道明寺天満宮

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道明寺天満宮
Domyojitenmangu haiden1024.jpg
拝殿
所在地 大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
位置 北緯34度34分9.5秒
東経135度37分3.4秒
座標: 北緯34度34分9.5秒 東経135度37分3.4秒
主祭神 菅原道真
天穂日命
覚寿尼
社格郷社
創建 古墳時代
別名 土師神社(旧称)
札所等 神仏霊場巡拝の道58番(大阪17番)
菅公聖蹟二十五拝
例祭 梅花祭(2月25日)
主な神事 初天神うそかえ祭(1月25日)
菜種御供大祭(3月25日)
地図
道明寺天満宮の位置(大阪府内)
道明寺天満宮
道明寺天満宮
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梅園
梅園
神宝陳列館

道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)は、大阪府藤井寺市道明寺にある神社旧社格郷社

祭神[編集]

  • 菅原道真公(すがはらみちざねこう)
  • 天穂日命(あめのほひのみこと)
  • 覚寿尼公 (かくじゅにこう)- 菅原道真公のおばに当たる人物である。

歴史[編集]

埴輪を作って殉死の風習を変えた功績で、垂仁天皇32年に野見宿禰は土師臣(はじのおみ)のとこの地を与えられた。そして、その子孫である土師氏は野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社を建立した。仏教伝来後に土師氏の氏寺である土師寺が土師神社の南側に建立され、やがて神宮寺となった。伝承では聖徳太子の発願により土師八島がその邸を寄進して寺としたという。この土師氏からはやがて菅原氏大江氏が分流していく。

平安時代、土師寺には菅原道真のおばに当たる覚寿尼が住んでおり、道真も時々この寺を訪れている[1]。この寺のことを「故郷」と詠んだ詩もある。901年延喜元年)、道真は大宰府に左遷される途中に当社に立ち寄って、覚寿尼との別れを惜しんだ[1]。道真遺愛の品と伝える硯、鏡等が神宝として伝わり、6点が国宝の指定を受けている[1]947年天暦元年)には道真自刻と伝える十一面観音像を祀って土師寺を道明寺真言宗御室派の尼寺)と改称(道真の号である「道明」に由来)し、土師神社内に天満宮も創建された。時代が下ると道真ゆかりの地ということで、道明寺は学問としての信仰を集めるようになっていき、土師神社も天満宮が中心となっていった。

1575年天正3年)織田信長の古市高屋城攻めで社殿、五重塔などを焼失したが、同年中に信長の寄進を受ける。1583年(天正11年)次いで1594年文禄3年)には豊臣秀吉から、後には江戸幕府からも寄進されている。1633年寛永10年)には石川が氾濫したため、道明寺が天満宮境内に移転し、両者はやがて一体化していく。

1872年明治5年)神仏分離することとなり、道明寺の五坊のうち二之室が神職家となって6月に天満宮は土師神社に改称した。翌1873年(明治6年)9月に道明寺は分離し、道を隔てた西隣の地に移転した。1952年昭和27年)に土師神社は道明寺天満宮と改称する。現在も学問の神として地元の人々に親しまれている。また境内には80種800本のの木があり、梅の名所として知られているとともに大阪みどりの百選に選定されている[2]

文化財[編集]

国宝[編集]

  • 伝菅公遺品[注 1]
    • 銀装革帯(ぎんそうかくたい)
    • 玳瑁装牙櫛(たいまいそうげくし)
    • 牙笏(げしゃく)
    • 犀角柄刀子(さいかくつかとうす)
    • 伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)
    • 青白磁円硯(せいはくじえんけん)

以上、唐時代または平安時代初期。『週刊朝日百科 日本の国宝』の解説は、硯は唐の製品、櫛は唐製の可能性が高く、帯と鏡は唐製品を模した日本製とする[3]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 笹散双雀鏡・笹散蒔絵鏡匣(1941年7月3日指定)[注 2]
笹散双雀鏡は、白銅製で鏡径20cmの円鏡であり、鏡は鏡匣ともに文様表現や製作技法から鎌倉時代につくられたと推定される[4]。笹散蒔絵鏡匣は鏡の背面とほぼ同じ笹散文様が蒔絵で表されていることから、鏡と箱が一対のものとして作られたとみられる[4]

京都府指定文化財[編集]

  • 脇差 銘秀光(昭和56年6月1日指定)
作者は、備前国長船派の流れをくむ秀光であり、南北朝時代の作品と考えられている[4]。身幅がやや細身であり、秀光の属した流派である小反派(こぞりは)の特色がよく現れている美術的価値が高い作品とされる[4]

藤井寺市指定文化財[編集]

  • 天神縁起絵扇面貼交屏風 (室町時代
  • 石燈篭 (鎌倉時代)
  • 河内国府遺跡発掘品(藤井寺市指定文化財 一部のみ)

その他の文化財[編集]

  • 漆皮鏡筥 (平安時代
  • 漆彫丸匣 (宋時代
  • 櫛箱 (江戸時代)
  • 蒔絵螺鈿鏡筥 (江戸時代)
  • 道明寺絵図 (江戸時代)
  • 太宰府天満宮絵図 (江戸時代)
  • 天神縁起絵巻 (江戸時代)
  • 渡唐天神画像 愚極禮才賛(伝・雪舟筆)

境内[編集]

  • 本殿(本殿・幣殿・拝殿) - 延享2年築、檜皮葺
  • 能楽殿 -文化12年築、大阪府最古
  • 神牛舎
  • 神門 -三井八郎右衛門奉納
  • 宝物館
1902年(明治35年)に菅原道真公壱千年祭の記念事業として建設され、伝来の神宝等約200点を収蔵・展示している[5]。開館日は、1月1~3日・1月25日・2月25日・3月25日、梅祭り期間中の土日祝日、釋奠の日と限定されており、それ以外は予約制となっている[5]
展示している修羅は、昭和53年に三ツ塚古墳(道明寺6丁目)の出土品を西岡常一ら宮大工の手で復元したもの。この修羅は同年9月3日に、朝日新聞社考古学などの専門家によって、市内の大和川河川敷で巨石を乗せて牽引する実証実験に使われた。
  • 大成殿(孔子廟)-明治34年築
  • 梅園
  • 庭園
  • 天寿殿
  • 絵馬堂
  • 元宮土師社
  • 白太夫社
  • 霊符社(祭神:天之御中主神
  • 白光社
  • 八嶋社
  • 稲荷社

行事[編集]

  • うそかえ神事(1月25日)
菅原道真が左遷先の大宰府に到着した神事の際、襲来した無数の蜂を一群のうそ鳥が飛来して蜂を食い、人々を救ったという故事にちなみ、参拝者たちが授与された木彫りの「うそ鳥」の入った袋を「かえましょう、かえましょう」という掛け声とともに周囲の人と交換しあう行事である[6]。近年では、縁起として「一年の凶事をウソに替える」や「ウソを誠に替える」などの願いも込められている[6]
  • 菜種御供大祭(3月25日)
大宰府への左遷の詔を受けた菅原道真が道明寺に立ち寄った際に、辺り一面は菜の花が咲いていたとされる。道真の大宰府下向後に覚寿尼公が毎日陰膳を据えていた飯を粉にして梅の実の形にした黄色の団子をこしらえたところ、病気平癒の効があるとして、参拝者がこぞって団子を求めたことに由来している[7]。現在では河内に春を告げる神事として、菜の花が供えられ稚児行列が行われる。また、梅の形をした菜の花色の団子が参拝者に授与される[7]

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス
周辺情報

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 6点一括で国宝に指定。6点の配列順序は国宝指定時の官報告示による(昭和28年7月16日文化財保護委員会告示第66号、指定は昭和28年3月31日付け)。
  2. ^ 藤井寺市公式サイトに「昭和25年8月29日指定」とあるが、指定日は「昭和16年7月3日」が正当。昭和25年8月29日は文化財保護法の施行日である。

出典[編集]

  1. ^ a b c 道明寺天満宮 - OSAKA-INFO2019年1月3日 閲覧
  2. ^ 大阪みどりの百選”. 大阪府. 2016年12月23日閲覧。
  3. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』35号(朝日新聞社、1997)、pp.140 - 141。解説執筆は関根俊一。
  4. ^ a b c d 道明寺天満宮の笹散双雀鏡と脇差 - 藤井寺市2019年1月3日 閲覧
  5. ^ a b 神社博物館事典WEB版 - 道明寺天満宮・宝物館 - 國學院大學2019年1月3日 閲覧
  6. ^ a b うそかえ祭り 【2018年1月25日(木)】 - わくわく南河内2019年1月3日 閲覧
  7. ^ a b 道明寺天満宮 菜種御供大祭 - OSAKA-INFO2019年1月3日 閲覧

関連項目[編集]

  • 道明寺粉 - 覚寿尼公が乾燥した糯米を粉にした由来から名前がついている。

外部リンク[編集]