南久宝寺町

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南久宝寺町
久宝寺橋
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
中央区
人口
2015年(平成27年)10月1日現在)
 • 合計 1,621人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
541-0058

南久宝寺町(みなみきゅうほうじまち)は、大阪府大阪市中央区町名。現行行政地名は南久宝寺町一丁目から四丁目まで。2015年10月1日現在の人口は1,621人、世帯数は1,240世帯[1]郵便番号は〒541-0058。

地理[編集]

北は北久宝寺町、南は博労町、東は東横堀川久宝寺橋を挟んで材木町松屋町住吉、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区立売堀新町にそれぞれ接する。

大阪では有数の問屋街の一つである。南久宝寺町1丁目から3丁目まではアーケードが設置されている。また、南久宝寺町通として大阪市内を東西に走る道路の名称にも使われている。

河川[編集]

南久宝寺町通[編集]

中央大通から数えて3本南側の通り。東行きの一方通行である。阪神高速1号環状線の長堀入口に接続している(接続部の地名は松屋町住吉)。

歴史[編集]

1872年明治5年)まで、現在の3丁目と4丁目のうち御堂筋沿いは北久宝寺町5丁目、佐野屋橋筋沿いと渡辺筋沿いは上難波町、西横堀川沿いは西笹町という町名だった。

江戸時代から小間物問屋が集積した問屋街としての歴史を持ち、戦後は衣料品や服飾雑貨(カバン・袋物・傘・靴など)を扱う現金問屋街となった。バブル崩壊頃より閉店する問屋が増え、かつての活気は失われつつあるが、いまなお大阪では有数の問屋街の一つである。

1962年昭和37年)に埋め立てられた西横堀川には助右衛門橋が架橋されていた。

地名の由来[編集]

当地に久宝寺という寺院があったことに由来するという説と、道頓堀川が開削された際に河内国渋川郡久宝寺村顕証寺寺内町)から多くの人夫が来て、当地を住地にしていたことに由来するという説の2つがある[2]

施設[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

高速道路
国道
主要地方道

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中央区 人口
  2. ^ 久宝寺橋”. 大阪市. 2018年9月27日閲覧。

外部リンク[編集]