サッカーオランダ代表
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国または地域 | オランダ | |||
協会 | オランダサッカー協会 | |||
FIFAコード | NED | |||
愛称 |
Oranje (オランイェ) オレンジ軍団 | |||
監督 | ロナルド・クーマン | |||
最多出場選手 | ヴェスレイ・スナイデル(134試合) | |||
最多得点選手 | ロビン・ファン・ペルシ(50得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
ベルギー 1-4 オランダ (アントウェルペン, ベルギー, 1905年4月30日) | ||||
最大差勝利試合 | ||||
オランダ 11-0 サンマリノ (アイントホーフェン, オランダ, 2011年9月2日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
イングランド 12-2 オランダ (ダーリントン, イングランド, 1907年12月21日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 11回(初出場は1934) | |||
最高成績 | 準優勝 (1974, 1978, 2010) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 11回 | |||
最高成績 | 優勝 (1988) | |||
サッカーオランダ代表(サッカーオランダだいひょう、蘭: Nederlands voetbalelftal)は、オランダサッカー協会(KNVB)によって編成されるオランダのサッカーのナショナルチーム。
歴史
[編集]FIFAランキングで1位になった経験を持つ8ヶ国のうちの1つである。しかし、FIFAワールドカップでは準優勝が最高成績で未だ優勝経験が無い。
1930年代 - 1990年代
ワールドカップでは初出場の1934年大会と、続く1938年大会で両方とも初戦の16強で敗退した。3回目の出場となった1974 FIFAワールドカップでは準優勝を果たし、リヌス・ミケルス監督の下、ヨハン・クライフを中心にトータルフットボールと呼ばれる戦術でサッカー界に革命を起こした。1978 FIFAワールドカップでもクライフを欠きながら決勝まで駒を進めるも、地元アルゼンチンに敗れ準優勝となった。
UEFA欧州選手権1988では後にACミラン黄金時代の中核を担うこととなるオランダトリオ(ファン・バステン、ルート・フリット、フランク・ライカールト)を擁したチームで臨み、準決勝で西ドイツに2-1で、決勝でソ連に2-0で勝利し初優勝を果たした。決勝戦でファン・バステンが決めた難易度の高いボレーシュートは大きな印象を残した。1998 FIFAワールドカップではベルカンプ、パトリック・クライファート、クラレンス・セードルフ、フランク・デ・ブールら攻守にスター選手を擁して優勝候補の一角に挙げられていた。高い前評判に応える内容で勝ち上がり、準々決勝でアルゼンチンに2-1で勝利して準決勝まで進むもブラジルにPK戦の末敗れ、さらに3位決定戦で初出場のクロアチアにも敗れて4位に終わった。
2000年代 - 2010年代
[編集]地元開催となったEURO 2000では、準決勝でイタリアにPK戦で敗れベスト4、2002 FIFAワールドカップは予選敗退、EURO 2004では準決勝で開催国ポルトガルに敗れてベスト4、2006 FIFAワールドカップではラウンドオブ16でポルトガルに敗れベスト16、EURO 2008では準々決勝でロシアに敗れベスト8に終わるなど、高い前評判に応えきれない成績で終わる大会が続いてきた。
2010 FIFAワールドカップでは準々決勝で1974年大会を最後に7試合で勝利が無かったブラジルに2-1で勝ち、準決勝でもウルグアイに3-2で競り勝つなど、欧州予選から準決勝まで14試合全勝で32年ぶりの決勝進出を果たすも、決勝で同じく初優勝を狙うスペインに延長戦までもつれた末に0-1で敗れ、またしても準優勝という結果となった。UEFA EURO 2012ではデンマーク、ドイツ、ポルトガルと同じ死の組に入るが全敗を喫した。FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権を合わせて本大会に出場すればグループステージは11連続で突破していたが、UEFA欧州選手権1980以来の敗退となった。
2014 FIFAワールドカップではグループリーグ初戦で前回優勝国で決勝にて敗れたスペインを5-1で破り、3連勝でグループリーグを首位で通過した。ラウンドオブ16でメキシコに勝利し、準々決勝ではコスタリカに対して延長引き分けPK戦の末、2大会連続でベスト4に進出した。しかし、準決勝のアルゼンチン戦では延長引き分けのPK戦の末、決勝進出を逃した。3位決定戦ではブラジルに勝利し大会無敗(5勝2分)で3位となった。欧州予選は9勝1分0敗で突破しており、地区予選から無敗での3位は1978 FIFAワールドカップのブラジル以来2チーム目となった。2014年9月、UEFA EURO 2016の予選からフース・ヒディンクが監督として指揮を執ったが、成績不振で2015年6月契約が解除となった。同年7月よりダニー・ブリントが監督に就任したが、予選グループA4位で1984年大会以来8大会ぶりに予選敗退となった。
2018 FIFAワールドカップはヨーロッパ予選グループAでフランス、スウェーデン、ブルガリアなどと本大会出場を争ったが2017年3月25日、敵地でブルガリアに0-2で敗れるとブリント監督は解任された。その後はディック・アドフォカート監督がUEFA EURO 2004以来に再就任するも、グループA3位で4大会ぶりに予選敗退となった。
2020年代
[編集]予選敗退後はロナルド・クーマンが監督に就任し、代表内の世代交代を図ってフレンキー・デ・ヨングやマタイス・デ・リフトを主力に定着させた。2020年の夏、クーマンをFCバルセロナに引き抜かれると、後任にフランク・デ・ブールが招聘され[1]、UEFA EURO 2020予選は危なげなく突破し、本大会出場を決めた。その本大会では、グループステージでオーストリア、ウクライナ、北マケドニアと同居。3戦全勝で決勝トーナメントに進出すると、ベスト16でチェコ代表と顔を合わせた[2]。試合の52分、スペースへ飛び出したパトリック・シックに並走していたデ・リフトが足を滑らせ、咄嗟に左手でボールを弾いた。VAR判定の結果、レッドカードがデ・リフトに掲示され、数的不利になったオランダは68分、80分と立て続けに被弾し、0-2で大会を後にした[3]。大会敗退が決定した2日後、デ・ブール監督の退任が発表された[4]。
2022 FIFAワールドカップは2大会ぶりの出場。グループリーグは開催国カタールも含むグループAに入り、初戦でセネガルと対戦。立ち上がりからセネガルにボールを持たれ続ける劣勢の中でも試合終盤まで相手に得点を与えず、スコアレスのまま終了かと思われた84分にコーディ・ガクポがヘディングシュートを決めて先制点を挙げる。さらには試合終了間際にも追加点を奪い取り2-0で初戦勝利を飾る[5]。勝てば決勝トーナメント進出が決まる第2戦のエクアドル戦では前半6分にガクポの2試合連続ゴールで先制点を挙げる。しかし、49分にエネル・バレンシアに同点ゴールを決められて勝ち越しゴールは奪えないまま1-1の引き分けに終わる[6]。第3戦のカタール戦では26分にガクポの3試合連続ゴールで先制すると49分にはフレンキー・デ・ヨングのゴールで追加点を奪う。その後は最後まで開催国カタールに最後までチャンスを作らせないまま2-0で勝利し勝点7のグループA1位で決勝トーナメント進出を決めた[7]。2大会ぶりに進出した決勝トーナメント1回戦ではアメリカと対戦。前半10分にメンフィス・デパイ、前半AT1分にデイリー・ブリントの2つのゴールで前半を2点リード。だが、後半は決定機こそ作りながらも再三の決定機をマット・ターナーの好セーブの前に決めきれず、76分にはハジ・ライトに1点を返されてしまう。それでも81分にデンゼル・ダンフリースのゴールでトドメを刺し3-1で勝利し2大会ぶりの準々決勝進出を決める[8]。その準々決勝はリオネル・メッシ擁するアルゼンチンと対戦。オランダは立ち上がりからリオネル・メッシの巧みなパスワークを止められずに主導権を握られ、前半35分にはナウエル・モリーナに先制ゴールを奪われ、今大会初めて先制を許す展開に。1点ビハインドで試合を折り返した後半もアルゼンチンにペースを握られ、73分にはリオネル・メッシにPKを決められて準々決勝で敗退が決まるかと思われた。だが、78分にメンフィス・デパイと交代したボウト・ベグホルストが交代から5分後に1点を返すと、後半AT11分にはそのベグホルストがセットプレーから同点ゴールを決めて辛うじて90分での敗北を免れ、試合は延長戦へ。その延長戦でもスコアは2-2のまま変わらずPK戦にもつれ込む。オランダは1人目のフィルジル・ファン・ダイク、2人目のステフェン・ベルハイスが連続でGKエミリアーノ・マルティネスにセーブされ、続くトゥーン・コープマイネルス、2点ビハインドから2つのゴールで同点に追いつきチームを一時敗戦の危機から救ったボウト・ベグホルスト、ルーク・デ・ヨングはPKを成功させたが、最後はアルゼンチンの5人目ラウタロ・マルティネスに決められたところで試合終了。ベスト8で大会を去り、2大会振りの4強入りとはならなかった[9]。
UEFA EURO 2024ではグループDに入り、初戦でポーランドに前半19分に先制されるもコーディ・ガクポ、ボウト・ベグホルストのゴールで2-1で逆転勝利。だが続く第2戦のフランス戦では0-0で引き分けた。負け以外で決勝トーナメント進出が決まる第3戦のオーストリア戦は前半6分にドニエル・マレンがオウンゴールで先制点を与えてしまい、後半に2度のビハインドを追いつくも2-3で敗れ、グループリーグ3位での決勝トーナメント進出となった[10][注 1]。
決勝トーナメントは3位での通過となり、ラウンド16でグループE1位通過のルーマニアと対戦し、ドニエル・マレンの2得点の活躍で3-0の快勝。準々決勝のトルコ戦は前半35分にサメット・アカイディンのゴールで先制されるも、後半にステファン・デ・フライの同点ゴールとメルト・ミュルドゥルのオウンゴールで逆転し、2-1で勝利してベスト4入りを果たす。準決勝は欧州選手権初優勝を目指すイングランドと対戦し、前半7分にシャビ・シモンズが待望の先制点を挙げる。しかし、同18分にVARにより相手にPKを与えると、これをハリー・ケインに決められて同点に。その後は互いに得点が生まれないまま時計の針が進み、このまま延長戦に突入するかと思われた試合終了間際にオリー・ワトキンスに逆転ゴールを決められて1-2で逆転負け。ベスト4で大会を去り、優勝した1988年大会以来36年ぶりの決勝進出とはならなかった[11]。
スタジアム
[編集]オランダ代表のホームスタジアムは3つある。
- ヨハン・クライフ・アレナ (アムステルダム) 収容人数:53,502人
- フィリップス・スタディオン (アイントホーフェン) 収容人数:35,000人
- フェイエノールト・スタディオン (ロッテルダム) 収容人数:51,117人
ユニフォーム
[編集]旧国旗の色とオランダ王家(オラニエ=ナッサウ家、かつてオランジュの領主だった)にちなんでユニフォームの色をオレンジとしており、世界的に「オレンジ軍団」という愛称で知られている。また、1974年のW杯では正確無比なトータルフットボールを展開したことから「時計じかけのオレンジ」というあだ名で呼ばれたことがある。
オレンジという現在の国旗にない色をチームカラーとする世界でもまれなナショナルチームであり、ほかの例としては日本やイタリアの青、ドイツの白[12]がある。なおロゴに描かれた「王冠をかぶったライオン」も、オランダ王家の紋章が由来である。
成績
[編集]FIFAワールドカップ
[編集]開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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1930 | 不参加 | ||||||
1934 | 1回戦敗退 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 3 |
1938 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | |
1950 | 不参加 | ||||||
1954 | |||||||
1958 | 予選敗退 | ||||||
1962 | |||||||
1966 | |||||||
1970 | |||||||
1974 | 準優勝 | 7 | 5 | 1 | 1 | 15 | 3 |
1978 | 7 | 3 | 2 | 2 | 15 | 10 | |
1982 | 予選敗退 | ||||||
1986 | |||||||
1990 | ベスト16 | 4 | 0 | 3 | 1 | 3 | 4 |
1994 | ベスト8 | 5 | 3 | 0 | 2 | 8 | 6 |
1998 | 4位 | 7 | 3 | 3 | 1 | 13 | 7 |
2002 | 予選敗退 | ||||||
2006 | ベスト16 | 4 | 2 | 1 | 1 | 3 | 2 |
2010 | 準優勝 | 7 | 6 | 0 | 1 | 12 | 6 |
2014 | 3位 | 7 | 5 | 2 | 0 | 15 | 4 |
2018 | 予選敗退 | ||||||
2022 | ベスト8 | 5 | 3 | 2 | 0 | 10 | 4 |
合計 | 出場11回 | 55 | 30 | 14 | 11 | 96 | 52 |
UEFA欧州選手権
[編集]開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1960 | 不参加 | ||||||
1964 | 予選敗退 | ||||||
1968 | |||||||
1972 | |||||||
1976 | 3位 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 | 5 |
1980 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 |
1984 | 予選敗退 | ||||||
1988 | 優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 8 | 3 |
1992 | ベスト4 | 4 | 2 | 2 | 0 | 6 | 3 |
1996 | ベスト8 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | 4 |
2000 | ベスト4 | 5 | 4 | 1 | 0 | 13 | 3 |
2004 | ベスト4 | 5 | 1 | 2 | 2 | 7 | 6 |
2008 | ベスト8 | 4 | 3 | 0 | 1 | 10 | 4 |
2012 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 5 |
2016 | 予選敗退 | ||||||
2021 | ベスト16 | 4 | 3 | 0 | 1 | 8 | 4 |
2024 | ベスト4 | 6 | 3 | 1 | 2 | 10 | 7 |
合計 | 出場11回/優勝1回 | 45 | 23 | 9 | 13 | 75 | 48 |
歴代監督
[編集]期間 | 氏名 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | 備考 |
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1905-1908 | セース・ファン・ハッセルト | 11 | 6 | 0 | 5 | |
1908-1913 | エドガー・チャドウィック | 27 | 16 | 2 | 9 | |
1914 | ビリー・ハンター | 4 | 2 | 1 | 1 | |
1919 | ジャック・レイノルズ | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1919-1923 | フレッド・ウォーバートン | 21 | 7 | 7 | 7 | |
1923 | ボブ・グレンデニング | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1924 | ウィリアム・タウンリー | 8 | 2 | 3 | 3 | |
1924 | ジョン・ボリントン | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1925-1940 | ボブ・グレンデニング | 86 | 35 | 15 | 36 | 1934 FIFAワールドカップ、1938 FIFAワールドカップ出場 |
1946 | カレル・カウフマン | 4 | 2 | 1 | 1 | |
1947-1948 | ジェッセ・カーヴァー | 10 | 6 | 2 | 2 | |
1948 | トム・スネッドン | 1 | 0 | 1 | 0 | |
1949 | カレル・カウフマン | 2 | 1 | 1 | 0 | |
1949-1954 | ヤープ・ファン・デル・レック | 29 | 5 | 3 | 21 | |
1954-1955 | カレル・カウフマン | 1 | 0 | 0 | 1 | |
1955 | フリードリヒ・ドネンフェルト | 1 | 0 | 1 | 0 | |
1955-1956 | マックス・メルケル | 10 | 7 | 1 | 2 | |
1956 | ハインリヒ・ミュラー | 1 | 1 | 0 | 0 | |
1956-1957 | フリードリヒ・ドネンフェルト | 2 | 1 | 1 | 0 | |
1957 | ジョージ・ハードウィック | 5 | 1 | 1 | 3 | |
1957-1964 | エレク・シュヴァルツ | 49 | 19 | 12 | 18 | |
1964-1966 | デニス・ネヴィル | 8 | 2 | 3 | 3 | |
1966-1970 | ゲオルク・ケスラー | 28 | 10 | 6 | 12 | |
1970-1974 | フランティシェク・ファドロンツ | 20 | 13 | 4 | 3 | |
1974 | リヌス・ミケルス | 10 | 6 | 3 | 1 | 1974 FIFAワールドカップ出場 |
1974-1976 | ヘオルヘ・クノベル | 15 | 9 | 1 | 5 | UEFA EURO 1976出場 |
1976-1977 | ヤン・ズワルトクラウス | 4 | 3 | 1 | 0 | |
1977-1978 | エルンスト・ハッペル | 14 | 9 | 3 | 2 | 1978 FIFAワールドカップ出場 |
1978-1981 | ヤン・ズワルトクラウス | 22 | 8 | 6 | 8 | UEFA EURO 1980出場 |
1981 | ロプ・バーン | 1 | 1 | 0 | 0 | 暫定監督 |
1981-1984 | ケース・ライフェルス | 22 | 11 | 3 | 8 | |
1984-1985 | リヌス・ミケルス | 2 | 1 | 0 | 1 | |
1985-1986 | レオ・ベーンハッカー | 6 | 5 | 0 | 1 | |
1986-1988 | リヌス・ミケルス | 23 | 14 | 4 | 5 | UEFA EURO 1988出場 |
1988-1990 | テイス・リブレフツ | 11 | 6 | 3 | 2 | |
1990 | ノル・デ・ロイテル | 2 | 0 | 1 | 1 | 暫定監督 |
1990 | レオ・ベーンハッカー | 6 | 1 | 3 | 2 | 1990 FIFAワールドカップ出場 |
1990-1992 | リヌス・ミケルス | 19 | 11 | 5 | 3 | UEFA EURO 1992出場 |
1992-1994 | ディック・アドフォカート | 26 | 15 | 6 | 5 | 1994 FIFAワールドカップ出場 |
1995-1998 | フース・ヒディンク | 39 | 23 | 8 | 8 | UEFA EURO 1996、1998 FIFAワールドカップ出場 |
1998-2000 | フランク・ライカールト | 22 | 8 | 12 | 2 | UEFA EURO 2000出場 |
2000-2002 | ルイ・ファン・ハール | 14 | 8 | 4 | 2 | |
2002-2004 | ディック・アドフォカート | 29 | 16 | 7 | 6 | UEFA EURO 2004出場 |
2004-2008 | マルコ・ファン・バステン | 52 | 35 | 11 | 6 | 2006 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2008出場 |
2008-2012 | ベルト・ファン・マルワイク | 52 | 34 | 10 | 8 | 2010 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2012出場 |
2012-2014 | ルイ・ファン・ハール | 29 | 18 | 9 | 2 | 2014 FIFAワールドカップ出場 |
2014-2015 | フース・ヒディンク | 10 | 4 | 1 | 5 | |
2015-2017 | ダニー・ブリント | 17 | 7 | 3 | 7 | |
2017 | フレット・フリム | 1 | 0 | 0 | 1 | 暫定監督 |
2017 | ディック・アドフォカート | 9 | 8 | 0 | 1 | |
2018-2020 | ロナルド・クーマン | 20 | 11 | 5 | 4 | |
2020 | ドワイト・ローデヴェーヘス | 2 | 1 | 0 | 1 | 暫定監督 |
2020-2021 | フランク・デ・ブール | 15 | 8 | 4 | 3 | UEFA EURO 2020出場 |
2021-
2022 |
ルイ・ファン・ハール | 20 | 14 | 6 | 0 | 2022 FIFAワールドカップ出場 |
2023- | ロナルド・クーマン |
現招集メンバー
[編集]2022年11月11日、2022 FIFAワールドカップに向けて発表されたメンバー[14]。
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歴代選手
[編集]主要大会のメンバー
[編集]主な代表選手
[編集]
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歴代記録
[編集]出場数ランキング
[編集]順位 | 名前 | 出場 | 得点 | 期間 |
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1 | ヴェスレイ・スナイデル | 134 | 31 | 2003-2018 |
2 | エトヴィン・ファン・デル・サール | 130 | 0 | 1995-2008 |
3 | フランク・デ・ブール | 112 | 13 | 1990-2004 |
4 | ラファエル・ファン・デル・ファールト | 109 | 25 | 2001-2013 |
5 | ダレイ・ブリント | 107 | 3 | 2013- |
6 | ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルスト | 106 | 6 | 1996-2010 |
7 | ディルク・カイト | 104 | 24 | 2004-2014 |
8 | ロビン・ファン・ペルシ | 102 | 50 | 2005-2017 |
9 | フィリップ・コクー | 101 | 10 | 1996-2006 |
10 | アリエン・ロッベン | 96 | 37 | 2003-2017 |
得点数ランキング
[編集]順位 | 名前 | 得点 | 出場 | 期間 | 得点率 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ロビン・ファン・ペルシ | 50 | 102 | 2005-2017 | 0.49 |
2 | メンフィス・デパイ | 45 | 93 | 2013- | 0.50 |
3 | クラース・ヤン・フンテラール | 42 | 76 | 2006-2015 | 0.55 |
4 | パトリック・クライファート | 40 | 79 | 1994-2004 | 0.51 |
5 | デニス・ベルカンプ | 37 | 79 | 1990-2000 | 0.47 |
アリエン・ロッベン | 96 | 2003-2017 | 0.39 | ||
7 | ファース・ヴィルケス | 35 | 38 | 1946-1961 | 0.92 |
ルート・ファン・ニステルローイ | 70 | 1998-2011 | 0.50 | ||
9 | アーベ・レンストラ | 33 | 47 | 1940-1959 | 0.70 |
ヨハン・クライフ | 48 | 1966-1977 | 0.69 |
エピソード
[編集]「6月25日」呪われたジンクス
[編集]1978 FIFAワールドカップ決勝でアルゼンチンに延長戦の末に敗れて以後、オランダはワールドカップにおいて6月25日に開催された試合で『3敗1分』と1度も勝利しておらず、特に2006 FIFAワールドカップのポルトガル戦はイエローカード16枚、レッドカード4枚と非常に荒れた試合となった。なお、2010 FIFAワールドカップではこの日の前日となる6月24日にグループリーグでカメルーンと対戦し、2-1で勝利している。
- 1978年6月25日(1978 FIFAワールドカップ アルゼンチン大会 -決勝戦-)
- オランダ 1 - 3 アルゼンチン(延長戦)
- 1994年6月25日(1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会 グループリーグ-グループF-)
- オランダ 0 - 1 ベルギー
- 1998年6月25日(1998 FIFAワールドカップ フランス大会 グループリーグ-グループE-)
- オランダ 2 - 2 メキシコ
- 2006年6月25日(2006 FIFAワールドカップ ドイツ大会 決勝トーナメント-Round of 16-)
- オランダ 0 - 1 ポルトガル
「死の組」との関係
[編集]ワールドカップや欧州選手権でオランダ代表は、優勝候補と目されるチームや直近の大会で好成績を収めたチームとグループリーグで同組となることが度々あり、1990 FIFAワールドカップ、2006 FIFAワールドカップ、2014 FIFAワールドカップで死の組に入りながらグループリーグを突破している。
UEFA EURO 2000ではフランス(1998 FIFAワールドカップ優勝国)、チェコ(UEFA EURO '96準優勝国)、デンマーク(UEFA EURO '92優勝国)と同組となった事をはじめ、UEFA EURO 2008では2006 FIFAワールドカップ決勝進出国(イタリア、フランス)と同組に、UEFA EURO 2012ではドイツ、ポルトガル、デンマークと、大会前の最新FIFAランキングTOP10以内のチームと同組になった。
このような死の組でオランダは好成績を収めることが多く、欧州選手権では2000年大会と2008年大会でいずれも3戦全勝でグループリーグを突破し、特に2008年大会はワールドカップ優勝のイタリアに3-0、準優勝のフランスに4-1で圧勝して大会を席巻した。しかし、2012年大会は逆に3戦全敗でグループリーグ敗退となっている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ グループ3位の中で上位4チームも決勝トーナメントに進出できる。
出典
[編集]- ^ “オランダ代表監督にフランク・デブール氏が就任”. 日刊スポーツ. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “オランダ、3連勝で決勝Tへ弾み! 北マケドニアのパンデフは代表引退”. サッカーキング. 2021年6月22日閲覧。
- ^ “オランダはデ・リフト痛恨の退場…チェコが2発快勝で2大会ぶりの準々決勝進出!”. サッカーキング. 2021年6月28日閲覧。
- ^ “Frank de Boer stapt per direct op als bondscoach van het Nederlands elftal”. nos.nl (2021年6月29日). 2021年6月30日閲覧。
- ^ “大胆采配的中のオランダ、セネガルに2-0快勝で白星発進! 代表デビューの203cm守護神が好守連発”. Goal.com. 2023年4月29日閲覧。
- ^ “勝てば決勝T進出決定のオランダ、ガクポ弾で先制もエクアドルに追いつかれドロー”. Goal.com. 2023年4月29日閲覧。
- ^ “グループAは首位オランダと2位セネガルが16強入り! 最終節での逆転通過セネガルは20年ぶりの決勝Tへ”. Goal.com. 2023年4月29日閲覧。
- ^ “オランダがベスト8一番乗り!ドゥンフリース1G2Aでアメリカを下し、2大会ぶりの8強進出”. Goal.com. 2023年4月29日閲覧。
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- ^ ドイツ代表の白と黒は現在のドイツの前身の一つであるプロイセン王国の国旗の色を踏襲したものであり、オランダ代表のオレンジ色と由来が同一である。
- ^ “Netherlands national football team managers” (英語). eu-football.info. 2019年8月20日閲覧。
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