椎葉村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
しいばそん
椎葉村
Flag of Shiiba Miyazaki.JPG
椎葉村旗
Shiiba Miyazaki chapter.JPG
椎葉村章
村旗・村章、共に1973年昭和48年)11月5日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
東臼杵郡
団体コード 45430-3
法人番号 5000020454303
面積 537.29 km²
総人口 2,695
推計人口、2017年10月1日)
人口密度 5.02人/km²
隣接自治体 西都市
東臼杵郡美郷町諸塚村
西臼杵郡五ヶ瀬町児湯郡西米良村
熊本県八代市
上益城郡山都町球磨郡水上村
村の木 山椒
村の花 シャクナゲ
村の鳥 ヤマドリ
椎葉村役場
村長 椎葉晃充
所在地 883-1601
宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良1762番地1
北緯32度28分0.1秒東経131度9分26.6秒
Shiiba village hall.JPG
外部リンク 椎葉村

椎葉村位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

椎葉村(しいばそん)は、宮崎県の北西部にあるである。東臼杵郡に属する。

地理・文化[編集]

宮崎県北部の九州山地中央部に位置し、としては日本第5位の広大な面積を有する。北西部の国見岳をはじめ、全体が九州山地中央部の標高1000~1700m級の山々に囲まれ、其の谷間を縫うように幾筋もの河川が源を発し流れている。村域の大部分は耳川源流域であるが、村の南部は一ツ瀬川小丸川の源流域にまだかっている。このように非常に険しい地形であるため可住地面積は村域の僅か4%に過ぎず、川沿いや、山の主に中腹域の緩斜面に点々と集落が存在している。 村中心部・上椎葉地区の耳川上流側には日本初の大規模アーチダムである上椎葉ダムがあり、日向椎葉湖がその水を湛える。 十根川地区には国の天然記念物に指定されている八村杉(別名:十根の杉)があり、不土野地区には日本で唯一、焼畑農業を継承している農家がある。村内の26地区で国の重要無形民俗文化財である椎葉神楽が伝承されており、また、平家の落人伝説の地でもある。その地理的特徴・民俗的特徴から日本三大秘境の一つに数えられ、毎年11月には椎葉平家まつりが開かれるなど、今なお伝承文化が息づく村である。

気候は高い標高のため九州南部としては冷涼で、上椎葉アメダスの年降水量は約2800mmに達するなど非常に多雨であり、夏から秋にかけて台風からの湿った南東風の影響で大雨となることがある。冬は寒く、朝晩は氷点下となり、が積もることもある。村域の多くが九州中央山地国定公園に指定されている。

地籍調査の進捗率は平成26年度末時点で49%である。[1]

隣接市町村[編集]

地名[編集]

  • 大河内
  • 下福良
  • 不土野
  • 松尾

歴史[編集]

伝承では、壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党が、この地に落ち延びたとされる。1191年(建久2年)、追討のため那須大八郎宗久が下向するが、平氏に再挙の見込み無しと見て追討を取り止め帰国。椎葉滞陣中に宗久の娘を妊娠した侍女の鶴富が、後に婿を娶らせ那須下野守と名乗らせたという。また、椎葉という地名は宗久の陣小屋が椎の葉で葺かれていた事に由来するという。

戦国時代には那須氏が支配しており、1559年(永禄2年)、獺野原の戦いでは東直政の求めに応じ肥後に出兵。大河内城主那須兵部大輔武宗、小崎城主那須下野武晴、向山城主那須左兵衛武綱ら130余人が敗死した[2]1577年(天正5年)には伊東崩れにより日向を追われた伊東義祐が星原城に立ち寄り、城主奈須右近将監祐貞に伊東氏累代の系図と旗を預けた。1585年(天正13年)、小崎城主那須左近将監は島津氏より鷹の儀で扶持を与えられた。また、島津氏から本領安堵された那須領に対し阿蘇惟光が行った違乱に対し、島津氏が使者を送り停止させた。翌1586年(天正14年)、向山城主那須弾正忠は肥後八代に島津義弘の陣中見舞いに訪れ、鎧甲を献上した。

1601年(慶長6年)、椎葉山三人衆(小崎城主那須左近将監、向山城主那須弾正忠、大河内城主那須紀伊)は徳川家康より鷹巣山管理を認める朱印状を与えられた。1616年(元和2年)、三人衆と他の那須氏(十二人衆)との間で対立が激化。十二人衆は向山城を攻め、弾正忠の子久太郎、左近将監の孫専千代が討たれた。1618年(元和4年)、専千代の父主膳は十二人衆を幕府に訴えた。翌1619年(元和5年)、幕府は阿倍正之大久保忠成を派遣して事態の収拾を図らせた。両名は人吉藩の兵を動員し住民1000人を捕らえ、うち140人を殺害。20人が自害。訴えを起こした主膳は高崎藩に預けられた(椎葉山騒動)。事件後、椎葉は天領となり阿蘇大宮司に支配が委ねられたが、1656年(明暦2年)、阿蘇氏は椎葉山管理を辞退。以降、人吉藩の預かり地となった。

人吉藩では代官を派遣するなどの直接統治はせず、向山、大河内、松尾、下福良の四名の庄屋と大河内、古枝尾の二名の横目に山中支配を担わせた。江戸期の人口は1774年(安永3年)時点で4483人、うち郷士が3302人を占めている。石高は1753年(宝暦3年)時点で48石であったが、後に焼畑の本高入により1828年(文政11年)時点では590石と大幅に増加している。

日本民俗学の先駆けである柳田國男は椎葉村でフィールドワークを行い、その経験をもとに『後狩詞記(のちのかりのことばのき)』(明治42年、1909年)を記した。これには当時の椎葉村長中瀬淳の協力も大きかったという。

近現代[編集]

椎葉村役場旧庁舎(2008年撮影、大字下福良1747番地20)
  • 1873年 椎葉山中84か村が合併し向山村(のち不土野村)・大河内村・松尾村・下福良村が成立。
  • 1889年5月1日 町村制施行。不土野村・大河内村・松尾村・下福良村が合併し椎葉村が成立。
  • 1933年 富高(日向市街地) - 椎葉村間の県道(現在の国道327号)が開通。同時にバス路線も開設される。
  • 1938年 九州帝国大学(現九州大学)が2900haの演習林(宮崎演習林)を取得する。
  • 1949年4月1日 西臼杵郡から東臼杵郡へ所属変更。上述した県道開通により、日向方面との交流が深くなったため。
  • 1998年12月25日 十根川地区が重要伝統的建造物群保存地区として選定される。
  • 2010年9月30日 廃藩置県以来約140年間、隣接する熊本県水上村との境界が、国道388号付近で約1700メートルにわたり未確定だったが、この日付けの官報で「県の境界にわたる村の境界の確定の件」 (平成22年総務省告示第356号)が告示され、水上村との境界が確定。これにより椎葉村の面積は1.15平方キロメートル増加した[3][4]
  • 2012年4月1日 村役場新庁舎が竣工、旧庁舎から50メートル東の場所に移転[5]。なお同年3月19日より新庁舎で業務を開始していた[6]

村政[編集]

国政・県政[編集]

国政[編集]

衆議院小選挙区選挙では宮崎2区(延岡・日向・西都・児湯郡・西臼杵郡・東臼杵郡)に属する。近年選出の議員は以下のとおり。

なお道休誠一郎民主党)が比例で復活当選している。

宮崎県議会[編集]

本村と美郷町諸塚村門川町で選挙区をなす。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。

  • 2007年4月
    • 黒木正一 (無所属)
    • 米良政美 (自民)

公共機関[編集]

国の行政機関[編集]

国立大学法人[編集]

経済[編集]

産業[編集]

  • 主な産業:農業、林業。日本で唯一、焼畑農業を継承している地域がある。

姉妹都市[編集]

国内[編集]

地域[編集]

人口[編集]

Demography45430.svg
椎葉村と全国の年齢別人口分布(2005年) 椎葉村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 椎葉村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
椎葉村(に相当する地域)の人口の推移
1970年 7,616人
1975年 6,267人
1980年 5,478人
1985年 5,131人
1990年 4,611人
1995年 4,160人
2000年 3,769人
2005年 3,478人
2010年 3,092人
2015年 2,808人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

中学校[編集]

松尾中学校
村立
村域が広く、下福良にある椎葉中学校までの公共交通手段になる村営バスを全地区から毎朝運行する事はできない。椎葉中学校は生徒のための寮を設置している。

小学校[編集]

大河内小学校
村立
  • 椎葉小学校
  • 鹿野遊(かなすび)小学校
  • 尾向小学校
  • 不土野小学校
  • 小崎小学校
  • 大河内小学校
  • 松尾小学校

交通[編集]

バス路線[編集]

一般路線バス[編集]

  • 宮崎交通 - 村外と椎葉村を結ぶバス路線を運行。
  • 椎葉村営バス - 椎葉村内を運行。
    • 仲塔線(大杉号、上椎葉 - 仲塔)
    • 尾向線(みいけ号、上椎葉 - 尾手納)
    • 川の口線(やんぼし号、上椎葉 - 川の口)
    • 間柏原線(つちのこ号、上椎葉 - 辻)
    • 不土野線(奥椎葉号、上椎葉 - 不土野)
    • 本郷線(上椎葉 - 大河内・本郷)
    • 大河内線(大河内・本郷 - 下の原・大藪橋)

道路[編集]

昭和初期まで自動車交通可能な道路が存在せず、住友財閥の電力開発に際して現在の国道327号が耳川沿いの崖地に建設され、下流の富高(日向市中心部)と結ばれた。しかしその後も平成初期にかけて五ヶ瀬町や美郷町南郷、村内でも一ツ瀬川・小丸川水系の大河内地域との交通には川沿いや峠越えの険しいルートを余儀なくされていた。近年、1996年になって五ヶ瀬町との間の国道265号国見峠直下に国見トンネルが開通、2000年代には国道327号の拡幅改良工事が行われ、夜狩内地区と美郷町中山の間が村道中山夜狩内線・中山トンネルで結ばれるなど、拡幅やトンネル整備による道路交通の円滑化が進んでいる。しかし、西米良村方面の国道265号は未だに酷道状態である。

国道265号と、中山トンネル前後の道路、広域観光ルートのひむか神話街道に指定されている。

一般国道[編集]

一般県道[編集]

村道[編集]

  • 村道椎葉矢部線
  • 村道椎葉五家荘線
  • 村道松尾線

高速道路の最寄りインターチェンジは九州自動車道御船インターチェンジ東九州自動車道日向インターチェンジなど。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

椎葉平家まつり(宮崎神宮大祭「宮崎まつり百景」)
椎葉村十根川(重要伝統的建造物群保存地区)

脚注[編集]

  1. ^ 地籍調査状況マップ・東臼杵郡椎葉村 - 地籍調査Webサイト 国土交通省 土地・水資源局
  2. ^ 元亀年間、那須紀伊之助武治は現在の熊本県水上村に、敗死した三名の将を祀る三田八幡を創建した。
  3. ^ 熊本・宮崎の一部、やっと県境決まる 廃藩置県後未画定朝日新聞、2010年10月2日閲覧
  4. ^ 宮崎・熊本の県境確定 廃藩置県以来の課題解決共同通信、2010年10月2日閲覧
  5. ^ 新庁舎に移転しました 椎葉村公式ウェブサイト、2012年4月4日。
  6. ^ 3階建て新庁舎、落成式と見学会-椎葉村夕刊デイリー新聞』2012年4月19日1面。

参考文献[編集]

  • 椎葉村・編 『椎葉村史』 1994年。

外部リンク[編集]