三室戸寺

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三室戸寺
Mimurotoji5544.JPG
本堂
所在地 京都府宇治市莵道滋賀谷21
位置 北緯34度54分1.72秒 東経135度49分9.10秒 / 北緯34.9004778度 東経135.8191944度 / 34.9004778; 135.8191944座標: 北緯34度54分1.72秒 東経135度49分9.10秒 / 北緯34.9004778度 東経135.8191944度 / 34.9004778; 135.8191944
山号 明星山
宗派 本山修験宗
寺格 別格本山
本尊 千手観音秘仏
創建年 伝・宝亀年間(770年 - 781年
開山 伝・行表
開基 伝・光仁天皇(勅願)
正式名 明星山 三室戸寺
札所等 西国三十三所第10番
神仏霊場巡拝の道第124番(京都44番)
文化財 木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像・木造釈迦如来立像・木造毘沙門天立像(重要文化財
公式HP 宇治・京都 西国第十番札所 三室戸寺
法人番号 6130005006866 ウィキデータを編集
三室戸寺の位置(京都府内)
三室戸寺
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与楽園(6月、アジサイ園)

三室戸寺(みむろとじ)[注釈 1]は、京都府宇治市にある寺院山号は明星山。本尊千手観世音菩薩西国三十三所第10番札所。本山修験宗の別格本山。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか 

ご詠歌:夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬に立つは白波

歴史[編集]

創建伝承[編集]

寺伝によれば、宝亀元年(770年光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。創建と本尊に関しては次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。犬養がその光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た。犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが当寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したという。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという[1]

平安時代以後[編集]

以上のように、当寺の創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしない。園城寺三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』所収の僧・行尊の三十三所巡礼記は、西国三十三所巡礼に関する最古の史料であるが、これによると、11世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、御室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であった[2]

寛平年間(889年 - 898年)には園城寺の円珍が留錫し、その後、花山法皇がこの地に離宮を設け、当寺を西国三十三所巡礼の第10番札所とした。

康和年間(1099年 - 1103年)、園城寺長吏の隆明大僧正が当寺を中興し、また園城寺子院の羅惹院を当寺に移転させ、自らも住するようになると、御室戸の僧正と呼ばれるようになり、御室戸寺も隆盛を誇った。この頃、光仁天皇、花山法皇、白河法皇三帝の離宮になったことから御室戸寺の「御」を、「三」に替えて三室戸寺と称するようになる。

その後寛正3年(1462年)の火災で伽藍を失うが、文明19年(1487年)に園城寺阿弥陀院の壱阿によって本堂が再建される。しかし、天正元年(1573年)には織田信長に敵対して槙島城に立て籠もった将軍足利義昭の味方をしたために寺領を悉く没収されて衰退した。

寛永16年(1639年)、道晃法親王によって復興される。

現存する本堂江戸時代後期の文化11年(1814年)に法如和尚によって再建されたものである。

本尊[編集]

本尊は千手観音像であるが、厳重な秘仏で、写真も公表されていない。本尊厨子の前に立つ「お前立ち」像は飛鳥様式の二臂の観音像で、二臂でありながら「千手観音」と称されている。この本尊像に関わる伝承は「歴史」の項で述べたとおりで、高さ二丈の観音像は寛正年間(1460年 - 1466年)の火災で失われたが、胎内に納められていた一尺二寸の二臂の観音像は無事であったという[1]

秘仏本尊を模して造られた前述の「お前立ち」像は、大ぶりの宝冠を戴き、両手は胸前で組む。天衣の表現は図式的で、体側に左右対称に鰭状に広がっている。こうした像容は奈良・法隆寺夢殿救世観世音菩薩像など、飛鳥時代の仏像にみられるものである。厨子内の秘仏本尊像自体については、指定文化財でないため、年代等の詳細は不明である。

2008年平成20年)が西国巡礼の中興者とされる花山法皇の一千年忌にあたることから、2008年(平成20年)から2010年(平成22年)にかけて、西国三十三所の全札所寺院にて札所本尊の「結縁開帳」が行われることとなった。三室戸寺本尊の千手観音像は2009年(平成21年)10月1日 - 11月30日に開扉されたが、これは前回開扉(1925年)以来84年ぶりの公開である。

境内[編集]

三重塔
与楽園(11月、池泉回遊式庭園)
  • 本堂 - 文化11年(1814年)に再建された重層入母屋造の重厚な建物で、秘仏の千手観音立像が安置されている。
  • 阿弥陀堂 - 元々ここには親鸞の父日野有範の墓があったが、親鸞の娘覚信尼が祖父有範の墓を整備し、その上にお堂を建てて阿弥陀堂とし、その菩提を忌った。
  • 鐘楼 - 吹き流し形式。
  • 三重塔 - 元禄17年(1704年)建立の全高16メートルの三重塔で、もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、1910年明治43年)に当寺が買い取って参道西方の丘上に移設。その後境内の現所在地(鐘楼の東隣)に移された[3]
  • 山門
  • 宝蔵庫
  • 十八神社 - 本堂の左背後にある。
  • 狛蛇(宇賀神) - 本堂前に鎮座する石像で、身体は蛇がとぐろを巻く姿。最近の作。
  • 横綱若乃花貴乃花の手形
  • 浮舟の碑
  • 庭園 『与楽園』 - 5,000の広さがあり、枯山水・池泉・広庭からなる。5月は2万株のツツジ、一千本のシャクナゲ、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、さらに秋は紅葉の名所にもなる。庭園を整備したのは、近年のことである。

文化財[編集]

重要文化財

十八神社本殿(重要文化財)
  • 木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像 - 平安時代後期の定朝様の作。両脇侍像は観音・勢至菩薩で三千院の阿弥陀三尊像の脇侍と同様の跪坐(ひざまずく)の姿勢をとる。1909年(明治42年)4月5日指定[4]
  • 木造釈迦如来立像 - 鎌倉時代嵯峨清凉寺の本尊像を模した「清凉寺式釈迦如来像」の最古の遺品。1909年(明治42年)4月5日指定[4]
  • 木造毘沙門天立像 - 平安時代後期。1909年(明治42年)4月5日指定[4]
  • 十八神社本殿(所有者は十八神社) - 三間社流造、長享元年(1487年)建立。1923年大正12年)3月28日指定[4]

京都府指定有形文化財[4]

  • 本堂 - 江戸時代。1990年平成2年)4月17日指定。
  • 三重塔 - 江戸時代。1990年(平成2年)4月17日指定。
  • 旧本堂蟇股 - 室町時代。1990年(平成2年)4月17日指定。
  • 阿弥陀堂 - 江戸時代。1990年(平成2年)4月17日指定。
  • 鐘楼 - 江戸時代。1990年(平成2年)4月17日指定。
  • 絹本著色の絵画8幅 - 2017年(平成29年)9月29日指定。
  • 絹本著色の絵画14幅 - 2018年(平成30年)3月23日指定。

宇治市指定有形文化財[4]

  • 絹本着色如意輪観音像 - 鎌倉時代。1978年(昭和53年)3月25日指定。

寺宝[編集]

  • 浮舟観音立像 - 平安時代。浮船の念持仏と伝えられる。

前後の札所[編集]

西国三十三所
9 興福寺 - 10 三室戸寺 - 11 醍醐寺(上醍醐・准胝堂)
神仏霊場巡拝の道
123 伏見稲荷大社 - 124 三室戸寺 - 125 平等院

所在地[編集]

〒611-0013 京都府宇治市莵道滋賀谷21

アクセス[編集]

周辺[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 近くの駅名は「みむろ」と読むが、寺名は「みむろとじ」と読む。

出典[編集]

  1. ^ a b 伊丹光恭、水野克比古『京の古寺から 7 三室戸寺』、淡交社、1995
  2. ^ 頼富本宏「西国三十三所巡りと観音信仰について」、特別展図録『西国三十三所観音 霊場の祈りと美』所収
  3. ^ 『仏塔巡礼 西国編』 P.42 - 長谷川周ISBN 4487795966
  4. ^ a b c d e f 宇治市の文化財”. 宇治市公式ホームページ. 2020年2月19日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『日本歴史地名大系 京都府の地名』、平凡社
  • 伊丹光恭、水野克比古『京の古寺から 7 三室戸寺』、淡交社、1995年
  • 毎日新聞社編・発行『仏像めぐりの旅 5 京都(洛北・洛西・洛南)』、1993年
  • 長谷川周『仏塔巡礼 西国編』、東京書籍、2000年
  • 奈良国立博物館・NHKプラネット近畿編『西国三十三所観音 霊場の祈りと美』(特別展図録)、発行:奈良国立博物館、名古屋市博物館、NHKプラネット近畿、NHKサービスセンター、2008年(解説執筆は頼富本宏、清水健ほか)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]