リーグ・パーク (クリーブランド)

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リーグ・パーク
League Park
リーグ・パーク
施設データ
所在地 Cleveland, Ohio
開場 1891年5月1日
閉場 1950年
取り壊し 1951年
所有者 クリーブランド・インディアンス
グラウンド 天然芝
建設費 不明
設計者 オズボーン・エンジニアリング
旧称 ダン・フィールド(1916年 ~ 1927年)
使用チーム • 開催試合
クリーブランド・スパイダーズ
(開場 ~ 1899年) 、
クリーブランド・インディアンス
(1901年 ~ 1946年)、
クリーブランド・バックアイズ
(1943年 ~ 1948年 、1950年)
収容能力
9,000人(開場時)、21,414人(1910年)
グラウンドデータ
球場規模 左翼 - 375 ft (約114.3 m)
左中間 - 415 ft (約126.5 m)
中堅 - 420 ft (約128.0 m)
中堅最深部 - 460 ft (約140.2 m)
右中間 - 317 ft (約96.6 m)※推定
右翼 - 290 ft (約88.4 m)
バックネット - 60 ft (約18.3 m)
フェンス 左翼 - 5 ft (約1.5 m)
左中間 - 10 ft (約3.0 m)
中堅 - 35 ft (約10.7 m)
右中間 ~ 右翼 - 45 ft (約13.7 m)

リーグ・パークLeague Park)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドにかつてあった野球場MLBクリーブランド・スパイダーズが開場から1899年まで、クリーブランド・インディアンスが1901年から1946年まで、ニグロ・アメリカンリーグクリーブランド・バックアイズが1943年から1950年まで(1949年は除く)、それぞれ本拠地にしていた。

球場の歴史[編集]

ナショナルリーグに1887年から参加していたスパイダーズの新本拠地として1891年に開場。1899年にチームは解散したが、代わって1901年からはアメリカンリーグのブルース(現インディアンス)が本拠地として使用するようになった。

建造当初は木製でスタンドも1層だったが、1909年シーズン終了後にほとんどの部分を一旦取り壊し、鉄筋コンクリートで2層の新たなスタンドを建設した。これによって収容人数がそれまでの9,000人から21,000人以上に大幅に増えた。

1916年、球団オーナーの名をとって球場名がダン・フィールドDunn Field)に変更された。しかしオーナーが交代した1928年、球場名はリーグ・パークに戻された。

1932年から、インディアンスは2つの球場を兼用し始めた。ナイター、休日、祝日の試合はキャパシティが大きく照明設備のあるミュニシパル・スタジアムで、それ以外の試合はリーグ・パークで行うようになった。この兼用は1946年まで続いたが、とうとう1947年からインディアンスはミュニシパル・スタジアムのみを使用するようになった。

1943年からはニグロリーグのバックアイズもリーグ・パークを本拠地として使用するようになったが、1947年のジャッキー・ロビンソンのメジャーデビューによってニグロリーグからスター選手が流出し、それに伴いリーグが衰退していったため、バックアイズも1950年限りで球団を解散することとなった。

使用球団がなくなったリーグ・パークは1951年に一部を残して解体された。客席の一部は風化が進み損傷も激しいが、現在も残っている。

フィールドの特徴[編集]

フィールドが、本塁から左翼へのラインと右翼から中堅へのラインを長い辺、本塁から右翼へのラインと左翼から中堅へのラインを短い辺にした長方形のような形をしている。

左翼まで375フィート(約114.3メートル)は平均より深く、逆に右翼まで290フィート(約88.4メートル)は平均より浅い。右翼が浅くなったのは、すぐ後方にある2軒の家が土地の売却を拒否したためである。

右翼にはホームランの乱発を防ぐため高さ45フィート(約13.7メートル)のフェンスが設置されている。ただし、入場券が売り切れるほどの満員になった場合はさらに客を入れるために、本塁から240フィート(約73.2メートル)の所にロープを張り、そこに観客を入場させていたこともあった。

主要な出来事[編集]

外部リンク[編集]

前本拠地:
n/a
-
クリーブランド・インディアンスの本拠地
1901 - 1946
次本拠地:
ミュニシパル・スタジアム
1932 - 1993