観音正寺

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観音正寺
Kannonsyouji-5750.jpg
本堂
所在地 滋賀県近江八幡市安土町石寺2
位置 北緯35度8分40.8秒
東経136度9分39.7秒
座標: 北緯35度8分40.8秒 東経136度9分39.7秒
山号 繖山
宗派 天台宗単立
本尊 千手観音
創建年 伝・推古天皇13年(605年
開基 伝・聖徳太子
正式名 繖山 観音正寺
札所等 西国三十三所第32番
近江西国三十三観音霊場第19番
江州三十三観音第26番
びわ湖百八霊場第70番
神仏霊場巡拝の道第139番(滋賀7番)
文化財 千手観音立像(元重要文化財1993年焼失)
法人番号 1160005006991 ウィキデータを編集
観音正寺の位置(滋賀県内)
観音正寺
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仁王像
書院
縁結地蔵尊

観音正寺(かんのんしょうじ)は、滋賀県近江八幡市安土町石寺にある仏教寺院天台宗系の単立山号は繖山(きぬがささん)。本尊は千手観世音菩薩(千手観音)。西国三十三所第32番札所である。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく

ご詠歌:あなとうと導きたまえ観音寺 遠き国より運ぶ歩みを

歴史[編集]

琵琶湖の東岸、標高433mの繖山(きぬがさやま)の山頂南側の標高370m付近に位置する。伝承によれば、推古天皇13年(605年)に聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるというが、その話は二通りある。

一つは、聖徳太子がこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより、一寺を建立したというものである。その人魚は、前世が漁師であり殺生を業としていたために人魚に生まれ変わってしまい苦しんでいた。そこで聖徳太子に自身を成仏させてほしいと懇願したのである。こうして聖徳太子はその願いを受けて当寺を建立し、自ら千手観音像を作って本尊としたというものである。当寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、1993年平成5年)に火災で焼失した。

もう一つは、聖徳太子がこの地を訪れた際に天人が繖山の巨岩の上で舞っていたのを見て、その岩を天楽石と名付け、聖徳太子自ら妙見菩薩を始めとする五つの仏をそこに刻んだという。次いで聖徳太子は天照大神春日明神のお告げによって、山上に湧く水で墨をすって千手観音を描いたところ、釈迦如来大日如来が現れて霊木で千手観音像を作るようにとの啓示を受けた。こうして聖徳太子は自ら霊木で千手観音像を彫り上げ、天楽石を奥の院として当寺を建立したというものである。

実際の創建時期については不明であるが、遅くとも11世紀平安時代には既に存在していた。また、元弘3年(1333年)に足利高氏に攻められた六波羅探題北方北条仲時後伏見上皇花園上皇および光厳天皇を連れて東国に下ろうとした際に、両院(上皇)天皇の宿舎に充てられたとする伝承がある[1]。その場所は現本堂の地であり、禁裏屋敷と呼ばれていたという。

観音正寺が位置する繖山には、鎌倉時代以来近江国南半部を支配する佐々木六角氏の居城である観音寺城があったが、六角高頼が観音寺城を居城として以来、寺は六角氏の庇護を得て大いに栄えた。寺伝によると最盛期には72坊3院の子院を数えたとされる。しかし、六角定頼が当主の時や永禄年間(1558年 - 1570年)に六角義賢が観音寺城の拡張工事を行った際に、山上の寺域は次第に観音寺城に取り込まれることとなり、遂に寺は麓の観音谷に移ることとなった。この移転以前の境内としては、本谷道を参道とし、伝後藤邸跡地にある石段を真っすぐに上がり、現在境内となっているところ(後に拡張のため埋められた)をも超えて伝三井邸(西側の方の)跡地に至り、山の頂上に近いそこにかつての本堂である観音堂があったとする見解がある[1]

麓に移ったばかりの寺であったが、永禄11年(1568年)9月12日の観音寺城の戦い織田信長に敗北した六角義賢義治父子が観音寺城を捨てて甲賀郡に退却した時の混乱で焼失した。しかし、慶長2年(1597年)には再び山上に伽藍を建てることとなり、かつての参道を埋めて境内地を確保し、山頂近くに観音正寺を再興させ、現在庫裏が建っているところに観音堂を完成させた。

江戸時代に入り、西国三十三所霊場として栄えた観音正寺は、天保12年(1841年)には塔頭として、定円坊、本乗坊、松林坊、宝泉坊、観泉坊、松寿坊、徳万坊、光林坊、教林坊の10か坊が存在していたが、明治時代に入ると教林坊を残して廃絶した。そして教林坊も後には独立している。

1880年明治13年)に観音堂を建て替えることとし、観音堂は滋賀県犬上郡甲良町にある念称寺に本堂として移築された。そして1882年(明治15年)、彦根城の欅御殿を本堂として貰い受けて境内に移築した。

しかし1993年平成5年)、本堂が失火で焼失してしまった。交通の不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた明応6年(1497年)の銘がある本尊千手観音立像も焼失した。現在ある木造入母屋造の本堂は2004年(平成16年)に再建されたものである。

新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作。旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像である。像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている。白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、たび重なる交渉の後、特例措置として日本への輸出が認められたものである。

伽藍[編集]

前後の札所[編集]

西国三十三所
31 長命寺 - 32 観音正寺 - 33 華厳寺
近江西国三十三観音霊場
18 瓦屋寺 - 19 観音正寺 - 20 善勝寺
江州三十三観音
25 摠見寺 - 26 観音正寺 - 27 延命寺
びわ湖百八霊場
69 石馬寺 - 70 観音正寺 - 71 桑実寺
神仏霊場巡拝の道
138 宝厳寺 - 139 観音正寺 - 140 永源寺

拝観料[編集]

  • 500円

交通[編集]

  • JR琵琶湖線東海道本線能登川駅から、近江鉄道バス八日市駅行にて、観音寺口下車。結神社から裏参道登山道経由で徒歩50分。3登山ルートの中で、最も傾斜が緩やか。
  • JR琵琶湖線(東海道本線)安土駅から徒歩90分(途中の桑実寺から山道。桑実寺の拝観料が必要)
    • この他、第31番札所の長命寺 - 安土駅 - 観音正寺表参道口を結ぶ 臨時バス が運行されることがある。観音正寺表参道口からだと、石寺集落から1200段を越える石段となって徒歩40分。
  • 自動車の場合は、山上まで登る道が2コースある。
    • 林道繖山線(表参道林道・安土林道)は山の南西部の2箇所から登る事ができる。広めの道だが、表参道の石段の途中が終点駐車場で、約400段の石段を登る。
    • 林道観音寺線(裏参道林道・五個荘林道)は山の北東の繖公園あたりから登る。細い道だが、終点駐車場からは緩いスロープの関係者専用林道が続き、階段は一切ない。
      • 林道通行料金(駐車料込み)は普通車600円・軽自動車400円。

周辺[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 伊庭功「観音正寺と観音寺城跡」(初出:『城郭調査研究所 研究紀要』14号(2010年)/所収:新谷和之 編著『シリーズ・中世西国武士の研究 第三巻 近江六角氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-144-8

参考文献[編集]

  • 新谷和之 編著『シリーズ・中世西国武士の研究 第三巻 近江六角氏』 戒光祥出版、2015年。

外部リンク[編集]