道修町

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道修町
小林製薬本社
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
中央区
人口
2018年(平成30年)12月31日現在)
 • 合計 260人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
541-0045

道修町(どしょうまち)は、大阪府大阪市中央区町名。現行行政地名は道修町一丁目から四丁目まで。2018年12月31日現在の人口は260人、世帯数は175世帯[1]郵便番号は〒541-0045。

地理[編集]

船場のうち北から5番目の町で、北は高麗橋伏見町、南は平野町、東は東横堀川を挟んで東高麗橋、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区江戸堀京町堀とそれぞれ接する。

製薬会社などが軒を連ねる「くすりの町」として知られる。

河川[編集]

歴史[編集]

1872年明治5年)まで、現在の4丁目のうち御霊筋以西は古手町、西横堀川沿いは七郎右衛門町2丁目という町名だった。

江戸時代に、オランダからの輸入薬(唐薬種)を一手に扱う薬種問屋が店を出し、幕府公認の株仲間「薬種中買仲間」を結成する[2]。また、享保7年(1721年)には日本を産地とする薬(和薬種)を検査する和薬種改会所が設けられた。日本で商われる薬は、いったん道修町に集まり、品質と目方を保証されて全国に流通していった[2]。その関係で現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが道修町通りの両側に多いことで知られている。武田薬品工業、塩野義製薬、田辺三菱製薬が本社を構えている。薬種問屋には、コニシのように、狭義の医薬品でなく化成品の道に進んだ企業もある。医薬品業界に関しては外資系も近畿を拠点とするところが多く、バイエル(大阪府大阪市北区)、アストラゼネカ(大阪市北区)、P&G兵庫県神戸市中央区)、イーライー・リリー(神戸市中央区)などが挙げられる。

道修町にある少彦名神社は、薬の神様(薬祖神)として安永9年(1780年)に勧請された[2]。人々はそれ以前から中国の薬神である神農を祀っていたため、双方を祀ることになった地元では少彦名命と合祀して「神農さん」と呼び、長く親しまれている[2]

日本初の薬学専門学校(現在の薬科大学に相当する)が設置されたのも道修町である。

地名の由来[編集]

町名の由来は、このあたりに「道修寺」という寺院があったからとする説や[2]、江戸時代初期に北山道修(きたやま・どうしゅう)という薬学者がいたことにちなむとする説[2]、江戸時代中頃まで上町台地と洲島との谷間にあたる道修町一丁目周辺が「道修谷」と呼ばれていたことに由来するという説[2]本願寺教如上人がこの地に渡辺御堂という寺を建てたことから多くの堂衆が住むようになり、「堂衆」が「道修」に変じたという説などがある[2]

祭事[編集]

毎年11月23日に少彦名神社の祭祀である神農祭があり、前日の11月22日が宵宮である。付近は大阪市の中心街でありオフィス街としての無機質な町並みに突如として堺筋から御堂筋までのおまつり屋台街が出現する。市街地ど真ん中であるため周囲はほとんど子供の居ない地域であり、屋台は大人向けの「居酒屋」的な屋台で占められており、その中に挟まれるように普通のお祭りらしい屋台が存在する。通りには道修町に本社やオフィスを構える製薬会社の製品が笹にぶら下げられ、11月23日は休日なので宵宮はスーツ姿のサラリーマンやOLで遅くまで賑わい異様な雰囲気がある。

施設[編集]

小西家住宅

道修町にオフィスのある製薬会社[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

地内に駅はなく、西側は地下鉄御堂筋線淀屋橋駅、東側は北浜駅が最寄り駅である。

道路[編集]

国道
主要地方道

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中央区 人口
  2. ^ a b c d e f g h 山本麻衣『医薬を近代化した研究と戦略』 芙蓉書房出版 <シリーズ 情熱の日本経営史> 2010年、ISBN 978-4-8295-0475-8 pp.20-25.

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度41分18.4秒 東経135度30分22.9秒 / 北緯34.688444度 東経135.506361度 / 34.688444; 135.506361 (道修町)