ニューオーリンズ・セインツ
ニューオーリンズ・セインツ New Orleans Saints | ||||||||||||||||||||||
1967年創設(52年前) | ||||||||||||||||||||||
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永久欠番 | ||||||||||||||||||||||
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ホームタウン | ||||||||||||||||||||||
ルイジアナ州ニューオーリンズ | ||||||||||||||||||||||
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所属地区 | ||||||||||||||||||||||
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チームデザイン | ||||||||||||||||||||||
チームカラー | ||||||||||||||||||||||
黒 オールドゴールド 白 | ||||||||||||||||||||||
チームロゴ | ||||||||||||||||||||||
フルー・ド・リ(フランス国王の紋章)。ルイジアナ州がかつてフランス植民地だったことにちなむ。また、ニューオーリンズ市の紋章でもある。![]() | ||||||||||||||||||||||
獲得タイトル | ||||||||||||||||||||||
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球団組織 | ||||||||||||||||||||||
オーナー: ゲイル・ベンソン | ||||||||||||||||||||||
GM: ミッキー・ルーミス | ||||||||||||||||||||||
ヘッドコーチ: ショーン・ペイトン |
ニューオーリンズ・セインツ(英語: New Orleans Saints、略称: NO)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズに本拠地をおくNFLチーム。NFC南地区に所属している。第44回スーパーボウルで優勝している。
1967年にエクスパンションチームとして加入した。1970年のNFLとAFLの統合後、NFC西地区に所属した。チームは創設以来長期低迷し、1978年まで12年連続負け越し、1979年、1983年と8勝8敗になったが勝ち越したシーズンは1987年までなかった。1987年から1992年までに4回プレーオフに進出したがプレーオフでの勝ち星はなかった。この間1991年に初めて地区優勝を果たした。2000年シーズン、プレーオフ5回目の出場で前年のスーパーボウルチャンピオンのセントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげた。2006年にはNFCチャンピオンシップゲームに進出したがシカゴ・ベアーズに14-39で敗れスーパーボウル出場を逃した。2009年のNFCチャンピオンシップでミネソタ・バイキングスに勝ち初のスーパーボウル進出を果たした。 1967年から1974年まではチュレーン・スタジアム、1975年からメルセデス・ベンツ・スーパードームを本拠地としている[1]。
2005年はハリケーン・カトリーナによるスーパードームの損傷の為、暫定的にタイガースタジアム(ルイジアナ州バトンルージュ・4試合)とアラモドーム(テキサス州サンアントニオ・3試合)、ジャイアンツ・スタジアム(ニュージャージー州イーストラザフォード・1試合)を使用して、公式戦を行った。スタジアムの改修には1億8500万ドルがかけられて2006年から再びスーパードームを本拠地とした。チーム設立が承認された11月1日が諸聖人の日であることから愛称はセインツとつけられた。
トランペッターのアル・ハート(パートオーナーでもあった。)はジャズ曲『聖者が街にやってくる』("When The Saints Go Marchin' In")をオフィシャルソングとした。
目次
歴史[編集]
1970年代まで[編集]
1966年11月1日、NFLコミッショナーのピート・ロゼールによって新球団として承認されたことが発表され、1967年に創設された。
1967年、ロサンゼルス・ラムズとのチュレーン・スタジアムで行われた開幕戦でジョン・ギリアムが92ヤードのキックオフリターンTDを決めたが13-27で敗れた。この年チームは3勝11敗に終わった。エクスパンションチームが3勝をあげたのはこの当時のNFL記録であった。
1970年のNFLとAFLの統合を経て(当初NFC西地区に所属)1986年まで20年間地区優勝はおろかプレーオフ出場さえなかった。1979年まで地区2位にさえなることはなかった。その中、QBのアーチー・マニングはプロボウルにも選出された。1979年、1983年とチームは勝率5割を達成したが1987年までのうち残り全てのシーズンは負け越しした。
1970年11月8日、生まれつき右足のつまさきから先のない障害を持ったキッカーのトム・デンプシーがNFL記録となる63ヤードのFGを決めて19-17でデトロイト・ライオンズを破った。この記録は2013年にマット・プレイターが64ヤードのFGを成功させて更新した[2]。
1980年代[編集]
1980年、チームは開幕から14連敗した。地元メディアのスポーツキャスター、Buddy Dilibertoが観衆に紙袋をかぶってホームゲームで応援することを提案した[3]。Aintsと書いた紙袋をかぶり目の部分だけくりぬいて観戦するパフォーマンスはその後、NFLだけでなくアメリカのチームスポーツにおいて急速に拡がり不甲斐ないシーズンを送るチームの応援にはしばしば見られるようになった。この年、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦ではハーフタイムを35-7とリードしながら後半ジョー・モンタナに率いられた相手オフェンスを止められずに35-38で敗れるという当時のNFL記録となる28点差のリードからの逆転負けを喫した[4][5]。
1985年にチームはトム・ベンソンによって購入された。ジム・フィンクスがGMに、ジム・E・モーラ(シアトル・シーホークスのヘッドコーチを務めたジム・L・モーラは彼の息子である。)がヘッドコーチとなった。1987年に12勝3敗で創設以来初の勝ち越しを決めてプレーオフに進出した。
1990年代[編集]
1990年から1992年までの3年間はドームパトロールと呼ばれたパット・スウィリング、リッキー・ジャクソン、サム・ミルズ、ヴォーン・ジョンソンの4人のLBを中心とした強力なディフェンスでプレーオフに出場した。
1991年には開幕から7連勝した。チームのこの快進撃は、聖者の行進と呼ばれた。エースQBボビー・エイビアが肩の負傷により、7戦目から12月半ばまで欠場した。エイビアが離脱する前、他のチームに3ゲーム差で地区首位だったものの、スティーブ・ウォルシュが先発してから、チームは負け越し、エイビアが最後の2試合に復帰してから連勝、11勝5敗で初の地区優勝を果たした[6]。
ジム・モーラはチームを4回プレーオフに導いたがプレーオフでチームは1勝もできず、3勝13敗に終わる1996年シーズン途中に辞任した。
1997年から元シカゴ・ベアーズのヘッドコーチ、マイク・ディトカ(第20回スーパーボウル優勝経験がある。)をヘッドコーチとして迎えたが1997年、1998年とチームは6勝10敗に終わった。1999年のNFLドラフトでディトカはその年の全指名権、翌年のドラフト1巡、3巡指名権と引き替えにワシントン・レッドスキンズからドラフト全体5番目の指名権を獲得、リッキー・ウィリアムズを獲得した。しかしこの年チームは3勝13敗に終わりディトカとGMのビル・クハリッチは解任された。
2000年代[編集]
2000年から2005年まではジム・ハスレットがヘッドコーチとしてチームの指揮を執った。2000年チームは2度目の地区優勝を果たしプレーオフに進出、セントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげたが翌週の試合でミネソタ・バイキングスに敗れた。GMのランディ・ミューラーはこの年のNFLエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2002年シーズン開幕前にベンソンオーナーによって解任された。
2002年、ヒューストン・テキサンズの加入によって地区の再編が行われた際にNFC南地区に移った。この年チームは第37回スーパーボウル優勝を果たすタンパベイ・バッカニアーズに2勝したが前年に続きプレーオフを逃した(スーパーボウルチャンピオンに2勝してプレーオフに出場できなかったのは1995年にワシントン・レッドスキンズがダラス・カウボーイズに2勝したシーズン以来のことであった。)。
2003年は8勝8敗でプレーオフ進出はならず、2004年は開幕6試合で2勝4敗、12試合終了時点で4勝8敗とハスレットヘッドコーチの首が危うい状況であったがそこからチームは4連勝し8勝8敗となりプレーオフ争いをしていたラムズ、バイキングスと8勝8敗で並んだ。NFCチームとの成績がラムズが7勝5敗、セインツが6勝6敗、バイキングスが5勝7敗でありラムズがワイルドカード1つ目の椅子を手に入れ、セインツとの直接対決を制していたバイキングスがもう1つの椅子を手に入れ惜しくもプレーオフ出場を逃した。ハリケーン・カトリーナの被害によって本拠地スーパードームでプレイできなかった2005年、チームは3勝13敗の成績に終わりハスレットは解任された。
2006年3月23日、チームはプレシーズンゲームをシュリーブポート及びミシシッピ州ジャクソンで行うと発表した。4月6日にレギュラーシーズンのホームゲームをスーパードームで行うことが発表され9月25日に行われるマンデーナイトフットボールでのアトランタ・ファルコンズ戦がスーパードームでの2シーズンぶりの試合となった。この試合に23-3で勝利した。観衆は70,003人入りESPNのNFL中継としては過去最高の11.8%の視聴率となりおよそ全米の1085万家庭が視聴した。試合前にはグリーン・デイ、U2がWake Me Up When September Ends、The Saints Are Comingで盛り上げた。12月17日チームはNFC南地区(2002年に新設)を初制覇し3回目の地区優勝を決めた。ショーン・ペイトンヘッドコーチはチーム史上2人目となる就任1年目で地区優勝を果たしたコーチとなった。その後プレーオフ1回戦のシードも決まりディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを27-24で破りNFCチャンピオンシップゲームを決めた。3勝13敗からカンファレンスチャンピオンシップゲームに出場を決めたのは1999年にセントルイス・ラムズが前年の4勝12敗から進出した記録を破るNFL新記録となった。セインツがプレーオフで勝利したのはそれまでワイルドカードプレーオフでの勝利しかなくチャンピオンシップゲーム出場は初のことであった。2007年1月21日に行われた試合で14-39でシカゴ・ベアーズに敗れ第41回スーパーボウル出場はならなかった。
2007年、開幕戦でスーパーボウルチャンピオンのインディアナポリス・コルツに10-41で敗れ、続く3試合に連敗した。開幕4連敗した後、4連勝したが7勝7敗から最後の2試合に連敗し最終的に7勝9敗でシーズンを終えた。
2008年、チームは2009年のドラフト2巡と5巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジャイアンツからジェレミー・ショッキー、2009年のドラフト4巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジェッツからジョナサン・ヴィルマを補強した。
2009年4月30日、ベンソンオーナーと地元自治体は少なくとも2025年まではセインツがニューオーリンズに残留することについて合意したことを発表した。この年、チームは開幕から13連勝を果たしパーフェクトシーズンの期待が高まったが第15週にダラス・カウボーイズに敗れ連勝は止まった。シーズンでは結局13勝3敗の成績を残し、NFC南地区優勝。チーム史上初となる第1シードとしてのプレーオフ出場。ディビジョナルプレイオフではアリゾナ・カーディナルスに45-14で勝利。続くNFCチャンピオンシップではミネソタ・バイキングスと対戦。第4クオーター終了時点で28-28の同点となる接戦となったが、コイントスで先攻をとったセインツが延長でFGを決め、31-28で勝利し、チーム史上初のNFCチャンピオンとなった。そして、同時にチーム史上初のスーパーボウル進出を果たし、第44回スーパーボウルではインディアナポリス・コルツを31-17で破り初制覇を果たした。
2010年代[編集]
2010年、地区優勝はアトランタ・ファルコンズに譲ったもののワイルドカードでプレーオフに出場を果たした。プレーオフ初戦はNFL史上初めて負け越したもののプレーオフ出場を果たしたシアトル・シーホークスとの対戦で、セインツが有利と見られていたが36-41で敗れた。
2011年、ブリーズがダン・マリーノが持っていたシーズンパス獲得ヤード記録を破る5476ヤードを投げた。チームは2年ぶりの地区優勝を果たしワイルドカードプレーオフでデトロイト・ライオンズを破ったが、ディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに32-36で敗れた。シーズン終了後、ディフェンスの強化に貢献のあったグレッグ・ウィリアムズディフェンスコーディネーターがラムズに去り、ラムズのヘッドコーチを務めていたスティーブ・スパヌオーロが後任となった。
2012年、相手選手にけがを負わせるとディフェンス選手が報奨金を受け取っていたことが明らかになり、ペイトンヘッドコーチが1年間出場停止処分を受けた。またチームは2012年のドラフト2巡、2013年のドラフト2巡指名権を失った。ジョナサン・ビルマ、アンソニー・ハーグローブ、ウィル・スミス、スコット・フジタの4人も出場停止処分を受けたが、4選手への処分はポール・タグリアブー元コミッショナーの異議裁定で取り消された。この年、ディフェンスが崩壊し、開幕から4連敗している[7]。
2013年は、開幕から5連勝したが、第6週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦で残り5秒にトム・ブレイディにTDパスを許し連勝は止まった。ホームでは8戦全勝だったものの、ロードでは3勝5敗と負け越し、地区2位の11勝5敗でシーズンを終え、プレーオフに第6シードで出場した。フィラデルフィア・イーグルスを26-24で破り、ロードでのプレーオフ初勝利をあげた[8]。ディビジョナルプレーオフで第1シードのシアトル・シーホークスと対戦、獲得ヤードでは409対277と上回ったものの、FG2本の失敗、第4ダウンギャンブルが3回中1回成功に終わるなど、要所でシーホークスのディフェンスに抑えられて、15-23で敗れた。
2014年、12月15日のシカゴ・ベアーズ戦で勝利、6勝8敗ながら地区首位に躍り出たが[9]、翌週のアトランタ・ファルコンズ戦に敗れてプレーオフ出場を逃した。2015年と2016年は連続して地区3位に終わり、プレーオフ出場を逃した。
2017年には地区優勝を遂げ、南地区の他2チームとともにプレーオフ出場を果たしが、ディビジョナル・プレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れた。
2018年3月、オーナーのトム・ベンソンが死去して妻のゲイル・ベンソンがオーナーとなった。10連勝を遂げるなど、大差をつけて地区優勝を遂げ、コンファレンスでも最高の成績でプレーオフに進んだ。だがコンファレンス・チャンピオンシップでロサンゼルス・ラムズに敗れた。
2019年9月、第2週の試合中ブリーズが右手親指靭帯を痛め、約6週間の離脱となった。
2019年シーズンの対戦相手
AFC | NFC | |||||||
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前年 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 |
1位 | チーフス | テキサンズ | レイブンズ | ペイトリオッツ | ラムズ | セインツ | ベアーズ | カウボーイズ |
2位 | チャージャーズ | コルツ | スティーラーズ | ドルフィンズ | シーホークス | ファルコンズ | バイキングス | イーグルス |
3位 | ブロンコス | タイタンズ | ブラウンズ | ビルズ | 49ERS | パンサーズ | パッカーズ | レッドスキンズ |
4位 | レイダーズ | ジャガーズ | ベンガルズ | ジェッツ | カージナルス | バッカニアーズ | ライオンズ | ジャイアンツ |
:1度対戦 :2度対戦
成績[編集]
NFC南地区[編集]
- NO:ニューオーリンズ・セインツ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、CAR:カロライナ・パンサーズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
- 数字:シード順
- v:スーパーボウル優勝
- s:スーパーボウル敗退
- c:カンファレンス決勝敗退
- d:ディビジョナルプレーオフ敗退
- w:ワイルドカードプレーオフ敗退
- 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
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チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2019 | NO | |||||||||||||||
2018 | NO(1c) | 13 | 3 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | TB | 5 | 11 | 0 |
2017 | NO(4d) | 11 | 5 | 0 | CAR(5w) | 11 | 5 | 0 | ATL(6d) | 10 | 6 | 0 | TB | 5 | 11 | 0 |
2016 | ATL(2s) | 11 | 5 | 0 | TB | 9 | 7 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | CAR | 6 | 10 | 0 |
2015 | CAR(1s) | 15 | 1 | 0 | ATL | 8 | 8 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | TB | 6 | 10 | 0 |
2014 | CAR(4d) | 7 | 8 | 1 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 6 | 11 | 0 | TB | 2 | 14 | 0 |
2013 | CAR(2d) | 12 | 4 | 0 | NO(6d) | 11 | 5 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | TB | 4 | 12 | 0 |
2012 | ATL(1c) | 13 | 3 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | TB | 7 | 9 | 0 |
2011 | NO(3d) | 13 | 3 | 0 | ATL(5w) | 10 | 6 | 0 | CAR | 6 | 10 | 0 | TB | 4 | 12 | 0 |
2010 | ATL(1d) | 13 | 3 | 0 | NO(5w) | 11 | 5 | 0 | TB | 10 | 6 | 0 | CAR | 2 | 14 | 0 |
2009 | NO(1v) | 13 | 3 | 0 | ATL | 9 | 7 | 0 | CAR | 8 | 8 | 0 | TB | 3 | 13 | 0 |
2008 | CAR(2d) | 12 | 4 | 0 | ATL(5w) | 11 | 5 | 0 | TB | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 |
2007 | TB(4w) | 9 | 7 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 |
2006 | NO(2c) | 10 | 6 | 0 | CAR | 8 | 8 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | TB | 4 | 12 | 0 |
2005 | TB(3w) | 11 | 5 | 0 | CAR(5c) | 11 | 5 | 0 | ATL | 8 | 8 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
2004 | ATL(2c) | 11 | 5 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | TB | 5 | 11 | 0 |
2003 | CAR(3s) | 11 | 5 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | TB | 7 | 9 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 |
2002 | TB(2v) | 12 | 4 | 0 | ATL(6d) | 9 | 6 | 1 | NO | 9 | 7 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 |
NFC西地区[編集]
- SF:サンフランシスコ・49ERS、LA→RAM→StL:ロサンゼルス・ラムズ→セントルイス・ラムズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、NO:ニューオーリンズ・セインツ、CAR:カロライナ・パンサーズ、SEA:シアトル・シーホークス
- 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
- 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |||||||||||||||
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チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2001 | StL(1s) | 14 | 2 | 0 | SF(5w) | 12 | 4 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | CAR | 1 | 15 | 0 |
2000 | NO(3d) | 10 | 6 | 0 | StL(6w) | 10 | 6 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | SF | 6 | 10 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 |
1999 | StL(1v) | 13 | 3 | 0 | CAR | 8 | 8 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | SF | 4 | 12 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
1998 | ATL(2s) | 14 | 2 | 0 | SF(4d) | 12 | 4 | 0 | NO | 6 | 10 | 0 | CAR | 4 | 12 | 0 | StL | 4 | 12 | 0 |
1997 | SF(1c) | 13 | 3 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | NO | 6 | 10 | 0 | StL | 5 | 11 | 0 |
1996 | CAR(2c) | 12 | 4 | 0 | SF(4d) | 12 | 4 | 0 | StL | 6 | 10 | 0 | ATL | 3 | 13 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
1995 | SF(2d) | 11 | 5 | 0 | ATL(6w) | 9 | 7 | 0 | StL | 7 | 9 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 |
1994 | SF(1v) | 13 | 3 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | RAM | 4 | 12 | 0 | ||||
1993 | SF(2c) | 10 | 6 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | RAM | 5 | 11 | 0 | ||||
1992 | SF(1c) | 14 | 2 | 0 | NO(4w) | 12 | 4 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | RAM | 6 | 10 | 0 | ||||
1991 | NO(3w) | 11 | 5 | 0 | ATL(6d) | 10 | 6 | 0 | SF | 10 | 6 | 0 | RAM | 3 | 13 | 0 | ||||
1990 | SF(1c) | 14 | 2 | 0 | NO(6w) | 8 | 8 | 0 | RAM | 5 | 11 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | ||||
1989 | SF(1v) | 14 | 2 | 0 | RAM(5c) | 11 | 5 | 0 | NO | 9 | 7 | 0 | ATL | 3 | 13 | 0 | ||||
1988 | SF(2v) | 10 | 6 | 0 | RAM(5w) | 10 | 6 | 0 | NO | 10 | 6 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | ||||
1987 | SF(1d) | 13 | 2 | 0 | NO(4w) | 12 | 3 | 0 | RAM | 6 | 9 | 0 | ATL | 3 | 12 | 0 | ||||
1986 | SF(3d) | 10 | 5 | 1 | RAM(5w) | 10 | 6 | 0 | ATL | 7 | 8 | 1 | NO | 7 | 9 | 0 | ||||
1985 | RAM(2c) | 11 | 5 | 0 | SF(5w) | 10 | 6 | 0 | NO | 5 | 11 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | ||||
1984 | SF(1v) | 15 | 1 | 0 | RAM(4w) | 10 | 6 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | ||||
1983 | SF(2c) | 10 | 6 | 0 | RAM(5d) | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | ||||
1982 | ATL(5w) | 5 | 4 | 0 | NO | 4 | 5 | 0 | SF | 3 | 6 | 0 | RAM | 2 | 7 | 0 | ||||
1981 | SF(1v) | 13 | 3 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | LA | 6 | 10 | 0 | NO | 4 | 12 | 0 | ||||
1980 | ATL(1d) | 12 | 4 | 0 | LA(5w) | 11 | 5 | 0 | SF | 6 | 10 | 0 | NO | 1 | 15 | 0 | ||||
1979 | LA(3s) | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | SF | 2 | 14 | 0 | ||||
1978 | LA(1c) | 12 | 4 | 0 | ATL(4d) | 9 | 7 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | SF | 2 | 14 | 0 | ||||
1977 | LA(2d) | 10 | 4 | 0 | ATL | 7 | 7 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | NO | 3 | 11 | 0 | ||||
1976 | LA(3c) | 10 | 3 | 1 | SF | 8 | 6 | 0 | ATL | 4 | 10 | 0 | NO | 4 | 10 | 0 | SEA | 2 | 12 | 0 |
1975 | LA(2c) | 12 | 2 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | ATL | 4 | 10 | 0 | NO | 2 | 12 | 0 | ||||
1974 | LA(c) | 10 | 4 | 0 | SF | 6 | 8 | 0 | NO | 5 | 9 | 0 | ATL | 3 | 11 | 0 | ||||
1973 | LA(d) | 12 | 2 | 0 | ATL | 9 | 5 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | NO | 5 | 9 | 0 | ||||
1972 | SF(d) | 8 | 5 | 1 | ATL | 7 | 7 | 0 | LA | 6 | 7 | 1 | NO | 2 | 11 | 1 | ||||
1971 | SF(c) | 9 | 5 | 0 | LA | 8 | 5 | 1 | ATL | 7 | 6 | 1 | NO | 4 | 8 | 2 | ||||
1970 | SF(c) | 10 | 3 | 1 | LA | 9 | 4 | 1 | ATL | 4 | 8 | 2 | NO | 2 | 11 | 1 |
NFL東カンファレンス・キャピトル地区[編集]
- DAL:ダラス・カウボーイズ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はc:カンファレンス決勝敗退
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
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チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1969 | DAL(c) | 11 | 2 | 1 | WAS | 7 | 5 | 2 | NO | 5 | 9 | 0 | PHI | 4 | 9 | 1 |
NFL東カンファレンス・センチュリー地区[編集]
- PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、CLE:クリーブランド・ブラウンズ、StL:セントルイス・カージナルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はn:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1968 | CLE(n) | 10 | 4 | 0 | StL | 9 | 4 | 1 | NO | 4 | 9 | 1 | PIT | 2 | 11 | 1 |
NFL東カンファレンス・キャピトル地区[編集]
- DAL:ダラス・カウボーイズ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はn:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1967 | DAL(n) | 9 | 5 | 0 | PHI | 6 | 7 | 1 | WAS | 5 | 6 | 3 | NO | 3 | 11 | 0 |
主な選手[編集]
永久欠番[編集]
- 31 ジム・テイラー
- 51 サム・ミルズ
- 57 リッキー・ジャクソン
- 81 ダグ・アトキンス
プロフットボール殿堂入り[編集]
- ダグ・アトキンス DE 1967-1969
- アール・キャンベル RB 1984-1985
- ジム・フィンクス GM 1986-1993
- リッキー・ジャクソン LB 1981-1993
- ハンク・ストラム HC 1976-1977
- ジム・テイラー FB 1967
- マイク・ディトカ HC 1997-1999(殿堂入りした理由は1961年から1972年までシカゴ・ベアーズの選手としての実績)
- トム・フィアーズ HC 1967-1970(殿堂入りした理由は1948年から1956年までの選手としての実績)
- ウィリーローフ OT
歴代ヘッドコーチ[編集]
- トム・フィアーズ (1967-1970)
- J.D.ロバーツ (1970-1972)
- ジョン・ノース (1973-1975)
- アーニー・ヘフェール (1975)
- ハンク・ストラム (1976-1977)
- ディック・ノーラン (1978-1980)
- ディック・スタンフェル (1980)
- バム・フィリップス (1981-1985)
- ウェイド・フィリップス (1985)
- ジム・E・モーラ (1986-1996)
- リック・ベンチュリ (1996)
- マイク・ディトカ (1997-1999)
- ジム・ハスレット (2000-2005)
- ショーン・ペイトン (2006-2011,2013-)
- アーロン・クロマー (2012)
- ジョー・ビット(2012)
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
- ^ The Louisiana Superdome
- ^ “ブロンコスのプレイター、NFL新64ヤードのFG成功”. AFP (2013年12月9日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “SB44ウラネタ セインツ編④(完)”. 生沢浩のNFLレポート Inside Blitz (2010年2月27日). 2010年5月22日閲覧。
- ^ “The Best Ever? (pg 2)”. profootballhof.com. 2008年3月13日閲覧。
- ^ VHS 伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL Number VIDEO ISBN 4-16-911614-3
- ^ “Top 10 QB Injuries With Biggest Team Impact”. realclearsports.com (2011年9月12日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “セインツのペイトン監督、復帰2日目にDCを解任”. アメフトNewsJapan (2013年1月24日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “セインツ、チーム史上初のプレーオフアウェー戦勝利”. アメフトNewsJapan (2014年1月4日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ “セインツ 低勝率でプレーオフ進出?“特権”で議論も”. スポーツニッポン (2014年12月17日). 2015年2月22日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式サイト (英語)
- NFL JAPANプロフィール (日本語)
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