海峡ひろき

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海峡 ひろき(かいきょう -、本名大久保美幸(おおくぼ・みゆき、大久保は旧姓)、1962年6月14日 - )は、女優、元宝塚歌劇団花組男役

埼玉県狭山市県立松山女子高校出身。身長168cm、血液型O型。愛称はみゆ

略歴[編集]

  • 入団前に、大滝愛子バレエ・アートに通っていた。
  • 1981年69期生として宝塚音楽学校へ入学。同期生に元星組トップスターの麻路さき、元月組トップスターの久世星佳、元雪組トップスターの高嶺ふぶき、元雪組トップ娘役の神奈美帆、元月組男役スターの若央りさ、元星組男役スターのちあきしん、元月組組長の出雲綾、元花組娘役スターの美月ノアらがいる。
  • 1983年4月、宝塚歌劇団入団。入団時の成績は44人中13番[1]。月組『春の踊り/ムーンライト・ロマンス』にて初舞台を踏み、後に千秋、出雲らとともに星組に配属される。下級生時代は新人公演で上級生の役を演じることが多かった。
  • 1988年、『戦争と平和』の大劇場公演の後で、雪組へ組替え。
  • 1993年、『天国と地獄 -オッフェンバック物語-/TAKE OFF』の大劇場公演の後で、花組へ組替え。
  • 1994年、『アロー・アロー・キャメロット?』で、バウホール初主演を果たす。
  • 1997年6月30日[1]、『失われた楽園 -ハリウッド・バビロン-/サザンクロス・レビュー』の千秋楽をもち宝塚歌劇団を退団。公演終了後に同期で同じ公演での退団が決まっていた美月とともに「海峡ひろき&美月亜優サヨナラショー」が上演された[2]

退団後は女優として芸能活動をした時期もあるが、柔道整復師の資格を取得し、2008年に整骨院を夫とともに開業した様子が夕刊フジで取り上げられた[3]

宝塚時代の主な舞台[編集]

星組時代[編集]

雪組時代[編集]

花組時代[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』P.95 小林公一・監修 阪急コミュニケーションズ 2014年4月1日。ISBN 9784484146010
  2. ^ サヨナラショーは、通常、トップスターや娘役トップ、あるいは二番手男役スターの退団公演において開催されるものだが、それ以外のスターがサヨナラショーを行ったケースは極めて稀である。
  3. ^ 【タカラヅカ夢舞台】69期生のスター“第2の人生” 海峡ひろき、整骨院院長夫人 曙真八、夫婦で司法書士事務所開設(夕刊フジ、2014年7月19日)

外部リンク[編集]