南久宝寺町
南久宝寺町 | |
|---|---|
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| 北緯34度40分45.37秒 東経135度30分16.86秒 / 北緯34.6792694度 東経135.5046833度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 区 | 中央区 |
| 面積 | |
| • 合計 | 0.107959805 km2 |
| 人口 | |
| • 合計 | 1,748人 |
| • 密度 | 16,000人/km2 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
541-0058[3] |
| 市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
| ナンバープレート | なにわ |
南久宝寺町(みなみきゅうほうじまち)は、大阪府大阪市中央区の町名。現行行政地名は南久宝寺町一丁目から南久宝寺町四丁目。
地理
[編集]北は北久宝寺町、南は博労町、東は東横堀川久宝寺橋を挟んで材木町・松屋町住吉、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区立売堀・新町にそれぞれ接する。
大阪では有数の問屋街の一つである。南久宝寺町1丁目から3丁目まではアーケードが設置されている。また、南久宝寺町通として大阪市内を東西に走る道路の名称にも使われている。
河川
[編集]南久宝寺町通
[編集]中央大通から数えて3本南側の通り。東行きの一方通行である。阪神高速1号環状線の長堀入口に接続している(接続部の地名は松屋町住吉)。
歴史
[編集]
1872年(明治5年)まで、現在の3丁目と4丁目のうち御堂筋沿いは北久宝寺町5丁目、佐野屋橋筋沿いと渡辺筋沿いは上難波町、西横堀川沿いは西笹町という町名だった。
江戸時代から小間物問屋が集積した問屋街としての歴史を持ち、戦後は衣料品や服飾雑貨(カバン・袋物・傘・靴など)を扱う現金問屋街となった。バブル崩壊頃より閉店する問屋が増え、かつての活気は失われつつあるが、いまなお大阪では有数の問屋街の一つである。
明治以降、南北久宝寺町は秋の誓文払い[注釈 1]の売出しで盛大を極めた[6]。
南久宝寺町を含む中船場は、日常使う言葉や商家の風習なども「戦前までの船場的スタンダード」といった雰囲気をよく醸し出していた[7]。
1962年(昭和37年)に埋め立てられた西横堀川には助右衛門橋が架橋されていた。
地名の由来
[編集]当地に久宝寺という寺院があったことに由来するという説と、道頓堀川が開削された際に河内国渋川郡久宝寺村(顕証寺の寺内町)から多くの人夫が来て、当地を住地にしていたことに由来するという説の2つがある[8]。
南久宝寺町問屋街
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南久宝寺町の問屋街としての歴史は古く、江戸中期にさかのぼるという。管などの日本髪用の頭飾品を中心とした小間物に始まり、その後洋装用装身具に変化しながら、粧装品卸商の町として栄えてきた。小間物商はその種類は雑多であるが、南北久宝寺町を第一として、南北久太郎町・唐物町・博労町に多かった。明治元年、三休橋筋南久宝寺町通下る東側に大阪小間物卸商同業組合[注釈 2]の事務所が置かれるなど、南北久宝寺町は小間物商の中心的地域であった。明治、大正、昭和と時代の変わるうちに、各問屋も化粧専門の店、或いは小間物専門の店へと専業化の道をたどった。特に戦時中小間物も、簪、櫛と言ったものがネックレス、手袋、下着といった風に婦人の装粧品を中心とするものになった。アクセサリー、化粧用具、身辺雑貨(婦人下着、その他)、ブラシ、理容用品、頭飾品、室内アクセサリー(人形、オルゴールなど)、婦人衛生用品、袋物等と商品の種類も非常に多くなっていった。1930年代後半から統制経済によって商業活動は困難になり、1945年3月の大空襲によって壊滅した。しかし、戦後の1946年春頃から営業を再開する店や新たに開業する店が出始め、1948年 には昔日の久宝寺間屋街を偲ばせる迄に復興開店した。戦後の立直りが早かったのは、他の商品に較べて統制が割に少なかったからである。高度成長期には建物のビル化も進んだ。1958年に大阪久宝寺町問屋連盟が発足し、1963年には堺筋に久宝寺卸連盟会館が完成。2014年に板屋橋筋に新館が建てられた。かつての南久宝寺町通は狭い道幅であったが、都市計画により八間道路となった。戦後、通りの歩道地下に塵芥容器を設置し、上部にはアーケードが1970年に完成。50年を迎えた2020年にアーケードを撤去し、オープンモールの通りとなった[9][10][11][12][13][14][15][16]。
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 南久宝寺町一丁目 | 672世帯 | 824人 |
| 南久宝寺町二丁目 | 373世帯 | 517人 |
| 南久宝寺町三丁目 | 75世帯 | 82人 |
| 南久宝寺町四丁目 | 229世帯 | 325人 |
| 計 | 1,349世帯 | 1,748人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
| 1995年(平成7年) | 359人 | [17] | |
| 2000年(平成12年) | 306人 | [18] | |
| 2005年(平成17年) | 642人 | [19] | |
| 2010年(平成22年) | 1,070人 | [20] | |
| 2015年(平成27年) | 1,621人 | [21] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
| 1995年(平成7年) | 158世帯 | [17] | |
| 2000年(平成12年) | 153世帯 | [18] | |
| 2005年(平成17年) | 451世帯 | [19] | |
| 2010年(平成22年) | 824世帯 | [20] | |
| 2015年(平成27年) | 1,244世帯 | [21] |
事業所
[編集]2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[22]。
| 丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 南久宝寺町一丁目 | 115事業所 | 973人 |
| 南久宝寺町二丁目 | 142事業所 | 1,314人 |
| 南久宝寺町三丁目 | 124事業所 | 2,429人 |
| 南久宝寺町四丁目 | 132事業所 | 2,128人 |
| 計 | 513事業所 | 6,844人 |
施設
[編集]- 久宝寺橋 - 東横堀川
- 難波神社 - 敷地は博労町四丁目と南久宝寺町四丁目。
- 太閤路地の碑 - 堺筋南久宝寺町通下る西側
- 南久宝寺町の歴史の碑 - 南久宝寺町通堺筋南西角
- 萬栄
- 御堂筋ダイビル - 4丁目、御堂筋沿い
- クツワ文具店 - 南久宝寺町通東横堀筋西入る南側。元西村福松商店。本社ビルは1938年竣工[23]。
- 旧西海商店ビル - 南久宝寺町通心斎橋筋東南角。西海商店はステッキ・洋装付属品雑貨などを取り扱っていた[24]。
- 羽岡絲店 - 心斎橋筋南久宝寺町通上る西側。創業明治10年。
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]ギャラリー
[編集]-
難波神社
-
萬栄2号館
-
御堂筋(北久宝寺町通より南側を望む)
-
御堂筋イルミネーション(南久宝寺町通より南側を望む)
-
同上
関連項目
[編集]- 問屋街
- 船場
- 久宝寺橋
- 佐野繁次郎 - 洋画家。生家は南久宝寺町心斎橋筋の筆墨・硯店「古梅園」[26][27]。
- 平尾賛平商店 - 南久宝寺町四丁目に大阪支店があった[28][29]。
- 石原時計店 - 当初は楽器店と共に心斎橋筋南久宝寺町通下る西側にあり、後に心斎橋南詰に洋館建てのビルを構える[30][31]。
- 前川善兵衛 - 伊丹屋系書肆「文栄堂」。心斎橋筋南久宝寺町通上る東側に書店および楽器店・教育器械店を併設。類焼後、塩町通に移り前川合名会社を設立[32][33][34][35]。
参考文献
[編集]- 宮本⼜次『船場』ミネルヴァ書房(⾵⼟記⼤阪第1集)1960年
- ⾹村菊雄『⼤阪慕情 船場ものがたり』神⼾新聞出版センター 1976年
- 橋⽖節也『モダン⼼斎橋コレクション ─メトロポリスの時代と記憶─』国書刊⾏会 2005年
- 前川佳⼦、近江晴⼦『船場⼤阪を語りつぐ 明治⼤正昭和の⼤阪⼈、ことばと暮らし』和泉書院 2016年
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “大阪府大阪市中央区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2019年7月26日). 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “南久宝寺町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ ⾹村菊雄『⼤阪慕情 船場ものがたり』神⼾新聞出版センター、1976年、254-255⾴
- ^ ⼤阪⼼斎橋筋卸商連盟『せんば ⼼斎橋 ─⼤阪⼼斎橋筋卸商連盟20年史─』1970年、68頁
- ^ 前川佳⼦、近江晴⼦『船場⼤阪を語りつぐ 明治⼤正昭和の⼤阪⼈、ことばと暮らし』和泉書院、2016年、35頁
- ^ “久宝寺橋”. 大阪市. 2021年12月13日閲覧。
- ^ 上野烝蔵『躍進小間物業界』大阪小間物卸商同業組合、昭和12年、1-2, 5, 8頁
- ^ 東出清光『大阪案内』大阪商品研究会編集部、昭和16年、112頁
- ^ 嶋本恒雄『大阪市東区南久宝寺について卸問屋街の改良計画に関する研究(Ⅱ)』 日本建築学会論文報告集第63号、昭和34年、441頁
- ^ 宮本⼜次『船場』ミネルヴァ書房(⾵⼟記⼤阪第1集)1960年、349頁
- ^ 由田清『大阪小間物装粧品変遷史』日本商業新聞社、1960年、19頁
- ^ 荒木康代『「自営」という選択 ─戦前戦後の2人の女性商業者の事例から─』労働社会学研究2009年10巻、2009年、15-16, 25頁
- ^ 『船場ガイドブック 2016』船場げんきの会・愛日地域活動協議会、2016年、8頁
- ^ 『船場ガイドブック 2020』船場倶楽部・集英地域活動協議会、2021年、9頁
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ クツワの歴史 | クツワ株式会社参照
- ^ 『小間物化粧品年鑑』東京小間物化粧品商報社、昭和11年、381頁
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
- ^ 橋⽖節也『モダン⼼斎橋コレクション ─メトロポリスの時代と記憶─』国書刊⾏会 2005年、37頁
- ^ 前川・近江(2016年)、34-35頁
- ^ 上野(昭和12年)、101頁
- ^ 前川・近江(2016年)、35頁
- ^ 恒貫一右衛門『浪華の魁』明治15年、東, 九
- ^ 橋爪(2005年)、37, 42頁
- ^ 恒貫(明治15年)、東, 六
- ^ ⼤⼤阪画報社『⼤⼤阪画報』昭和3年、538⾴
- ^ 宮本(1960年)、381, 384頁
- ^ 橋爪(2005年)、37頁