全日本プロドリフト選手権

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D1参戦車両(チェイサー)

全日本プロドリフト選手権(ぜんにっぽんプロドリフトせんしゅけん)は、2001年より開催される、「ドリフト走行」を目的としたモータースポーツである。通称「D1グランプリ」(D1 GRAND PRIX・D1GP)。主催は、株式会社D1コーポレーション。

2009年より「グランツーリスモ」が冠スポンサーとなり、シリーズ名が『GRAN TURISMO D1GPシリーズ』。 2010年より大会名が『D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ「GRAN TURISMO D1GPシリーズ」』となる。

D1の由来[編集]

提案者
元レーサーの土屋圭市と雑誌『OPTION』創始者稲田大二郎
誕生
自動車ビデオマガジン『VIDEO OPTION』の企画「いかす走り屋チーム天国」から派生。
名称
ドリフトの「D」ドリキン(ドリフトキング)の「D」大二郎の「D」

この3つの「D」から頂点を目指すという意味で「D1」と名付けられた。

概要[編集]

単に速さを競う一般的なモータースポーツとは異なり、ドリフト走行における迫力や芸術性をポイント化し競うという点が最大の特徴。シリーズ戦(年間6-8戦)で争われ、2003年からは海外でも開催され人気を集めている。 グランプリということでシリーズ化、賞金獲得化、ギャラリー動員されている事が大きな特徴。

ドリフトがどれだけ上手くてもその先はない。だったらドリフトで飯を食えるように、プロ化にしよう」という意図で開催された。土屋、曰く「最初のうちはOPTIONやV-OPTでの仕事の斡旋も考えていたが、お金を払って見る価値が出来た。」という理由による。

出場者達は各地で名前を売っている名ドリフター(ドリフト愛好者)達が中心で、日本数万人のドリフター達の頂点を争う大会でもある。近年SUPER GTなどで活躍するプロレーサーも参戦。モータースポーツの1ジャンルとして定着した。

大会歴史[編集]

参加者は有名なパーツメーカーやプライベーターが中心だったが、2004年の開幕戦では、シリーズ始まって以来初めてメーカーワークス(GM ポンティアックGTO)が参戦した。
1月に「エキシビジョンマッチ」として都心部といえるお台場で開催される。これは本来ドリフトがストリートで生まれたものであると言うことで、限りなくストリートに近い場所でという意味合いに加えて、D1グランプリの一般への認知度を高める目的も含まれていた。コースは駐車場を利用して作られた特設コースで行われ、会場のすぐそばにあるフジテレビの『すぽると!』で取り上げられて話題となる(レポーターとして、当時同番組レギュラーだった若槻千夏風間靖幸のS15シルビアを使用して、土屋のドライブにてドリフト体験するところを放送した)。お台場ではこのエキシビジョンマッチ以降、エキシビジョンだけではなく、毎年5月に台場にて開催されているマルチプレックスのコンテンツとしてD1グランプリの公式戦も開催された。
都心部での開催ということもあり、観客動員もかなり高かったのだが、マルチプレックスと決裂したため、2006年度以降台場マルチプレックスでの開催はなくなった。(マルチプレックスは現在、追放処分と言われている織戸学谷口信輝両選手とその選手を支援しているメーカーが中心となったモータースポーツコムとタイアップする形でドリフトをコンテンツとして継続している)
4月にお台場会場(江東区青海)でエキシビジョンマッチが開催されることが発表されたが、実際には開催されなかった。関連性はないが2008東京オートサロンにおいて「2008 D1キックオフデモラン」が開催され、これはかつてのお台場のような駐車場を利用した特設コースで行われた。
6月7日-8日は、お台場会場(江東区青海)で『2008 D1GP EXHIBITION TOKYO DRIFT IN ODAIBA』として開催。以後、同じ場所で開催される。
予選:3月28日(土)決勝:29日(日)『2009 GRAN TURISMO D1 GRAND PRIX ROUND1 IN EBISU CIRCUIT』エビスサーキット南コースにて開幕戦。
5月23日-24日(土・日)『2009 D1GP EXHIBITION TOKYO DRIFT IN ODAIBA』お台場会場にてエキシビジョンが開催。
3月27日(土)『2010 GRAN TURISMO D1GP SERIES TOKYO DRIFT IN ODAIBA』お台場会場にて開幕戦。
3月28日(日)『2010 D1GP EXHIBITION 「D1 GP ALL STAR SHOW」』エキシビジョンが開催。
3月26日(土)に開催予定だった『2011 GRAN TURISMO D1GP SERIES TOKYO DRIFT IN ODAIBA』お台場会場の開幕戦は、東日本大震災の影響で6月4日に延期となった。このため、4月23日(土)にオートポリスで行われた『2011 GRAN TURISMO D1GP SERIES ROUND 3 AUTOPOLICE』が開幕戦となった。

変遷[編集]

「全日本プロドリフト選手権」として初のプロドリフトイベントがエビスサーキットで開催され、優勝には50万円の賞金がかけられて行われた。それまでにも全国の強豪ドライバーを集めて優勝を競う単発のイベントは行われていたが、賞金をかけて行われたのはこの大会が初めてのことであった[1]
「D1グランプリ」の名称でこの年からシリーズが開催された。各ラウンドの勝者には20万円、シリーズチャンピオンには100万円の賞金が用意された。第1~3戦までは観客を入れずVideo Optionの収録として行われていたが、第4戦エビスから観客を動員して開催されるようになった。また、D1の歴史で唯一Sタイヤの使用が認められていたのもこのシーズンである。参加選手も全国で名を売るドリフターで構成されており、現在のD1では広く行われている「ワークス参戦」の概念は無く、殆どが車両は自前のナンバー付きでメンテナンスも個人単位で行っていた。
チューナーワークスによる参戦がこの年から開始され、ブリッツ野村謙HKS谷口信輝アペックス今村陽一トラストは平岡英郎をワークスドライバーとして起用した。筑波サーキットでの開催もこのシーズンが初となる。
次第にドリフトの高速化が顕著となり、日本でもっとも速度域が高いサーキットである富士スピードウェイでの開催が始まる。また昨シーズンにアルテッツァからRX-7に鞍替えした今村陽一が史上初となる「シーズン3勝」を達成した。アメリカで初めてD1を開催したのもこのシーズンであり、地元勢も多数参加し成功を収めた。
D1史上初めてアメリカでシーズン開幕を迎えた。風間靖幸野村謙三木竜二らが続々と初優勝を達成。またプレシーズンマッチから始まったお台場の開催は、その後の4月のエキシビジョンマッチ、9月の第5戦/オールスターマッチに発展するなど成功を収めた。オートポリスでD1が開かれたのもこのシーズンからである。
シリーズの発展に伴い、D1グランプリの下位カテゴリーとしてD1ストリートリーガルを新設。D1グランプリを「ドリフト界の世界選手権」と位置づけ世界的な展開を進める一方で、D1ストリートリーガルは全日本選手権的な位置づけで運営を行っていく方針だとしている。なお、この年はD1ストリートリーガルに国産初のメーカーワークスとしてNISMOが参戦している(末永直登を擁し、結果は優勝)。またこの年から審査員を務めていた織戸学が選手として参戦を開始した。
強豪チームのHKSが不参加、アペックスが撤退を表明(今村はのちにORCに移籍することになる)。織戸・谷口・三木ら強豪ドライバーが不出走を表明した。D1SLが初めてシリーズ戦になり、初年度は全7戦で争われた。
風間が自身のショップの都合で不出走を表明する一方、川畑真人黒井敦史佐久間達也からなる「TEAM TOYO DRIFT」が結成され話題となった。スピードを競うレースとは違いグリップの限界を超えてからのコントロール性能が重要なD1は、他のモータースポーツと同様にタイヤマネジメントが重要であり、その評価が市販タイヤのマーケティングに直結する事から、TOYOのチーム結成はそれまでチューニングメーカー主導であった参戦からタイヤメーカー主導の参戦に置き換わる呼び水となり、今まで以上にタイヤメーカー間の争いが激化する要因となった。シーズン後半には熊久保信重がD1史上初の三菱・ランサーエボリューションを投入したほか、松井有紀夫BMW・318iを駆り、国内シリーズでは輸入車初のポイント獲得を達成した。
ファルケンが撤退した。
ポイント制度と優遇措置に新たな概要が盛り込まれた[2]
ポイント制度・・・2007年まではその大会の1位に20ポイントが与えられ、以後順位が下がるごとに2ポイントずつ減ってゆき、10位から16位(すなわちベスト16の追走トーナメントに進出した選手)には1ポイントずつ与えられるポイント制度となっていた。しかしこのパターンだと「毎戦追走トーナメントに進出」するよりは「一度でも表彰台に上がる」ほうがポイント的に優位となる。この点を改善するため、10位から16位にもポイント差をつけるよう変更された。1位から「25→21→18→16→13→12→11→10→8→7→6→5→4→3→2→1」とすることで、追走トーナメントに進出する意義を持たせるとともに、優勝者がより優位に立てるシステムとした。
優遇措置・・・ドリフトの実績がまったくない車種を選んで長期の不調に陥ることを恐れるワークスが多く、なかなか現行車両が登場しない状況を鑑み、「現行販売車種に限り、予選を免除する」という新しい措置が取られた。これにより現行車種をベースにしたドリ車の参戦を促し、より多くのギャラリーの興味をひきつけることを狙いとしている。
※以下は、措置の対象予定の主な現行車種のベースマシン。
なお、08年度より新たに岡山国際サーキットでも開催された。
ブリヂストンが撤退した。
12月9日のD1コーポレーション取締役会において、稲田大二郎・土屋圭市両名がD1コーポレーション取締役を辞任し、今後のD1グランプリの運営から離れることが表明された[3][4]。なお稲田・土屋の二人は2011年より新たに対抗イベントとして『ドリフトマッスル』を立ち上げている。
ヨコハマタイヤがオフィシャルスポンサーから一時離脱(2012年に復帰。ただし、ヨコハマタイヤを履くマシンは参戦していた)
またこの年からハンコックタイヤフェデラルタイヤを装着する選手も現れた。この年よしもとクリエイティブ・エージェンシーと提携し、所属のお笑い芸人がゲスト解説として参加している。これをきっかけとしてバッドボーイズモンスターエンジンは、ほぼレギュラーとして2012年以降もゲスト及びビデオでのMCとして継続して参加している。
ファルケンが復帰した(ダンロップから変更。D1は2007年以来)
2011年にD1チャンピオンズ(エキシビジョン)で開催された中部国際空港(セントレア)特設ステージでのシリーズ戦が開催(第6戦&エキシビジョン)。お台場に続く特設コースでのシリーズ戦開催となる。またお台場も2004年エキシビジョン以来のレイアウトを変更中部国際空港(セントレア)と同様のレイアウトとなった。
2012年よりゼッケンが従来の順位順から固定ゼッケンに変更される。
BLITZが事実上撤退(野村はプライベーターとして2013年シーズン参戦しているが、スポンサーとしてサポート自体は継続している)
2013年はお台場、セントレアに続く特設ステージとして大阪府舞洲スポーツアイランドが第1戦及びD1チャンピオンズで初開催、長崎県ハウステンボスで第5戦及びエキシビジョンが初開催。
株式会社D1コーポレーションがJAFの加盟団体になる。(これによりレギュレーションもJAFの規定により厳しくなる。)
この年から単走と追走の決勝日が別になり2日開催になる。
3年ぶりに富士スピードウェイでの開催が復活する。コースレイアウトは、1コーナー過ぎてからからコカ・コーラコーナーを通り100R真ん中で終わるレイアウトになっている。

 コースレイアウト図→[[1]]

この年からトラストが復活。川畑真人トラストに移籍。マシンはGReddy35RX Spec-Dで戦う。

海外進出[編集]

大会要項[編集]

正式大会名称[編集]

『全日本プロフェッショナルドリフト選手権』
『D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ』(2010年- )

シリーズ名称[編集]

グランツーリスモD1グランプリシリーズ(2009年- )
『GRAN TURISMO D1 GRAND PRIX SERIES』『GRAN TURISMO D1 GP SERIES』

エキシビジョン名称[編集]

D1グランプリエキシビジョン
『D1 GRAND PRIX EXHIBITION』『D1 GP EXHIBITION』

出場条件[編集]

株式会社D1コーポレーションが発行するモータースポーツライセンスであるD1ライセンスを取得しなければならない。

ライセンス規定は年によってかなり流動的に変更されており、2013年現在は以下のような区分となっている。なお詳細な発給条件については公式サイトの解説[5]を参照のこと。

スーパーライセンス
前年のD1GPシリーズランキング10位以内に与えられる最上位ライセンス。日本国外のD1GPやD1チャンピオンズといった大会に出場するためにはこのライセンスが必要になる。なお国際自動車連盟(FIA)の発行するスーパーライセンスとは全く関係はない。従来のD1GP国際ライセンスに相当。
GPライセンス
日本国内のD1GP・D1SL・東西シリーズに出場できるライセンス。従来のD1GP国内ライセンスに相当。
Aライセンス
D1SL・東西シリーズ・レディースリーグ・地方戦に出場できるライセンス。従来のD1SL-Aライセンスに相当。
Bライセンス
D1東西シリーズ・レディースリーグ・地方戦に出場できるライセンス。従来のD1SL-Bライセンスに相当。
Eライセンス
D1レディースリーグ・地方戦に出場できる、エントリードライバー向けライセンス。従来のD1-Eライセンスに相当。

以前はサンプロス(三栄書房の関連会社)主催の『いかす走り屋チーム天国』で優秀な成績を収めた者などにもライセンスが発給されていたが、下位カテゴリーの整備が進んだ結果、現在では「D1地方戦→D1SL→D1GP」というステップアップの図式がほぼ固まっている。

D1ライセンスの取得に際し、従来年齢や運転免許の有無等による制限は行われていなかった。実際過去にD1SLでは16歳の(当然自動車運転免許を持たない)ドライバーが出場した例がある。しかし2013年からライセンス発行時に運転免許の所持確認が義務付けられたため、今後は18歳未満の人間や運転免許を持たない人間の参加は原則不可能になる[6]。一方でドリフトマッスルと異なり、2013年時点ではJAFの公認を受けていないため、競技参加にJAFライセンスの所持は不要である。

なお「一般公道にて暴走行為を行うなど、社会的違法行為に及んだ者」などについてはライセンスが剥奪されるとしているため、暴走族等の参加は厳しく規制されている。

車両レギュレーション[編集]

若干の改造でナンバーが取得出来なければならない。

具体的な作業としては、ロールバーにクッションを巻き、内装を戻し、ドアとウィンドウを純正品に戻すことにより、D1SL規定+αとなる事である。+α分はD1SLレギュレーションと違い、エンジンスワップや乗車定員変更による2シーター化なども、D1GPレギュレーションでは認められている為である。
これは、車両のパイプフレームの変更を防ぐ事が目的であり、そこまで深い理由がある訳では無い(以前のHKS レーシングアルテッツァのように、何でもありではやりかねないメーカーが存在する)。
その他に以下のことなどが定められる。
  • Sタイヤの禁止(速度の抑制のため。初年度は許可されていた)
  • サイドバー付8点式以上のロールバーの装着(Tボーンクラッシュからドライバーを守るため)
  • スモークウィンドウの禁止(ドライバーを審査員から見やすくするため)
  • 助手席の装着(メイドインストリートの象徴として)
  • 触媒装着+音量の制限(各サーキットの最大音量以下遵守)
  • NOSの使用禁止(2013年までは使用可能だったが、2014年よりJAF準公認競技化された為)

審査方法[編集]

2010年までは土屋圭市(審査委員長)・鈴木学(審査委員・MC担当)が審査を担当。各走行にポイントを割り振り(100点満点)、その得点を用いて順位や勝者を決定する。審査席から見にくい場所でのドリフトのもどり、ライン取り、プッシングなどを判定する元D1ドライバー神本寿が副審査員として旗を持つ。

神本の持つ旗は2本あり、1つは前述の減点をした際に振る「青旗」と「ファンタスティック旗」(通常は国旗)とよばれ単走時での素晴らしい飛び出しの際、旗を振って得点を加算する旗がある。

2004年までは、織戸学を加えた3人で審査を行い、3人の審査委員の平均得点で勝負が決まっていた。2005年から織戸学が選手に転向し、土屋圭市と鈴木学で審査を行った。コース脇に副審査員を配して接触やアンダーステアなどの確認を行う。

2005年以降審査員が2人体制となってからは、鈴木学は単走の審査に関わっていない事が、オフィシャルブックによって公開されている。彼が行う物は、単走1-3本目の得点、進入速度が全て一緒だったときの順位付けと、追走トーナメントの第3-4位、第5-8位、第9-16位それぞれの順位決定の二箇所である。ただし、前者は一度も適用例が無い。

土屋が2010年限りでD1から離れたため、2011年からは審査体制を大幅に変更。基本は5人の審判員のうち最高得点と最低得点を出した二人の得点を除いた3人分の得点を平均したものを審査得点とすることになった。審査員は神本がチーフに昇格し、残る4人は山路慎一飯田章山田英二というプロドライバー3名に、雑誌『ドリフト天国』編集長の川崎隆介という体制になる[7]

2012年からは単走においてDOSS(D1 Original Scoring System)と呼ばれる機械式の採点システムが導入された。これはGPSと角速度センサーを用いて車の動きを数値化し自動的に採点を行うもので、2009年から3年がかりで開発が進められており、2011年にも試験的に導入され大きな問題が出なかったことから本格投入に踏み切った。本システムについて鈴木学は「カラオケの採点のような面白さがある」と語っている[8]。2013年からは予選及び単走ファイナルではDOSS採点のみで審査を行っている(審査員はDOSSが判定できない部分の補助としての加点減点を行う)。この為これまでとは違い、DOSS採点と審査員加点によって100点を超える点数が出る場合もある。

本戦の走行方式[編集]

  1. 1回戦(単走)
    2本(ストリートリーガル、地方戦は3本)1セットで規定区間をドリフト走行。3本中の最高得点が用られ審査される(最高得点が同点だった場合は次に良い得点、ここも同点の場合は3番目の得点。そしてこの3つが全て一緒の場合のみ鈴木学の得点で順位が決定する)。この戦いで16名が次のトーナメントに進める。2006年より単走で100点を取ると、シリーズポイントに1ポイント加算、2007年より3本とも100点を取ると「土屋圭市賞」として10万円が贈られる。2009年・2010年は予選最下位から一回戦を走る、ノックダウン方式の一回戦方式となった。
    2011年からは予選単走(シリーズ17位以下が参加)→単走ファイナル(予選単走上位12台+シリーズ16位以内)の形式となった。なおシリーズ8位以内のドライバーは結果に関わらず追走2ndステージまでシードされる(2012年からはランキングに関係なく単走ファイナルで16位以内には入れなければ追走には進めなくなった)。また同年より単走にも順位に応じたシリーズポイントが与えられるようになり、単走のみのランキングも表彰対象となる。2012年からは前述した機械式の採点が導入され、2013年からは予選を含めて単走に関してはDOSS審査で行われている。2012年以降は下記の追走トーナメントで敗退した際の最終順位がこの単走ファイナルでの順位が高い順で決まるため、より重要度を増している。
  2. トーナメント(追走)
    前車を後車が追いかけて規定区間をドリフト走行。前車・後車を入れ替え2本走行して審査される。そして10のアドバンテージを6:4、7:3のように配分して勝敗を決める。ちなみに、この形式は、漫画『頭文字D』に登場する「先行後追いバトル方式」が元となる[9]。勝敗が決まらない場合にはサドンデスと呼ばれる延長戦に突入し、決着が付くまで何度も行われていたが、2011年よりイベントの開催時間等を考慮して、無制限でのサドンデスは決勝のみとし、ベスト16(及び下記のマイナー追走)では1回まで、ベスト4までは2回と回数が制限されている(決着が付かなかった場合は、DOSSによる採点を確認して、それに審査員の加点を加えて高い方が勝利となる)。これも2本1セットで審査される。土屋が離れた2011年以降は10点を最高としてそれぞれを採点し、2本走行した合計で1ポイント以上リードした選手が勝利すると言う採点になっている。2012年以降は『ベスト16追走トーナメント』と称されている。
    2012年からは単走ファイナルでベスト16に残れなかった選手による『マイナー追走』が行われている。マイナー追走で勝利してもベスト16には進出できないものの、勝者には1ポイントが与えられる。

審査ポイント[編集]

単走では、コーナーへの進入スピード、角度、ライン(俗に飛距離と角度と滞空時間と表現されることも)そしてどれだけ危険(壁など)に迫ることが出来たかが審査のポイントになる。追走では、相手よりも「スゴイ」走り(追い抜き、後ろからピッタリ寄せるなど)が出来たかがポイントとなり、単走でのポイントよりも重視される。スピン、アンダーステアはノーポイント。

単走、追走共に審査基準が以下のように年々変わる。

  • 2001年 - 単走、追走ともに速度重視。
  • 2002年 - 単走は角度、追走は角度が甘くても接近すること。
  • 2003年 - 単走は速度と共に角度、追走は距離を詰めて角度が甘すぎない事。
  • 2004年 - 単走は速度を殺さずに角度を付け、白煙を出すこと。追走は距離を詰める事はもちろんだが、角度が負けない事。
  • 2005-2007年 - 単走はラインを外さずに角度と白煙の走り。追走はきちんとしたラインで入り、同じ角度で距離を詰める事。
  • 2008年- 単走は速度が審査対象から外され、ライン・角度・白煙を重視。追走は2005年度からの対象に準ずる。
  • 2009年~ 追走は今までにプラスで「同時振り」が審査の対象に加わる

シリーズチャンピオン[編集]

D1GPシリーズ
GRAN TURISMO D1GPシリーズ
D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ:GRAN TURISMO D1GPシリーズ

WORLD ALL STAR優勝者(世界チャンピオン)[編集]

主な出場選手と使用車両[編集]

ドライバー チーム ベースマシン 備考 タイヤメーカー エンジン仕様
今村陽一 NICHIEI レーシングプロジェクト With FALKEN シルビア(S15) - ファルケン SR20DET 2.2ℓ仕様+トラストT78-33D+NOS
手塚強 GOODYEAR Racing BNR34 with Bee☆R スカイライン(BNR34) - グッドイヤー RB26DETT 2.8ℓ仕様+HKS TO4Zタービン
野村謙 BLITZ DFellow 86(ZN6) ※第三戦までスカイラインで参戦 ファルケン 2JZ-GTE+ギャレット製 4094Rタービン
織戸学 DRIVE M7 ADVAN MAX ORIDO RACING 86(ZN6) - ヨコハマ 2UR-GSE仕様
末永正雄 M7 RE雨宮 SGC with YOKOHAMA RX-8(SE3P) タイヤを再びヨコハマに変更 ヨコハマ 13B-REW ペリフェラルポート仕様+トラスト T88-34Dタービン
日比野哲也 Team UPGARAGE with DROO-P 86(ZN6) タイヤをファルケンに変更 ファルケン EJ25仕様
川畑真人 TEAM TOYO with GP SPORTS 180SX(RPS13) - トーヨー SR20DET 2.2ℓ仕様+トラスト TD06-25Gタービン
高山健司 R Magic D1 Racing ピンク6号 RX-7(FD3S) - フェデラル 13B-REW サイドポート仕様+HKS TO4Zタービン
熊久保信重 YUKE'S チームオレンジ with BEAST EYE ローレル(C33) - ヨコハマ RB26DETT 2.8ℓ仕様+トラスト T88-34Dタービン
斎藤太吾 プレミアムジャパン with ダイゴ マークII(JZX100) タイヤをハンコックからアキレスタイヤにチェンジ ATR 2JZ-GTE 3.4ℓ仕様+トラスト T88-34Dタービン
黒井敦史 TEAM TOYO with River Side シルビア(PS13) ※2010年交通事故で逝去。 トーヨー 2JZ-GTE+トラスト T88-34Dタービン
時田雅義 GOODYEAR Racing ZERO CROWN with Bee★R ゼロクラウン(GRS180) - グッドイヤー 2JZ-GTE 3.4ℓ仕様+HKS TO4Zタービン
佐久間達也 TEAM TOYO with GP SPORTS シルビア(S15) - トーヨー SR20DET 2.2ℓ仕様+HKS GT3037Proタービン
高橋邦明 GOODYEAR Racing with Kunny'z マークX(GRX130) - グッドイヤー 2JZ-GTE 3.4ℓ仕様+ギャレット GT4294Rタービン
松川和也 TEAM UPGARAGE with DROO-P トレノ(AE85) 前年まで日比野哲也が乗っていたマシンで参戦 ファルケン 3S-GTE 2.2ℓ仕様+NOS
古口美範 Team BOSS With FALKEN シルビア(S15) - ファルケン SR20DET 2ℓ仕様+HKS TO4Zタービン
上野高広 ULTRAMAN with TEAM VERTEX 3シリーズクーペ(E92) - ヨコハマ 2JZ-GTE 3.1ℓ仕様+HKS T51RKai BBタービン
内海彰乃 TOYO/RC926 シルビア(S15) - トーヨー
田中一弘 Team kazama シルビア(S15) - グッドイヤー 2JZ-GTE+トラスト TD07-25Gタービン
藤中学 Quarter Mile レーシング RX-7(FD3S) 3ローターエンジン ヨコハマ 20B-REW+トラスト T88-38GKタービン
廣田友和 TEAM MORI with GOODYEAR LEXUS レクサス・GS(GRS191) - グッドイヤー 2JZ-GTE 3.1ℓ仕様+ギャレット製 4096Rタービン
末永直登 YUKE'S チームオレンジ with BEAST EYE ランサーエボリューションX(CZ4A) 2011年にあったエキシビジョンでランサーエボリューションIXが炎上したためシーズン途中で乗り換えた。 ヨコハマ
地主亮治 SANYOソーラーエナジー&4Real ソアラ(JZZ30) - フェデラル
松井有紀夫 Guild n one シルビア(S15) - ヨコハマ
村山悌啓 GOODYEAR Racing with 激★メガテック シルビア(S14) - グッドイヤー SR20DET 2.2ℓ仕様+トラスト TD06-25Gタービン
今村隆弘 TEAM AJITO マスタング - トーヨー
箕輪慎治 HEY MAN!FALKEN マークII (JZX90) - ファルケン 2JZ-GTE+HKS T51RKaiタービン
板倉日出生 H.D.O with RSワタナベ セリカ (RA28) - トーヨー
匂坂晋治 Goodyear Racing with チームオレンジ アルテッツァ (SXE10) - グッドイヤー
北芝倫之 Heart UP world シルビア (S14) - グッドイヤー/フェデラル
西尾欣也 TEAM KAZAMA IS (GSE20) - グッドイヤー 2JZ-GTE+HKS T51SPLタービン
平島昭彦 D-FRIENDS シルビア (PS13) - フェデラル
村田郁雄 GOOD-ROAD スープラ (JZA80) - ダンロップ
河上善計 NK with ストリートジャム with FALKEN シルビア (S14) - ファルケン SR20DET 2.2ℓ仕様+ギャレット GT3070タービン
稲岡優樹 RACING TEAM JUNCTION シルビア (S15) - フェデラル
出浦史郎 NICHIEIレーシングプロジェクトwith 460パワー シルビア (S15) - グッドイヤー
深田真弘 TEAM EAUROUGE with DUNLOP ソアラ (JZA30) - ダンロップ 2JZ-GTE+HKS TO4Rタービン
浮田正明 クォーターマイル レーシング 180SX (RPS13) - トーヨー
田中裕司 田中エンジニアリング スープラ (JZA80) - フェデラル 2JZ-GTE+トラスト T88タービン
長谷川大祐 Team VERTEX with WYNN シルビア (S14) - ハンコック
太田勲 クオーターマイル with チーム緑 シルビア (PS13) - トーヨー
田所義文 DROPPS・Quarter Mile with RS Watanabe スプリンタートレノ (AE86) ロータリーエンジン搭載 トーヨー
春山隆 WONDER with GOODYEAR ローレル (C35) - グッドイヤー
岩井照宜 H.D.O QUICK STYLE & RS WATANABE シャルマン (A35) 不明/トーヨー
藤川昌大 Rocket Bunny シルビア (PS13) - トーヨー/グッドイヤー
片岡龍也 TEAM UPGARAGE with BANDOH スープラ (JZA80) - ヨコハマ
谷口信輝 HKS 86 (ZN6) ※開幕戦はアルテッツァで参戦 ヨコハマ

大会記録[編集]

以下に主な大会記録を示す(ストリートリーガルも含む)。

  • 通算最多勝利記録 … 11勝 - 今村陽一
  • シーズン最多勝利記録 … 3勝 - 今村陽一・風間靖幸
  • 最多連勝記録 … 2連勝 - 今村陽一・風間靖幸・末永正雄・川畑真人
  • 開幕戦連勝記録 … 3連勝 - 風間靖幸
  • 最年長単走100点記録 … 50歳 - 岡村和義
  • 最年少本戦初出場記録 … 16歳 - 金岡真矢(D1SL)
  • 最年長本戦初出場記録 … 48歳 - 岡村和義(D1SL)

不祥事[編集]

2011年1月11日、所属プロレーサーである中村直樹が、箕面市の府道において改造車でドリフト走行を行い、道交法違反の疑いで大阪府警交通捜査課に逮捕された。なお、ドリフト行為が行われた道路は、豊能町希望ヶ丘(北大阪ネオポリス)住宅地の生活道路である。 また2011年11月8日には同じくプロレーサーの福田浩司宮本光一とともに日光サーキット内駐車場で自動車販売業の男性を殴る蹴るなどの暴行をはたらき負傷させたとして傷害の疑いで栃木県警宇都宮東署に逮捕された。[10]

イメージガール「D Sign」[編集]

このレースのイメージガールが2007年から存在している。2007年以前にもイメージガールが存在したが、この年以降この“D Sign”(ディー・サイン)という名称が定着している。

他の自動車レースのイメージガールと比べるとバラエティに富んだメンバー編成となっているのが特徴。

2012年では初のイメージキャラクターとして轟リンネが起用された。 デザインは小野さゆり

歴代メンバー[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]