奥大介
表示
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | ダイさん・おっくん | |||||
カタカナ | オク ダイスケ | |||||
ラテン文字 | OKU Daisuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1976年2月7日(48歳) | |||||
出身地 | 兵庫県尼崎市 | |||||
身長 | 173cm[1] | |||||
体重 | 68kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[1] | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1994-2001 2002-2006 2007 |
ジュビロ磐田 横浜F・マリノス 横浜FC |
147(36) 117(25) 16(1) | ||||
代表歴2 | ||||||
1998-2004 | 日本 | 26(2) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月15日現在。 2. 2007年12月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
奥 大介(おく だいすけ、1976年2月7日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。妻は女優の佐伯日菜子。2児の父である。
来歴
- 1991年4月 - 尼崎市立小田南中学校を経て神戸弘陵高校に入学[1]。
- 1992年 - 高2。第71回全国高校サッカー選手権大会に出場。
- 1993年 - 高3。国体準優勝。第72回全国高校サッカー選手権大会に2度目の出場。ベスト8。大会優秀選手に選出。
- 1994年4月 - ジュビロ磐田へ入団。同年、U-19日本代表に選出され、アジアユースに出場。
- 1995年 - U-20日本代表に選出。ワールドユースに出場。
- 1996年 - 5月4日、対サンフレッチェ広島戦でJリーグ初出場を果たす[1]。
- 1997年 - 7月5日、対京都パープルサンガ戦でJリーグ初得点を記録[1]。
- 1998年 - 10月28日、フィリップ・トルシエ監督の初采配となった、キリンチャレンジカップ対エジプト戦で代表戦初出場。同年、初のJリーグベストイレブンを獲得。
- 1999年 - 9月8日、対イラン戦で代表初ゴール。
- 2002年 - 志願して横浜F・マリノスにレンタル移籍。シーズン終了後に完全移籍。岡田武史が横浜の監督に就任後はチームの中心選手となった。
- 2006年 - 不振によりレギュラーから外れることもしばしばあり、11月28日にマリノスから戦力外通告を受ける。
- 2007年 - 横浜FCへ移籍。故障もあり満足なプレーができないままシーズン終了。横浜FCのJ2降格に対する責任感と、盟友・久保竜彦が解雇されたことによりモチベーションが低下したとして現役引退[2]。
- 2008年 - 横浜FCのサッカースクールテクニカルアドバイザーに就任し、指導者へ転身。
- 2008年9月 - 多摩大学目黒高校のサッカー部監督に就任。
- 2011年10月 - 横浜FC強化部長に就任。
個人成績
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないで下さい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国内成績表_topを使用して下さい。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | 磐田 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1995 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
1996 | 6 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | |||
1997 | 29 | 26 | 9 | 12 | 3 | 4 | 0 | 42 | 12 | ||
1998 | 32 | 12 | 6 | 2 | 3 | 0 | 41 | 14 | |||
1999 | 8 | J1 | 28 | 7 | 4 | 0 | 3 | 0 | 35 | 7 | |
2000 | 30 | 4 | 4 | 0 | 3 | 0 | 37 | 4 | |||
2001 | 25 | 4 | 6 | 0 | 2 | 0 | 33 | 4 | |||
2002 | 横浜FM | 37 | 26 | 7 | 0 | 0 | 2 | 1 | 28 | 8 | |
2003 | 14 | 26 | 5 | 5 | 1 | 1 | 0 | 32 | 6 | ||
2004 | 25 | 10 | 4 | 1 | 2 | 1 | 31 | 12 | |||
2005 | 25 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 28 | 2 | |||
2006 | 15 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 20 | 2 | |||
2007 | 横浜FC | 16 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 18 | 2 | ||
通算 | 日本 | J1 | 280 | 62 | 56 | 8 | 23 | 3 | 341 | 71 | |
総通算 | 280 | 62 | 56 | 8 | 23 | 3 | 341 | 71 |
その他の公式戦
- 1997年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1998年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1999年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2000年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2004年
- スーパーカップ 1試合1得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2005年
- スーパーカップ 1試合0得点
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないでくだい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国際成績表_topを使用して下さい。 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 横浜FM | 14 | 4 | 1 |
2005 | 5 | 1 | ||
通算 | AFC | 9 | 1 |
その他の国際公式戦
- 2004年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
- 2005年
- A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
経歴
- Jリーグ初出場 - 1996年5月4日 J 第12節 対サンフレッチェ広島戦 (ジュビロ磐田スタジアム)[1]
- Jリーグ初得点 - 1997年7月5日 J 第13節 対京都パープルサンガ戦 (西京極陸上競技場)[1]
受賞歴
個人タイトル
- 1998年 - Jリーグベストイレブン
- 2003年 - Jリーグベストイレブン
- 2004年 - Jリーグベストイレブン
チームタイトル
- ナビスコカップ
- 1998年 (ジュビロ磐田)
- ゼロックス・スーパーカップ
- 2000年 (ジュビロ磐田)
- アジアクラブ選手権
- 1998年、1999年
代表歴
出場大会など
- 1994年 アジアユース
- 1995年 ワールドユース
- 1999年 コパ・アメリカ
- 2000年 アジアカップ
- 2000年 カールスバーグカップ
- 2000年 ハッサン2世カップ
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ
- 2003年 東アジアサッカー選手権
試合数
- 国際Aマッチ 26試合 2得点 (1998-2004)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1998 | 1 | 0 |
1999 | 5 | 1 |
2000 | 12 | 1 |
2001 | 4 | 0 |
2002 | 0 | 0 |
2003 | 3 | 0 |
2004 | 1 | 0 |
通算 | 26 | 2 |
逸話
- 磐田時代にサポーターズマガジン上で、自分にブーイングを浴びせるサポーターについて、「そういう人たちはお金払うからスタジアムに来んといてほしい」と発言したことがある。この発言の背景には、現夫人の佐伯日菜子との交際を快く思わず、嫌がらせまがいの行動を行うサポーターたちがいたこともあった。だが、実際はそれらのサポーター以外にも奥本人のモチベーションの低下を練習から感じ取った、地元のサポーターからの叱咤も含んでいたため、サポーターの反感を買ってしまった面もあった。
- 磐田での最終戦となった2001年の天皇杯4回戦、対東京ヴェルディ1969戦で退場処分になっている。奥本人の話では主審に対して判定への不満を「どこ見てんのや、ハゲ」とつぶやいたところ、スキンヘッドであった当の主審に聞こえてしまったことが理由。この処分のため横浜FMへの移籍直後は試合に出られなかった。
- 横浜FM移籍初年度の2002年のシーズン終盤のある試合において、同僚FWであるウィルが試合中、奥がウィルに全くパスを出さなかったためか、奥を後ろから蹴り飛ばす事件が起きた。この事件が原因でウィルは解雇された。
- 2004年2月、茨城県鹿嶋市内での代表合宿中に奥と久保竜彦、小笠原満男、山田卓也、茂庭照幸、大久保嘉人、都築龍太が夜中に無断でキャバクラに行っていたことが発覚し、ジーコ監督から怒りを買ってしまい代表から外されてしまった(その後、代表への選出がないのは奥だけである)。以降このメンバーはキャバクラセブンと呼ばれるようになった。
- 奥の代名詞とも言えるルーズソックスは、ファッションとしてではなく、ふくらはぎが太く、ソックスを上げてプレーするとゴム部に圧迫されこむら返りを起こしてしまうため。
- 磐田時代の同僚である福西崇史と仲がよく、2人とも磐田から移籍した後の2007年6月にも週刊サッカーマガジン誌上で一緒にインタビュー取材を受け、さまざまなエピソードを語った。磐田時代の同僚では高原直泰とも仲が良い。
- 久保竜彦とは公私共に付き合いがあり、夫人より仲が良いとまで言われている。
- Jリーグチャンピオンシップ日本人最多出場、21世紀J1リーグ初ゴールは奥である。
- 2006年限りで横浜Fマリノスから戦力外となった際に「もうサッカー辞めようか」と考えたが、磐田時代の先輩・藤田俊哉や名波浩から電話で「まだやれるでしょ」と言われ、特に藤田が「俺は40までやるよ」と言ったのに刺激を受けたとのこと(週刊サッカーマガジン誌にて発言)。
- 子供の頃の夢はプロ野球選手で、阪神タイガースのファンである。しかし体格が小さく父親の勧めもありサッカーに専念した。
脚注
外部リンク
- 奥大介オフィシャルブログlivedoor(2010年3月~)
- 奥大介 – FIFA主催大会成績(英語)
- 横浜FC公式サイト
- 奥大介プロデュースJフットサルクラブ
- 奥大介オフィシャルブログbyダイヤモンドブログ