立売堀

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立売堀川跡の碑。花王の大阪事業場の脇にある。

立売堀(いたちぼり)は、大阪府大阪市西区町名で一丁目から六丁目まである。郵便番号550-0012。

地理[編集]

大阪市西区東部に位置する。北で阿波座、東で北久宝寺町南久宝寺町、南で新町、西で本田及び西の橋梁上の一点で川口、北西で江之子島西本町と隣接する。阪神高速1号環状線信濃橋出入口付近から淀川の支流の木津川にある大渉橋付近までにあたる。

三丁目は阿波座地区西部、四丁目・五丁目・六丁目東部は薩摩堀地区、六丁目西部は江之子島地区南部を含んでいる。

歴史[編集]

江戸時代から地域の南部に立売堀川、北西部に薩摩堀川、西端部に百間堀川が流れていたが、昭和中期に埋め立てられた。江戸時代から材木の集散地として栄え、大正以降は金属や機械などの問屋街が形成されている。

地名の由来[編集]

摂津名所図会大成』によると、大坂冬の陣・夏の陣伊達氏がこの付近に堀をつくり陣地を構えていたこと、その跡を掘り足して川としたことからはじめは伊達堀(だてぼり)と呼んでいたが、そのうち「いたちぼり」と呼ばれるようになった。後に材木の立売りが許されるようになったので漢字のみ「立売堀」と改められた、とのことである[1][注 1]

町名の変遷[編集]

江戸時代の町名は三右衛門町(さんえもんちょう)・中橋町・船坂町・薩摩堀中筋町・薩摩堀東之町・納屋町(なやまち)・百間町(ひゃっけんまち)・吉田町・西国町・立売堀一から四丁目・孫左衛門町・助右衛門町・立売堀中之町・立売堀西之町・立売堀南裏町となっていた。

1872年明治5年)に阿波座三番町・阿波座四番町・薩摩堀北之町・薩摩堀東之町・薩摩堀南之町・薩摩堀裏町(もと納屋町)・薩摩堀西之町(もと百間町)・立売堀裏町(もと吉田町・西国町)・立売堀北通一から六丁目・立売堀南通一から六丁目となり、立売堀南裏町は新町通に含まれるようになった。1924年(大正15年)に薩摩堀裏町が島津町に、立売堀裏町が立売堀北通七丁目に変更。1960年(昭和35年)に阿波座三番町の西半・阿波座四番町・薩摩堀の五町が立売堀上通一から三丁目となり、立売堀北通・立売堀南通も再編の上どちらも一から六丁目となった。1978年(昭和53年)に立売堀上通・立売堀北通・立売堀南通および江之子島東之町・江之子島西之町の各中央大通以南を統合して住居表示を実施。

交通[編集]

施設[編集]

立売堀が舞台の作品[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ただし、「伊達」は歴史的には「いたて(いだて)」・「いたち(いだち)」とも読まれた。「いたちぼり」の名前が伊達氏に由来するとしても、「だて」からの転訛だとは断定できない。

出典[編集]

  1. ^ 『大阪の橋』273ページ

参考文献[編集]

外部リンク[編集]