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| Name = 田原俊彦 |
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2007年12月14日 (金) 09:43時点における版
田原俊彦 | |
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別名 | トシちゃん |
生誕 | 1961年2月28日(63歳) |
出身地 | 日本・神奈川県横須賀市 |
学歴 | 山梨県立甲府工業高等学校卒業 |
ジャンル | J-POP |
職業 | 歌手、俳優 |
活動期間 | 1980年 - 現在 |
田原俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日-)は、日本の歌手、俳優。神奈川県横須賀市出身だが、小学校1年生の7月に山梨県甲府市に移り、高校時代までそこで育った。かつてジャニーズ事務所に所属していた。愛称は「トシちゃん」。現在はJVCエンタテインメント・ネットワークス所属。山梨県立甲府工業高等学校(全日制・土木科)卒業。 1993年10月、モデルの向井田彩子と結婚。 2児(女児)の父でもある。
所属事務所
ジャニーズ事務所 → 個人事務所「DOUBLE “T” PROJECT」 → ヒロ・パブリッシャーズ → JVCエンタテインメント・ネットワークス
ジャニーズ時代の参加ユニット
来歴・人物・活動概要
歌手デビューまで
- 1976年の高校1年生の5月、フォーリーブスに憧れ、自分でジャニーズ事務所に履歴書を送る。しかし返事は無し。
- 同年8月下旬、家に内緒で上京し、直接ジャニーズ事務所を訪ねる。 その熱意を事務所のスタッフであった白波瀬傑(後の取締役広報部長)に認められ、ジャニーズ事務所に入る。以後、毎週土曜日に上京し、テレビ朝日内で行われていたダンスレッスンに通い始める。 但し、“高校だけは卒業する事”が母親との約束であった為、高校への通学も続けた。
- 同年10月、白波瀬に連れられ、初めてフォーリーブスのショー(結成10周年記念コンサート)を鑑賞させてもらう。
- 1977年3月、日劇の舞台事務所にて、初めて事務所の社長であるジャニー喜多川と対面。
- 同年8月より、おじの葡萄園にてアルバイトを開始。その給料は、レッスンへ通う交通費へと当てられた。
- 1979年3月1日、高校の卒業式を終えた直後に、カバン一つで午後1時32分の急行に乗って上京。そのまま、当時港区六本木にあった事務所の合宿所に入る。
- 同年、テレビ朝日『とびだせ!パンポロリン』にて、歌と体操のお兄さんとして出演していたギャングスの松原秀樹の代役出演としてテレビデビュー。
- 川崎麻世のバックコーラス&ダンスグループ「ピラミッド」を、曽我泰久、長谷部徹と共に結成。 同年4月 - 7月まで、毎週日曜夜7時から30分間放送していた日本テレビのダンス番組『ミュージックボンボン』にも「ピラミッド」として出演。 この番組には「ジャPAニーズ」も共に出演していた。
- 同年7月、フォーリーブスのおりも政夫がミュージカル『南太平洋』に出演した際に、1ヶ月間だけ彼の付き人を経験。
- 同年9月、TBSドラマ『3年B組金八先生』のオーディションに合格。 生徒・沢村正治役として俳優デビュー。後に、同じく生徒役だった近藤真彦、野村義男と共に「たのきんトリオ」と呼ばれるようになった。
- 近藤と野村が「金八」出演時に実際に15歳だったのに対し、田原は18歳(放送中に誕生日を迎え19歳)と、既に高校卒業の年齢だったため、事務所の意向もあり、1歳若く年齢詐称。その年齢とのつじつまを合わせる為、高校も「中退」とせざるをえなかった。この件については、後に歌番組の中で謝罪している。
歌手デビュー後
- 1980年6月、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレット(en:Leif Garrett)『ニューヨークシティナイト』のカバー『哀愁でいと』で歌手デビューし、1980年代のトップアイドルとして大活躍する。 その後も『教師びんびん物語』など多くのドラマに主演するなど、映画、舞台と活躍の場を広げ、俳優としても大活躍する。
- 1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップに輝く。
- ファンによるステージ用の応援コールも生まれた。 代表的なのは「T・O・S・H・I スーパーアイドルLOVE俊ちゃん」。
- 『哀愁でいと』から『ジャングルJungle』までオリコンシングルの連続TOP10入り37作の記録を持ち、TOP10入り38作はサザンオールスターズの『愛と欲望の日々/LONELY WOMAN』に破られるまで歴代1位だった。またTBS系『ザ・ベストテン』では最多出場記録を持っており、同番組には田原の名前入りの青いソファーが1988年1月7日よりスタジオに設置されていた。このイスは、1987年12月31日の『ザ・ベストテン』放送の際に紹介された。
- 『ザ・ベストテン』と同様に1980年代を代表する歌謡番組の雄に位置づけられるフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初出演したのはデビュー9日後の1980年6月30日放送の回(この回では吉田拓郎・河合奈保子・鹿取洋子も初出演)である。それ以降、原則月1回~2回のハイペースで出演を続け、番組終了(1990年10月)までのわずか10年の間で実に158回もの出演回数を記録。番組が『夜のヒットスタジオDELUXE』と改題され、2時間枠に放送時間を拡大したのを機に新設されたマンスリーゲストにも歴代最多の3回(1985年5月、1986年12月、1989年6月)抜擢されるなど、同じく3回マンスリーを経験した郷ひろみと並び「ミスター夜ヒット」として番組内では最重要の厚遇を受けた。『教師びんびん』主演当時には教え子役の子役との共演ともに主題歌でもある『ごめんよ涙』を披露したり、座長公演の最中での出演時にはその舞台でのいでたちで番組に登場したり、渡辺貞夫・久保田利伸などとのセッションを行うなど、印象深いパフォーマンスを数多く番組内で披露し話題を提供し続けた。レギュラー放送最終回である1990年9月19日放送では、これまでの番組への多大な貢献に敬意を表する意味でトリを任され、スタジオを駆け回りながら『ジャングル Jungle』を熱唱した。
- 1980年から1986年まで、『NHK紅白歌合戦』に7年連続出場していた。 しかし1987年、マスコミが田原俊彦の落選予想をするような報道があり、NHKから正式に発表される前に、自ら紅白卒業宣言をしてしまった。しかし、翌1988年に発売された『抱きしめてTONIGHT』がフジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』の高視聴率とリンクしたこともあり、久々の長期的ヒットに発展。同年の紅白に選ばれるが、前年度に紅白卒業宣言をしてしまった為か、本人の希望で出場者発表後に突然の辞退宣言を表明。一部のマスコミでは、前年度の腹いせに辞退と書いたところもあった。ほか、田原自身は再出場に意欲的であったが、結果的に代役出場となった男闘呼組を選出させるため、事務所サイドが辞退させたという説も当時囁かれている。1989年にも『ごめんよ涙』でヒットしたものの、結局不出場となった。
- 写真週刊誌『FOCUS』の1989年8月11日号に、ジャニーズ事務所の合宿所内で、ジャニー喜多川に撮影された田原の全裸のポラロイド写真が流出掲載された。
ジャニーズ独立後
- 事務所を独立する前年度の1993年には、毎年行われるコンサートツアーが全面的に中止されている。そして、事務所から独立する前に発売した曲では、テレビ朝日系『ミュージックステーション』に出られなかった。
- 1994年3月1日に、ジャニーズ事務所から独立し個人事務所「DOUBLE “T” PROJECT」を設立する(この事務所独立は、田原とジャニーズ事務所との間において、マネージメント上の確執があったため、と言われている)。しかし、1994年2月18日に、長女が誕生した際に行った会見の席上での「俺くらいビッグになっちゃうと…」と発言した事がマスコミの反感を買ったこと(ただし、このフレーズについては田原自身1989年頃からインタビュー等で冗談交じりにたびたび使用しているし、この言葉だけではなく集まったマスコミに対する嫌悪の感情もあってか会見での”横柄”な態度が反感を買った)に加え、所属事務所の圧力と影響力に左右されるテレビ出演等の仕事が激減し人気は急落、下積み生活同然の苦労・屈辱を味わう。この会見の影響でCM契約を打ち切った会社もあった。長女が誕生した時に記者たちを怒らせるような会見をした為、次女が誕生した時はほとんどのマスコミは報道はしなかった。その後個人事務所が田辺エージェンシーと提携して一度はタレント活動の機会は増える傾向にあったが、提携解消後は再び減少、現在はジャニーズ事務所所属のタレントとの共演は過去のトラブルや発言の影響でメリー喜多川を激怒させた事から不可能になっている。
- 1996年末に現事務所に移籍後も地道に歌手活動を続け、毎年新曲を発表し、ライブやディナーショーを行ってファンを楽しませている。1999年以降2001年まで、田原が主演し人気を呼んだドラマ『びんびんシリーズ』が2時間ドラマ枠で放映された。2004年にNHKで研ナオコとダンディ坂野と『教師びんびん物語』のコントをした。2005年にはデビュー25周年をむかえ、主婦層など一部の根強いファンの間で、今も熱い支持を受けている。
- プロサッカー選手の「キングカズ」こと三浦知良とは田原に憧れていたまだ無名時代のカズが静岡のコンサートに遊びに行った事がきっかけで10数年来の親友。1993年、カズがJリーグアウォーズ表彰式で、Jリーグ初代MVPを受賞した時、着ていた真赤なタキシードは田原のアドバイス、カズのファッションの師匠のような存在、またかつてデュエット共演した研ナオコとは非常に仲が良い事で知られる、ただ「広く浅くではなく本当に気の合う人達と狭くても深いお付き合いをしたい」との本人の生き方もあり、芸能界の交友関係は狭い。
ディスコグラフィ
シングル
- 哀愁でいと (1980.06.21)
- ハッとして! Good (1980.09.21)
- 恋=Do! (1981.01.12)
- ブギ浮ぎI LOVE YOU (1981.04.01)
- キミに決定! (1981.07.01)
- 悲しみ2(TOO)ヤング (1981.09.02)
- グッドラックLOVE (1981.10.16)
- 君に薔薇薔薇…という感じ (1982.01.27)
- 原宿キッス (1982.05.08)
- NINJIN娘 (1982.08.06)
- 誘惑スレスレ (1982.10.15)
- ラブ・シュプール (1982.12.18)
- ピエロ (1983.02.17)
- シャワーな気分 (1983.05.18)
- さらば…夏 (1983.08.12)
- エル・オー・ヴイ・愛・N・G (1983.11.18)
- チャールストンにはまだ早い (1984.02.03)
- 風の上ならSO HAPPY(12インチシングル) (1984.04.12)
- 騎士道 (1984.05.23)
- 顔に書いた恋愛小説(ロマンス) (1984.08.08)
- ラストシーンは腕の中で (1984.11.14)
- 銀河の神話 (1985.02.01)
- 堕ちないでマドンナ (1985.05.16)
- 夏ざかりほの字組(Toshi & Naoko、研ナオコとのデュエット) (1985.07.21)
- 華麗なる賭け (1985.08.14)
- It's BAD (1985.11.28)
- Hardにやさしく (1986.03.05)
- ベルエポックによろしく (1986.06.19)
- あッ (1986.09.21)
- KID (1987.01.21)
- “さようなら”からはじめよう (1987.06.21)
- どうする?(連続ドラマ『ラジオびんびん物語』主題歌) (1987.09.11)
- どうする?(12インチシングル) (1987.12.05)
- 夢であいましょう (1988.01.21)
- 抱きしめてTONIGHT(連続ドラマ『教師びんびん物語』主題歌) (1988.04.21)
- かっこつかないね(連続ドラマ『金太十番勝負!』主題歌) (1988.08.17)
- 愛しすぎて (1989.01.11)
- ごめんよ涙(連続ドラマ『教師びんびん物語II』主題歌) (1989.04.19)
- ひとりぼっちにしないから (1989.09.26)
- ジャングルJungle(連続ドラマ『日本一のカッ飛び男』主題歌) (1990.03.21)
- NUDE (1990.11.28)
- 夏いまさら一目惚れ (1991.05.02)
- 思い出に負けない (1992.04.17)
- 雨が叫んでる(現在のところ、オリコントップ10入りした最後の曲)(連続ドラマ『逃亡者』主題歌) (1992.08.05)
- ダンシング・ビースト (1993.07.07)
- KISSで女は薔薇になる(連続ドラマ『愛してるよ』主題歌) (1993.11.03)
- 雪のないクリスマス (1994.11.02)
- 魂を愛が支配する (1995.08.19)
- 真夜中のワンコール (1996.02.21)
- DA・DI・DA (1996.06.21)
- A NIGHT TO REMEMBER(シャラマーの同名曲のカバー、自身司会のバラエティ番組『見た目が勝負!?』エンディングテーマ) (1997.01.18)
- EASY…LOVE ME… (1997.11.21)
- キミニオチテユク (1998.06.24)
- 涙にさよならしないか (1999.07.23)
- 抱きしめていいですか (2001.08.01)
- DO-YO (2002.07.31)
- Dynamite Survival (2003.07.24)
- DANGAN LOVE-弾丸愛- (2004.07.07)
- 恋すれどシャナナ(研ナオコとの19年ぶりのデュエット) (2004.10.21)
- 願いを星の夜へ… (2005.08.03)
- ジラシテ果実(2006.07.05)
アルバム
- 田原俊彦
- TOSHI'81
- No.3Shine Toshi
- グッドラックLOVE
- 夏一番
- ベストオブ田原俊彦
- EVE only
- 波に消えたラブ・ストーリー
- TOSHI THE MOVIE
- ジュリエットからの手紙
- メルヘン
- TOSHI 10R NEW YORK
- Don't disturb
- 失恋美学
- 田原俊彦A面コレクション
- 田原俊彦B面コレクション
- 男…痛い
- 目で殺す
- 瀬戸内少年野球団〔青春篇〕最後の楽園サウンドトラック
- NON-STOP TOSHI
- YESTERDAY MY LOVE
- Dancin'
- TOKYO BEAT
- Thank You, for GLORIOUS HITS36 in 10years
- DOUBLE“T”
- 夏の王様 ~MY BLUE HEAVEN~
- BEST 1987~1991
- GENTLY
- MORE ELECTRIC
- PRESENTS ~THE GREATEST HITS IN 15YEARS~
- MY FAVORITE SONGS
- TENDERNESS
- BEST OF TOSHIHIKO TAHARA
- Vintage 37
- Myこれ!クション田原俊彦
- Dynamite Survival
- ♥'MOTTO+MS005 (2007年6月20日発売)
主な出演作品
映画
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第1弾『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』(1981年 東宝・河崎義祐監督)【準主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』(1981年 東宝・河崎義祐監督)【準主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第3弾『グッドラックLOVE』(1981年 東宝・河崎義祐監督)【主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第4弾『ハイティーン・ブギ』(1982年 東宝・舛田利雄監督)【準主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第5弾『ウィーン物語 ジェミニ・YとS』(1982年 東宝・河崎義祐監督)【主演】〔二役〕
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第6弾『嵐を呼ぶ男』(1983年 東宝・井上梅次監督)【準主演】
- 『Love Forever』(1983年 東宝)【主演】
- 『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』(1983年 東宝・舛田利雄監督)【主演】
- 『瀬戸内少年野球団青春篇 最後の楽園』(1987年 松竹・三村晴彦監督)【主演】
- 『課長島耕作』(1992年 東宝・根岸吉太郎監督)【主演】
- 『必殺始末人』(1996年 松竹・石原興監督)【主演】
テレビドラマ
- 3年B組金八先生(1979年 TBS)
- 心(1980年 TBS)
- ただいま放課後(1980年 フジテレビ)
- 東芝日曜劇場「愛情」(1981年 TBS)
- 東芝日曜劇場「おんなの家」(1981年 TBS)
- 東芝日曜劇場「妻の寝顔」(1982年 TBS)
- さよなら三角またきて四角(1982年 TBS)
- 看護婦日記PartⅠ(1983年 TBS)
- こぶしの花(1984年 日本テレビ)【主演】
- 燃えて散る炎の剣士 沖田総司(1984年 日本テレビ)【主演】
- サントリーミステリーロマン「運命交響曲殺人事件」(1984年 テレビ朝日)
- 聖夜に愛が死んだ(1984年 日本テレビ)
- 3年B組金八先生スペシャルIII~小さな嘘~(1984年 TBS)
- 東芝日曜劇場「夢かける甲子園」(1985年 TBS)【主演】
- ロックシンガーは闇に沈む(1985年 NHK)【主演】
- 3年B組金八先生スペシャルIV~イジメられっ子金八先生~(1985年 TBS)
- はらはらと雪月花(1986年 TBS)
- 東芝日曜劇場「春の雪ダルマ」(1986年 TBS)
- 森繁久弥の七人の孫(1987年 TBS)
- SF氏の不思議なトリップ(1987年 TBS)【主演】
- ラジオびんびん物語(1987年 フジテレビ)【主演】
- 教師びんびん物語(1988年 フジテレビ)【主演】
- SPびんびん物語(1988年 フジテレビ)【主演】
- 金太十番勝負!(1988年 フジテレビ)【主演】
- 赤ひげ(1989年 TBS)【主演】
- 教師びんびん物語II(1989年 フジテレビ)【主演】
- 俺たちの時代(1989年 TBS)【主演】
- 日本一のカッ飛び男(1990年 フジテレビ)【主演】
- 張り込み(1991年 フジテレビ)【主演】
- 次男次女ひとりっ子物語(1991年 TBS)【主演】
- 逃亡者(1992年 フジテレビ)【主演】
- 家族の食卓'93「妻の入院」(1993年 フジテレビ)【主演】
- 死刑台のエレベーター(1993年 フジテレビ)【主演】
- 愛してるよ(1993年 テレビ朝日)【主演】
- 怪談III「牡丹燈篭」(1994年 フジテレビ)【主演】
- 半熟卵(1994年 フジテレビ)
- 世にも奇妙な物語「ブルギさん」(1995年 フジテレビ)【主演】
- 素浪人 花山大吉(1995年 テレビ朝日)
- 巡査びんびん物語(1999年 フジテレビ)【主演】
- 教師びんびん物語スペシャル(2000年 フジテレビ)【主演】
- 教師びんびん物語スペシャルII(2001年 フジテレビ)【主演】
バラエティ番組
- たのきん全力投球!(1980年 - 、TBS)
- カックラキン大放送(日本テレビ)
- 8時だョ!全員集合(1982年 - 1985年、TBS)不定期のゲスト出演
- ドリフ大爆笑(1994年)雷様コントのゲスト出演
- 森田一義アワー笑っていいとも!(1995年 - 1996年、フジテレビ)
- 見た目が勝負!?(1997年、テレビ東京)司会
- ホレゆけ!スタア☆大作戦 ~まりもみ危機一髪!~ #12ゲスト(2007年- よみうりテレビほか)
音楽番組
- レッツゴーヤング(NHK)「サンデーズ」として出演後、司会を担当。
ラジオ
- 田原俊彦 8時のデート (1980年10月7日 - 、ニッポン放送、松原秀樹との共演番組)
- 田原俊彦 ハロー!アイラブユー(1981年、ニッポン放送)
- 田原俊彦のグッドラック2ナイト(1981年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 誘惑・トゥナイトSHE!SAYS!DO!(シセイドー) (1982年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 君とSHOWERING NIGHT SHE!SAYS!DO! (1983年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! いつだってアイ・ラブ・ユー (1983年 - 、ニッポン放送)
- 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! 気分はナチュラル! (1986年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! 心はストレート (1986年 - 、ニッポン放送)
- 田原俊彦 ひとつぶの青春 (1986年 - 、エフエム東京)
- 田原俊彦のDancing Tonight (1988年 - 、ニッポン放送)
- ザ・リクエストパレード (ニッポン放送)
- 田原俊彦のフライデー・トリコロール (1993年7月23日の一夜限りの放送、エフエム東京)
- 田原俊彦 DOUBLE “T” リラックスタイム (インターネットラジオ、2006年6月29日 - 2006年12月19日まで全26回。)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム2 (インターネットラジオ、2007年6月8日 - )
舞台
- 夢泥棒 (1985年、東京宝塚劇場)
- ACB(アシベ) (1987年、日生劇場)【主演】
- マランドロ (1990年、日生劇場)【主演】
- 心を繋ぐ6ペンス (1991年、帝国劇場)【主演】
- ガイズ・アンド・ドールズ (1993年、帝国劇場)【主演】
CM
- 江崎グリコ
- ライオン
- 牛乳石鹸
- キッコーマン
- タケダ
- JT
- 大阪ガス
- サントリー
- フマキラー
- ハウス食品
- ダイハツ・シャレード (1990年~1992年)
- 資生堂
- DDI
- UCカード
- NEC
- 松下電器 テクニクス
- APAグループイメージキャラクター(2005年~2006年)
- WORLD adabat
- サッポロビール 黒ラベル
- ポッカ じっくりコトコト煮込んだスープ
- 食糧庁 ごはん食推進委員会