太上道君

太上道君(たいじょうどうくん)は道教の神。別名を霊宝天尊(れいほうてんそん)、上清天尊(じょうせいてんそん)ともいう。
太上老君(道徳天尊)、太上道君(霊宝天尊)、元始天尊の三柱で三清という。元始天尊は「太元」、太上老君が「老子」を神格化したものに対し、太上道君は「道」を神格化したもの、三柱とも道教の最高神。
道教において最高の天上界、三清境の上清境の弥羅宮に住むことから上清(天尊)の呼び名がある。三尊は三清境に住まうため、三清とも呼ばれる。
ただ、道教には崇拝の対象となることは少ないが、道を知ることこそが太上道君の教えだとされることもある。
尊号には「太上玉晨玄皇大道君」「青玄祖炁上清霊宝天尊虚皇上帝」[1]「上清真境洞玄霊宝天尊」[2]「上清真境太上道君霊宝天尊」[3]「清微玄祖上清霊宝玉宸大道君」[4]「上清真境虚皇玉晨霊宝天尊妙有上帝」がある。[5]
古典記述
[編集]陶弘景の『真霊位業図』では、第二中位に「太上玉宸玄皇大道君」を編入し、第四中位の第二に「上皇太上無上大道君」を編入している。『上清衆経諸真聖秘』に至っても、依然として「玉宸太上大道君」と「太清大道君」をそれぞれ列記している。『雲笈七籤』では、それぞれ『太上道君紀』『太上玉宸大道君紀』を撰述している。『大洞経』にはこう記されている。「上清高聖大道君者、一号玉宸君。」「霊宝天尊即ち太上大道君なり。」その後、上清派と霊宝派のこれら三種の呼称は、いずれも同一の神格に融合され、三清の第二位の尊神となった。
「玉宸道君者、乃ち大道の化身なり。その有りとして随迎することかたわざらず、その無きとして恍惚の間に復存すると謂う。ゆえに不有にして有り、不无にして無く、これを視れば象なく、これを聴けば声なし。妙有と妙元の間に大道存す。道君は即ち道の本を審り、道の元を洞り、道の気たるものなり。元始天尊に師事し弟子として伝授を受けたり。猶ほど老君がこれを禀じて師としたりしたるが如し。上清禹余天に居し、金科宝冊三洞仙経を降して経師羅翹真人に付し、万国に教を伝えん。」「玉宸大道君は霊宝教主なり。元始天尊の弟子、太微天帝の師なり。霊宝上品度人の道を受けたり。」「霊宝は道君の号なり。道君名を経宝という。蓋し諸経は皆道君によって演説せられんが為なり。」
『大洞真経』にはこうある。「上清高聖太上大道君者、蓋し玉宸の精気、慶雲の紫煙なり。玉暉曜煥、金映流真、結化含秀、包凝立神、母氏の胎に寄り、人形を育てて人と為る。母は三千七百年妊じて、西那の天の郁察山浮羅の岳、丹玄の阿に誕せしむ。」
『霊宝略記』にはこう称する。「太上大道君は、開皇元年に西方緑那玉国に胎を托し、洪氏の胞に孕を寄せ、瓊胎の腹に神を凝す。三千七百年を経て其国の郁察山浮羅の岳、丹玄の阿の側に降誕す。名を器度といい、字を上開元という。及び長じては道真を啓悟し、高道を期して枯桑の下に坐し百日精思す。すると元始天尊が下降し、道君に霊宝大乘の法十部妙経を授けたり。元始は即ち道君と共に十方を遊履し、法縁を宣布す。既に畢せば、その後法を道君に委付す。則ち道君に太上の号を賜う。道君は即ち経籙を広く宣べ伝えて万世に伝えん。」
封神演義
[編集]明代の著名な神魔小説『封神演義』では、霊宝天尊が創作的に截教の教主と設定され、全稱を通天教主とする。彼は万劫を経ても滅びない不死の身を持ち、最高位の大神の一人として、诛仙四剣、青萍剣、六魂幡などの強大な至宝を所有している。
その力は、火雲洞の三皇である軒轅黄帝、太昊伏羲、炎帝神農、阐教の教主である太上老君、元始天尊、西方教の教主である准提道人、接引道人、天庭の瑶池金母らに匹敵するが、至高神である昊天上帝や、この世界観における三清の師である鴻鈞道人には明らかに劣る。