ダラス・カウボーイズ

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ダラス・カウボーイズ
Dallas Cowboys
1960年創設
永久欠番
  • 導入せず
ホームタウン
ダラス・カウボーイズの位置(アメリカ合衆国内)
ダラス・カウボーイズ

テキサス州アーリントン

Cowboys Stadium full view.jpg
AT&Tスタジアム
(2009年-)
テキサス・スタジアム
(1971年-2008年)
コットン・ボウル(1960年-1970年)

所属地区
  • NFL(1960-現在)
  • NFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
  • 東カンファレンス(1961-1969)
キャピトル地区(1967-1969)
地区分け無し(1961-1966)
  • 西カンファレンス(1960)
チームデザイン
チームカラー
    
     ロイヤルブルー
     メタリックシルバー
    
チームロゴ
(テキサス州の象徴ローンスターにちなんで)Dallas Cowboys.svg
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (5回)
カンファレンス・チャンピオン (10回)
NFL東
  • 1966
  • 1967
NFC
  • 1970
  • 1971
  • 1975
  • 1977
  • 1978
  • 1992
  • 1993
  • 1995
地区優勝 (22回)
NFLキャピトル
  • 1967
  • 1968
  • 1969
旧NFC東地区
  • 1970
  • 1971
  • 1973
  • 1976
  • 1977
  • 1978
  • 1979
  • 1981
  • 1985
  • 1992
  • 1993
  • 1994
  • 1995
  • 1996
  • 1998
NFC東地区
  • 2007
  • 2009
  • 2016
  • 2018
ワイルドカード(9回)
  • 1966
  • 1972
  • 1975
  • 1980
  • 1983
  • 1991
  • 1999
  • 2003
  • 2006
プレーオフ進出(32/53回)
  • 1966
  • 1967
  • 1968
  • 1969
  • 1970
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1975
  • 1976
  • 1977
  • 1978
  • 1979
  • 1980
  • 1981
  • 1982
  • 1983
  • 1985
  • 1991
  • 1992
  • 1993
  • 1994
  • 1995
  • 1996
  • 1998
  • 1999
  • 2003
  • 2006
  • 2007
  • 2009
  • 2016
  • 2018
AFL合併(1969年)以前
カンファレンス・チャンピオン
NFL東
  • 1966
  • 1967
地区優勝
NFLキャピトル
  • 1967
  • 1968
  • 1969
ワイルドカード
  • 1966
球団組織
オーナー: ジェリー・ジョーンズ
GM: ジェリー・ジョーンズ
ヘッドコーチ: ジェイソン・ギャレット

ダラス・カウボーイズ英語: Dallas Cowboys、略称: DAL)は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス都市圏のアーリントンに本拠地をおくNFLチーム。NFC東地区に所属している。

概要[編集]

NFC東地区所属でNFL屈指の名門。創立間もないころ、その強さから圧倒的な人気を誇ったカウボーイズは、アメリカを象徴するチームとして『アメリカズチーム』と称されるようになり、現在でもこの称号が用いられることがある。1960年代以降のNFLで最も成功したチームの1つとして数えられておりスーパーボウル優勝はサンフランシスコ・フォーティナイナーズと並ぶ2位タイの5回、NFC優勝8回を数える。またマンデーナイトフットボールでの勝利は最多の41回(これに次ぐのはマイアミ・ドルフィンズの39回、サンフランシスコ・フォーティナイナーズの38回)。1966年から1985年までの20シーズン連続勝ち越しのNFL記録を持っている。

経済誌のフォーブス2015年9月、ダラス・カウボーイズの市場価値を40億ドルと算定しており、リーガ・エスパニョーラレアル・マドリードなどを上回り、世界のスポーツチームで首位である[1]。また、大手世論調査会社ハリス・インタラクティブ2015年に公表した世論調査によると、NFLで最も人気の高いチームである[2]

歴史[編集]

チーム創設から1970年代まで[編集]

1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)のダラス・テキサンズ(カンザスシティ・チーフスの前身)に対抗する形でクリント・マーチンソン、ベドフォード・ウィンによって創立された。チーム名は当時、テキサス州で数千人が活躍していたカウボーイにちなんで付けられた。初代ゼネラルマネージャーにはテックス・シュラムが、初代ヘッドコーチにはトム・ランドリーが起用された。選手はエクスパンションドラフトで集められ本拠地はコットン・ボウルとなった。1960年シーズンは1分11敗と未勝利に終わり翌年のNFLドラフト1巡目全体13番目でDTボブ・リリーを指名した。1960年にQBドン・メレディス、1961年にRBドン・パーキンスLBチャック・ハウリー、DTのボブ・リリー、1963年にLBのリー・ロイ・ジョーダン、1964年にCBメル・レンフロ、1965年にWRボブ・ヘイズが加入するなど徐々に戦力を整えていった。1966年に10勝3敗1分の成績で初のプレーオフ進出を果たしプロボウルに8人の選手を送り込んだ。1966年1967年と2年連続でNFLチャンピオンシップでグリーンベイ・パッカーズと対戦したが劇的な決着で2年とも敗れた。アメリカのプロスポーツ史上最も気温の低い厳しい条件で行われた1967年NFLチャンピオンシップゲームアイスボウルとも呼ばれている。1966年シーズンはその後8シーズン連続となるプレーオフ出場記録の始まりとなった(後に1975年から1983年まで9シーズン連続プレーオフ出場の記録を作った。)。

1968年シーズン終了と共にメレディス、パーキンスは引退したが1967年にOTレイフィールド・ライト1969年にQBのロジャー・ストーバックTEマイク・ディトカ、RBのカルビン・ヒルグラント・ヒルの父親)、1970年にCBのハーブ・アダーリーSクリフ・ハリスチャーリー・ウォータースが加入した。1970年シーズンにQBのクレイグ・モートンに率いられたチームは第5回スーパーボウルに出場したが終盤モートンにミスが続き、残り5秒でボルチモア・コルツのキッカー、ジム・オブライエンフィールドゴールが決まり13-16で敗れた。この試合でチャック・ハウリーはスーパーボウル史上唯一敗戦チームからMVPに選ばれた選手となっている。

1971年の第6週から本拠地をテキサス・スタジアムに移した。チームは最後の7試合を連勝し第6回スーパーボウルマイアミ・ドルフィンズを24-3で破りスーパーボウル初制覇を果たした。1970年代の活躍でカウボーイズの人気は地元ダラスだけでなくアメリカ中に広がっていった。チームにはDEハーベイ・マーティンエド・ツートール・ジョーンズ、WRのドリュー・ピアソン、DTのランディ・ホワイト、RBのトニー・ドーセットらが加わった。第10回スーパーボウル第13回スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズに敗れたが第12回スーパーボウルデンバー・ブロンコスを破り優勝、1970年代のNFLで最多勝をあげたチームであった。

1980年代[編集]

1980年に引退したストーバックに代わってダニー・ホワイトが先発QBとなった。1980年から1982年には3年連続NFCチャンピオンシップゲームに進出を果たしたがスーパーボウル出場はならなかった。

1983年1月3日のミネソタ・バイキングスとのマンデーナイトフットボールで、トニー・ドーセットが自陣1ヤード地点から99ヤードのTDランをあげた[3][4]

1984年にバム・ブライトがマーチソンからチームを購入した頃から成績が低迷し、1985年の10勝6敗から1986年は7勝9敗、1987年は7勝8敗、1988年は3勝13敗に終わった。1989年2月25日にチームはジェリー・ジョーンズに売却された。新オーナーのジョーンズはゼネラルマネージャーのテックス・シュラムとヘッドコーチのトム・ランドリーを解任、大学時代のフットボールチームメートでもあったマイアミ大学ヘッドコーチだったジミー・ジョンソンを後任のヘッドコーチとした。ドラフト1巡目でUCLAのQB、トロイ・エイクマンを獲得、シーズン中にはスターRBのハーシェル・ウォーカーミネソタ・バイキングスと5人のベテラン選手と8つの将来のドラフト上位指名権などと引き換えにトレードを行った。チームは1勝15敗と創設以来最悪の成績に終わったがトレードによって得たドラフト指名権がチームの再建に重要な役割を果たすことになる。

1990年代[編集]

ジョンソンヘッドコーチは1989年のドラフトでエイクマンの他にFBダリル・ジョンストンCマーク・ステプノスキーを獲得、1990年にエミット・スミス、1991年にDTのラッセル・メリーランド、OTのエリック・ウィリアムス、1992年にSのダレン・ウッドソンを獲得した。他にランドリー時代からいる若い選手、WRのマイケル・アービンGネイト・ニュートン、LBのケン・ノートン・ジュニア、OTのマーク・トゥイネイやベテランのTE、ジェイ・ノバチェク、DEのチャールズ・ヘイリーの活躍で、1989年には1勝15敗に終わったチームが、3年後の1992年には13勝3敗の成績をあげ、14シーズンぶりとなるスーパーボウル出場を果たした。第27回スーパーボウルではスーパーボウル記録となる9つのターンオーバーを奪いバッファロー・ビルズに52-17で勝利しジミー・ジョンソンはカレッジフットボールとNFLの双方で頂点を極めた最初のヘッドコーチとなった。翌年第28回スーパーボウルでも30-13で再びビルズを降しプロボウルにも11人の選手を送り込んだ。契約交渉が長引き、エミット・スミスがシーズン開幕から2試合欠場したこと、1993年からNFLに導入されたフリーエージェント制度に続き、1994年シーズンからサラリーキャップが導入されるため、ジミー・ジョンソンはオーナーのジェリー・ジョーンズに人事権の委譲を求めたが、ジョーンズオーナーはこれを拒絶し[5]、第28回スーパーボウルの1週間後にジョンソンヘッドコーチは辞任し[6]オクラホマ大学の元ヘッドコーチ、バリー・スウィッツァーが後任となった。1994年シーズンに12勝4敗の成績をあげたがNFCチャンピオンシップゲームでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに28-38で敗れた。1995年にはフリーエージェントになっていたオールプロCBのディオン・サンダースが加入、12勝4敗でシーズンを終えたチームは第30回スーパーボウルでピッツバーグ・スティーラーズを27-17で破り5度目のスーパーボウル制覇を遂げた。MVPには2回のインターセプトでいずれもタッチダウンをあげたラリー・ブラウンが選ばれた。バリー・スウィッツァーもカレッジフットボール、NFLを制したヘッドコーチになった。その後カウボーイズの栄光をささえた選手たちのフリーエージェントによる流出、高齢化、怪我などで1997年には6勝10敗で終わった。1998年1月スウィッツァーヘッドコーチは辞任しスティーラーズの元オフェンスコーディネーターであるチャン・ゲイリーが後任となった。1998年に10勝6敗でNFC東地区優勝を果たしたが1999年には8勝8敗に終わった。チームは1990年代を通じてNFL最多勝したチームであった。

2000年代[編集]

チャン・ゲイリーの次にヘッドコーチになったのはディフェンスコーディネーターのデイブ・カンポだったが2000年から2002年まで3シーズン連続で5勝11敗に終わった。ジョーンズオーナーがゼネラルマネージャーを置かずヘッドコーチにも十分な権限を与えていないことがチームが低迷する原因だとマスコミから非難されるようになった。2003年ビル・パーセルズがヘッドコーチに就任、NFLトップの守備成績を残し10勝6敗でプレーオフ進出を果たしたが、続く2シーズンはプレーオフ出場を果たせなかった。

2004年、チームはビニー・テスタバーディドリュー・ヘンソンを獲得、チャド・ハッチンソンを解雇した。シーズン途中、控えQBのクインシー・カーターを薬物濫用により解雇、トニー・ロモが第3QBとしてロースターに加わった。

ドリュー・ブレッドソー

2005年、前年までバッファロー・ビルズでプレーし、ニューイングランド・ペイトリオッツ時代にはスーパーボウル出場も果たしているQBドリュー・ブレッドソーを獲得した[7]

2006年、シーズン開幕前、フィラデルフィア・イーグルスに所属していたテレル・オーウェンスを獲得した。シーズン途中からブレッドソーに代わって、ロモが先発QBに昇格した[8]。9勝7敗でプレーオフに進出した。シアトル・シーホークスとのワイルドカードプレーオフでは勝ち越しFGを狙ったプレーでロモがスナップをファンブルし敗れた。その後パーセルズは辞任し、後任にはウェイド・フィリップスが就任した。

2007年チームはNFCベストの13勝3敗の成績を残したが、プレーオフでニューヨーク・ジャイアンツに破れシーズンを終えた[9]。ジャイアンツは第42回スーパーボウルで優勝を果たした。

2008年チームは4勝1敗と好スタートを切ったがエースQBのトニー・ロモ負傷の影響もあり足踏み8勝4敗で12月を迎えたが最後の4試合中1勝しかできずに9勝7敗でプレーオフを逃した[9]。オフシーズンにチームは、テレル・オーウェンスを放出した。この年デマーカス・ウェアが20サックをあげた[10]

2009年チームはカウボーイズ・スタジアムに本拠地を移した。この年3月、実績は十分なもののトラブルメーカーのテレル・オーウェンスを解雇した[9]。最終週に同地区のライバル、フィラデルフィア・イーグルスを破り地区優勝、プレーオフ初戦でもイーグルスを破ったがディビジョナルプレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れてシーズンを終えた。この年シーズン途中から先発WRとなったマイルズ・オースティンが活躍、第6週にはこれまでボブ・ヘイズが持っていた球団記録を更新する250ヤードを獲得、プロボウルにも選ばれた[11]

2010年代[編集]

2010年、本拠地カウボーイズ・スタジアムが翌年の第45回スーパーボウル開催地であり、スーパーボウル出場の期待が高まったが反則やターンオーバーなどにより敗戦が続き、エースQBのロモも戦線を離脱した。1勝7敗となったところでウェイド・フィリップスヘッドコーチは解任され[12]ジェイソン・ギャレットオフェンスコーディネーターが暫定ヘッドコーチに就任することとなった。マイルズ・オースティンが故障したデショーン・ジャクソンの代わりとして、2年連続プロボウルに選ばれた[13]。デマーカス・ウェアが15.5サックをあげている[14]。ギャレットは正式にヘッドコーチとなった。

2011年、チームは最終週、勝ったチームが地区優勝となるニューヨーク・ジャイアンツとの直接対決で敗れるなど最後の5試合中4試合で敗れて8勝8敗、プレーオフを逃した[15]

2012年、最後の2試合に連敗し、8勝8敗でプレーオフを逃した[16]

2013年8月、本拠地カウボーイズ・スタジアムは、命名権契約をAT&Tと12億ドルで結び、AT&Tと名称変更した[17]。シーズンは3年連続で8勝8敗に終わり、プレーオフを逃した。

2014年、地区優勝を果たしたが、プレーオフ2試合目でグリーンベイ・パッカーズに敗れた。

2015年は、シーズン途中でロモが鎖骨を骨折し、チームは地区最下位に沈んだ。

2016年は開幕からロモが負傷離脱し、ルーキーQBダック・プレスコットを起用して地区優勝を果たしカンファレンス内で最高の成績を上げたが、プレーオフ1試合目でグリーンベイ・パッカーズに敗れた。

2017年は地区2位に終わり、プレーオフも逃した。

2018年は地区優勝を遂げたが、ディビジョナルプレーオフでロサンゼルス・ラムズに敗れた。

2019年シーズンの対戦相手

2019年シーズンのカウボーイズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ ベアーズ カウボーイズ
2位 チャージャーズ コルツ スティーラーズ ドルフィンズ シーホークス ファルコンズ バイキングス イーグルス
3位 ブロンコス タイタンズ ブラウンズ ビルズ 49ERS パンサーズ パッカーズ レッドスキンズ
4位 レイダーズ ジャガーズ ベンガルズ ジェッツ カージナルス バッカニアーズ ライオンズ ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦

ユニフォーム[編集]

カウボーイズのヘルメットには銀地にテキサス州の象徴である「ローン・スター」(一つ星)が紺色で描かれている。ユニフォームは基本的に白ジャージを着用するが、これは本来ホームゲームで着用するカラージャージ(カウボーイズの場合は紺)よりも勝率がよいというジンクスからホームゲームでも白を着るようになったことによるもの(NFLではホームチームにユニフォームの色の選択権がある)。これを逆手に取り、NFC東地区のライバルであるレッドスキンズはカウボーイズをホームに迎える際に自分たちが白ジャージを選び、カウボーイズに紺のカラージャージを着用させている。

歴代ヘッドコーチ[編集]

  • トム・ランドリー (1960-1988)
  • ジミー・ジョンソン (1989-1993)
  • バリー・スウィッツァー (1994-1997)
  • チャン・ゲイリー (1998-1999)
  • デイブ・カンポ (2000-2002)
  • ビル・パーセルズ (2003-2006)
  • ウェイド・フィリップス (2007-2010)
  • ジェイソン・ギャレット (2010-)

往年の名選手・チーム関係者[編集]

ダラス・カウボーイズには背番号の枯渇を防ぐためか「永久欠番」の制度がない。その代わりに、著名な活躍をした選手及び関係者を表彰する「リング・オブ・オナー」という制度がある。

殿堂入り[編集]

その他の有名選手[編集]

成績[編集]

NFC東地区(4地区制)[編集]

年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2018 DAL(4d) 10 6 0 PHI(6d) 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 5 11 0
2017 PHI(1v) 13 3 0 DAL 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 3 13 0
2016 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5w) 11 5 0 WAS 8 8 0 PHI 7 9 0
2015 WAS(4w) 9 7 0 PHI 7 9 0 NYG 6 10 0 DAL 4 12 0
2014 DAL(3d) 12 4 0 PHI 10 6 0 NYG 6 10 0 WAS 4 12 0
2013 PHI(3w) 10 6 0 DAL 8 8 0 NYG 7 9 0 WAS 3 13 0
2012 WAS(4w) 10 6 0 NYG 9 7 0 DAL 8 8 0 PHI 4 12 0
2011 NYG(4v) 9 7 0 PHI 8 8 0 DAL 8 8 0 WAS 5 11 0
2010 PHI(3w) 10 6 0 NYG 10 6 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2009 DAL(3d) 11 5 0 PHI(6w) 11 5 0 NYG 8 8 0 WAS 4 12 0
2008 NYG(1d) 12 4 0 PHI(6c) 9 6 1 DAL 9 7 0 WAS 8 8 0
2007 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5v) 10 6 0 WAS(6w) 9 7 0 PHI 8 8 0
2006 PHI(3d) 10 6 0 DAL(5w) 9 7 0 NYG(6w) 8 8 0 WAS 5 11 0
2005 NYG(4w) 11 5 0 WAS(6d) 10 6 0 DAL 9 7 0 PHI 6 10 0
2004 PHI(1s) 13 3 0 NYG 6 10 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2003 PHI(1c) 12 4 0 DAL(6w) 10 6 0 WAS 5 11 0 NYG 4 12 0
2002 PHI(1c) 12 4 0 NYG(5w) 10 6 0 WAS 7 9 0 DAL 5 11 0

NFC東地区(3地区制)[編集]

年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PHI(3c) 11 5 0 WAS 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 7 9 0 DAL 5 11 0
2000 NYG(1s) 12 4 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 8 8 0 DAL 5 11 0 ARI 3 13 0
1999 WAS(3d) 10 6 0 DAL(5w) 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 6 10 0 PHI 5 11 0
1998 DAL(3w) 10 6 0 ARI(6d) 9 7 0 NYG 8 8 0 WAS 6 10 0 PHI 3 13 0
1997 NYG(3w) 10 5 1 WAS 8 7 1 PHI 6 9 1 DAL 6 10 0 ARI 4 12 0
1996 DAL(3d) 10 6 0 PHI(5w) 10 6 0 WAS 9 7 0 ARI 7 9 0 NYG 6 10 0
1995 DAL(1v) 12 4 0 PHI(4d) 10 6 0 WAS 6 10 0 NYG 5 11 0 ARI 4 12 0
1994 DAL(2c) 12 4 0 NYG 9 7 0 ARI 8 8 0 PHI 7 9 0 WAS 3 13 0
1993 DAL(1v) 12 4 0 NYG(4d) 11 5 0 PHI 8 8 0 PHO 7 9 0 WAS 4 12 0
1992 DAL(2v) 13 3 0 PHI(5d) 11 5 0 WAS(6d) 9 7 0 NYG 6 10 0 PHO 4 12 0
1991 WAS(1v) 14 2 0 DAL(5d) 11 5 0 PHI 10 6 0 NYG 8 8 0 PHO 4 12 0
1990 NYG(2v) 13 3 0 PHI(4w) 10 6 0 WAS(5d) 10 6 0 DAL 7 9 0 PHO 5 11 0
1989 NYG(2d) 12 4 0 PHI(4w) 11 5 0 WAS 10 6 0 PHO 5 11 0 DAL 1 15 0
1988 PHI(3d) 10 6 0 NYG 10 6 0 WAS 7 9 0 PHO 7 9 0 DAL 3 13 0
1987 WAS(3v) 11 4 0 DAL 7 8 0 StL 7 8 0 PHI 7 8 0 NYG 6 9 0
1986 NYG(1v) 14 2 0 WAS(4c) 12 4 0 DAL 7 9 0 PHI 5 10 1 StL 4 11 1
1985 DAL(3d) 10 6 0 NYG(4d) 10 6 0 WAS 10 6 0 PHI 7 9 0 StL 5 11 0
1984 WAS(2d) 11 5 0 NYG(5d) 9 7 0 StL 9 7 0 DAL 9 7 0 PHI 6 9 1
1983 WAS(1s) 14 2 0 DAL(4w) 12 4 0 StL 8 7 1 PHI 5 11 0 NYG 3 12 1
1982 WAS(1v) 8 1 0 DAL(2c) 6 3 0 StL(6w) 5 3 1 NYG 4 5 0 PHI 3 6 0
1981 DAL(2c) 12 4 0 PHI(4w) 10 6 0 NYG(5d) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 7 9 0
1980 PHI(2s) 12 4 0 DAL(4c) 12 4 0 WAS 6 10 0 StL 5 11 0 NYG 4 12 0
1979 DAL(1d) 11 5 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 10 6 0 NYG 6 10 0 StL 5 11 0
1978 DAL(2s) 12 4 0 PHI(5w) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 6 10 0 NYG 6 10 0
1977 DAL(1v) 12 2 0 WAS 9 5 0 StL 7 7 0 PHI 5 9 0 NYG 5 9 0
1976 DAL(2d) 11 3 0 WAS(4d) 10 4 0 StL 10 4 0 PHI 4 10 0 NYG 3 11 0
1975 StL(3d) 11 3 0 DAL(4s) 10 4 0 WAS 8 6 0 NYG 5 9 0 PHI 4 10 0
1974 StL(d) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 DAL 8 6 0 PHI 7 7 0 NYG 2 12 0
1973 DAL(c) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 PHI 5 8 1 StL 4 9 1 NYG 2 11 1
1972 WAS(s) 11 3 0 DAL(c) 10 4 0 NYG 8 6 0 PHI 4 9 1 StL 2 11 1
1971 DAL(v) 11 3 0 WAS(d) 9 4 1 PHI 6 7 1 StL 4 9 1 NYG 4 10 0
1970 DAL(s) 10 4 0 NYG 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 6 8 0 PHI 3 10 1

NFL東カンファレンス・キャピトル地区(1967年-1969年)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 DAL(c) 11 2 1 WAS 7 5 2 NO 5 9 0 PHI 4 9 1
1968 DAL(c) 12 2 0 NY 7 7 0 WAS 5 9 0 PHI 2 12 0
1967 DAL(n) 9 5 0 PHI 6 7 1 WAS 5 6 3 NO 3 11 0

NFL東カンファレンス(1961年-1966年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 DAL(n) 10 3 1 CLE 9 5 0 PHI 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 7 7 0 PIT 5 8 1 ATL 3 11 0 NY 1 12 1
スーパーボウル開始
1965 CLE(n) 11 3 0 DAL 7 7 0 NY 7 7 0 WAS 6 8 0 PHI 5 9 0 StL 5 9 0 PIT 2 12 0
1964 CLE(v) 11 3 0 StL 9 3 2 PHI 6 8 0 WAS 6 8 0 DAL 5 8 1 PIT 5 9 0 NY 2 10 2
1963 NY(n) 11 3 0 CLE 10 4 0 StL 9 5 0 PIT 7 4 3 DAL 4 10 0 WAS 3 11 0 PHI 2 10 2
1962 NY(n) 12 2 0 PIT 9 5 0 CLE 7 6 1 WAS 5 7 2 DAL 5 8 1 StL 4 9 1 PHI 3 10 1
1961 NY(n) 10 3 1 PHI 10 4 0 CLE 8 5 1 StL 7 7 0 PIT 6 8 0 DAL 4 9 1 WAS 1 12 1

NFL西カンファレンス(1960年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1

脚注[編集]

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  1. ^ NFL TEAM VALUE Forbes 9 14 2015. 2015年9月15日閲覧。
  2. ^ The Dallas Cowboys are Back on the Horse as America’s Favorite Football TeamHarris Interactive 2015年12月1日閲覧。
  3. ^ 引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -後編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  4. ^ MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ 松田てつひろ 『NFLガイド1995』 タッチダウン、1995年、5ページ。ISBN 4-924342-48-3
  6. ^ カウボーイズ衰退の原因は? 伝説のトリプレッツが分析”. NFL JAPAN (2012年5月19日). 2012年5月31日閲覧。
  7. ^ Mark Maske (2005年2月23日). “Bledsoe, Cowboys Reach Agreement; Deal Reunites QB With Parcells”. ワシントン・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  8. ^ カウボーイズ、QBロモがFGホルダーに復帰?”. NFL JAPAN (2009年12月10日). 2012年1月21日閲覧。
  9. ^ a b c Sources: Cowboys cut T.O.”. ESPN (2009年3月5日). 2012年1月21日閲覧。
  10. ^ 屈指のパスラッシャーに成長、ウェアが模範のヒューストン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  11. ^ 近藤祐司 (2009年10月30日). “無名校からスターダムへ! カウボーイズ救世主オースティン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  12. ^ 1勝7敗のカウボーイズ、ついにフィリップスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年11月9日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ カウボーイズのWRオースティンらがプロボウル選出”. NFL JAPAN (2011年1月28日). 2012年1月21日閲覧。
  14. ^ LBウェアとQBロモ、カウボーイズにとってより重要なのは?”. NFL JAPAN (2011年6月30日). 2012年1月21日閲覧。
  15. ^ カウボーイズオーナー、「ジャイアンツのようになりたかった」”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月26日閲覧。
  16. ^ カウボーイズ、今シーズン失敗の原因は?”. NFL JAPAN (2013年1月11日). 2013年8月8日閲覧。
  17. ^ カウボーイズ本拠地、「AT&Tスタジアム」へ名称変更” (2013年7月26日). 2013年8月8日閲覧。

外部リンク[編集]