神農

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
神農
神農

神農(しんのう)は古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司るとされている。

概要[編集]

神農は中国における初めての部落連盟の名前ともなり、70世代に渡って古代中国を治めたという。また、世界最古の本草書『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)に名を残している。

伝説によれば、神農の体は頭部と四肢を除き透明で、内臓が外からはっきりと見えたという。

神農はまず赤い鞭で百草(たくさんの植物)を払い、それを嘗めて薬効や毒性の有無を検証した(赭鞭)[1]。もし毒があれば内臓が黒くなるので、そこから毒が影響を与える部位を見極めたという。

その後、あまりに多くの毒草を服用したために、体に毒素が溜まり、そのせいで最終的に亡くなったという。

淮南子』に、「古代の人は、(手当たり次第に)野草、水、木の実、ドブガイタニシなど貝類を摂ったので、時に病気になったり毒に当ったりと多く苦しめられた。このため神農は、民衆に五穀を栽培することや適切な土地を判断すること(農耕)、あらゆる植物を吟味して民衆に食用と毒草の違い(医療)を教えた。このとき多くの植物をたべたので神農は1日に70回も中毒した」とある[2]

周易』繋辞伝下に、「伏羲が没すると神農が治めた。神農は木を加工して農具を作り、農具のメリットを民衆に教え広めた。これは「益」という卦を参考にしたのだろう。また神農は昼に市場を開き、民衆を呼びよせた。市場ではあらゆる商品が集まり、人々が交易して帰ると、それぞれは望む物を手に入れていた。これは「噬嗑(ぜいごう)」という卦を参考にしたのだろう」とある[3]

炎帝は神農と同一人物視されてきた[4][5][6]。伝説では神農と黄帝は異母兄弟であり、炎帝の治める部落連盟は8代続いたあと、黄帝の率いる部落と衝突ののち合併・融合し、この子孫が後の漢族とみなされている。また中国国民党の政治家で中国古代史に深い造詣があった呉国楨は、その論文の中で炎帝の「炎」と、彼の伝えたと信じられている焼畑農業の炎との関係に言及している。 [7]

帝王世紀』には五弦の琴を発明し、また伏義の作った八卦を2段に重ね、さらに研究して8x8の64卦を作ったとある。[4]

信仰[編集]

湯島聖堂・神農廟東京都文京区湯島湯島聖堂内の神農廟に祀られ、毎年11月23日に「神農祭」が行われる。

薬祖神社大阪府堺市戎之町堺天神菅原神社の摂社として少彦名命とともに祀られ毎年11月23日に「薬祖祭」が斎行される。

少彦名神社大阪市中央区)には少彦名命とともに奉られ、毎年11月22日・23日に「神農祭」が行われる。

神農はまた「神農皇帝」の名称で的屋の守護神として崇敬されており、儀式では祭壇中央に掛け軸が祀られるほか、博徒の「任侠道」に相当するモラルを「神農道」と称する。

代に五行説が流行するとともに炎帝と一体視されるようになり、西晋代に至ると西周以前に漢水流域に居住していた農耕部族の歴山氏と同一視されるようになった。

国語に、炎帝は少典氏が娶った有蟜氏の子で、共に関中を流れる姜水で生まれた炎帝が姜姓を姫水で生まれた黄帝が姫姓を名乗った[8]とあり、また帝王世紀には、神農は、母が華陽に遊覧の際、龍の首が現れ、感応して妊娠し姜水で産まれ、体は人間だが頭は牛の姿であった。火の徳(木の次は火であること、南方に在位すること、夏を治めること)を持っていたので炎帝とも呼ぶ。とある[4]。炎帝は紀元前2740年ころの古代中国の王で120歳まで生き、死後長沙に葬られたといわれている。炎帝は神農氏の部落連盟の跡に古代中国を治めた部落の名前ともなり、その首領は“炎帝”と呼ばれた。最後の炎帝は黄帝と連合して華夏族を成した。

脚注[編集]

  1. ^ 本草つうしん 第28号 2010年6月30日付 PDFファイル
  2. ^ 淮南子・脩務訓 「古者、民茹草飲水、采樹木之實、食蠃蠬之肉。時多疾病毒傷之害、於是神農乃始敎民播種五穀、相土地宜、燥濕肥墝高下、嘗百草之滋味、水泉之甘苦、令民知所辟就。當此之時、一日而遇七十毒」
  3. ^ 周易・繋辞伝下 包犧氏沒,神農氏作。斲木爲耜,揉木爲耒,耒耨之利。以敎天下,蓋取諸益。日中爲市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸噬嗑。
  4. ^ a b c 帝王世紀
  5. ^ 学者間でも多くの議論がなされて、2004年に開かれた中国の学会では、同一で一応の合意を見たようである。Yang Dongchen 杨东晨, in Yan Di Wen Hua 炎帝文化, 15.
  6. ^ Wikipedia英語版 en:Yan Emperor
  7. ^ Wu, K. C. (1982). The Chinese Heritage. New York: Crown Publishers. [[1]]
  8. ^ 國語

関連項目[編集]