中山寺 (宝塚市)

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中山寺
Nakayamadera hondo01s5s1998.jpg
本堂
所在地 兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
位置 北緯34度49分18.0秒
東経135度22分3.6秒
座標: 北緯34度49分18.0秒 東経135度22分3.6秒
山号 紫雲山
宗派 真言宗中山寺派
寺格 大本山
本尊 十一面観世音菩薩重要文化財
開基 伝・聖徳太子
正式名 紫雲山 中山寺
別称 中山観音
札所等 西国三十三所第24番
真言宗十八本山第4番
摂津国八十八箇所第69 - 71番
摂津国三十三箇所第1番
聖徳太子霊跡第26番(開山堂)
神仏霊場巡拝の道第80番
近畿三十六不動尊霊場第21番
川辺西国三十三箇所第1番
西国七福神寿老人
文化財 木造十一面観音菩薩立像ほか(重要文化財)
本堂ほか(県指定文化財)
公式HP 大本山 中山寺
法人番号 2140005018674 ウィキデータを編集
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中山寺(なかやまでら)は、兵庫県宝塚市にある真言宗中山寺派大本山の寺院。山号は紫雲山。西国三十三所観音霊場第24番札所。本尊十一面観世音菩薩。本尊は、インド勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられる。左右の脇侍も十一面観音で本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国三十三所観音を総摂すると共に法華経(観音経)に説く観音菩薩の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳が得られるという。普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。また、安産祈願の寺として有名である。地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれている。

本尊真言:おん まかきゃろにきゃ そわか

ご詠歌:野をもすぎ里をもゆきて中山の 寺へ参るは後(のち)の世のため

歴史[編集]

寺伝では聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場である。創建の経緯は仲哀天皇と先后大中姫の子である麛坂皇子忍熊皇子の追善供養のため、あるいは蘇我馬子と聖徳太子に敗れた物部守屋の霊を鎮めるために建立されたという。奈良時代には大小多数の堂塔伽藍を備えた大寺院であったと伝わり、「極楽中心仲山寺」と称されていた。

養老2年(718年)、大和国長谷寺徳道上人が冥土で閻魔大王から「観音信仰を広めるように」と言われて御宝印を授かった。徳道はその御宝印を当寺にある白鳥塚古墳(中山寺古墳)内の石棺・石の櫃(からと)に納めたという。徳道は観音巡礼を広めようとしたが上手くいかなかった。その後、約270年後の平安時代になってから花山法皇が石の櫃から御宝印を見つけ出し、西国三十三所観音巡礼を再興して当寺をその第24番札所とした。

当寺は安産祈願の霊場として皇族貴族源頼朝などの武家、庶民より深い信仰を集めたが、天正6年(1578年)に始まった、荒木村重織田信長との有岡城の戦いの戦火を受けて多宝塔五重塔を含む全山が焼失してしまった。

安土桃山時代豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。慶長8年(1603年)には豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として本堂、護摩堂や阿弥陀堂などの伽藍が再建されている。

幕末には中山一位局明治天皇を出産する時に安産祈願して無事出産したことから、当寺は日本唯一の明治天皇勅願所となっている。

1995年平成7年)1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、堂舎や塔頭の総持院、華蔵院などが被災したが、後に復興した。

中山という山が背後にあり、山腹にある中山寺奥之院には厄神明王が祀られ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。中山寺の境内からは18丁[注釈 1]、徒歩50分程度で参拝することができる。

毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて日本各地から多くの参詣者が訪れる。

境内はエレベーターやエスカレーター、手すり等が設置されてバリアフリー化されており、妊婦、年配者、障害者の参拝が容易となっている。

境内[編集]

  • 本堂 - 慶長8年(1603年)、豊臣秀頼による再建。
  • 護摩堂 - 慶長8年(1603年)、豊臣秀頼による再建。
  • 開山堂(聖徳太子堂) - 1997年平成9年)に護摩堂を参考にして再建。開基の聖徳太子を祀る。
  • 大師堂
  • 弘法大師
  • 五重塔 - 2017年(平成29年)再建。「青龍塔」と呼ばれる。珍しく深い青色で塗装されているが、これは東方を守護する「青龍」を表したものである。ネパールのダルマキールティ僧院より請来された御舎利が安置されている。京都府木津川市海住山寺広島県福山市明王院の五重塔を参考に建てられた。心柱は岡山県美作市の大野神社にある樹齢400年の檜が使用されている。高さは約28メートル、初層には裳階が付いている。
  • 子授け地蔵
  • 西国三十三所石仏群
  • 鎮守社
  • 大願塔(多宝塔) - 2007年(平成19年)再建。
  • 阿弥陀堂 - 慶長8年(1603年)、豊臣秀頼による再建。
  • 宝蔵
  • 安産御手水鉢 - 忍熊皇子の遺体を納めた舟形石棺とされる。
  • 亥の子地蔵 - 北向き地蔵。
  • 五百羅漢堂 - 1997年(平成9年)再建。約800体の羅漢像が並ぶ。
  • 涅槃堂 - 五百羅漢堂の地下にある。涅槃図と金色の千体仏が奉納されている。
  • 紫雲閣 - 内部は納経所、寺務所、祈祷殿となっている。
  • 鐘楼
  • 水掛地蔵
  • 閻魔
  • 寿老人
  • 詠歌堂
  • 白鳥塚古墳(中山寺古墳) - 寺伝では仲哀天皇の先后大仲姫(大中姫命)が埋葬されたとされる。内部の石棺は石の櫃(からと)と呼ばれ、ここに徳道上人が埋め、花山法皇が見つけ出したという閻魔大王から頂いた御宝印が納められていた。
  • 大黒
  • 絵馬堂 - 休憩所。
  • 信徒会館
  • 萬霊塔
  • 観音院 - 塔頭
  • 宝蔵院 - 塔頭。
  • 総持院 - 塔頭。
  • 成就院 - 塔頭。
  • 華蔵院 - 塔頭。
  • 山門(仁王門) - 「望海楼」と呼ばれている。正保3年(1646年)、徳川家光により再建。
  • 梅林
  • 夫婦岩
  • 天神像 - 宇多天皇が自ら岩に彫ったとされる摩崖仏・菅原道真像。
  • 奥之院
    • 本堂 - 摂津国八十八箇所71番札所。白鳥石の拝殿でもある。伽藍から北西に2キロメートルほど離れた当初の中山寺本堂があった場所である。
    • 白鳥石 - 大岩の窟(いわや)とも呼ばれる。忍熊皇子を日本最初の厄神明王として祀る。
    • 吾孫子弁財天

文化財[編集]

重要文化財[編集]

  • 木造十一面観音菩薩立像(本尊) - 平安時代前期。
  • 木造薬師如来坐像 - 平安時代後期。
  • 木造聖徳太子勝鬘経講讃坐像 附:経机、経巻、台座、礼盤(各木造) - 鎌倉時代から室町時代。
  • 木造大日如来坐像 - 平安時代後期。

兵庫県指定有形文化財[編集]

山門
  • 本堂
  • 護摩堂
  • 大門(山門)
  • 木造十一面観音立像 2躯 - 鎌倉時代。

兵庫県指定史跡[編集]

  • 白鳥塚古墳(中山寺古墳)

宝塚市指定有形文化財[編集]

  • 木造薬師如来坐像
  • 木造愛染明王坐像
  • 鉄製吊燈籠
  • 銅製鰐口
  • 「豊国大明神」神号 - 豊臣秀頼筆。
  • 町石
  • 星下り祭

歴代長老[編集]

  • 石堂恵猛
  • 今井圓海
  • 石堂恵俊
  • 村主恵快
  • 池田瑩輝
  • 今井圓明
  • 石堂恵教
  • 池田光輝
  • 村主康瑞
  • 今井浄圓

行事[編集]

  • 8月9日の夜に西国三十三所の観音菩薩が星に乗って中山寺本堂に集まるとされ、星下り大会式が行われる。8月9日の夜には、梵天(御幣)が中山寺の塔頭に納められる。この8月9日に中山寺に参詣すると四万六千日参拝したのと同じ功徳があるとされる。
  • 2月3日節分には、毎年宝塚歌劇団生徒を招いての追儺(ついな)豆まき式が行われる。
    彼女たちが扮する観音様が人間の諸悪の根源である三毒(とん/むさぼり(欲張る心))・(しん/いかり(怒る心))・(ち/おろか(真理に対する無知の心))の象徴・三匹の鬼をさとし、福・禄・寿に変身させるというショーが行われる。

御詠歌[編集]

  • 野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へまいるは のちの世のため
  • 群雲のかかる浮世の中山に 慈悲の光やひとり晴れゆく
    • 御詠歌をあげる際にはこの後に「南無阿弥陀仏」を3回唱えて休憩に入ることが多い。

前後の札所[編集]

西国三十三所
23 勝尾寺 - 24 中山寺 - 番外 花山院菩提寺
真言宗十八本山
3 清荒神清澄寺 - 4 中山寺 - 5 大覚寺
摂津国八十八箇所
68 満願寺- 69 中山寺大師堂 - 70 中山寺寿老人堂 - 71 中山寺奥の院 - 72 清荒神清澄寺
摂津国三十三箇所
1 中山寺 - 2 平林寺
聖徳太子霊跡
25 六角堂頂法寺 - 26 中山寺 - 27 鶴林寺
神仏霊場巡拝の道
79 清荒神清澄寺 - 80 中山寺 - 81石清水八幡宮
近畿三十六不動尊霊場
20 智積院明王殿 - 21 中山寺護摩堂 - 22 北向山不動院本殿
川辺西国三十三箇所
1 中山寺 -- 2 泉流寺
西国七福神寿老人

※納経所は大師堂と奥の院はそれぞれの独自の納経所。それ以外は「中山寺納経所」。なお、奥の院納経所のみ10時から15時30分までの受付であり、かつ中山寺本堂から山道で1時間弱の所要時間を要する。清荒神付近から関係者用の車道も通じているが、途中は自衛隊の専用道路を経由するため、寺院の関係者も普段は歩いて「通勤」している。なお、この車道はハイキングのための通行は黙認されているため、タクシー等の利用の際はこの道路を通るのが最も早く奥の院に到達できる。

所在地・アクセス[編集]

〒665-8588 兵庫県宝塚市中山寺2丁目11番1号

周辺情報[編集]

行政地名としての中山寺[編集]

中山寺
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Hyogo Prefecture.svg 兵庫県
市町村 Flag of Takarazuka, Hyogo.svg 宝塚市
人口
2014年平成26年)8月1日推計)
 • 合計 1,101人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
665-0861

宝塚市の行政地名としての中山寺(なかやまでら)は一丁目から三丁目までがあり、1970年昭和45年)に住居表示を実施しているが2丁目の北側にある大字中山寺では住居表示を実施していない[1]

元は摂津国川辺郡中山寺村で、1889年明治22年)の町村制施行後は川辺郡長尾村の大字中山寺となった。現在の大字中山寺は2丁目の北側にあり、北中山公園の所在地が「大字中山寺北中山」、奥之院の所在地が「大字中山寺字山ノ内」とされている。

北を切畑、北東を中山桜台、東を中山台、南東を中筋、南を今里町、南西を売布、西を泉ガ丘、北西を川面と接し、売布との間には中山荘園(元は切畑の一部)がある。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 1丁は長さにして約109.09メートル

出典[編集]

  1. ^ 角川日本地名大辞典 28 兵庫県』、1079ページ。

関連項目[編集]

  • 日本の寺院一覧
  • 日本の寺の画像一覧
  • 朝日放送ラジオ(ABCラジオ) - スタッフだった浅尾武史(通称「ジャイアン浅尾」。2014年6月1日付で広報部門へ異動。村主康瑞・現長老の遠縁)が作詞・作曲、同じくラジオ部門スタッフだった太田涼子(現姓・靭=うつぼ。通称「小パンダ」)が歌唱したオリジナルのラジオCMを流している。その縁もあり追儺豆まき式にはABCラジオの番組出演者(桑原征平妹尾和夫三代澤康司アナ、桂吉弥など)が参加する。ちなみに浅尾と太田はCM制作当時は独身だったが、後にそれぞれ結婚している。

外部リンク[編集]