セントルイス・ラムズ

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セントルイス・ラムズ
1937年創設
永久欠番 7,28,29,74,75,78,85
所属地区
  • NFL(1937-現在)
  • NFC(1970-現在)
西地区(1970-現在)
  • 西カンファレンス(1953-1969)
海岸地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
  • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
  • 西地区(1937-1949)
ホームタウン
  • 本拠地

セントルイスミズーリ州

  • スタジアム

Edward Jones Dome endzone view.jpg
エドワード・ジョーンズ・ドーム
(1995- )
ブッシュ・スタジアム (1995)
アナハイム・スタジアム (1980-1994)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム (1946-1979)
リーグ・パーク (1942)
ショー・スタジアム(1938)
クリーブランド・ミュニシパル・スタジアム
(1937, 1939-1941, 1944-1945)

チームデザイン
  • チームカラー

     ミレニアムブルー
     ニューセンチュリーゴールド
    

  • チームロゴ

牡羊の頭部、ヘルメットはヒツジの角を模したデザイン

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (3回)

NFLチャンピオン:1945、1951
スーパーボウル:1999

  • カンファレンス・チャンピオン (6回)

NFLナショナル:1950、1951
NFL西:1955
NFC:1979、1999、2001

  • 地区優勝 (15回)

NFL西地区:1945、1949
NFL海岸地区:1967、1969
NFC西地区:1973、1974、1975、1976、1977、1978、1979、1985、1999、2001、2003

  • ワイルドカード (12回)

1950、1951、1952、1955、1980、1983、1984、1986、1988、1989、2000、2004

球団組織
オーナー: チップ・ローゼンブルーム
GM: レス・スニード
ヘッドコーチ: ジェフ・フィッシャー (2012 )

セントルイス・ラムズ (St. Louis Rams) は、ミズーリ州セントルイスに本拠地を置くNFLチームである。NFC西地区に所属している。第34回スーパーボウルに優勝している。

歴史[編集]

クリーブランド・ラムズ[編集]

1936年にクリーブランドでチームが創立された時に、当時のゼネラルマネージャーがかつて存在していたフットボールチーム「フォーダム・ラムズ」のファンであったことから、チーム名を「ラムズ」にすることを当時のオーナー、ホーマー・マーシュマンに提案、同意がなされてチーム名は決まった。チームは1936年に創設されたAmerican Football Leagueに参加し、5勝2敗2分でボストン・シャムロックスに次いで2位となった。1937年チームは1934年にNFLから脱退したセントルイス・ガンナーズの代わりにNFLに加入した。NFL加入当初は負け越しシーズンが続いた。1941年チームはダン・リーブス、フレッド・リービーに購入された。1943年6月にリーブスはリービーにチームの所有権を売却した(後にオーナーとして戻った)。第二次世界大戦の影響で選手が不足した1943年にチームはリーグ戦参加を辞退した(この年ピッツバーグ・スティーラーズフィラデルフィア・イーグルスは合同チームを作った。)。1944年からリーグに復帰、クリーブランドでの最後のシーズンとなった1945年にUCLAから加入した新人QBのボブ・ウォーターフィールドがリーグの最優秀選手に選ばれる活躍を見せて9勝1敗でシーズンを終了、ワシントン・レッドスキンズとのNFLチャンピオンシップゲームを15-14で勝利し初優勝を果たした。この試合でレッドスキンズのサミー・ボーのパスがゴールポストにあたりエンドゾーンにはねかえるプレーがあり、翌シーズンからこの場合はパス不成功とするルール変更が行われた。

ロサンゼルス移転[編集]

1946年からロサンゼルス・メモリアル・コロシアムに本拠地を移し、ロサンゼルス・ラムズと改称した。この年チームはNFLチーム中第二次世界大戦後、最初にケニー・ワシントンウディ・ストロードの2人のアフリカ系アメリカ人選手と契約した[1]。この年6勝4敗1分でシカゴ・ベアーズに次いでウェスタン・カンファレンス2位で終えた。シーズン終了後にアダム・ウォルシュヘッドコーチは解任された。

1948年にNFLチームとして初めてヘルメットにロゴを入れた[1]

1949年から1955年までの7年間で4回NFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし1951年に優勝した。当時チームはボブ・ウォーターフィールド、ノーム・バン・ブロックリンエルロイ・ハーシュトム・フィアーズらによるオフェンスはリーグベストの攻撃を見せた。優勝した1951年にハーシュはレシーブで1495ヤード、17タッチダウンをあげた(当時は1シーズン12試合)。

その後1956年から1965年までは1958年を除き勝ち越しなしの時代が続いた。1960年代チームのディフェンスにはロジー・グリアマーリン・オルセンディーコン・ジョーンズラマー・ランディの4人によるフィアーサム・フォーサム」(恐ろしい4人組)と呼ばれたディフェンスラインの活躍などで1960年代終わりからNFC西地区の強豪となった。1967年、ジョージ・アレンの下で1966年から1970年までチームは5シーズン連続で勝ち越ししディック・ヴァーミールスペシャルチームコーチなど多くの人材を育て上げたが、1967年にはグリーンベイ・パッカーズに、1969年にはミネソタ・バイキングスに敗れプレーオフで勝ち星をあげることはできず1970年シーズン終了後アレンはワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチに就任するためチームを去った。

1962年から1972年までの11シーズン、先発QBを務めたロマン・ゲブリエルは1967年から1971年まで5シーズン連続でチームを地区優勝または地区2位に導いた。1969年には2549ヤード、24タッチダウンの成績をあげて最優秀選手に選ばれた。

1972年にチームはロバート・アーセイに1900万ドルで購入された後、ボルチモア・コルツオーナーのキャロル・ローゼンブルームとトレードされローゼンブルームが新オーナーとなった。

1973年から1979年までチームは7年連続でNFC西地区優勝を果たした。しかしNFCチャンピオンシップゲームダラス・カウボーイズミネソタ・バイキングスに2回ずつ敗れスーパーボウル出場はなかなか実現しなかった。この時代ディフェンスは優れていたもののオフェンスはあまり優秀であるとは言い難かった。ディフェンスの中心選手はジャック・ヤングブラッドであり、プロフットボール殿堂入りを果たしたマーリン・オルセンからはPerfect Defensive Endと呼ばれた。この時代ラムズの選手には引退後、フレッド・ドライヤーなどハリウッドに行く選手が多く見られた。1973年からチームの指揮を執っていたチャック・ノックスヘッドコーチは1977年シーズン終了後更迭された。

1979年シーズン開幕前にチームオーナーのキャロル・ローゼンブルームがフロリダ州ゴールデンビーチで溺死し、未亡人のジョージア・フロンティアとローゼンブルームの息子の間でチームの経営権をめぐって争いもあったが、この年3年目のQBビンス・フェラガモに率いられたチームは同年9勝7敗の成績ながらNFC西地区を制した後、ダラス・カウボーイズを21-19、タンパベイ・バッカニアーズを9-0で降してスーパーボウルへの出場を果たした。この年の中心選手はフェラガモの他にHBのウェンデル・タイラー、オフェンスラインのジャッキー・スレイター、ディフェンスのジャック・ヤングブラッド、ジャック・レイノルズらであった。ラムズのホームゲームといってもいいパサデナローズボウルで行われた第14回スーパーボウルではディフェンディングチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズにブックメーカーは10.5点のハンディをつけたがチームは善戦しハーフタイムを13-10で折り返し第3Q終了時点でも19-17とリードしていた。しかし第4Qスティーラーズが2つのタッチダウンをあげ、ラムズは無得点に終わり19-31で敗れた。

アナハイム移転[編集]

1980年にチームは本拠地をカリフォルニア州オレンジ郡アナハイムに移した。これには2つ理由があり1つは元ラムズの球団フロントに在籍したピート・ロゼールコミッショナーの導入したブラックアウトルール(チケットが完売しなかった場合、地元テレビ中継ができなくなる。)とカリフォルニア州南部の人口急増地域でのファン獲得を狙ったものであった。1965年に建設されてカリフォルニア・エンゼルスの本拠地として利用されていたアナハイム・スタジアムにはラグジュアリシートが設置されるなどの改修がなされた。1982年にオークランド・レイダーズがロサンゼルスに本拠地を移しロサンゼルスでの人気を二分する事態となった。1980年代初めラムズは再建途上にあったのに対してレイダーズは1983年の第18回スーパーボウル優勝、NBAロサンゼルス・レイカーズの1980年、1982年NBAファイナル優勝、ロサンゼルス・ドジャースの1981年、1988年ワールドシリーズ制覇、ロサンゼルス・キングスの1982年プレーオフの活躍の影に隠れた。

1983年にジョン・ロビンソンが新ヘッドコーチに就任した。この年、ドラフト1巡目で獲得したエリック・ディッカーソンは1年目から1808ヤードを走り、18タッチダウンをあげる大活躍を見せてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝くだけでなくプロボウルオールプロにも選出された。ディッカーソンは2年目の1984年には現在のNFL記録でもある2105ヤード(それまでの1シーズンのラッシング記録は1973年にO・J・シンプソンのあげた2003ヤード)を走った[2]。1987年シーズン終了後、ディッカーソンはインディアナポリス・コルツのコーネリアス・ベネットバッファロー・ビルズグレッグ・ベルらとの三角トレードでコルツに移籍し、ラムズはベルと3つのドラフト1巡目指名権を得た。ロビンソンヘッドコーチは9シーズンで6回チームをプレーオフに導いたが1985年にシカゴ・ベアーズにNFCチャンピオンシップゲームで敗れるなどスーパーボウル出場は果たせなかった。

1989年には11勝5敗でプレーオフに出場したがサンフランシスコ・フォーティナイナーズとのNFCチャンピオンシップゲームでは3-30と完敗した。

1990年代に入るとチームは負け越しシーズン続きとなりファンの興味を失うようになった。バッファロー・ビルズシアトル・シーホークスで好成績をあげたかつてのヘッドコーチ、チャック・ノックスを再び起用したがチーム成績はいっこうに良くならなかった。1993年シーズン終了後、エベレットは同地区ライバルのニューオーリンズ・セインツに移籍した。

セントルイス・ラムズ[編集]

ジョージア・フロンティアオーナーは新スタジアム建設の働きかけをすると共にメリーランド州ボルチモアへの移転も同時に検討を始めた。その後フロンティアオーナーはチームを自身の故郷であるミズーリ州セントルイスに移す決断をした。NFLオーナー会議で6人のオーナーの反対があったもののフロンティアオーナーは訴訟を起こすかまえを見せチームの移転は承認された。

1997年にディック・ヴァーミールをヘッドコーチに招き、ドラフト全体1位でオフェンスラインマンのオーランド・ペースを獲得した。1999年チームはドラフト2巡目、4巡目指名権と引き替えにマーシャル・フォークを獲得、当初トレント・グリーンが先発QBを務める予定だったがプレシーズンゲームで足を負傷しシーズン切望となった。急遽先発QBに指名されたのがアリーナフットボールなどでプレーしていたカート・ワーナーであり、フォークやWRのアイザック・ブルースなどと共にこの年のハイパーオフェンスを牽引しチームは526得点をあげた。

第34回スーパーボウルではテネシー・タイタンズケビン・ダイソンを最後のプレー、エンドゾーン残り1ヤードのところで止めてスーパーボウル初優勝を果たした。ヴァーミールヘッドコーチはこの試合で勇退し、後任にはオフェンスコーディネーターを務めたマイク・マーツが就任した。2001年にもチームはNFCを制して再び第36回スーパーボウルに進出したがニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2004年にオレゴン州立大学からRBスティーブン・ジャクソンを獲得した。2005年マーツヘッドコーチは病気で入院し指揮をアシスタント・ヘッドコーチのジョー・ヴィットに委ねた。マーツの退院後も球団社長はヘッドコーチとしての復帰を認めずこの年を最後にマーツは解任された。

2006年からはスコット・リネハンがヘッドコーチとなった。この年は8勝8敗で終えたが2007年は3勝13敗に終わり、シーズンオフの2008年1月18日には28年間チームオーナーだったジョージア・フロンティアが亡くなった。チームの経営権は彼女の息子のチップ・ローゼンブルーム、娘のルシア・ロドリゲスに移った。2008年9月29日、開幕から4連敗したところでリネハンヘッドコーチは解任されてディフェンスコーディネーターのジム・ハスレットが暫定ヘッドコーチとして残り試合を指揮した。シーズン終了後球団社長のジョン・ショーは辞任し、12月22日にはジェイ・ジグムンドに代わってビリー・ディバニーゼネラルマネージャーとなった。

2009年、ニューヨーク・ジャイアンツのディフェンスコーディネーターであったスティーブ・スパヌオーロがヘッドコーチに就任し、パット・シューマーケン・フラジョルがオフェンス、ディフェンスコーディネーターに加わった。チームはボルチモア・レイブンズのセンター、ジェイソン・ブラウンを獲得したがサラリーキャップの影響でオーランド・ペース[3]WRのトリー・ホルト[4]などを解雇しチーム再建を目指している。

オーナーのローゼンブルーム、ロドリゲスの兄妹はチーム売却の意向を固めゴールドマンサックスに資産価値を鑑定することを依頼した。フォーブスによると資産価値はおよそ9億2900万ドルであり、保守派の論客であるラッシュ・リンボーらが買収に名乗りをあげた[5]が、かつてラジオ番組などでドノバン・マクナブへの人種差別的言動を行ったリンボーに対してロジャー・グッデルコミッショナーやコルツオーナーのジム・アーセイらの反対意見もありリンボーは買収グループから外れた[6]

2010年、ドラフト全体1位指名権を獲得したチームはQBサム・ブラッドフォードを獲得した。チームは最終週シアトル・シーホークス戦で勝利すれば地区優勝であったが敗れた。

2011年、チームは2勝14敗に終わりスパヌオーロヘッドコーチは解任され、ジェフ・フィッシャーが新ヘッドコーチに就任[7][8]、ディフェンスコーディネーターにグレッグ・ウィリアムズが就任した[9]。オフェンスコーディネーターのジョシュ・マクダニエルスはシーズン終了後、プレーオフを戦っているニューイングランド・ペイトリオッツに加入[10]、同職にはニューヨーク・ジェッツでオフェンスコーディネーターを務めていたブライアン・ショッテンハイマーが就任した[11]。またGMにアトランタ・ファルコンズの選手人事ディレクターを務めていたレス・スニードが就任した[12]

2012年3月9日、チームはワシントン・レッドスキンズから2012年、2013年、2014年のドラフト1巡指名権、2012年のドラフト2巡指名権を受け取る代わりにドラフト全体2位指名権を放出した[13]

主な選手[編集]

殿堂入り選手[編集]

永久欠番[編集]

  • 7 ボブ・ウォーターフィールド
  • 28 マーシャル・フォーク
  • 29 エリック・ディッカーソン
  • 74 マーリン・オルセン
  • 75 ディーコン・ジョーンズ
  • 78 ジャッキー・スレイター
  • 85 ジャック・ヤングブラッド

歴代ヘッドコーチ[編集]

成績[編集]

NFC西地区(4地区制)[編集]

  • SF:サンフランシスコ・49ERS、ARI:アリゾナ・カージナルス、StL:セントルイス・ラムズ、SEA:シアトル・シーホークス
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2014 SEA(1s) 12 4 0 ARI(5w) 11 5 0 SF 8 8 0 StL 6 10 0
2013 SEA(1v) 13 3 0 SF(5c) 12 4 0 ARI 10 6 0 StL 7 9 0
2012 SF(2s) 11 4 1 SEA(5d) 11 5 0 StL 7 8 1 ARI 5 11 0
2011 SF(2c) 13 3 0 ARI 8 8 0 SEA 7 9 0 StL 2 14 0
2010 SEA(4d) 7 9 0 StL 7 9 0 SF 6 10 0 ARI 5 11 0
2009 ARI(4d) 10 6 0 SF 8 8 0 SEA 5 11 0 StL 1 15 0
2008 ARI(4s) 9 7 0 SF 7 9 0 SEA 4 12 0 StL 2 14 0
2007 SEA(3d) 10 6 0 ARI 8 8 0 SF 5 11 0 StL 3 13 0
2006 SEA(4d) 9 7 0 StL 8 8 0 SF 7 9 0 ARI 5 11 0
2005 SEA(1s) 13 3 0 StL 6 10 0 ARI 5 11 0 SF 4 12 0
2004 SEA(4w) 9 7 0 StL(5d) 8 8 0 SF 7 9 0 ARI 5 11 0
2003 StL(2d) 12 4 0 SEA(5w) 10 6 0 SF 7 9 0 ARI 4 12 0
2002 SF(4d) 10 6 0 StL 7 9 0 SEA 7 9 0 ARI 5 11 0

NFC西地区(3地区制)[編集]

  • SF:サンフランシスコ・49ERS、LA→RAM→StL:ロサンゼルス・ラムズ→セントルイス・ラムズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、NO:ニューオーリンズ・セインツ、CAR:カロライナ・パンサーズ、SEA:シアトル・シーホークス
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 StL(1s) 14 2 0 SF(5w) 12 4 0 NO 7 9 0 ATL 7 9 0 CAR 1 15 0
2000 NO(3d) 10 6 0 StL(6w) 10 6 0 CAR 7 9 0 SF 6 10 0 ATL 4 12 0
1999 StL(1v) 13 3 0 CAR 8 8 0 ATL 5 11 0 SF 4 12 0 NO 3 13 0
1998 ATL(2s) 14 2 0 SF(4d) 12 4 0 NO 6 10 0 CAR 4 12 0 StL 4 12 0
1997 SF(1c) 13 3 0 CAR 7 9 0 ATL 7 9 0 NO 6 10 0 StL 5 11 0
1996 CAR(2c) 12 4 0 SF(4d) 12 4 0 StL 6 10 0 ATL 3 13 0 NO 3 13 0
1995 SF(2d) 11 5 0 ATL(6w) 9 7 0 StL 7 9 0 CAR 7 9 0 NO 7 9 0
1994 SF(1v) 13 3 0 NO 7 9 0 ATL 7 9 0 RAM 4 12 0
1993 SF(2c) 10 6 0 NO 8 8 0 ATL 6 10 0 RAM 5 11 0
1992 SF(1c) 14 2 0 NO(4w) 12 4 0 ATL 6 10 0 RAM 6 10 0
1991 NO(3w) 11 5 0 ATL(6d) 10 6 0 SF 10 6 0 RAM 3 13 0
1990 SF(1c) 14 2 0 NO(6w) 8 8 0 RAM 5 11 0 ATL 5 11 0
1989 SF(1v) 14 2 0 RAM(5c) 11 5 0 NO 9 7 0 ATL 3 13 0
1988 SF(2v) 10 6 0 RAM(5w) 10 6 0 NO 10 6 0 ATL 5 11 0
1987 SF(1d) 13 2 0 NO(4w) 12 3 0 RAM 6 9 0 ATL 3 12 0
1986 SF(3d) 10 5 1 RAM(5w) 10 6 0 ATL 7 8 1 NO 7 9 0
1985 RAM(2c) 11 5 0 SF(5w) 10 6 0 NO 5 11 0 ATL 4 12 0
1984 SF(1v) 15 1 0 RAM(4w) 10 6 0 NO 7 9 0 ATL 4 12 0
1983 SF(2c) 10 6 0 RAM(5d) 9 7 0 NO 8 8 0 ATL 7 9 0
1982 ATL(5w) 5 4 0 NO 4 5 0 SF 3 6 0 RAM 2 7 0
1981 SF(1v) 13 3 0 ATL 7 9 0 LA 6 10 0 NO 4 12 0
1980 ATL(1d) 12 4 0 LA(5w) 11 5 0 SF 6 10 0 NO 1 15 0
1979 LA(3s) 9 7 0 NO 8 8 0 ATL 6 10 0 SF 2 14 0
1978 LA(1c) 12 4 0 ATL(4d) 9 7 0 NO 7 9 0 SF 2 14 0
1977 LA(2d) 10 4 0 ATL 7 7 0 SF 5 9 0 NO 3 11 0
1976 LA(3c) 10 3 1 SF 8 6 0 ATL 4 10 0 NO 4 10 0 SEA 2 12 0
1975 LA(2c) 12 2 0 SF 5 9 0 ATL 4 10 0 NO 2 12 0
1974 LA(c) 10 4 0 SF 6 8 0 NO 5 9 0 ATL 3 11 0
1973 LA(d) 12 2 0 ATL 9 5 0 SF 5 9 0 NO 5 9 0
1972 SF(d) 8 5 1 ATL 7 7 0 LA 6 7 1 NO 2 11 1
1971 SF(c) 9 5 0 LA 8 5 1 ATL 7 6 1 NO 4 8 2
1970 SF(c) 10 3 1 LA 9 4 1 ATL 4 8 2 NO 2 11 1

NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 LA(c) 11 3 0 BAL 8 5 3 ATL 6 8 0 SF 4 8 2
1968 BAL(s) 13 1 0 LA 10 3 1 SF 7 6 1 ATL 2 12 0
1967 LA(c) 11 1 2 BAL 11 1 2 SF 7 7 0 ATL 1 12 1

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 GB(V) 12 2 0 BAL 9 5 0 LA 8 6 0 SF 6 6 2 CHI 5 7 2 DET 4 9 1 MIN 4 9 1
1965 GB(v) 10 3 1 BAL 10 3 1 CHI 9 5 0 SF 7 6 1 MIN 7 7 0 DET 6 7 1 LA 4 10 0
1964 BAL(n) 12 2 0 GB 8 5 1 MIN 8 5 1 DET 7 5 2 LA 5 7 2 CHI 5 9 0 SF 4 10 0
1963 CHI(v) 11 1 2 GB 11 2 1 BAL 8 6 0 DET 5 8 1 MIN 5 8 1 LA 5 9 0 SF 2 12 0
1962 GB(v) 13 1 0 DET 11 3 0 CHI 9 5 0 BAL 7 7 0 SF 6 8 0 MIN 2 11 1 LA 1 12 1
1961 GB(v) 11 3 0 DET 6 7 1 BAL 8 6 0 CHI 8 6 0 SF 7 6 1 LA 4 10 0 MIN 3 11 0
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1
1959 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 7 5 0 SF 7 5 0 DET 3 8 1 LA 2 10 0
1958 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 LA 8 4 0 SF 6 6 0 DET 4 7 1 GB 1 10 1
1957 DET(v) 8 4 0 SF 8 4 0 BAL 7 5 0 LA 6 6 0 CHB 5 7 0 GB 3 9 0
1956 CHB(n) 9 2 1 DET 9 3 0 SF 5 6 1 BAL 5 7 0 GB 4 8 0 LA 4 8 0
1955 LA(n) 8 3 1 CHB 8 4 0 GB 6 6 0 BAL 5 6 1 SF 4 8 0 DET 3 9 0
1954 DET(n) 9 2 1 CHB 8 4 0 SF 7 4 1 LA 6 5 1 GB 4 8 0 BAL 3 9 0
1953 DET(v) 10 2 0 SF 9 3 0 LA 8 3 1 CHB 3 8 1 BAL 3 9 0 GB 2 9 1

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 DET(v) 9 3 0 LA 9 3 0 SF 7 5 0 GB 6 6 0 CHB 5 7 0 DAL 1 11 0
1951 LA(v) 8 4 0 DET 7 4 1 SF 7 4 1 CHB 7 5 0 GB 3 9 0 NYY 1 9 2
1950 LA(n) 9 3 x CHB 9 3 x NYY 7 5 x DET 6 6 x GB 3 9 x SF 3 9 x BAL 1 11 x

NFL西地区(1937年-1949年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1949 LA(n) 8 2 2 CHB 9 3 0 CHC 6 5 1 DET 4 8 0 GB 2 10 0
1948 CHC(n) 11 1 0 CHB 10 2 0 LA 6 5 1 GB 3 9 0 DET 2 10 0
1947 CHC(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 6 5 1 LA 6 6 0 DET 3 9 0
1946 CHB(v) 8 2 1 LA 6 4 1 GB 6 5 0 CHC 6 5 0 DET 1 10 0
1945 CLE(v) 9 1 0 DET 7 3 0 GB 6 4 0 CHB 3 7 0 CHC 1 9 0
1944 GB(v) 8 2 0 CHI 6 3 1 DET 6 3 1 CLE 4 6 0 Card-Pitt 0 10 0
1943 CHB(v) 8 1 1 GB 7 2 1 DET 3 6 1 CHC 0 10 0
1942 CHB(n) 11 0 0 GB 8 2 1 CLE 5 6 0 CHC 3 8 0 DET 0 11 0
1941 CHB(v) 10 1 0 GB 10 1 0 DET 4 6 1 CHC 3 7 1 CLE 2 9 0
1940 CHB(v) 8 3 0 GB 6 4 1 DET 5 5 1 CLE 4 6 1 CHC 2 7 2
1939 GB(v) 9 2 0 CHB 8 3 0 DET 6 5 0 CLE 5 5 1 CHC 1 10 0
1938 GB(n) 8 3 0 DET 7 4 0 CHB 6 5 0 CLE 4 7 0 CHC 2 9 0
1937 CHB(n) 9 1 1 GB 7 4 0 DET 7 4 0 CHC 5 5 1 CLE 1 10 0

脚注[編集]

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  1. ^ a b FUN FACTS St.Louis Rams Official Site 2009年12月26日閲覧
  2. ^ ただし1978年からNFLはシーズン14試合から16試合に変更している。
  3. ^ ラムズ、プロボウル7度のOTペースを解雇 NFL JAPAN 2009年3月11日
  4. ^ ラムズ、プロボウル7度のWRホルトを解雇 NFL JAPAN 2009年3月14日
  5. ^ 人気ラジオホストとNHLのオーナー、ラムズ買収に名乗り NFL JAPAN
  6. ^ 毒舌があだ? リンボー氏がラムズ買収グループから除外 NFL JAPAN 2009年10月8日
  7. ^ ラムズ、フィッシャー氏とHC就任で合意”. NFL JAPAN (2012年1月14日). 2012年1月20日閲覧。
  8. ^ フィッシャー氏、ラムズHC就任は「簡単な選択だった」”. NFL JAPAN (2012年1月18日). 2012年1月20日閲覧。
  9. ^ セインツDCがラムズへ、フィッシャー新HCと再タッグ”. NFL JAPAN (2012年1月17日). 2012年1月20日閲覧。
  10. ^ マクダニエルス氏、古巣ペイトリオッツに合流”. NFL JAPAN (2012年1月11日). 2012年1月20日閲覧。
  11. ^ ラムズがショッテンハイマーOC、ウィリアムスDC就任発表”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月26日閲覧。
  12. ^ ラムズ新GM決定、ファルコンズからスニード氏招へい”. NFL JAPAN (2012年2月12日). 2012年2月12日閲覧。
  13. ^ レッドスキンズが全体2位獲得、予想はQBグリフィン指名”. NFL JAPAN (2012年3月10日). 2012年3月10日閲覧。
  14. ^ CHRONOLOGY St.Louis Rams Official Site 2009年12月26日閲覧

外部リンク[編集]