狭山池 (大阪府)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
狭山池ダム
Sayamaike01.JPG
北側の池畔にて
所在地 大阪府大阪狭山市大字岩室
位置
狭山池 (大阪府)の位置(日本内)
狭山池 (大阪府)
北緯34度30分9.8秒 東経135度33分0.3秒 / 北緯34.502722度 東経135.550083度 / 34.502722; 135.550083
河川 大和川水系西除川
ダム湖 狭山池【ため池百選
ダム諸元
ダム型式 アースダム
堤高 18.5 m
堤頂長 997 m
堤体積 605,000
流域面積 17.9 km²
総貯水容量 2,800,000 m³
有効貯水容量 2,800,000 m³
利用目的 洪水調節不特定利水
事業主体 大阪府
施工業者 大林組佐藤工業奥村組
着手年/竣工年 1988年/2001年
出典 狭山池ダム(再)ダム便覧
テンプレートを表示
西側の池畔にて

狭山池(さやまいけ)とは、大阪府大阪狭山市大字岩室にある日本最古のダムため池(人工池)とされ、現在では狭山池土地改良区が維持管理している。

概説[編集]

石川大和川といった水量の豊富な河川から外れる河内国西部の丘陵地帯は、水量に乏しく灌漑に苦労していた地域で、現在も狭山池周辺には大小の溜め池が数多く点在する。

飛鳥時代前期、朝廷によって西除川(天野川)と三津屋川(今熊川)の合流点付近を堰き止め築造されたとされるが、正確な築造年は明かでは無く、4世紀[1]から7世紀の改修記録が残る時期まで幅広い説がある。『古事記』・『日本書紀』にもその名が記され、池の中に狭山池神社が祀られている。

1704年宝永元年)の大和川の付け替えまで、現在の大阪市域に至る80か村、約55,000石を灌漑していた。各時代で幾度となく改修が重ねられ、1988年から10年以上の工期をかけた大改修のダム化工事により洪水調整機能を備え、同時に池の周囲は公園として整備された。また、以前の狭山池の保存と公開を目的とした大阪府立狭山池博物館が池の北側に2001年に開館し、改修工事の際に切り出した堤体の実物が展示され断面を見ることが出来る[2]大阪みどりの百選に選定されている[3]

調査研究[編集]

堤体土層・木樋(大阪府立狭山池博物館展示)

樋や堤体の構造は1988年に開始された改修工事に伴い詳しく調査され、東樋に使用された木材の伐採が616年推古天皇24年)と判定された年輪年代測定結果がある。また堤体の盛り土が幾層にも積まれ、その1部に植物層を含む層があることが判明し中国から伝わった敷葉工法(しきはこうほう/葉のついた枝を土留めに使う工法)が用いられていることがわかった。[4]

池底堆積物[編集]

堆積物中にはプラント・オパールと呼ばれる植物の遺骸が残されており、周辺の植生の変遷を知ることが可能になる。この、プラント・オパールの分析からは水田を伴わない自然栽培的な稲作が行われていた可能性が指摘されている[5]

7世紀以降と16世紀以降と推定されるそれぞれ数百年間の地層から珪藻の化石が確認され、海性珪藻が最大で全体の5割近く占めていたことや、8世紀ごろと17世紀前後の大規模な地震による噴砂や地滑りの痕跡[6]が確認された。また堆積物中には過去500年間の古地磁気方位変化が記録されている[7]

古文書などから、津波を伴う東南海・南海地震として、グレゴリオ暦684年11月29日の白鳳地震と1605年2月の慶長地震があったことがわかっており、狭山池で見つかった地震痕跡の時期と近いことから、珪藻は両地震の津波で大阪湾から運ばれた可能性が指摘されている[8][要出典]

人間史[編集]

改修の主な歴史[編集]

漁業[編集]

狭山池では、フナ・コイ・ナマズ・ドジョウ・モロコ・エビなどを漁獲対象に、「ヌクズケ」と呼ばれる伝統的漁法のほか、「ズル」と呼ばれる曳網漁や、投網漁、サデ網漁、ハエナワ漁、モンドリ漁、釣りなどが行われていた。特に冬季のワカサギ釣りの名所として知られていた。昭和33年頃に狭山池観光有限会社が設立され、狭山池での釣りは有料化された。堤に釣座が設置され、釣船を出し、秋から冬の釣りに対して入漁料を徴収するようになった。しかし昭和40年代に入ると、卵の入手が困難になってきたこと、狭山池の水質が悪化して孵化率が低下したことなどにより、ワカサギの移植は行われなくなった。フナ、コイ、モロコの養殖は続けられたが、ブラックバスやブルーギルが繁殖したこともあって、狭山池の釣り客は次第に減少し、昭和60年代に入って、狭山池での遊漁や養魚は行われなくなった。[15]平成の大改修ののち現在では「大阪狭山市都市公園条例」により、狭山池の釣りは全面禁止となっている。

接続河川[編集]

  • 流入する河川
  • 流出する河川
    • 西除川(にしよけがわ)・東除川(ひがしよけがわ)―ともに大和川に流れ込む

※西除川の狭山池より上流部分は「天野川(あまのがわ)」とも呼ばれる。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 大阪府狭山池出土木樋 重源狭山池改修碑(考古資料) - 大阪府立狭山池博物館保管、2014年8月21日指定[16]

国の史跡[編集]

  • 狭山池 - 2015年(平成27年)3月10日指定[17]

大阪府指定文化財[編集]

  • 有形文化財
    • 狭山池石樋蓋(考古資料) - 大阪府立狭山池博物館保管。1989年(平成元年)3月1日指定[18]

大阪狭山市指定文化財[編集]

  • 有形文化財
    • 狭山池中樋放水部の石棺群 7基(考古資料) - 大阪府立狭山池博物館保管。2010年(平成22年)2月24日指定[18]

参考文献[編集]

  • 『行基の構築と救済』 大阪府立狭山池博物館 2003年
  • 市川 秀之 『歴史のなかの狭山池 最古の溜池と地域社会』 2009年 清文堂

脚注[編集]

  1. ^ 湯川清光:創設時の狭山池 農業土木学会誌 Vol.52 (1984) No.11 P1027-1032
  2. ^ a b 溜め池 農水省 (PDF)
  3. ^ 大阪みどりの百選”. 大阪府. 2016年12月23日閲覧。
  4. ^ 大阪狭山市教育委員会 (2010年10月). “狭山池シンポジウム 狭山池の誕生をさぐる (pdf)” (日本語). 大阪狭山市立郷土資料館. 発表資料集. 大阪府立狭山池博物館. pp. 3,43-46,52,55-57,60. 2019年5月11日閲覧。
  5. ^ 外山秀一、地理学におけるプラント・オパール分析の応用 立命館地理学 1992, No.4
  6. ^ 吉川周作ほか、大阪狭山市狭山池堆積物における液状化跡 Vol.103 (1997) No.10 P982-989
  7. ^ 内山高ほか、溜池堆積物の古地磁気年代測定 第四紀研究 Vol.36 (1997) No.2 P97-111
  8. ^ 1605年の東南海地震での津波は高さ10メートル以上だった模様[リンク切れ]
  9. ^ 狭山池が「かんがい施設遺産」に登録されました 大阪狭山市ホームページ2020年12月12日閲覧
  10. ^ 狭山池、かんがい施設遺産に 日本最古のダム式ため池 大阪 産経新聞2014年9月17日付配信記事
  11. ^ 狭山池が国の史跡に指定されました 大阪狭山市ホームページ2020年12月12日閲覧
  12. ^ 狭山池が日本で初めて「国際水圏環境工学会アジア・太平洋地域部会 水遺産賞」を受賞しました 大阪府報道提供2020年9月15日付
  13. ^ 国際水圏環境工学会アジア・太平洋地域部会水遺産賞 大阪狭山市ホームページ2020年12月12日閲覧
  14. ^ かんがい・治水 水面のある風景(大阪狭山市ホームページ2020年12月12日閲覧)
  15. ^ 大阪狭山市教育委員会狭山池調査事務所 平成11年『狭山池 論考編』
  16. ^ 大阪府狭山池出土木樋/重源狭山池改修碑 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  17. ^ 狭山池 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  18. ^ a b 大阪府内指定文化財一覧表 > 大阪府狭山市 (PDF) (大阪府ホームページ)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 狭山池 埋蔵文化財編 南河内考古学研究所
  • 狭山池 大阪府
  • 狭山池ダム嵩上げ事業について 大ダム : 国際大ダム会議日本国内委員会会誌 = Journal of the Japanese National Committee on Large Dams 154, 31-36, 1996-01-15, ISSN 0011-5347