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勝尾寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝尾寺
本堂
所在地 大阪府箕面市粟生間谷2914-1
位置 北緯34度51分57秒 東経135度29分28秒 / 北緯34.86583度 東経135.49111度 / 34.86583; 135.49111座標: 北緯34度51分57秒 東経135度29分28秒 / 北緯34.86583度 東経135.49111度 / 34.86583; 135.49111
山号 応頂山
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面千手観世音菩薩
創建年 神亀4年(727年
開山 開成
開基 善仲、善算
中興年 文治4年(1188年
中興 源頼朝
正式名 応頂山 勝尾寺
別称 弥勒寺
札所等 西国三十三所第23番
法然上人二十五霊場第6番(二階堂)
摂津国八十八箇所第54番
摂津国三十三箇所第22番
神仏霊場巡拝の道第65番(大阪第24番)
文化財 木造薬師如来及両脇侍像、法華経 巻第四、勝尾寺旧境内牓示八天石蔵(重要文化財
勝尾寺旧境内牓示八天石蔵及び町石(国の史跡
公式サイト 西国二十三番札所 勝尾寺
法人番号 1120905003357 ウィキデータを編集
勝尾寺の位置(大阪府内)
勝尾寺
勝尾寺
勝尾寺 (大阪府)
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勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗寺院山号は応頂山。本尊十一面千手観世音菩薩西国三十三所第23番札所。

開山開成(かいじょう)[注 1]、寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる[注 2]。「勝ちダルマ」が有名である。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく 

ご詠歌:重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら) ほとけを頼む身こそやすけれ

概要

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伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。

神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。

それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇皇子桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。

宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。

そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられている。

開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。

歴史

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開創

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勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。

元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。

日本三代実録』は、元慶4年の清和天皇死去についての記事で、清和天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。

中世~近世

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元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いの煽りで全山焼失した。

文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実梶原景時によって再建された。

承元2年(1208年)から承元4年(1210年)にかけて讃岐国への流罪から戻った法然が当寺に滞在している。

応永30年(1423年)、室町幕府第4代将軍足利義持によって将軍家の祈願寺に指定された。

慶長8年(1603年)には豊臣秀頼によって山門が再建され、また本堂再建のための浄財も寄進される。

江戸時代延宝2年(1674年)、高野山の釈迦文院の末寺となり、宗派を天台宗から真言宗に改めている。

現代

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近年では「勝ちダルマ」の寺として有名である。勝ちだるまが置かれている場所がある。小さいだるまはどこにでも置ける。2023年頃から外国人観光客に人気化し、2024年には、多くの外国人が訪れるようになり、バスに積み残しが出る日も続出したため、2024年9月から、土休日は大幅にバスが増発された他、特に多くの乗客が予想されるときは2台のバスが用意されたり、2024年秋からバス停の屋根が2倍に増築する工事が始まり、勝尾寺のお守り・勝ちダルマ授与所の建物の大きさも倍にする工事が始まっている。

境内

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山門
観音菩薩と多宝塔
多宝塔ライトアップ
  • 本堂 - 慶長年間(1596年 - 1615年)に豊臣秀頼により再建。
  • 大師堂
  • 水掛け観音堂
  • 開山堂 - 善仲、善算、開成の像が祀られる。
  • 鎮守堂
  • 三宝荒神社 - 日本三荒神の一つ。日本最初の荒神社とされる。
  • 薬師堂 - 建久6年(1195年)に源頼朝の寄進で建立。
  • 閻魔堂
  • 奥の院
  • 五輪塔(大阪府指定有形文化財) - 寺伝では鎌倉時代前期の造。
  • 鐘楼 - 梵鐘は「厄除けの鐘」と呼ばれる。
  • 不動堂
  • 多宝塔
  • 二階堂 - 納骨堂。法然上人二十五霊場第6番札所。鎌倉時代に法然上人が2年間滞在していたところ。
  • 勝ちダルマ奉納棚
  • 一願不動堂
  • 宝物館
  • 勝尾寺霊苑
  • 庫裏
  • 宿坊「応頂閣」
  • 弁天堂 - 祭神:弁財天
  • お清め橋と霧
  • 弁天池
  • 山門(仁王門) - 慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により再建。
  • 開成の墓 - 当寺の裏山にある。

文化財

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重要文化財

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  • 木造薬師如来及両脇侍像 - 平安時代初期。
  • 紙本墨書法華経 巻第四
  • 勝尾寺旧境内牓示八天石蔵(きゅうけいだいぼうじはってんいしぐら)出土品
    • 銅造四天王・四明王像 8躯
    • 陶製外容器残欠共 8合
    • 附:土師器 一括

国の史跡

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  • 勝尾寺旧境内牓示八天石蔵及び町石[1] - 八天石蔵とは、中世、勝尾寺が寺領を明示し土地をめぐる争いを避けるため、寺の周囲8箇所に設置したもので四天王・四明王の像を埋納していた。

大阪府指定有形文化財

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行事

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  • 10月29日 - 開山御正辰祭
  • 例年、紅葉が見頃である11月の土・日・祝日には日没から19時30分までライトアップが行われる。

前後の札所

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西国三十三所
22 総持寺 - 23 勝尾寺 - 24 中山寺
法然上人二十五霊場
4 如来院 - 5 勝尾寺二階堂 - 6 四天王寺阿弥陀堂(念仏堂)
摂津国八十八箇所
53 善福寺 - 54 勝尾寺 - 55 瀧安寺
摂津国三十三箇所
21 瀧安寺 - 22 勝尾寺 - 23 忍頂寺
神仏霊場巡拝の道
64 神峯山寺 - 65 勝尾寺 - 66 生田神社

交通

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  • 阪急千里線 北千里駅北大阪急行電鉄大阪モノレール 千里中央駅、または北大阪急行電鉄 箕面萱野駅より阪急バス29系統 北摂霊園・希望ヶ丘四丁目行き(平日3往復・土日祝6往復)、若しくは箕面萱野駅より阪急バス30系統 【直行】勝尾寺行き(平日2往復・土日祝4往復)利用「勝尾寺」停留所下車。
    • 正月三が日は府道4号線府道43号線の著しい交通渋滞により、定時運行が困難となることから、粟生団地〜奥〜勝尾寺〜希望ヶ丘四丁目間が終日区間運休となる[3]。そのため、初詣客は麓から徒歩で向かうか、タクシー利用や自家用車などで向かうしか方法はない。2018年正月までは臨時の「勝尾寺口」停留所が設置され、初詣客はそこから約1.5kmの上り坂を徒歩で向かっていた。
    • 運賃は2024年10月1日より、箕面萱野駅から400円から800円へと、一気に倍額となった。
  • 阪急箕面線 箕面駅から車で20分。
    • 日によっては箕面駅からの「箕面滝道ワンウェイ観光周遊バス」が運行される。片道1400円。1日券は2000円で、入山料が100円引きとなり、寺の売店などで使用できる400円のクーポンがある。
  • 大阪モノレール彩都線 彩都西駅から車で12分。
  • 箕面駅・箕面萱野駅より阪急バス彩都線箕面山麓線36系統で外院(げいん)停留所下車、旧参道経由で徒歩約70分。
  • 阪急京都本線 茨木市駅JR京都線東海道本線茨木駅から阪急バス忍頂寺車作線85系統で奥停留所下車、府道4号・43号経由で徒歩約100分。

脚注

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注釈

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  1. ^ 当寺の裏山には開成の墓がある。
  2. ^ 20世紀末までに出版された辞典・事典類では、「かつおじ」または「かちおじ」を見出し語とするものが多い。
    • 見出し語を「かつおじ」とするもの - 『国史大辞典』3巻(吉川弘文館、1983)、
    • 見出し語を「かちおじ」とするもの - 圭室文雄編『日本名刹大事典』(1992、雄山閣)
    • 見出し語を「かつおじ」とし、俗称・別称として「かちおじ」を併記するもの - 『日本大百科全書』5巻(小学館、1985)、『角川日本地名大辞典 大阪府』(角川書店、1983)、『日本歴史地名大系 大阪府の地名』(平凡社、1986)

出典

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関連項目

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外部リンク

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