから、07年には1〜11月段階で32億3000万ドルと3年でほぼ半減のペースとなっている。要因としては2008年1月より施行された外資優遇を原則廃止した新たな企業所得税法、従業員の待遇を向上させる労働契約法や現地トラブルも重なり「中華人民共和国離れ」が加速している[63]

また、WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。

韓国は2014年3月に中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加することを決定し、韓国の企画財政省高官はAIIBを通じた北朝鮮でのインフラ開発に期待感を示した[64]。また、2015年9月3日に中国が開催した抗日戦争勝利70年記念式典には大統領の朴槿恵が出席した[65]。しかし中国軍にとって脅威になりうるTHAADミサイルシステムの在韓米軍配備をめぐり両国の関係は悪化していき、2016年7月8日に米韓両国関係者がTHAAD配備が最終的に決定したと発表した[66]ことに対し、中国側は「強烈な不満と断固とした反対」を表明[67]。国交正常化25周年となる2017年8月24日の記念式典の共同開催や文在寅韓国大統領の訪中も中国側によって拒否され実現せず、それぞれが主催する式典が北京で別々に開催された[68][69]

ソビエト連邦及びロシアとの関係[編集]

1945年第二次世界大戦終結により、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として、8月に進駐したソビエト連邦軍軍政下の北部と、9月に進駐したアメリカ軍軍政下の南部と分断占領された(連合軍軍政期)。朝鮮半島北部では1945年9月11日朴憲永ら朝鮮半島内部で抗日運動を行っていた共産主義者が中心となって朝鮮共産党が再建された後、中国共産党八路軍に所属し抗日闘争を戦っていた中国朝鮮族の共産主義者や、ソ連や満洲から帰還した抗日パルチザンが朝鮮半島北部に流入し、こうした社会主義者共産主義者の協同戦線党として1946年8月に北朝鮮労働党が結成され、その中でもソ連軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成は1946年2月に北朝鮮臨時人民委員会委員長に就任した後、農地改革を実施する中で徐々に権力基盤を固めた[70]

1948年にアメリカ合衆国主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同1948年8月15日には朝鮮半島南部単独で大韓民国が独立を宣言し、追って9月9日には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が残余の朝鮮半島北部のみで独立を宣言したため、大韓民国は建国当初からソ連と敵対関係になった。

ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国の建設に成功し、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発後は朝鮮人民軍の南侵を支持したが、国際連合安全保障理事会における欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたものの、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国の中朝連合軍による軍事作戦を支えた。

1950年代[編集]

1953年の朝鮮戦争休戦後、朝鮮民主主義人民共和国の執政党となった朝鮮労働党党内では、1950年代金日成首相を領袖とする満州派の権力基盤独占化の過程で、1956年8月宗派事件によって朝鮮労働党ソ連派南日ら極一部を除いて粛清されたが、北朝鮮に於ける親ソ派の粛清にも拘らずソビエト連邦は1961年7月6日に朝鮮民主主義人民共和国とソ朝友好協力相互援助条約を締結し、朝鮮半島唯一の正統政権と認め、大韓民国とは全く外交交渉を行わなかった。

その後のベトナム戦争では、アメリカ合衆国の要請に応じて南ベトナムに出兵した大韓民国国軍北ベトナムを通じてソ連と中華人民共和国の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。朴正煕大統領率いる大韓民国の軍事政権反共主義を唱え、朝鮮民主主義人民共和国の背後にいると考えられていたソ連や中国を強く警戒しており、この1960年代から1970年代の東西冷戦の激しい時期では大韓民国とソ連の関係は絶たれていた。

1980年代[編集]

1981年、首都ソウル1988年ソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソビエト連邦を含む全ての国を安全に招待する義務を負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソビエト連邦領空を侵犯した後に撃墜された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係は全く改善されなかった。

この敵対的な韓ソ関係が変化したのは、1985年に登場したソビエト連邦のゴルバチョフ政権が「新思考外交」による冷戦の緩和を訴えた以降である。韓国も1987年大統領選挙に勝利し、翌1988年に成立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソビエト連邦や中国との緊張緩和を目指す「北方外交」を提唱した結果、1988年9月17日から10月2日にかけて開催されたソウルオリンピックはソビエト連邦や東欧諸国の参加を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソビエト連邦は国交を樹立した。1991年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に大韓民国は朝鮮民主主義人民共和国と同時に国際連合加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後ソビエト連邦がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソビエト連邦国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次世界大戦前にヨシフ・スターリンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソビエト連邦国籍の朝鮮人(「カレイスキー/高麗人」と称される)との交流が開始された。

1990年代[編集]

1991年12月にソビエト連邦が崩壊した後、後継国家としてロシア連邦やその他の独立国家共同体(CIS)諸共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続いた。現代自動車はロシアの外国自動車市場で最大のメーカーとなり、LG電子も家電市場で3割のシェアを獲得したと伝えられている(ジェトロレポートより[71])。巨大財閥以外の韓国企業もロシアに進出し、ウラジオストクを重要な拠点としてシベリア開発にも関与している。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は社会主義体制を放棄した現在でも北朝鮮との友好関係を維持し、南北等距離外交を推進している事から、北朝鮮の核開発問題をめぐる六者会合への参加国に含まれている。

また、ソ連崩壊後に新たに中央アジアに独立したカザフスタンウズベキスタンにも韓国企業が進出している。両国には韓国からの直行便が就航し、高麗人(カレイスキー)への朝鮮語教育の支援などを含めた関係強化が進められている。

アメリカ合衆国との関係[編集]

2013年5月7日の二国間首脳会議における朴槿恵大統領及びバラク・オバマ米大統領

第二次世界大戦終結後、アメリカ合衆国(米国)を盟主とする西側諸国ソビエト連邦(ソ連)を盟主とする東側諸国の間で東西冷戦体制が形成される中、朝鮮半島南部は在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による連合国軍政に置かれた。1948年5月10日左派や朝鮮半島北部の反対の中で実施された朝鮮半島南部単独での初代総選挙を経て、同1948年8月15日李承晩初代大統領の下、アメリカ軍軍政下にあった朝鮮半島南部に右派を中心とする大韓民国が成立し、1948年11月20日に大韓民国国会でアメリカ軍の無期限駐留要請が決議された。1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争では朝鮮民主主義人民共和国朝鮮人民軍が大韓民国の首都ソウルを攻略した後釜山に逃れた李承晩政権の防衛には、ダグラス・マッカーサー元帥率いるアメリカ合衆国を中心とする国連軍が大きな役割を果たした。1953年7月27日朝鮮人民軍南日大将とアメリカ陸軍ウィリアム・ハリソン・Jr中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名された後、同1953年10月1日に調印された米韓相互防衛条約によって大韓民国はアメリカ合衆国の同盟国となった。

1960年代[編集]

朝鮮戦争休戦後の1950年代の大韓民国は軍事的、経済的にアメリカ合衆国に依存していたが、李承晩政権の末期にはアメリカ合衆国からの援助が減額されるようになった。1961年5・16軍事クーデターにより軍人出身の朴正煕軍事政権を設立した韓国はベトナム出兵の承認をアメリカ合衆国に求めたが認められなかった。1963年11月22日民主党ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され(ケネディ大統領暗殺事件)、副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領に昇格すると大韓民国国軍のベトナムへの出兵が認められ、朴正煕大統領はアメリカ軍に次ぐ大部隊を南ベトナムに派遣し、民間人を含む多くのベトナム人を殺戮した[72]大韓民国軍のベトナム派兵は、1968年2月12日に発生した「フォンニィ・フォンニャットの虐殺事件」のような戦争犯罪を伴い、ベトナム戦争終結後の越韓関係にしこりを残している。ベトナム出兵によりアメリカからの経済援助も増額され、戦争特需によって三星・現代などの財閥が形成された[72]。米国は韓国が導入した外資40億ドルの内およそ20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本からは約11億ドル、西独などの西欧諸国からは約10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった技術者・軍人・建設者・用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(60年代後半の五年間で17億ドル)も、韓国の高度成長を支えた[73]。こうして韓国は、ベトナム参戦を契機に急成長を遂げていく(「漢江の奇跡」)[74]。また、韓国人の米国への移住が許可され、在米韓国人は200万人に達している。しかしながらベトナム派兵によって強化された後の米韓関係も、1970年代に入ると朴正煕大統領の核武装構想によって大韓民国の核兵器保有を望まなかった民主党ジミー・カーター大統領との間で軋轢を起こしている。また1970年代には、KCIAが関与したアメリカ合衆国下院議員買収工作が発生し、米韓両国の政治問題と化した(コリアゲート事件)。

1980年代[編集]

1987年6月29日民主化宣言と、翌1988年盧泰愚政権の発足、朴正煕全斗煥両大統領の軍事政権による開発独裁下で実現した韓国経済の躍進(漢江の奇跡)、1990年以降の東西冷戦体制の崩壊は、この構図を転換する要因となった。大韓民国はソビエト連邦中華人民共和国ベトナム社会主義共和国と、それまで反共主義から対立していた社会主義国との国交を樹立し、これら諸国に対する経済投資も拡大した。また、1991年に勃発した湾岸戦争に際しては、多国籍軍に大韓民国国軍を派遣している。

1990年代[編集]

1998年金大中政権成立後は太陽政策によって朝鮮民主主義人民共和国との関係も金泳三政権期に比べて改善された。一方、1999年老斤里事件報道後、在韓米軍に対する反感が強まり、2002年に米軍車両に韓国人女子中学生が轢き殺された事件(議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件)によって米軍に対する反感がいっそう高まった。同時に米軍兵器の近代化と展開能力の向上により、想定される戦闘の様相が、米軍が駐留し始めた頃とは異なってきているため、米軍が韓国に駐留する必要性は減少している。このため、米国も在韓米軍を削減する政策を打ち出している。

2000年代[編集]

2003年2月25日に発足した盧武鉉政権はイラク戦争に際して米英軍主導の有志連合大韓民国国軍を派兵し、2004年にはイラクアルビール県ザイトゥーン部隊を派遣した一方、金大中政権以来の太陽政策を引き継ぎ、特に2006年の北朝鮮の核実験後も北朝鮮との宥和政策推進のために2007年10月に第2回南北首脳会談を行う親北反米政策を取ったため、米国との関係は悪化した。

2008年2月25日に発足した李明博政権は金大中政権以前の親米路線に方針を転換したため、対米関係も改善されると見込まれていた。しかし4月、BSE問題に端を発する米国産牛肉の輸入をめぐり反発する野党、市民と政権の対立が激化しており、今後も米国との良好な関係が維持できるのか不透明な状態が続いている。

アメリカとは固い絆を築いているとされ、アメリカ軍への慰安婦[75][76]として数十年に渡って提供された女性たちが謝罪と補償を求めているが[77][78][79]、日本を相手とした場合とは異なり、韓国政府は女性たちを支援しないこととしており[77][80]、韓国人とアメリカ人によってアメリカ各地の公共施設に建立が進められている慰安婦追慕碑にはアメリカ軍慰安婦や韓国軍慰安婦は対象外としている[81][82]。一方で、日本軍慰安婦を非難することには共同歩調をとっている[83]

2010年代[編集]

しかし、2014年2月末以降、日韓の歴史問題をめぐるシャーマン米国務次官の発言、韓国国内でのリッパート駐韓米大使襲撃事件の発生、中国主導のアジアインフラ投資銀行への韓国の参加表明などにより米韓関係には不協和音が生じていると報道されており、4月には米韓連合軍の防衛力強化を主要議題として米韓国防相会談がセッティングされたが、中国への配慮から米国が求めている最新鋭ミサイル防衛システム「最終段階高高度地域防衛(THAAD)」の在韓米軍への配備は議題に含まないとされた[84]

MIKTA[編集]

MIKTA(ミクタ)は、メキシコ (Mexico)、インドネシア (Indonesia)、大韓民国 (Korea, Republic of)、トルコ (Turkey)、オーストラリア (Australia) の5ヶ国によるパートナーシップである。詳細は該当ページへ。

経済[編集]

経済史概要[編集]

1962年から1994年までの間、韓国の経済は年20%の輸出の伸びにより加速し、毎年平均10%成長した。この期間は漢江の奇跡と呼ばれる。
28色のカテゴリに分けられた韓国の輸出品目

韓国の経済は、朝鮮戦争以降大きく立ち後れていたが、1962年から1994年の間、年20%の輸出の伸びを記録し[85]、毎年平均GDPが10%成長した。これは漢江の奇跡と呼ばれ、アジア四小龍のひとつにも例えられた。 高度経済成長を遂げ、新興工業経済地域 (NIEs) の一つに数えられた時期を経て、1996年にアジアで2番目のOECD(経済協力開発機構)加盟国になった。

1997年にはアジア通貨危機により韓国経済は大きな危機に直面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こり、外資導入と市場の寡占化が進んだ。大手輸出企業や銀行の株主の多くは外国人になった。2000年頃には一時期な経済の立ち直りがあったものの、政府の金融政策のためクレジットカードを大量に発行した余波もあり、2003年頃には個人破産が急増し国内での信用不安が高まり金融が危機的状態となった。2008年時点では、大学新卒者が正規社員として働くのは困難であり[86]2009年大卒者就業見込みは55万人中4万人だけであった[87]。徴兵義務や就職難のため、優秀な若者は韓国国内の経済状況に関わらず海外への脱出を目指す傾向が強いが、経済的苦境のため、ますます国を離れて米国や日本の企業に就職する若者が多くなっており、頭脳流出が懸念されている。

大手製造業である一部財閥系輸出企業は好調だが、韓国全体の雇用に寄与しているとは言いがたく、内需は極めて停滞しており、韓国国内においては財閥系企業の寡占が問題となっている[88]2008年時点で、韓国の国内総生産の18%、輸出の21%を三星財閥ひとつで占めていた[89]。このため、社会では「二極化」という言葉がよく使われるようになり、経済的格差の拡大が問題となっている。2000年頃から富裕層向けの高層マンションブームとなり、2002年から2012年までの10年間に不動産価格は68.5%上昇(日本のバブル景気とほぼ同率)した。しかし人口動態の高齢化や内需の不振により、既に不動産価格は下落を始めており、ソウルのアパート価格は2011年2月以後22ヶ月連続で下落した[90]2010年段階で国民の約10人1人にあたる500万人が、屋上部屋、地下、ビニールハウスなどの、政府が定めた最低居住水準に満たない住居で暮らしている[91]

2007年頃には、韓国の製造業が、技術的に先行する日本と、大量生産により追い上げる中国の存在に追い込まれるのではないかとする「サンドイッチ現象」への懸念が持ち上がっていたが[92]、2010年頃から2012年末までに続いた超円高や、2011年タイの大規模洪水や東日本大震災等の天災で、日本の製造業が大規模な被害を被ったため、韓国の製造業は大きく業績を伸ばした。特に好調なのがサムスン電子は売り上げ高と利益を伸ばし、世界最大の電機企業になっている。また現代・起亜グループは世界における自動車販売台数を急激に伸ばした。

主要な産業は情報技術、造船、鉄鋼、自動車などである。主要な企業としては、サムスン電子や、現代自動車、LG電子ポスコ、現代重工業などがある。リーマン・ショック以降、ウォン安政策によって輸出の伸ばし、2011年には韓国の貿易依存度は対GDP96%となった。2011年度の統計によると、核心技術や素材、部品産業を日本に依存しているために、日本との貿易収支は277億ドルの赤字であるが、好調な輸出に支えられて、韓国の総貿易収支は333億ドルの黒字であった[93]。2011年度は東日本大震災の影響で石油製品や鉄鋼の対日輸出が43%増加し、前年度比で85億ドルの対日貿易赤字が解消されている。

2014年時点での国内総生産は世界13位[94]。近年は知的財産への投資も増加している(韓国の知的財産権問題も参照)。

建築・土木・プラント[編集]

近年は韓国建設業界の発展は目覚しく、世界への進出を加速させている。

2000年以降、韓国建設業界は単純な土木工事から脱却し石油化学などのプラント受注等に力を入れていて、中東地域やアジアからの受注が多い。また、リゾートやニュータウンの建設にも力を入れており、サムスン建設がドバイで完成時点で世界一の高さになったブルジュ・ハリファを外国企業と共同で建設した。ただし源泉技術は海外に依存しており、例えば第2ロッテワールドタワーの基礎・構造・風洞設計や外壁や衛星測量などの核心技術はすべて外国企業の技術に依存している[95]

韓国の建築企業は、発電所や淡水・発電プラント等の大型プロジェクトを一括(ターンキー方式)受注している。主な企業は、斗山重工業現代重工業サムスンエンジニアリングサムスン物産現代建設サムスン建設SK建設SKエンジニアリングGS建設大宇インターナショナル韓電KPSハンソルEME

造船[編集]

プラザ合意以降の日本の円高による競争力低下とアジア通貨危機を受けての空前のウォン安が韓国造船業界に追い風になり[96]、2000年に建造量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)で日本を抜き世界1位の造船大国になった。

それと共に造船技術も発展し、2002年から2006年までに世界で発注されたLNG船の78.3%、ドリルシップの68%、油田開発用洋上石油生産設備(FPSO)の53.8%を韓国メーカーが受注し、高付加価値船舶市場でも高いシェアを得た[97][98][99]

2008年に世界金融危機をうけて世界経済の収縮が始まると、造船業界の景気も急激に悪化し韓国造船業界の成長も急速に落ち込んでいる。2009年の9月期までの韓国大手造船メーカーの受注額は年初計画の3%から10%に留まり[100]、年間建造量こそ世界1位を維持したが年間受注量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)が初めて中国に抜かれ世界2位になった[101]。2010年上半期には建造量、受注量、受注残量すべての指標で中国に抜かれた[102]

軍需産業[編集]

兵器の製造の受注においては、韓国の国内企業ではほとんどを現代重工業が担っており、歩兵用銃器の製造に関しては大宇重工業が行っている。また兵器の多くを輸入(ライセンス生産も含む)に頼っており、韓国の2006年から2010年までの兵器輸入額は74億300万ドルで、インドと中国に次ぐ世界3位であった[103]。2000年代に入り兵器の国産化が続々と進められている。

工作機械・金型/製造装置[編集]

2000年代初頭より中小企業庁は京畿道富川市の金型産業を地域特化品目に認定するなど金型産業にも力を入れている。これを受け富川市は金型産業支援条例を制定し、世界で初めての金型集積化団地を造成し、世界的な金型産業の前進基地として育成している。

事務用機器、医療用機器、自動車用ギアボックス、携帯電話、PDA・半導体用金型部品、プレス用金型部品、自動車用プレス金型部品、エンジニアリングプラスチック金型、二重射出金型、ダイキャスティング金型、ブロー金型、マシニングセンタ、放電加工機、NCフライス盤、研削盤等のさまざま金型メーカーが存在している[104]。長らく金型・工作機械産業は輸入超過の赤字であり韓国の産業界では問題児とされていたが2005年以降黒字に好転し、外貨獲得率80〜90%の優秀な産業に変貌している。

アメリカの最先端ブロンコ・スタジアムの骨組みとなる数十トンの鉄骨用高強度ボルト・ナットの輸出や独BMWの部品供給メーカー、カイザー社への工作機械供給など世界各国に輸出している[105]

韓国にはKPF、ファチョン機械牙城精密貨泉機工ドラゴン電気などの中小企業から斗山インフラコアのような大企業まで1000社以上が存在している。

自動車[編集]

2012年時点の韓国の独立系自動車資本は現代-起亜自動車グループだけであり、その他の自動車メーカーは外国企業の傘下である。

韓国の自動車産業の歴史は日本企業との提携から始まった。現代自動車三菱自動車、現在では現代自動車の傘下に入っている起亜自動車マツダ大宇自動車(GM大宇を経て現在は韓国GM)はトヨタルノーサムスン自動車日産自動車と提携していた。韓国国内では1988年に自動車の輸入が自由化されたが、「輸入先多辺化(多角化)制度」と呼ばれる事実上の対日輸入禁止品目において自動車が指定されていたために、日本車の輸入・販売は1998年7月に至るまで禁止されていた[106]

現代-起亜自動車グループは、2000年代中盤までには日本以外の世界市場ですでに一定の中価格帯の車種のシェアを獲得し、2000年代後半にはさらなる高価格帯への参入を企図し、2008年に初めて海外の高級車マーケットにヒュンダイ・ジェネシスを投入した。

韓国車のデザインは2000年代前半頃までは日本車の影響が強かったが、2000年代後半からその影響を脱し飛躍的に向上している。これは現代-起亜自動車グループが、生産効率よりもデザイン優先に経営方針を定め、起亜がアウディのチーフデザイナーだったペーター・シュライヤーを獲得して最高デザイン責任者に据え、現代がBMWのチーフデザイナーだったクリストファー・チャップマンを獲得してデザイン責任者に据えたことが影響している[107]。現代起亜グループの立役者となったペーター・シュライヤーは2012年12月に現代起亜グループの社長となった。また品質の向上も著しく、世界金融危機以降の円高ウォン安の影響もあり、特に米国や欧州市場で販売シェアを伸ばしており、2011年の現代-起亜自動車グループの現代自動車と起亜自動車の合計販売台数は660万台で世界4位であった(ルノー・日産アライアンスを順位に入れると5位)[107]

半導体・電子部品[編集]

DRAMでは世界シェアの約半数近くを占める。1997年のアジア通貨危機で、当時、単なる主要企業に過ぎなかった韓国の半導体メーカーらは、一時的に倒産寸前にまで追い込まれるが(ハイニックス半導体は、2001年に一度経営破綻している)、韓国政府からの公的資金注入による韓国の将来をかけた半官半民体制や、破綻を避けるための広範な構造改革、効率的な経営計画の実行、大規模投資、日本の電機メーカーとの相互協力(ソニーとの液晶パネル製造の合弁会社設立や、相互特許使用契約の締結。 東芝との光ディスク装置の合弁会社設立。古くはフラッシュメモリの共同開発と技術仕様・製品情報の供与契約の締結等もしている)などを経て、著しく躍進し、グローバル企業への成長を加速させる。半導体技術力向上の一環として、世界中から人材を集めるのが特徴で、サムスン電子などは韓国政府のバックアップの元、1991年の日本のバブル崩壊時に大掛かりにリストラされた東芝松下電器三洋電機シャープNECなどの日本人技術者を高給でヘッドハンティングし、日本人技術顧問が外国人技術者中77名と大半を占めるなどの環境下で、最新技術を取得。それらの要因と日本の電気メーカーの緩慢さ・展望の見誤りも有り、1990年代まで日本が優位にあったDRAM業界のシェアを韓国が塗り替えることになった。これに対し日本や他国の企業は技術流出の対抗策として、自社技術者の監視、生産技術の内製化を進めている。一方で韓国企業でも同様に他国への技術流出対策を積極的に行っている。フラッシュメモリーは日本や米国にも輸出する反面で部品を輸入し、水平分業が盛んである。パソコンや携帯電話等で使われる汎用品の液晶パネルでもDRAMと同じ産業構造であり、韓国が世界トップのシェアを占めている。

家電・情報通信製品[編集]

LGディスプレイの3D対応型OLEDテレビ

韓国の家電・情報通信製品は世界有数の販売シェアを得ており、液晶テレビ携帯電話の分野ではサムスン電子が、冷蔵庫、洗濯機、エアコン等の白物家電の分野ではLG電子が世界的に有名である。

特にサムスン電子の製品は、新興国のみならず欧米でも低価格で人気を得て、高いブランド価値も得ている。デジタルカメラプリンターなど日本企業が健闘していた製品領域での伸びも著しい。携帯電話の分野では国際マーケットでノキアモトローラなどと熾烈な競争を続けている。基幹部品のフラッシュメモリーや液晶パネルのシェアで世界トップであることが強みであり、第三世代携帯電話 を中心に韓国製のシェアが伸びている。この分野についてはOEM(相手先ブランドによる生産)やEMSなどが広範におこなわれており、いわゆるブランドシェアと実際の国際マーケットにおける貢献の詳細については不明な点も多い。クレジットカード照会機、PCPOSシステムと周辺機器、複合クレジットカード照会機をはじめとした各種の電子機器の海外輸出も行われている。

情報通信インフラ[編集]

韓国ではブロードバンドが普及しており、インターネット放送や通信型ゲーム、サイワールド(Cyworld)などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Network Service, SNS)やオーマイニュース(OhmyNews)などの市民参加型インターネット新聞サイトなど多様なサービスを展開している。部分的には、IPマスカレードが法律で禁止されているため、ルーターをあまり使用せず、IPアドレスが不足するといった問題もある。これは電話会社との料金設定上の契約によるものである。全世界のスパム発信元ランキングではワースト6位であり[109]、全体としてのセキュリティ対策は十分とは言い難い現状である(日本は33位)が、セキュリティに対する関心は高まっている[110]。また、韓国国内ではネット上のマナーや倫理問題から、韓国内サイトでの発言は、匿名性を廃止し、個人名や国民番号を記載させる傾向にある。

無線通信技術の分野では、CDMA技術など米国の会社に対する基本技術への特許使用料が増加しており、新規技術開発が急がれていた。こうした中、韓国電子通信研究院 (ETRI)が 2007年に「WiMAX」規格の派生規格である「WiBro」の開発に成功し、「モバイルWiMAX wave1」規格はWiBroに準拠して策定された。しかし世界的に導入が進み事実上の国際標準になっているのは「モバイルWiMAX wave2」規格であり、期待通りの成果を収めたとはいえない。

農業[編集]

第二次世界大戦以降、韓国の農業技術は向上した。韓国の農業関係者の努力と、日本の農業技術の導入などが要因である。禹長春の業績が知られている。

医療・生命科学[編集]

再生医療は世界的に将来有望な市場とみなされており、近年、韓国でも再生医学などの医療・生命科学技術(バイオテクノロジー)を振興している。

経済自由地域[編集]

韓国政府は、2003年8月に「経済自由地域の指定運営法」に基づいて、仁川の永宗島、松島、青羅地区を経済自由区域に指定し、同年10月24日には釜山及び鎮海光陽湾一帯に対しても同様の指定を行い、仁川・釜山及び鎮海・光陽湾による「3特区体制」を整備した。政府はこの3地域を「北東アジアのハブ(中心国家)構想(仁川は国際空港を中心とした金融・物流・国際業務センターとしての役割を担い、釜山及び鎮海(東南地域担当)と光陽湾(西南地域担当)は中国上海と競争する港湾物流・工業団地として育成する)」の拠点に据えるとの計画を発表した。

また、2006年からは、外国企業誘致の為、経済自由区域内では英語を公用化する必要性があるとして、公文書を英語で受付け、処理されるようになり、公文書や看板等には英語が併記される様になった。

他にも、外国企業誘致策の一環として、2006年3月より、松島地区において韓国では初めての公的教育機関としての外国人学校(対象は、韓国に住む外国人、仁川経済自由地域に進出する外国企業で働く外国人の子弟)となる松島国際学校の建設が進められ、完成すれば、幼稚園から高校までの13年課程の学校となる(永宗島と青羅地区にも、同様の外国人学区が建設される予定)。

交通[編集]

最高350km/hのKTX-山川

道路[編集]

鉄道[編集]

空運[編集]

国民[編集]

朝鮮半島の古地図(1790年)

朝鮮は古代より、「陳勝などの蜂起、天下の叛秦、の民が数万口で、朝鮮に逃避した。(『魏志東夷伝』)」「辰韓馬韓の東において、その耆老の伝世では、古くの亡人がを避ける時、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言していた。(『魏志東夷伝』)」という様に、国を割いてまで秦の亡民の建国を許しているように多様な経路からの異民族の移住が多く、また、朝鮮半島中・西北部は楽浪郡真番郡臨屯郡玄菟郡植民地漢四郡が置かれ、植民地だった時期に漢族が移住して土着化し、東北部は高句麗人渤海人女真人ツングース民族の流入が相次ぎ、また、高麗時代初期に異民族が23万8000人余りも帰化した[111]。あるいは契丹が滅亡した後に、高麗に渡来した契丹人は100万に達するという記録もあるが[112]李氏朝鮮時代から日本統治時代にかけて住民の均質化が進み、ほとんどが朝鮮民族となっている。

大韓民国は分断国家朝鮮の片方である朝鮮民主主義人民共和国と同様に、単一民族国家意識が強いのが特徴的である。

少子高齢化[編集]

日本同様、韓国でも晩婚化や少子化が問題となっており2000年代以降の合計特殊出生率は世界最低レベルである[113]。このため韓国は若年人口が減少傾向であり、2020年頃に総人口と労働力人口の減少が始まり、世界一急速に高齢化社会が進行し2050年頃には高齢化率が日本に追いつき世界最高水準になることが予測されている[114][115]2017年には高齢者が子供の数を逆転した。2017年の合計特殊出生率は1.05でありマカオ、シンガポールに次いで低かった[116]

民族構成[編集]

民族構成は、そのほとんどが朝鮮民族である。他にはごく少数ながら中国系住民(華僑華人)も存在する。韓国に永住権をもつ外国人の大半は華人であるが、華人に対して排外的な風土と諸施策が影響し、さらに中国そのものの経済発展もあって、過去数十万人いたが現在では数万人以下に減少している。

韓国統計庁「婚姻・離婚統計」によると、2005年度の全結婚件数の13.6%が国際結婚で、特に花嫁不足の地方では35.9%が国際結婚であり[117]、2020年までに200万人の混血児の誕生を見積もっている[118]

近年、在韓外国人が急増しており、その数は126万5006人に達し[119]、外国人の占める割合は2%を超え日本を上回る。急速に、かつての単一民族国家から日本以上の移民社会へと変貌を遂げつつある。大半は中国人、特に中国朝鮮族が占めているが、国際結婚の急増から東南アジアも非常に多い。また、カレイスキー(高麗人)との関係から旧ソ連を構成していた中央アジア諸国出身者も20,265人と多いのが特徴である[120]

言語[編集]

公用語ソウル方言をもとにした朝鮮語(「韓国語」)であり、文字は主にハングルを用いる。なお「韓国語」とは主に外国向けの表現であり、韓国民は「国語」「ウリマル(우리말=我々の言葉)」と呼ぶことが多い。最近ではハングルのみで読み書きするための教育を受けた世代が多くなり、古文書を扱う公務員や教育関係者など一部を除き、漢字を読むことができない国民が多い。最近は再び、学校での漢字教育も重視すべきとされているが、全般的に漢字表記は少ない。2002年のW杯前後より、東亜漢字文化圏からの観光客への便宜及び同地域の国際交流推進を目的に、交通施設の標識などに漢字が増えてきている。

宗教[編集]

大韓民国の宗教性 (ピュー研究所)[121]
宗教名 割合
無宗教
  
46%
仏教
  
23%
プロテスタント
  
18%
カトリック
  
11%
民間信仰
  
1%
その他
  
1%

2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャンであり[122]、約2割が仏教徒である。韓国の宗教人口はほぼ半数で、残りのほぼ半数は無宗教者ながら祖先崇拝法事は熱心に行う。

CIAによる『ザ・ワールド・ファクトブック』に記された2010年の調査では、大韓民国国民の内31.6%がキリスト教徒であり、キリスト教徒の内の24%がプロテスタント、7.6%がローマ・カトリック大韓民国のカトリック)となっており、仏教徒が24.2%と続き、不明もしくはその他が0.9%、無宗教が43.3%となっている[123]韓国のキリスト教は信者の絶対数でフィリピンに続き、アジア第二のキリスト教国家である[124]

古来中国の影響から仏教が重要な宗教であり、日本と同様に、伝統信仰である巫俗朝鮮半島シャーマニズム)と仏教の習合もなされている。

クリスチャンの多くはプロテスタントであり、特に長老派メソジスト派が多く、この教派は1910年日韓合併の時から朝鮮半島内部で1919年三・一運動の参加、神社参拝強要への拒否など朝鮮独立運動を続けてきた。初代大韓民国大統領李承晩もメソジスト牧師出身であった。プロテスタント信者の増加にはアメリカからの宣教師の影響も強かったが、朝鮮戦争後のキリスト教の急速な普及の背景には、日本と同様に高度経済成長期(「漢江の奇跡」)に多くの人口が農村部から都市部へと移動し、故郷を離れ孤独な人々が宗教組織に入ったという事実もあると言われる[誰によって?]

日本統治時代1930年代以来、キリスト教系の新宗教も数多く存在し、一部の教派(統一協会等)は社会問題となっている。

教育[編集]

日本同様の6-3-3-4制の学校制度を持つ。日本と同様の学歴社会であり大学受験は熾烈を極め、予備校などのための教育費負担が大きいことも問題となっている[125]。大学進学率は極めて高く子弟が塾へ通う割合も極めて高く、公式統計によると、2012年の大学進学率(大学入学者数/高校卒業者数)は71.3%である[126]。初代大統領の李承晩が、プリンストン大学で博士号を取った人物ということもあって、アメリカの一流大学で博士号を取得する学生が尊ばれた。政府高官や大学教授などの高い地位が約束されていて、1970年代後半までは、新聞に顔写真と経歴が掲載される程だった。また、企業や奨学財団も、アメリカ留学を積極的に推し勧めた。そのため、厳しい受験競争を勝ち抜いたトップクラスの学生は、アメリカ留学へと向かった。1980年代以降は、博士号取得者が増加し、その数は1998年までで3万人に達するといわれている。今では単にアメリカで博士号を取得した程度では、大学教員として迎え入れられることはなくなっているという。こうした人材が経済発展の礎となった。米国際教育研究所によると、2010〜11年学期にアメリカの大学に在籍した韓国の留学生数は、中国15万7千人、インド10万3千人、に次いで第3位、7万3千人である[127]

公式統計によると、一般大学の就職率は2010年51.9%、2011年54.5%、2012年56.2%である(就職率の分母は卒業者数から進学者や兵役に就いた者、外国人を除く)[128]

文化[編集]

伽耶琴の演奏家

チョゴリないし韓服、キムチ朝鮮人参に代表される韓食、オンドルに代表される住居などに伝統文化が息づいている。韓国の伝統社会では地理的な関係から中華文明の影響が大きかった。

大統領直属の大韓民国国家ブランド委員会の指導の下、官民を上げて様々な組織が韓国のイメージや「国格」を高めるため、韓食の世界化などの対外文化広報を行っており、伝統文化やハイカルチャーの広報を韓国文化院が担い、大衆文化については韓国コンテンツ振興院(KOCCA)が民間企業のコンテンツ制作と輸出と宣伝に多額の国費を投入して強力に後援している。韓国の2008年度の文化振興予算は1169億で日本の1018億円より多く国家予算比では日本の7倍であり海外への宣伝と輸出に極めて積極的である[129]

文学[編集]

映画[編集]

大衆文化[編集]

韓国は自国の地上波テレビで日本のドラマ・映画、日本語の歌が放映されることは、かつて法律で禁止され強く制限されており[130]1998年から日本の大衆文化を順次受け入れ始め、2004年にはケーブルテレビなど有料放送においてのみ、年齢制限付きで日本のドラマ放映は解禁され、また最近は日本のドラマのリメイクや日本の小説・漫画を原作としてドラマの製作も行われてはいるが、地上波テレビ放送においては現在も日本のドラマ・映画、日本語の歌の放映は放送局側が「国民情緒に配慮し」録画放送だけに限ってきた。2010年9月10日にはSKE48が「2010ソウルドラマアワード」の授賞式に出演し、日本語で歌う姿が韓国の地上波で初めて生放送された[131]

韓国政府が韓国コンテンツ振興院(KOCCA)を設立して、国家戦略として映画・放送映像(テレビドラマ)・K-POPゲームアニメマンファキャラクターなどの大衆文化の振興を図っている。対外世論工作や様々な韓国製品の輸出の尖兵としての役割も果たすため、韓国政府が国策として民間企業のコンテンツの制作と輸出を強力に後援している。映画やテレビドラマの制作やK-POPシンガーの育成やコンサートの開催にも国費が投入され、コンテンツ制作企業に制作費の10%の輸出実績があれば、韓国政府が金融機関に貸し出し保証書を発行しており、これにより韓国のコンテンツ制作企業は金融機関から積極的に融資を受けることができるようになっており、韓国のコンテンツ制作企業から輸出相手国企業に補助金が支払われるまでになっている[132]。韓国ドラマの放映権を購入した台湾のある企業は、買い付け金額より多い補助金を韓国側から受け取っている[132]。またJapan ExpoやKorean Connectionなどの国際イベントでも韓国政府の各機関が文化の輸出と宣伝を行っており、ここで韓国起源説を交えながら韓国文化を宣伝することで日本人と摩擦を引き起こしている[133][129]。日本においても2010年から韓国のポップソンググループをK-POPと称して頻繁に取り上げた。

また、韓国の文化産業の保護育成を目的とした、国内映画の上映割合を義務付ける排他的なスクリーンクウォーター(割当)制を実施している。スクリーンクウォーターとは別にアニメや歌謡曲に対する商業規制もあり、これは「国民感情に配慮」を名目としているが、事実上の国内文化産業の保護育成策にもなっている(文化の日韓関係を参照)。また国・地方自治体レベルでアニメーション産業を育成するなどしている。

インターネットにおける大衆文化[編集]

韓国では、多くの人が映画や音楽やゲームなどの様々な大衆文化をネット経由で楽しんでおり、韓国の大衆文化とインターネットは密接な関係にある。街中にPC房(PCバン、インターネットカフェ)が至る所にあり、ブロードバンドを手軽に利用することができ、インターネットテレビのストリーミング放送やミュージックビデオの無料閲覧が早くから実現するなど、特色あるインターネット文化を構築している。2000年には世界で逸早くブロードバンド利用者が1千万人を突破した。韓国ではインターネットが現実世界に与える影響力が大きく、盧武鉉の大統領選挙当選や2008年韓国蝋燭デモにおいても大きな影響力を発揮している。

日本における韓国の大衆文化

一方日本においては、韓国が日本の大衆文化を開放し、日韓ワールドカップが開催されたことから、マスコミが韓国を取り上げることが激増した。2003年から2004年にNHKが韓国TVドラマ『冬のソナタ』を地上波放送したことをきっかけに、2004年から2005年にかけて民放テレビ局や女性週刊誌でも頻繁に韓国の芸能情報を報道するようになり、中高年女性を中心として「韓流ブーム」が起きた。

音楽面では東方神起BoAが成功し、東京ドームでの講演や紅白歌合戦への参加も行った。

世界遺産[編集]

韓国国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が10件、自然遺産が1件存在する。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 新正 신정 「新暦(太陽暦)の元日」という意味
12月30日 (旧暦)
1月1日 (旧暦)
1月2日 (旧暦)
旧正月ソルラル 구정(설날) 旧正月、こちらの方が韓国で言う正月
3月1日 三一節 삼일절 三・一独立運動が起こった日(1919年
5月5日 子供の日 어린이 날 日本のこどもの日と同じ日
4月8日 (旧暦) 釈迦誕生日 석가탄신일 日本の「花まつり」に相当
6月6日 顕忠日 현충일 殉国者に敬意を払う日
8月15日 光復節 광복절 日本統治からの解放を祝う日
8月14日 (旧暦)
8月15日 (旧暦)
8月16日 (旧暦)
秋夕(チュソク) 추석 韓国のお盆
10月3日 開天節 개천절 開国記念日(檀君説話に基づく)
10月9日 ハングルの日 한글날 1446年世宗大王ハングルを発明し公布したことを記念する日
12月25日 聖誕節 성탄절 クリスマス
  • 休日が集中していた10月初旬の「国軍の日국군의 날)」(10月1日)と「ハングルの日한글날)」(10月9日)は、休日の多さが経済発展に悪影響を及ぼす懸念から1991年より公休日でなくなった。しかし、ハングルの日は2013年より公休日に再指定された。
  • 植木日식목일)」(4月5日)は2006年より公休日でなくなった。
  • 「三一節」「制憲節」「光復節」「開天節」「ハングルの日」の5つを「国慶日(국경일)」と呼ぶ。「ハングルの日」は2006年より国慶日となった。
  • 制憲節제헌절)」(7月17日)は2008年より公休日でなくなった。

年齢[編集]

現在、韓国では公的には満年齢を使用している(1962年以降)が、民間では数え年が広く使われている。

スポーツ[編集]

韓国では、野球サッカーバスケットボールバレーボール柔道ゴルフアーチェリー卓球バドミントンスピードスケートショートトラックスピードスケートカーリングが盛んである。特に野球においては1982年に韓国野球委員会が発足しプロ野球がスタートした。一方のサッカーにおいては1983年にプロリーグであるKリーグが開幕し、バスケットボールにおいては1996年に韓国バスケットボールリーグ(KBL)が開幕した。特に野球とサッカーは国民的スポーツの地位を得ていて、国内のビッグゲームや国際大会での国民の熱狂振りは有名である。。

サッカー[編集]

サッカー大韓民国代表は、アジアの中では最多となる10回のFIFAワールドカップへの出場を果たしている。2002年には日本との共同開催という形で、第17回ワールドカップ開催を実現させている。この大会においては様々な疑惑の判定があったものの[134]、代表チームはオランダ人の監督の下、イタリアスペインといった強豪国を破り過去最高となる4位の成績を収めた。サポーターは「プルグン・アンマ(붉은 악마:赤い悪魔)」と呼ばれ、「テーハンミング(대한민국:大韓民国)」や「オー、ピルスンコリア(오 필승 코리아:オー、必勝コリア)」といった熱狂的なコールが日本でも注目された。

野球[編集]

野球大韓民国代表は2000年のシドニーオリンピックで初のメダルとなる銅メダルを獲得し、2004年のアテネオリンピックへの出場は逃したものの、野球が正式競技種目として最後の大会となった2008年の北京オリンピックでは強豪キューバ代表を破り、念願の金メダルを獲得した。

格闘技[編集]

2000年シドニーオリンピックから正式競技種目として採用されているテコンドー国技とされ、テコンドーも日本の柔道同様、現在は国際的スポーツとなっている。

ウィンタースポーツ[編集]

最近では冬のウィンタースポーツでも顕著な成績を上げていて、中でも2010年バンクーバーオリンピックにおいては金妍兒が女子フィギュアスケートで韓国史上初の金メダルを獲得している。またスピードスケートでも牟太釩を筆頭に金メダル3個、銀メダル2個の快挙を成し遂げた。一方、ショートトラックスピードスケートではこれまでに冬季オリンピックで金メダル21個、銀メダル12個、銅メダル9個を獲得するなど強豪国となっている。自国開催となった2018年平昌オリンピックでも韓国選手団は金メダル5個、銀メダル8個、銅メダル4個の計17個のメダルを獲得した。

エレクトロニック・スポーツ(Eスポーツ)[編集]

韓国はインターネットゲームに強いと世界から評価されており、e-sports界では最強クラスの認知度を得られている。韓国のeスポーツ人口は多く、韓国全体の人口が約5000万人に対して半数以上、つまり2500万人以上がオンラインゲームをプレイしている。

通信とメディア[編集]

インターネット[編集]

報道規制[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 大韓民国国家統計ポータル > 人口・世帯 > 人口総調査> 人口部門 > 総調査人口(2015) > 全数部門 > 人口、世帯と住宅 - 邑面洞 2015年~2015年, 2016年9月11日閲覧
  2. ^ a b South Korea”. World Economic Outlook Database, October 2017. International Monetary Fund. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  3. ^ 韓国第六共和国憲法と韓相範教授の憲法学 塩津徹
  4. ^ a b c 戦後韓国における高度成長の起動と展開「漢江の奇跡」林采成(立教大学)
  5. ^ a b 朝鮮戦争で荒廃した韓国は、当時1人あたりの国民所得が日本の5分の1に満たず世界の最貧国に数えられていた。一方、北朝鮮は経済の5カ年計画(*)に成功し、1人あたりの国民所得が韓国の2倍を超えていた。NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 -世界の中で- 第1回「信頼回復への道」2015年6月19日放送。(*)北朝鮮はソ連型の計画経済を導入した。
  6. ^ a b 当時の韓国の一人あたりの国民所得は、日本の五分の一に満たない82ドルで、朝鮮戦争の荒廃から立ち直っておらず、世界の最貧国のひとつだった。NHK さかのぼり日本史「戦後“経済外交”の軌跡」第三回 経済援助 積み残された課題 2012年4月17日放送、キャスター 石澤典夫、解説 学習院大学教授 井上寿一
  7. ^ a b c d 岩田勝雄, 韓国の経済発展の軌跡, 立命館大学コラム「あすへの話題」2006年7月(第44回).
  8. ^ a b 韓国の経済成長に果たした円借款の役割, 2004年度円借款事業評価報告書, 国際協力機構, 2004年7月.
  9. ^ 総務省統計局 世界の統計2017
  10. ^ 面積:韓国98,480km2、日本378,000km2
  11. ^ 韓国の国土に対する面積比率、森林63.52%、耕作地17.35%。世界の森林率ランキング世界の耕地面積率 国別ランキング・推移。出典:FAO(Food and Agriculture Organization)
  12. ^ R.L. Forstall, R.P. Greene, and J.B. Pick, Which are the largest? Why lists of major urban areas vary so greatly, Tijdschrift voor economische en sociale geografie 100, 277 (2009), Table 4
  13. ^ '대한민국' 국호의 결정 (충남지역신문협회)
  14. ^ 任文桓『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』草思社、2011年。325〜326頁より。(ISBN 978-4-7942-1837-7)
  15. ^ 一部の嫌韓主義者など、単純に蔑称と認識して「南朝鮮」を使用する者もいる。
  16. ^ 「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」と同様。
  17. ^ ただし、「南朝鮮」の呼称については、日韓国交樹立後も主に朝鮮半島における大韓民国の正統性を認めない(北朝鮮を正統とする、または南北とも正統と認めない)立場から用いられている。また、21世紀前半の日本において、「南朝鮮」の呼称は韓国に対し批判的・否定的なインターネットユーザーの間で用いられることが多い。
  18. ^ ただし、1990年代以降における「高麗人」の表記は、「ソビエト連邦崩壊後の独立国家共同体 (CIS) 諸国の国籍を持つ朝鮮民族」を指すことがほとんどである。
  19. ^ 「李氏朝鮮」は韓国では単に「朝鮮」といい、衛氏朝鮮箕子朝鮮は「古朝鮮(コジョソン)」という。「李氏朝鮮」「李朝」という表現は『日帝時代に使用され始めた歴史用語だ』と忌避される傾向がある。
  20. ^ 政治色を無くした「南側、北側」が使われることもある。
  21. ^ 「高麗人参」は土産物用、輸出用に限られ、韓国内では「人参」という。野菜のニンジンは「タングン」(唐根)と表現している
  22. ^ 「朝鮮」と同様の統一王朝の「高麗」「新羅」も伝統的語感があり団体名に使用されることがある((例)高麗大学、ソウル新羅ホテル)
  23. ^ カイロ宣言国立国会図書館のホームページより)
  24. ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、4頁。
  25. ^ 日本政府、南北共闘を警戒 板門店宣言「民族共同行事」で 慰安婦・徴用工問題が再燃も 産経新聞 2018/05/06
  26. ^ a b 閔炳老著『韓国の憲法事情 諸外国の憲法事情3』(国立国会図書館調査及び立法考査局) p40
  27. ^ 今日の歴史(9月9日) 聯合ニュース 2009/09/09
  28. ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、5-7頁。
  29. ^ 当初の憲法では、大統領は国会議員間接選挙によって選出されることになっていた。大統領が国民の直接選挙によって選出されるのは、1952年第2代大統領選出時点からである。
  30. ^ 国定教科書の「1948年建国」は抗日・臨時政府の否定ハンギョレ2015年11月9日付記事)]
  31. ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、8-9頁。
  32. ^ 田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、9頁。
  33. ^ “今日の歴史(1月7日)”. 聯合ニュース. (2009年1月7日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/01/07/0200000000AJP20081222003300882.HTML 2011年8月7日閲覧。 
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  38. ^ 中央日報 40年間で100億本の木を植えた韓国に世界が賛辞
  39. ^ 「韓国の林政史を通して見た「森林資源の造成と利用」について」金錫権(「里山-文化としての自然」2008年12月13日龍谷大学)[1]PDF-P.37
  40. ^ ただ、韓国の都市は一部(仁川釜山浦項など)を除けば大多数が内陸部に位置しているため内陸性、盆地型気候で朝晩の冷え込みが厳しい一方、日本の都市は多くが沿岸部にあるため冷え込みが緩くなり、単純な比較には注意を要する。
  41. ^ 韓国社会が大揺れ、「接待文化」と決別できるか 劇薬「金英蘭法」が突き付ける究極の選択
  42. ^ [2]「通訳めぐり法廷混乱 「二股」は「かけはし」、「志願」は「しえん」と誤訳 国際化対応に遅れ」,産経ニュース.
  43. ^ 韓国政府高官らの息子16人、韓国国籍捨て外国人に…兵役逃れか
  44. ^ 米韓、戦時作戦統制権移譲を再延期 韓国国防相「20年代半ば」 産経ニュース 2014年10月24日
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  47. ^ http://japanese.joins.com/article/789/137789.html?servcode=200&sectcode=200
  48. ^ http://sankei.jp.msn.com/world/news/130215/kor13021514210005-n1.htm
  49. ^ “北朝鮮、ソウルとワシントンを「火の海にする」と威嚇(1)”. 中央日報日本語版. (2013年3月7日). http://japanese.joins.com/article/078/169078.html 2014年4月29日閲覧。 より『労働新聞』の文言を引用
  50. ^ “北朝鮮、ソウルとワシントンを「火の海にする」と威嚇(1)”. 中央日報日本語版. (2013年3月7日). http://japanese.joins.com/article/078/169078.html 2014年4月29日閲覧。 
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  52. ^ 石坂浩一「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、192-193頁。
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  54. ^ 石坂浩一「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、193頁。
  55. ^ 平岩俊司『北朝鮮――変貌を続ける独裁国家』中央公論新社〈中公新書2216〉、東京、2013年5月25日発行、97-98頁。
  56. ^ 石坂浩一「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、194頁。
  57. ^ 石坂浩一「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、194頁。
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光
その他
先代:
連合軍軍政期
1945年-1948年
朝鮮の歴史
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(大韓民国)

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