千里丘陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

千里丘陵(せんりきゅうりょう)は、大阪府の北摂地域にある丘陵豊中市吹田市茨木市箕面市にまたがる丘陵地で、千里ニュータウン万博記念公園も含まれる。かつて毎日放送千里丘放送センターがあったことで有名。

環境[ソースを編集]

千里丘陵は、大阪平野から見て高台にあたり、石器時代からの多数の遺跡がある。古代は大阪平野の大半が大阪湾河内湖だったため千里丘陵のすぐ下は海や湖の岸辺にあたり、小さな港がたくさん作られ交易で栄えていた。(高浜、豊津など。)

千里丘陵は府内でも数少ない、竹林の多い地区でもあった。千里の竹林は大阪みどりの百選に選定されている。山田川糸田川正雀川など短い川の源流となっているが、どの川も短小で流量が少ないため、農業のために古くから多くのため池が点在している。

地盤は、千里山累層と呼ばれる古期洪積層となる。標高は20メートルから150メートル程度しかない。

川に削られた細長い谷がたくさん丘陵の間に切れ込む、樹枝状浸食谷地形が多くを占める。谷をせきとめてため池にしたりその下流で水田などを作っていたりした。また丘陵の斜面では桑畑なども作っていた。吹田市山田、豊中市上新田などに竹林が残り、吹田市春日(旧・下新田)はタケノコの産地で知られ、当時の農村の面影を見ることができる。京都太秦からも近いため、時代劇の撮影でも山道のシーンや森の中のシーンなどによく使われていた。

住宅開発による環境の変化[ソースを編集]

1921年千里山北大阪電気鉄道(後の阪急千里線)が十三から延び、大阪の郊外住宅地や別荘地として戦前から開発が進んだ。当時は千里山遊園などの遊園地もでき、関西大学も大阪市内から移転してきた。また、1961年には毎日放送の本社機能の一部が、千里丘放送センターとして大阪市内から移転し、1990年まで同社テレビラジオ番組制作の拠点として使われた。高度成長期、大阪市内の環境が悪化し家を建てられる余地もなくなったため、郊外に住宅の需要が増え乱開発の手が千里にも伸びていた。大阪府は民間業者が細かい開発をする前に千里丘陵を大規模な住宅団地に開発して、しかも今後のモデルとなるような秩序あるまちづくりをしようと千里ニュータウン建設のマスタープランを立てた。このため千里丘陵の農地や竹林はあっという間に掘り返され、更地にされて団地になってしまった。開発後数十年たって植えた木が大きくなり、やっと緑豊かな景観ができてきている。

大阪万博以降開発が進み、今では往年の面影を残すところが少なくなってきている。さらに、農村部ということで千里ニュータウンの範囲外になっていた山田や上新田に、大きな団地や超高層マンションが多数建設されており、ニュータウンの部分よりも無秩序な開発になっている。その一方で、服部緑地や、千里南公園・千里北公園などニュータウン内の公園や緑地、ニュータウンの外縁部にある緑地帯などにもとの千里の自然環境の残っているところもあり、都会のオアシスとなっている。千里丘陵にわずかに残る自然の動物としては、吹田市内の企業用地内のキツネ。吹田市内のヒメボタル(小型のホタル)。千里丘陵内のため池に、ベニイトトンボ(準絶滅危惧種)などがいる。

備考[ソースを編集]

  • 千里山は、元々は「せんりやま」という読みではなく「ちさとやま」であった。吹田市に合併する前の千里村は「ちさとむら」と読み、村内の千里山(ちさとやま)にちなむ。また、吹田市にある千里山・佐井寺図書館は、住民からの公募により、いにしえの名前「ちさと」から「ちさと(千里山・佐井寺図書館)」という愛称が付けられた。
  • 西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線JR京都線)の千里丘駅摂津市内にある駅で(吹田市・茨木市との市境近くにある)、千里丘陵上ではなくそのふもとに位置する。

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]