焼畑農業

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1893年フィンランドエノにおける焼畑の様子
焼畑されたスマトラ島の森(1900年代
パナマベラグアス県サンタフェ英語版で行われている焼畑(2000年代
フランス領ニューカレドニアリフー島で行われている焼畑(2007年

焼畑農業(やきはたのうぎょう)/ 焼畑農法(やきはたのうほう)は、熱帯から温帯にかけて伝統的に行われている粗放的な農業形態である。耕耘・施を行わず、作物の栽培後に農地を一定期間放置して地力を回復させる点が特徴。休閑に着目して休閑システム、あるいは耕作地を移動させていくことに着目し、移動農法 (shifting culitivation) という語が使われることもある。

類似概念として一定期間休閑するが必ずしも火入れをしない切替畑(切畑)があるが、焼畑との区別は厳密にはつけられないとされる[1]

概要[編集]

福井 (1983:239) によれば、「ある土地の現存植生伐採・焼却等の方法を用いることによって整地し、作物栽培を短期間おこなった後、放棄し、自然の遷移によってその土地を回復させる休閑期間をへて再度利用する、循環的な農耕である」と定義される[2]

焼畑にはいくつかの機能があると指摘されている。火を使うことについては

  1. 熱帯土壌はやせて酸性ラトソルが主体のため、作物の栽培に適していない。そこで熱帯雨林に火を付けて開拓することで、が中和剤や肥料となり、土壌が改良される。
  2. 焼土することで、土壌の窒素組成が変化し、土壌が改良される[3]
  3. 熱による種子や腋芽の休眠覚醒
  4. 雑草、害虫、病原体の防除

また十分な休耕期間は遷移途中に繁茂する多年生草本がなくなるので、この除去の手間がはぶけるなど省力な農業であるという。

基本的に灌漑を利用しない天水農業である。また、広域の山林における人間活動が、野生動物の里地への侵入を低下させる可能性も指摘されている。

ここで、キャッサバヤムイモタロイモなど根菜類、あるいは、モロコシなどを栽培して主食とする。

かつては日本でも山間地を中心に行われ、秩父地方では「サス」、奥羽地方では「カノ」、飛騨地方では「ナギ」など種々の地方名で呼ばれてきた[1]。しかし、近年急速に衰退し、宮崎県椎葉村山形県鶴岡市などに限られている。

現状[編集]

熱帯の気候に適した農法で区画を決めて焼畑を行い、栽培が終わると他の区画へと移動する。伝統的な焼畑農業は元の区画には条件にもよるが10年以上の休耕期間をおく持続可能的なものである。焼畑適地が不足した場合によっては集落ごと移動し新規の土地を求めることもある。近年では人口の増加や定住政策によって休耕期間が短くなり、肥料などを用いて常畑化しているところもある。

新規農業事業者による商品作物栽培のために、焼畑ではなく常畑設置のための焼き据えの延焼などによる砂漠化が進んでいることが、焼畑の責任になることがある[4] [5] [6]。しかし衛星写真でも、巡回的な(ローテーションのある)焼畑でなく、広範囲のいっせい皆伐による開墾が見られる[7]

また、東南アジアにおいて平地出身の伝統的に焼き畑を行わない農民が焼き据えのために伐採したあと火をつけたとき、焼き畑の技術が未熟であったために周囲に延焼し、大量の煙がシンガポールインドネシア等の大都市を包み、住民の健康被害をもたらしたり、視界不良による交通障害を起こしたりする深刻な煙害をもたらすことがある。特に、2000年代に入ってからは、インドネシアを中心に、(伝統的な焼畑農業とは無関係な)森林の更地化(商工業用地化・住宅用地化)の過程で伐採行為の省力化を目的に、樹木にガソリン灯油などをかけて焼却する行為が横行し、社会問題化している。

焼畑農業は樹木の燃焼によって二酸化炭素を空気中に放出し、また灰などの粉じんや有毒なガスが発生する。

日本における焼畑農業[編集]

日本列島においては縄文時代中期・後晩期段階での粗放的な縄文農耕が存在したと考えられており[8]、遺跡からは蕎麦、麦、緑豆などの栽培種が発見され、かつては縄文後期に雑穀・根菜型の照葉樹林文化が渡来したという研究者もいる[9]が、近年の成果から縄文前期に遡ると指摘する研究者もいる。

焼畑は縄文農耕以来の粗放的農業を引き継ぐ形態の農法であったと考えられており、古代の段階では畿内周辺においても行われている。焼畑は生産量も少なく非課税であったため、課税対象である米の生産を行うためにしばしば禁止令が出されている。

中世近世においても焼畑は山間部を中心に行われ、近世においては江戸時代中後期の徴税強化や山火事等の保安上の理由、山林資源への影響から禁止・制限が行われた。

日本ではヒエアワソバダイズアズキを中心にムギサトイモダイコンなども加えた雑穀栽培型の焼畑農業が一般的で、中部地方信濃国甲斐国関東地方上野国の山間部で盛んであるほか、西国四国山間部(宮崎県の椎葉地域や、熊本県の五木地域が有名である)でも行われている。耕作期間は3- 5年で、その後、15- 20年間放置し、地力を回復させる。

また、東北地方では火野(かの)カブと呼ばれる焼畑によるカブの栽培が行われており、山形県鶴岡市温海かぶでは、林業における伐採と植栽のサイクルに沿った持続可能性を有する栽培方法が江戸時代から続けられている。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ a b 靑野寿郎・保柳睦美監修『人文地理事典』 p.394 1951年 古今書院
  2. ^ 福井 (1983)
  3. ^ Araki, S (1993). “Effect on soil organic matter of the chitemene slash-and-burn practice used in northern Zambia in Mulongoy”. In K. and Mercks, R.. Soil Organic Matter Dynamics and Sustainability of Tropical riculture. John Wiely & Sons.. pp. 367-375. 
  4. ^ アマゾン先生
  5. ^ エコ忍法の環境用語
  6. ^ jinkawiki
  7. ^ アマゾンの衛星写真(google map)
  8. ^ 『縄文時代の考古学三 大地と森の中で―縄文時代の古生態系ー』 小杉康,谷口康浩,西田泰民,水ノ江和同,矢野健一、同成社、2009年
  9. ^ 佐々木高明 『縄文以前』 日本放送協会、1971年

参考文献[編集]

  • 福井勝義 「焼畑農耕の普遍性と進化─民俗生態学的視点から」『山民と海人―非平地民の生活と伝承』第5巻、大林太良ほか編、小学館〈日本民俗文化大系〉、1983年、235-274頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]