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世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の[[1958年]][[6月]]ごろ、[[日本テレビ放送網]]社長・[[清水与七郎]]らは、東京都[[新宿区]]内の社有地(現新宿六丁目地内。のちの日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面[[クレー舗装]]の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。
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[[1979年]]から[[1984年]]にかけて、[[名古屋市]]でも[[ナゴヤ球場]]に代わる野球場として、[[ノリタケカンパニーリミテド]]により名古屋市[[西区 (名古屋市)|西区]]則武新町(同社の本社所在地で、現在同社の関連施設「ノリタケの森」が立地する場所)で「ノリタケドーム」を建設する計画があった。
[[1979年]]から[[1984年]]にかけて、[[名古屋市]]でも[[ナゴヤ球場]]に代わる野球場として、[[ノリタケカンパニーリミテド]]により名古屋市[[西区 (名古屋市)|西区]]則武新町(同社の本社所在地で、現在同社の関連施設「[[ノリタケの森]]」が立地する場所)で「ノリタケドーム」を建設する計画があった。


[[1988年]]の[[東京ドーム]]完成後は、多くの都市圏でドーム球場の建設が検討されたが、福岡、大阪、名古屋、札幌各市を除きその計画は頓挫した。代表的な例としては、[[1980年代]]後半に阪神球団が[[阪神甲子園球場]]の後継として「阪神ドーム」の建設を検討、[[1999年]]から[[2001年]]ごろ横浜市が横浜ドームの建設を検討、[[2000年]]から[[2002年]]ごろに千葉市が[[千葉マリンスタジアム]]の[[西武ドーム]]方式でのドーム化検討、仙台市で[[宮城球場]]に代わるドーム球場建設検討などがある。横浜ドーム計画では、ドーム建設支持派の団体が大規模な署名活動を展開していたが、ファンからも市民からも広汎な支持を得られず、横浜球団の観客動員低迷などに伴い立ち消えとなった。また、千葉マリンドーム計画もファン・市民からの好感触を得られなかったことから、同様に立ち消えとなった。
[[1988年]]の[[東京ドーム]]完成後は、多くの都市圏でドーム球場の建設が検討されたが、福岡、大阪、名古屋、札幌各市を除きその計画は頓挫した。代表的な例としては、[[1980年代]]後半に阪神球団が[[阪神甲子園球場]]の後継として「阪神ドーム」の建設を検討、[[1999年]]から[[2001年]]ごろ横浜市が横浜ドームの建設を検討、[[2000年]]から[[2002年]]ごろに千葉市が[[千葉マリンスタジアム]]の[[西武ドーム]]方式でのドーム化検討、仙台市で[[宮城球場]]に代わるドーム球場建設検討などがある。横浜ドーム計画では、ドーム建設支持派の団体が大規模な署名活動を展開していたが、ファンからも市民からも広汎な支持を得られず、横浜球団の観客動員低迷などに伴い立ち消えとなった。また、千葉マリンドーム計画もファン・市民からの好感触を得られなかったことから、同様に立ち消えとなった。

2012年8月24日 (金) 14:35時点における版

ドーム球場(ドームきゅうじょう、Domed stadium)は、ドーム状の屋根を備えた球技用スタジアム。日本ではドーム屋根を備えた野球場をさすことが多い。

2009年現在、最も新しいドーム球場である札幌ドーム

アメリカ

歴史

「世界初のドーム球場」アストロドーム
開閉式屋根を備えたボールパーク ミラー・パーク

アメリカ合衆国では、1965年にメジャーリーグヒューストン・アストロズの本拠地として世界初の全天候型屋根付き球場アストロドームが開場した。屋根付き球場建設の理由は、夏の暑さやの大量発生から球場内を守り、快適な環境を確保するためだった。当時は「スタジアムに屋根を付ける」という発想そのものがあまりなかったので、アストロドームは「世界8番目の不思議」と呼ばれた。当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるようにと太陽光を透過するアクリル屋根を設置したが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さない屋根に張り直した。この際、建設時から育てていた天然芝が光を遮られたことで生育がストップして枯れてしまったため、世界初の繊維による人工芝「アストロターフ」が開発された(人工芝の項参照)。

当時は野球アメリカンフットボールの兼用が可能なスタジアムの建設が流行していた。アストロドームもまた、アメリカンフットボールとの兼用を前提に設計されており、開場した1965年の9月からヒューストン大学のホームとして使用されていた[1]。1968年からはNFL・ヒューストン・オイラーズ(現テネシー・タイタンズ)も本拠地として使用するようになった(ヒューストン大学は1997年まで、オイラーズは1996年まで使用)。これ以降、大リーグ本拠地のドーム球場として建設されたキングドームメトロドームロジャース・センター(旧スカイドーム、カナダトロント)は、いずれもアストロドームと同じく野球とアメフト(又はカナディアンフットボール)の兼用となった。1990年にフロリダ州セントピーターズバーグに完成したフロリダ・サンコースト・ドーム(現トロピカーナ・フィールド)は、大リーグ球団の誘致を目的として作られた「フットボールとの兼用ではない」ドーム球場である(ただし、アリーナフットボールの会場としては使用されている)。しかしながら、この球場は、1998年にタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)が参入するまで、大リーグのフランチャイズとして使用されることはなかった。

モントリオールオリンピックスタジアムは開場から11年後の1987年に収納が可能な吊り下げ方式の膜状屋根が追加され、ドーム球場となった。なお、オリンピックスタジアムもまた、カナディアンフットボールとの兼用球場である。1989年に完成したスカイドームはスライド式に屋根が開閉するドーム球場である。

しかし1992年開場の露天野球場であるオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズがファンの絶大な支持を集めてからは、人工芝での選手の故障の多さが指摘されるようになったほか、青空の下、天然芝のグラウンドでの野球観戦を望む観客の意向が汲まれるようになり、野球専用のスタジアム「ボールパーク (ball park)」化が推進されている。ボールパークは「野球専用」「天然芝のフィールド」「観衆と選手の親近感、一体感を重視」「第二次世界大戦前の古い球場や工場などを思わせるスタンドとその周囲をレンガ外壁の建物で囲むモダンクラシック」他を特徴としている。球場名も従来の「ドーム」「スタジアム」から「パーク」「フィールド」を称するものが増えた。

ボールパーク化に伴い、ドーム状屋根に代わり開放時の屋根がフィールドを覆わないように配慮されたルーフ状の開閉式屋根を持つボールパークが建設されるようになった。キングドームに代わるセーフコ・フィールド、アストロドームに代わるミニッツ・メイド・パークチェイス・フィールドミラー・パークが完成した(これらは「ドーム状屋根を持つ球場」にあたらないので「屋内球場」「屋根付球場」「全天候型球場」「開閉式屋根付きボールパーク」等と呼ぶのが適切)。

ロジャース・センター以降、大リーグ本拠地にてドーム球場(ドーム屋根を持つ球場)は建設されていない。またメトロドーム後継には屋根の無いボールパークとしてターゲット・フィールド2010年に新設される。トロピカーナ・フィールドについても、露天野球場への移転が計画されている[2]

MLB本拠地球場

世界初の開閉式ドーム球場、ロジャース・センター(スカイドーム)
密閉式ドーム球場
開閉式ドーム球場
開閉式屋根を備えたボールパーク

フットボール専用球場

アメフトのシーズンは9月から翌年1月までであるため、アメフト専用のスタジアムでも、暑さや寒さを防ぐためにルイジアナ・スーパードーム等のドーム球場が続々と完成した(スーパードームでは後にマイナーリーグの試合も開催されている)。また、カナダにおいても、フットボール専用球場であるBCプレイス・スタジアムが建設されている。

野球ではいわゆる「ボールパーク」が主流になり、ドーム球場は減少傾向にあるが、フットボール専用球場としてのドーム球場は90年以降も建てられ続けている。

なお、アラモドームは、「ドーム」を名乗っているが、ドーム型の屋根ではない。

日本

歴史

「日本初のドーム球場」東京ドーム

日本では1988年東京ドームが国内初のドーム球場として竣工した。前述のメトロドームをモデルに設計され、同ドームと同じ空気膜構造方式(エアドーム)を採用している。屋根には二重のテフロン膜を使用して、この幕の間に常時空気を送り込み、更にドーム内の空気圧を0.3%高めて膨張させている。ドーム開きとなった同年4月の公式戦開幕日、首都圏は季節外れの豪雪となったが、ドームの中では快適な野球環境が整えられたため「早速ドーム効果が現れた」と話題になった。

これを嚆矢として日本にはドーム球場が次々と建設された。1993年に国内2番目のドーム球場として、国内初の開閉式屋根を持つ福岡ドームが、続いて1997年にナゴヤドーム大阪ドームが、1999年には既存の屋外球場をそのまま活用し、足掛け3年の工期を経て段階的に屋根を架設するという、世界でも稀な工法でドーム球場化した西武ドームが、2001年には屋外のオープンアリーナで養生している天然芝のグラウンドを空気圧で浮上させ、ドーム内に移動させる「ホヴァリングステージ」と呼ばれるシステムを用いてサッカーラグビーなどでも使用できる札幌ドームが開場した。

2012年現在は上述の計6箇所がプロ野球球団の本拠地として供用されており、セ・パ12球団のうち実に半数がドーム球場を本拠地としている。また、札幌ドームはサッカーJリーグコンサドーレ札幌のホームスタジアムでもある。

NPB本拠地球場

東京ドーム内部

プロ野球球団の本拠地として使われる6箇所のうち、東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドーム・札幌ドームは一般に「5大ドーム」とも呼ばれている。西武ドームもプロ野球球団の本拠地であるが、多くの場合これらには含まれない。

その他のドーム球場

NPB本拠地球場ほどの規模ではないが大館樹海ドーム秋田県大館市)、仙台市屋内グラウンド(シェルコムせんだい、宮城県仙台市)などでも硬式野球の実施が可能である。出雲ドーム島根県出雲市)はフィールドが狭隘で、且つ試合の実施に見合う天井高が確保されていないため、現在は硬式野球の公式戦は行われていない。

また硬式野球以外では札幌コミュニティドーム新天城ドーム有明コロシアムこまつドーム長浜ドーム四日市ドーム但馬ドーム豊田スタジアム御崎公園球技場(ホームズスタジアム神戸)、大分スポーツ公園総合競技場(大分銀行ドーム)等の施設が屋根を架設しており、これらのうち長浜を除く施設では屋根の開閉が可能となっている。但し、スライド式のルーフ状屋根を持つもの(有明コロシアム、豊田スタジアム、御崎公園球技場)はドーム球場(ドーム状屋根を持つ球場)に該当しない。

ドーム球場の特別ルール

ドーム球場で野球を行う場合に、屋根やスピーカーなどの懸垂物(屋根から垂れ下がっているもの)に打球が当たるなどの場合に、特別グラウンドルールを設定している。

東京ドーム

フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
ボールインプレイ(プレイ続行)であり、地面などに触れる前に野手が捕球すれば打った打者はアウトである。地面などに触れた場合は、打球の位置によってフェアかファウルかが判定される。即ち、天井に当たらなかった場合と同じ扱いがなされる。
打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
ボールデッド(プレイ中断)になり、フェア地域では本塁打、ファウル地域ではファウルボール。
  • これによって本塁打が記録された初のケースは、1990年6月6日のブライアントで、これ以後、外野中央上空のスピーカーに打球を当てた選手にはスピーカーのメーカーから300万円が支払われることになっている。2008年6月7日にはフリオ・ズレータ千葉ロッテマリーンズ)が2人目の達成。
打球が天井に挟まった場合
ボールデッドになり、フェア地域の場合は二塁打、ファウル地域の場合はファウルボール

ナゴヤドーム

フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
東京ドームと同じ。
打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
東京ドームと同じ。
打球が天井に挟まった場合
東京ドームと同じ。
内野中央にあるスピーカー
当たった場合はボールインプレイ。挟まった場合はボールデッドになるとともに二塁打になる。

大阪ドーム(京セラドーム大阪)

フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
東京ドームと同じ。ただし、移動式屋根「スーパーリング」の最も外側のリングに入った場合のみ本塁打となる。
  • この本塁打を打ったことがあるのは中村紀洋大阪近鉄バファローズ=当時)一人だけ。アレックス・カブレラ西武ライオンズ=当時)は最も外側のリング下部に当たり、打球方向が変化して左翼上段スタンドに入った。
  • 2002年頃、近鉄梨田昌孝監督(当時)の提案で、二番目に外側のリングの内側に入っても本塁打とするというルールに変更された。これは、中村が明らかに本塁打になるだろうと思われた打球が二番目に外側のリング内側に入り、落ちてきたところを遊撃手に直接捕られたということがあったため。
  • 2010年8月15日に行われた阪神タイガース対ヤクルト戦で、金本知憲の打球が天井に触れフェア地域に落ちた。本来ならば打球が当たった時点では上記の通りボールインプレイのはずだが、一塁塁審の坂井遼太郎はその時点でファウルボールと判定してしまった。その後審判員が協議したが結局判定が覆ることなく、金本はファウルボールを打ったものとして試合が再開された。審判団は試合後に誤審を認めた[3]。なお、その打席で金本は本塁打を打っている。
ファウルスタンド側の天井に当たった場合
直ちにボールがプレイングフィールド側に戻ってきてもファウルボール。
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
ボールデッドになり、フェア地域の場合は二塁打、ファウル地域の場合はファウルボール。

札幌ドーム

外野部分の天井に触れた場合
本塁打。
他の部分の天井に打球が触れた場合
東京ドームと同じ。

西武ドーム

フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
外野フェア地域の天井に当たった場合は本塁打となる。それ以外は東京ドームと同じ。
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
大阪ドームと同じ。

福岡ドーム(福岡Yahoo! JAPANドーム)

フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
東京ドームと同じ。
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
大阪ドームと同じ。ただし、フェア地域であれば打った選手に賞金500万円が支払われる。

また一部では広告看板に当てた本塁打の場合、その広告を協賛する企業からの賞金・商品を選手に贈呈することがある。

他の国のドーム球場

ドーム型屋根を備えた球場としては、オランダアムステルダムアムステルダム・アレナがある。また、オーストラリアメルボルンの開閉式屋根を備えた球技場(クリケットオージーフットボール等)であるエティハド・スタジアムや、オランダ・アーネムヘルレドームは、ドーム状の屋根ではないが「ドーム」を名乗っている。

また、韓国京畿道安山市に韓国初のドーム球場が計画されている[4]

コンサート会場としてのドーム球場

現在では、日本において、一線級として扱われる人気ミュージシャンが、前述のように日本の代表的なドームを巡る「ドームツアー」を実施することがある。

かつては収容人数や会場規模もそれまで最高峰とされた日本武道館を遥かに上回る規模となるこれらの公演が、現在では「ミュージシャンとしての一つの到達点(頂点)」として語られることも少なくない(ただ、日産スタジアムや国立競技場、味の素スタジアムなどスタジアムのほうが収容人数は多い)。

また、施設が大型で数万人単位の観客の大量動員が可能である裏返しとして、施設使用料はコンサート会場として使用される施設の中でも一際高額であり、興行イベントとして設定される損益分岐点というハードルもまた一層高いものとなる。この損益分岐点をクリアする為の有料チケット購入者数や会場内で販売される関連グッズの売上などの目標値もより高いものとなる為、関連グッズの売行き動向やファン層の購買力・購買意欲そのものを総合的に勘案する必要があり、実際にドーム球場をコンサート会場として選択する事ができるミュージシャンは限定されてくる。さらに、イベントの巨大化により、資材・機材なども施設に合わせて大型化・大量化するものが多いことなど、経費面での肥大化も考慮すれば、興行として確実に黒字に至らせる事は中々に厳しく、これが可能な者となると、もはや人気ミュージシャンの中でもさらに限定された僅かな者のみとなり、スタッフや資材・機材の移動も加え、全国規模のファン層が居なければ成立しない「ドームツアー」となれば尚更その傾向が強い。また、ミュージシャン自身には超大型会場での適応力・パフォーマンス能力も要求される事になる。この事から現在では、ドーム公演や「ドームツアー」の内容面の高評価・興行面での成功の両立は、ミュージシャンにとってはその人気と興行能力の際立った高さを芸能業界内外に誇示する大きな意味を持っている。

日本で最初のドーム球場でのコンサートはいくつか存在しており、いずれも東京ドームの「BIG EGG OPENING EVENT」として連続開催された各種イベントして催行されている。最も早くコンサートを行ったのはマーチングバンド世界選手権のゲストとして招かれたTHE ALFEE、単独公演としてはミック・ジャガーこけら落し公演として設定されたのは美空ひばりである[5][6]。ミュージシャンとして初めて5大ドームツアーを行ったのはSMAP(ソロとしては桑田佳祐)であり、西武ドームを含めた6ヶ所のドーム球場で公演を行なったことがあるのは、現在まではB'zMr.ChildrenEXILEの3組である。また、Mr.Childrenは史上初となる6大ドームツアーを行った。2001年6月29日ゆずは「ふたりのビッグエッグ・ショー」というバックバンドを一切置かない弾き語り形式という東京ドーム公演を成功させている。

そのほかにも日本のドーム球場で記録に残るライブとしては以下のようなものが行われている。

  • 1988年4月11日美空ひばりは日本人ソロ歌手かつ演歌歌手として初めて、そして東京ドームのこけら落し[7][8]となる東京ドームコンサートを開催。復帰は不可能と言われた難病からの復活のためチケットは即完売し、「伝説の不死鳥コンサート」と呼ばれ、5万人の観衆を魅了した。このコンサートの後、復活アピールのために横浜アリーナでのこけら落としコンサート、大阪公演をはじめとする全国ツアー敢行も予定されていたが、わずか1年2ヵ月後の1989年6月24日にひばりは帰らぬ人となり、結果としてこれが生涯最後のコンサートとなった。このことも伝説化を早める一因となり、現在では各種映像メディアが発売されている。2011年現在でもドーム球場で公演を行った演歌歌手は美空ひばり以外いない。
  • 1993年12月30日12月31日の東京ドームにおけるX JAPANのライブ『日本直撃カウントダウンX JAPAN Returns』は日本人ミュージシャンが最初に「年越しライブ」を行った公演である。また、彼らとしても名義を世界進出に向けた「X JAPAN」と改めての最初のライブである。現在では伝説的な楽曲『ART OF LIFE』を含む15曲を演奏したライブが行われた。特に『ART OF LIFE』は1曲が30分近い長さであることやメンバーの変遷などによりもう二度と演奏されることはないであろうということもあって、同バンドの『The Last Live』と双璧をなすライブとしてファンのみならずロックを志す音楽家の間では伝説となっている(後に『ART OF LIFE』は2008年の復活ライブにても演奏された)。
  • 2001年1月8日に、THE YELLOW MONKEYは自身初の東京ドーム公演において完全に活動を休止する宣言をし、復活を約束するも、3年後の2004年7月7日、復活することなく正式解散した。その年の12月26日には休止宣言をしたのと同じ東京ドームにメンバーが再集結し『THE YELLOW MONKEYの葬式』として代表曲『JAM』を演奏した。なお、2001年の東京ドーム公演は結果的なラストライブとなった。

ドーム球場は本来「野球場」を目的に、屋根はドーム状・壁は円形の造りとなっているために収容人数という点を除けばコンサート会場には不向きなことが多く、各ドーム球場によって音響や反射などが異なるために、入念な下調べと周到な事前準備が必要となる癖のある会場でもある。

※尚、EXILEはグループ単独での公演では無く、「EXILE TRIBE LIVE TOUR」という、EXILE主催による複数のアーティストが出演した公演によるもの。
  • 通算して6大ドーム公演を行なったアーティスト
    • B'z(1997年東京・ナゴヤ・大阪・福岡、2001年札幌・西武・ナゴヤ・大阪・福岡)

幻のドーム球場計画

世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の1958年6月ごろ、日本テレビ放送網社長・清水与七郎らは、東京都新宿区内の社有地(現新宿六丁目地内。のちの日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面クレー舗装の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。

1979年から1984年にかけて、名古屋市でもナゴヤ球場に代わる野球場として、ノリタケカンパニーリミテドにより名古屋市西区則武新町(同社の本社所在地で、現在同社の関連施設「ノリタケの森」が立地する場所)で「ノリタケドーム」を建設する計画があった。

1988年東京ドーム完成後は、多くの都市圏でドーム球場の建設が検討されたが、福岡、大阪、名古屋、札幌各市を除きその計画は頓挫した。代表的な例としては、1980年代後半に阪神球団が阪神甲子園球場の後継として「阪神ドーム」の建設を検討、1999年から2001年ごろ横浜市が横浜ドームの建設を検討、2000年から2002年ごろに千葉市が千葉マリンスタジアム西武ドーム方式でのドーム化検討、仙台市で宮城球場に代わるドーム球場建設検討などがある。横浜ドーム計画では、ドーム建設支持派の団体が大規模な署名活動を展開していたが、ファンからも市民からも広汎な支持を得られず、横浜球団の観客動員低迷などに伴い立ち消えとなった。また、千葉マリンドーム計画もファン・市民からの好感触を得られなかったことから、同様に立ち消えとなった。

広島市においてもドーム球場の計画があったが、財政事情や人工芝は選手への負担が大きい等の理由のため、立ち消えとなった(詳細はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を参照のこと)。

韓国ソウルにおいてもドーム球場の計画があった。計画は韓国LGグループを中心にして進められ、2002年のワールドカップで使用した後、LGツインズの本拠地として使用される予定だった。設計コンペが行われ、優秀作が選定されたものの、用地取得の難航とアジア通貨危機のため、計画は白紙化された[9]。なお、このドーム球場のデザインは、設計者のウェブサイトで閲覧することができる[10]

ドーム球場での試合中止事例

一般にドーム球場では屋外が天候不良でも試合中止になることは殆どないと言われているが、ごく稀に台風災害などで球場が被害を受け、試合を行うことが不可能になることがある。被害はなくとも交通機関が運休になるなど観客への影響を考慮して試合が中止になる事例がある。ここではその事例を挙げる。ただし、1998年の西武ドームはまだ完全ドーム化されていなかったためここには含めない。

  • 1976年6月15日、アストロズパイレーツ(アストロドーム) - 洪水で審判、球場関係者、ファンが球場入りできなかったため。
  • 1983年4月14日、ツインズエンゼルス(メトロドーム) - 積雪により屋根が破損したため。
  • 1990年8月10日、巨人中日(東京ドーム) - 中日が新幹線不通で移動できなかったため。
  • 1996年9月22日、巨人対中日(東京ドーム) - 台風の強風でテント状の屋根が揺れ、照明落下の恐れがあったため。
  • 1997年7月26日、中日対巨人(ナゴヤドーム)
  • 1997年9月16日、ダイエー西武(福岡ドーム)
  • 2000年9月12日、中日対広島(ナゴヤドーム) - 東海豪雨で球場が浸水したため。
  • 2001年8月21日、近鉄オリックス(大阪ドーム)
  • 2001年8月22日、巨人対横浜(東京ドーム)
  • 2001年8月22日、西武対日本ハム(西武ドーム)
  • 2002年10月1日、巨人対ヤクルト(東京ドーム)
  • 2004年8月30日、ダイエー対日本ハム(福岡ドーム) - ダイエーが台風による飛行機の欠航で移動できなかったため。
  • 2004年9月7日、近鉄対西武(大阪ドーム)
  • 2004年9月18、19日、日本ハム対近鉄(札幌ドーム) - プロ野球再編問題による日本プロ野球選手会ストライキによる。
  • 2004年9月18、19日、中日対巨人(ナゴヤドーム) - 同上
  • 2004年10月20日、日本シリーズ・西武対中日(西武ドーム) - 日本シリーズのドーム球場開催としては初の中止。
  • 2006年9月17日、ソフトバンク楽天(福岡Yahoo! JAPANドーム)
  • 2007年7月27日、ソフトバンク対西武(福岡Yahoo! JAPANドーム) - 西武搭乗飛行機が機材故障で遅延したため。
  • 2007年8月2日、ソフトバンク対オリックス(福岡Yahoo! JAPANドーム)
  • 2011年3月25日 - 4月10日、東北地方太平洋沖地震の社会的情勢を考慮して、プロ野球の開幕が延期。これを受けこの期間に予定された全試合が中止になる。また4月12日以後も東京ドーム西武ドームで予定された巨人・西武主管試合が中止され、一部を除き代替会場の調整やホームチーム・ビジターチームの入れ替えなどの処置が行われた。(具体的な中止になった試合は数多いので割愛)
  • 2011年9月21日、西武対日本ハム(西武ドーム) - 台風15号の影響で交通機関の乱れや観客の安全を配慮しての措置。
  • 2011年9月21日、巨人対横浜(東京ドーム) - 同上
  • 2012年4月3日、西武対ロッテ(西武ドーム) - 急速に発達した低気圧による暴風の影響で交通機関の乱れや観客の安全を配慮しての措置。

この節の関連記事 → 天候不順以外で中止・打ち切りになった日本プロ野球の試合

脚注